男は用心深く木箱を持ち、窓から下ろした。 物音はまだ続いている。木箱を持つ手にかすかな振動が伝わる。 何かがーー生命を持った何かがその中にあるとしか思えなかった。 かたわ 男は薄気味悪く思いながら少女の傍らに木箱を置いた。 「ま : : : まさか、赤ん坊が入ってるんじゃねえだろうな ! いや、そんなはずーー 男はつぶやく。 木箱は石段をいくつか転がり落ちたのだ。 その中にいたとしたら、泣き声のひとつもたてない赤ん坊などいないのではないか。 まゆげ 縮れた濃い眉毛をひそめて男は箱のふたに指をかけた。 かぎ 留め具はあるが鍵はかかっていない。 さきほど少女が取り落としたせいか、金具がゆるんではずれかかっている。 落とした衝撃ではみ出した白い布の端がまだそのままだ。 ごしかし、次の瞬間、男は目を見張った。 彼が触れもしないのに、その白い布がずるりと動いて箱の中に引き込まれた。 揺 の「なに っ ? 」 悪 男は太い指先で留め具を外した。 簡素な木彫りの箱を彼は開けた。
彼はいちばん近いところにいる男に長剣の刃先を突きつけ、ディアを立たせた。 「死にものぐるいで走れ ! 」 カイがディアの腕をつかんで押しだそうとしたがディアが抗う。 「ディアちゃん ? こ 「木箱、あたしの箱を落とした」 「はかー カイの唯一の誤算だ。 すき ディアが暴れて、そのおかげで相手に隙ができたというのに 自分で作ったチャンスを逃すなんて、事の重大さを全然わかっていない。 だが彼女はカイの腕を強くはねのけ、石畳にうずくまって木箱を抱きしめた。 いくつかの剣や鉄槌がその頭上に構えられた。 ディアはいとおしそうに木箱を抱きしめてなでていた。 あんど ご無防備な姿で。安堵の表情すら浮かべて りカイは唇をかんだ。 の怒りを通り越して、悲しいような気持ちだ。 悪「何が木箱 : : : だよ」 彼はつぶやき、奪った長剣をしつかりと握った。 てつつい あらが
海を望む絶壁の荒城。少女ディアは賊に追い つめられていた。彼女が大事そうに抱える、 ディアポリ ふたに〃悪魔の揺りかごみと刻まれた木箱 賊はこれを狙っているのだった。ディアはさ らに逃げようとしたが、石段がくずれ、木箱 を手離してしまうーーー。木箱の中身が宝物で はないと知った賊は、欲望を満たそうとディ アに迫る。その時、賊は木箱の中で何かがう ごめくのを感し、箱を開けてしまうが 恋気分いつばいの夢 0 小説誌 ! 朝 t 1 月、 3 月、 5 月、 7 月、 9 月、 1 1 月の 18 日発売 隔月刊ですので、お求めにくしにともありま魂 ~ あらカしめ書店にご予約をおめします。 集英社
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男はのどを鳴らすように笑って少女の手首を石敷きの踊り場に押しつけた。 少女はうつろな目をしていた。 むざん 全てをあきらめて、無惨な仕打ちを受け入れようというのか。 その時また、石壁の方で物音がした。 今度は先刻よりはっきりと大きな音で、何か動くのがわかる。 男は驚いて振り向いた。 「誰だー 血がこびりついたまぶたの下で彼は目をこらした。 音はーーー木箱から聞こえた。 木箱の中で何かがうごめいている。 男は少女の腕から手を離し、ゆるゆると立ち上がった。 な・ : ・ : 何だ ? 」 そして、少女が逃げ出さないかと気にしながら、木箱に手をのばした。 いましめを解かれても少女は動かなかった。 人形のように無表情に横たわっていた。 木箱はひとっ衝撃を与えれば瞬時に海に転落するという状態で、不安定な張り出し窓の石に 置かれている。
神を賛美すべき文字で彫られた奇妙な言葉が躍動している。 あめ 飴色をした木箱のふたに、草木模様に囲まれて浮き彫りにされた言葉だ。 白くたおやかな少女の腕の中で。 薄暗い森の中、か細い息の音が耳につく。近づくもうひとつの足音。 だめ、見つかっちゃう : 少女はしつかりと木箱を抱きしめた。 みどりご ちょうど嬰児がすつぼり入る大きさの木箱だ。 肩で荒く息をしながら、少女はつぶやく クナプラ・ディアボリ 悪魔の揺りかご 第一章悪魔の揺りかご
だが少女の祈りも虚しく、足音がひたひたと近づく。 後ろ手に石の感触がある。朽ちた石壁の窓から見下ろせば、底なしの青が見える。 はるか下方に海を望む絶壁の上にいるのだ。 かっしよく らせん階段の中心となる柱の陰から褐色の頭部がちらりと見えた。 だめだ : : : 登るしかない : 少女は意を決して階段に足を踏み出した。 その時、もろい石段が崩れた。 「あっ : ひざ 少女の体は傾き、したたかに膝を打った。 木箱が手から離れ、鈍い音を立てて石段を転がり落ちた。 漆黒の瞳が見開かれる。 きよっがく 木箱を追うように腕をのばした少女が驚愕した。 ご白い指の先、浮き彫りの木箱の上に骨太い手がのせられていたからだ。 ふたすきま 木箱とその蓋の隙間から白い布がわずかにはみ出していた。 の「なんだあ ? ・このがらくたは ! 」 すとんきよっ 男は素っ頓狂な声を出した。予想していたような宝物などないと見たのだろう。 日焼けして赤らんだ顔、血走った目がこちらを凝視して薄ら笑いを浮かべている。 しつこく
108 木戸が開いて誰かが入って来た。 ディアは慌てて目を閉じた。 眠っているふりをした。 目を閉じていても、壁の常夜灯の明かりのちらっきはなんとなくわかる。 人が彼女の目の前に立っ気配がした。 ディアはそっと少女の体から抜け出した。 揺りかごに戻って様子をうかがった。 ふたは閉まったままでも揺りかごの中からなら何でも見える。 とが 宿の亭主は尖った顔をして少女の顔を見た。 じゅくすい うつわ ディアの器ー少女の体ーーーは、今本当に熟睡しているような状態だ。 亭主はほくそ笑んだ。 そして目を動かして木箱を見た。 わら 藁とリンネルの敷布の寝床、ディアの枕元に木箱は置いてある。 ディアは揺りかごの中で目をこらした。 木箱の上に銀貨の幻影が浮かぶ。 ああ : : : ばかみたいにわかりやすいャツだわ。 あき ディアは呆れてしまう。 あわ
カイは上半身を起こして胴着を肩にひっかけた。 魔隣室で物音がしたからだ。 「・・ : : どうした」 べッドからレオンの声がした。 ご 冷然と男を見ながら、ディアは揺りかごの中で体をきゅっと丸めた。 男は木箱を持ち上げて重さを確かめた。 箱を傾けて耳をすませる。 」痛いよ : : : も、つ ! ディアは揺りかごの中で絹のふとんの上をすべり、傾いた木箱の底で背中の突起を打った。 かぎづめふた 大きな鉤爪が蓋の裏側に当たってことりと鳴ってしまった。 だが案ずることはない。 男には銀貨の音しか聞こえないだろう。 筋張った手がふたにかかる。 留め金が外された。
ひざ ディアはレオンの体に沿って崩れるように膝をつき、木箱に顔を寄せた。 : こんなひどいことをして : 「あんたはひどい : 。あたしは : : : 赤ちゃんなのに : ・ おえっ 木箱を両手で抱き、ディアは嗚咽した。 ほお 長剣をおそれもしないのか、自分の頬に刃先が触れそうになるのもかまわず、ディアは木箱 の中の物をかばっている。 「どけ」 「赤子だろうと何だろうと、悪魔には違いない。おれの知っている悪魔使いは、悪魔の眼球を しよくたい 持っていた。 カイ、飾帯の革袋を開けてみろーとレオンは言った。 床に投げ出されたレオンの飾帯を、カイは見つめた。 腰が抜けそうなのをこらえて、革袋をつかんだ。 かわひも 袋のロを閉じるための革紐はほどけていて、中から微光を放っ歪んだ球体のような物が見え 魔「それだ、ここへ」 カイはどうしたらいいかわからず、飾帯ごと革袋を運んだ。 レオンは空いたほうの手で、貴石にも似た物体を取り出した。 ご