つついまえあし 一対の前肢のうち片方の鉤爪を失ったその生き物は、箱の中でももがいている。 暗い部屋だが、箱の中から発光しているのが見える。 レオンは刃先を木箱に向けた。 「こいつだ : : : これを手に入れる : ・ レオンはとどめをさすつもりだろうか。 カイも息を殺してそれを見ていた。 「やめて : : : 」 カイの腕の中でディアが叫んだ。 「ディアちゃん ? 」 「殺さないで ! 」 ろうばい 彼女は狼狽したようにカイの腕をふりほどいた。 「邪魔するな」とレオンが言った。 ディアが飛び起きた。 強いカでカイから逃れ、レオンの背に飛びついた。 揺 魔「殺してはだめ ! 」 「邪魔するなと言うのに ! 眼球をえぐるが殺しはしない」 せんりつ 冷たい声に、ディアは戦慄したようだ。
144 にじ 一彼の左の上腕のシャツが裂けて、血が滲んでいた。 、レオン・ : : ・様 ? 」 ばうぜん カイが呆然と立ったまま、レオンに呼びかけた。 レオンはディアの体を自分から引き離し、まじまじと見下ろした。 「はかめ : : : 」 あおむ 彼はうそぶきながら、ディアのあごに手をかけて仰向かせた。 ディアは口惜しそうな顔をしていた。 「よくも : : : 邪魔したわね」 まね 「勝手な真似は許さない」 がら うつわ 「あたしが食べた抜け殻なんだから、どうしようと勝手でしょ 0 あたしはもっと強い器がほし 。そしてその体を使ってあんたを殺してやる」 「おまえはおれが捕らえた。一一度とこんな真似はするな」 レオンはそう言ったあと、カイの方に向き直った。 「こいつに刃物の類を持たせるな。器の体を殺そうとした」 カイはようやく事態が飲み込めた。 ディアはーー悪魔のディアは、ひ弱な器に業を煮やして殺そうとしたのだ。 たぐい ′」う
長身の男が入り口をくぐるようにして入って来た。 むろん闘いの後半を請け負った先刻の騎士だ。 カイがその後ろからついて来た。ぐったりとしている。 にお 血の匂いがした。そして同族の匂いも近くなった。 「あいつら、みんなやつつけたの ? こと少年がとびついて言った。 男は息も荒げていない。返り血も浴びていないが、どういう争いをしたのだろう。 彼は子どもの頭を軽くなでて言った。 「殺してはないが、 ・ : しばらくは大人しいと思う。誰かが代官を呼んだらしいから任せた」 「うわあい ! 父さん、もう安心だって ! 」 ディアはじっとその騎士を見つめた。 悪魔の気配が特に強く感じられたからだ。 「おや、まあーーー それはありがとうございました ! 代官様がとうとう重い腰を上げなす ごったんですか。これまでさんざわたしたちを泣き寝入りさせていたのにーーあれですね、もう おび わたしたち、怯えなくていいんですね」 の女房がそう言いながら階段を下りてきた。 ラベンダーの色に淡く染めた衣を手に持っていた。 「なんとお礼を言ったらいいんでしよう。でぎる限りのことはいたします。その前に、お名前
「カイ」 「ん ? 」 「あいつを : : : 殺して」 ディアの唇を見つめながら、カイは苦笑した。 「物騒なことを言うね。ボクにできるわけないでしよ。ごろっきが束になってかかってもかな わないのに」 「じゃああたしの器を殺して。そしたら他の器を探せるもの」 「ディアちゃん」 「初めて選んだのがこれだもの。これが死なないと、別の器に移れないから こんがん ディアが懇願する。 「だから殺せって ? カイがたしなめるように言った。 「そんなことできるくらいなら最初から助けようとしたりしないよー ひとめば 揺 . しかも一目惚れした少女に手をかけるなんてこと。 魔だがカイはその言葉はこらえた。 器だけに恋をしたのかもしれないと思うと、自分が浅はかな気がするからだ。 にら ディアは口惜しそうにカイを睨んだ。 うつわ だから」
124 「やめてお願い、助けて ! そんなことをしたら死んでしまう。もう十分弱っているわ ! 」 けんめい 彼女は懸命にレオンの腕にすがりついた。 カイはわけがわからなかった。 「ディア : : : ちゃん : : : ? 」 「なぜあたしをこんな目に遭わせるの ? 」・ ディアがレオンにとりすがって言った。 レオンは木箱の中に長剣の先端を入れたまま、瞳をめぐらせた。 「このけだものは : ・ : ・悪魔だろう ーーたった今、人を殺した」 「まだ赤ちゃんだわ、 : : : 殺したなんて : : : 人間の赤ん坊が乳を飲むのと同じよ。体を食べ残 してもよかったけど、用心のために食べたのよ」 「体をーー食べ残す ? 」 たましい 「魂だけで十分だもの」 レオンの眼差しが鋭さを増した。何かを確信したように。 「このけだものはーーおまえが飼っているのか」 「違うー 反駁するディアの顔は真っ青だ。 「あたしょ : : : これがあたしの本当の姿 : : : ああ、あたしは囚われた ! 」 はんばく
152 黒の双眸が食い入るように見つめている。 「あたしたちは揺りかごの中で眠って治すけど、人間は違う。この前みたいに イ、どこかへ行ってはだめ」 かんちが 何を勘違いしたのか、ディアの思い込みに失笑しながらもーーカイは戸惑う。 「ボクには羽ぶとんも薬もあげられないから : : : こんなふうにしかできなかったんだ」 ぼつりと言って、カイはディアの体をそっと抱きしめた。 あわ なんだか彼女が哀れになってきた。 「あたし、あいつに殺される・ : あいっと二人にしないで」 ディアの声が震えていた。 うつわ 「もうこの器を殺せなんて言わないから」 カイの胸がどきんと鳴った。 今カイを動揺させているのは、ディアへの憐れみだけではないのかもしれない。 「よくなついたものだな」と冷えた声が言った。 レオンが部屋の入り口に立ってふたりを見ていた。 「だが騙されるな、カイ。女だと思うなよ、そいつを」 彼はカイの目を覚まそうとでもしているように言った。 そうぼう だま あわ だから、カ
142 ディアが冷笑を浮かべた。 「あんたたちが肉を食べるのと同じことよ」 べッドの上で半身を起こして、ディアが言い放った。 勝ち誇ったような眼差しでレオンを見返す。 「牛や豚を、あんたたちは食べるじゃないの。家畜の気持ちを考えて食べる ? かわいそうだ と思うの ? 親を喰われた子豚に償いをしてあげなくちゃって思う ? 」 ディアはあどけない少女の顔のまま笑った。美しかった。 ひとめば せんりつ だが一目惚れして、いたわり続けてきたカイですら戦慄を覚えた。 ディアポルス まぎれもなく、彼女は悪魔なのだ。 たんれい レオンの端麗な顔も青ざめて見えた。 「あたしを飼うって言ったけど、捕食しないと生きていけないのにどうするの ? やろうと思 , えばやれたのにあたしを殺さなかったのは、それなりの理由があるからよね。あたしを生かし ておかないとならない理由が 「おれは悪魔を捕らえて飼うーーそれだけだ。殺すのはいつでもできるからな。おまえもいっ その弱った体でできるものならな・ : ・だっておれの寝首を掻けばいい。 ディアが唇をかんだ。 そしてやにわにべッドから降り立とうとした。 つぐな
190 病人がディアに向けて腕を伸ばした。 ディアは後ずさりした。 あたし、しかけてなんかいない。この人を殺したくなんかないのに けんめい だが病人はディアの木箱が欲しくてたまらないというように、懸命に体を起こした。 今まで石病をしていた女たちがみな目を見張った。それほどの力が残っていたとは信じられ なかったのだろう。 「見せてやれ、ディア」とレオンが言った。 そしてレオンはディアの肩をつかんで引き寄せた。 「苦しんでいるのがわからないのか」 レオンは忘れているのだ。捕食する所を他人に見られてはいけないことを。 だがすぐに気づいてか、レオンは人払いをした。 「フラ、ここはおれに任せてくれないか」 「レオン ? しいけど : : : 大丈夫かい、何かあったらすぐ呼んでおくれよー フラはレオンを信頼しているのだろう、娘たちを連れて部屋を出て行った。 寝台の上に取りつけられたの垂れ幕が引かれた。
わからない。こんなやつ。 寝首を掻いてやろうと思った。 でもどうすればいいのかわからなかった。 悪魔の揺りかごのふたを開けない人間の殺し方がわからないのだ。 レオンは決して開けない。 いくら目をこらしても、揺りかごの上に何の幻影も現れない。 レオンの欲しがっているものがわかればいいのに。 毎日一緒にいて、いつでもチャンスはあるのに、レオンの心は全く動かないのだ。 だからレオンの心は氷でできているんじゃないかな、と思う。 もしディアが人間でーーそして目の前に『悪魔の揺りかご』があって 欲しい物が入っているというなら、ディアはまんまと引っかかってしまうだろう。 絶対に見られないような気がするけど。 もうひとつ、見られないもので、見たいものは、カイの怒った顔だ。 揺カイはいつもへらへらしている。 魔きっと何も考えてないんだろう。 静かだな。暗い部屋だ 人の姿をしているとこんなことまで不自由だ。
196 ーー今・ : : ・あの子、死んだ。 たましい 昼間、ディアがその魂を食べ、苦しみから解放された女のことだ。 直感でディアはそれを知った。 胸をかきむしるような感情は何だろう。 カイは、お別れが悲しいと思ったら仲良くするなと言っていたが、これが悲しいということ なのだろうか。 レオンに捕獲されてから、ディアは苦痛ばかり強いられる。 ロでは説明でぎないような感情も知った。それは決して心地の良いものではない。 本当にあたし、あいつに殺されるかも。 ディアはそっと立ち上がった。 レオンのべッドの脇の壁の暖炉だけが不気味に光っている。 淡い光に照らされ、規則正しくレオンの胸が動いているのがわかる。 彼は眠っているのだろう。 ディアはその前に立ちつくしている。 レオンの横顔を見ていた。 目を閉じていても、開いていてもあまり表情がない。 りんかく くつきりした輪郭がうまくできてるなとは思うけど、時々人間の女たちが騒いでいる理由が