年 - みる会図書館


検索対象: 新潮45 2016年7月号
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1. 新潮45 2016年7月号

Z 代美術専門」をうたい、次々と現れ出る色と形を追っ 〇王東京品川の邸宅を改装ていくのが楽しくて、歩を進 庫する形で誕生したのが原美術めるたびに心が浮き立つ。予 館。ときは一九七九年で、か備知識がゼロでも、難しいコ なり時代に先駆けていた。展ンセプトを理解しなくたって、 示と並行してコレクションに現代美術作品は充分に楽しめ も注力し、これまでに収集しると教えてくれる。 一九三八年竣工の邸宅をリ た現代美術作品は千点超とな った。その中の選りすぐりをフォームした展示空間のあち 館全体に展開しよ、つとい、つのらこちらには、さりげなく常 が「みんな、うちのコレクシ設作品も置かれる。杉本博司、 ョンです」展。横尾忠則の大宮島達男、森村泰昌ら当代一 きな絵画、ユーモラスかっグ流の現代美術作家と、戦前の ロテスクなウィリアム・ケンモダン建築が見事に融合した トリッジの映像。展示室を移さまも見逃さぬよう。 ( ライター・山内宏泰 ) るたび、作品に目を奪われる。 e V 一 e W 原美術館のエントランス。今に残る責重な戦前のモダン 建築で、館自体が鑑賞に堪えるもの。 をト 期は 示る一 入館展迫ア あヒ一 2 上的らた でれ 化彼尾 衵間所文と松 月時場 タた「館 , 、タトン 催・ま るせ フき . 休初、 , 時無時本じ気イ 日中 1 日通人デ 見幸 年代に ( 国民目に鮮やかで、同じ柄の手ぬ ぐいなどグッズを買い求める 7 総幸福量 ) を提唱。無 理な開発をせず、ゆっくりと人があとを絶たないようす。 目玉は 5 年前の来日で美男 近代化を進める方針を示した 国、プータン。 2005 年の美女つぶりが話題となった第 調査では % もの国民が「し 5 代国王夫妻の衣装の展示。 あわせ」と回答したんだとか。今年の 2 月、待望の王子生誕 そんな幸せの国と日本の外後、初お披露目の際に着用し ・館ま美 交関係樹立周年を記念してていたものだ。 日閉時原 」館日・ 示 休は所 伝統を大切に丁寧に生きる 開催された本展では、九州ほ 翌日場 術品 どの国土に詰まったプ 1 タンプ 1 タンのくらしにどこか懐 美作 ち亠は 0 代な の魅力を生活様式、信仰、王かしさを覚え、帰り際に展示 なシ にア室の三部構成で堪能できる。のマニ車を回して幸せのおす んク みごとな伝統的織物は日本そわけをもらった。 外代 みレ籌 ( ライター・与都井花 ) 亠忌現的な色彩感覚と異なるものの L. ー . コ時曜館、館美 グル・ダクポ立像 所蔵 . ブ - タン王国国立博物館 July 2016 296

2. 新潮45 2016年7月号

画睡 世界が欲しがる 「和のシステム」 Ⅷ日本発の「世界標準」は、アニメや和食たけではない。 界Ⅷ ー様々な社会システムや制度も多くの国で取り入れられ、評価されているのた。 世Ⅷ 人口が減少を続け、経済が長期か 代初頭、経営危機に陥っていたトヨタ自 動車が米国の理論、手法を土台に始めた らなかなか抜け出せないなど、何かと閉カイセン 蹊況が取りざたされる日本。だが、世 「トヨタ生産方式」にあるとされ、その 界各国で取り入れられ、評価されている「 N Ⅱ」は、今や世界共通語後国内の大手家電・自動車メーカーのみ 日本発の社会システムや制度はかなりあ 。日本の製造現場で培われてきたノならず、中小企業も次々と導人するよう る。国も現在、公共交通をはじめとするウハウである「カイゼン ( 改善 ) 」とは、になった。カイゼンの具体的な身とし 大規模インフラの輸出に躍起になってい経営者や工場の幹部ではなく、実際に作ては、小集団で自主的に会議を開くなど る。よく知られたソフト戦略の「クール業する従が中心となって知恵を出しして鬮解決や能力向上を図る ( 品 ジャ。ハン」の代表例であるアニメやー 合い、贈解決を図る品質・生産性向上質管理 ) サークル活動、「整理、整頓、 。や和食、それに昔から定評のあるのための活動・戦略をしたもの。世清掃、清潔、しつけ」の頭文字を取った メーカ 1 の技術力だけではないのだ。あ界各国の企業で採用されることが多くな「」運動などが含まれる。 まり語られてこなかった世界向けの日本 り、ローマ字の英語表記がそのまま使わ日本の政発援助 (OQ<) による 式システムを以下、項目別に一挙紹介しれているのだ。 海外支援棗を中心的に担う国霧力機 たい。 カイゼンの源流は終礬後の一九五〇年構 (•—0<) は、これまでアフリカ、 きくちまさのり 菊地正憲 ノンフィクション・ライター 1965 年北海道生まれ。國學院大學文学 部卒業。北海道新聞記者を経て、 2003 年にフリージャーナリストに。著書に 「もう一度学びたい日本の近現代史」「速 記者たちの国会秘録」ほか。 JuIy 2016 38

3. 新潮45 2016年7月号

いれば他の人が足を引っ張る。辞退したくせに、実は自分謝罪は、個人が自分の心から過ちを認めた時に行うもの が偉い立場になりたいのである。 だ。しかし最近は、国家間や組織の間で、謝罪の強制が行 小説も、実は民主主義とは無縁なものだ。一九七五年にわれることが流行のようになった。要求する側の人間の数 初めて北京に行った時、私は作家たちの集会に出るようにが多くなればなるほど、その理由は正しいものと思われる と言われ、そこで中国側の作家の代表と言われる人物が、 が、その対象は、倫理的なものか、経済的なものかはっき りしていない。 胸を張って得意そうにあたりを見回しながら、 「われわれ中国の作家は、労働者、農民、兵士に聞いて筋最近では道でキャッチボールをしている子供たちはいな を作ります」 くなったが、二、三十年前は、どこの家の前の路地も子供 と言うのを聞いた。 の遊び場だった。すると時々、ポールが塀を越えて飛び込 黙っていればよかったのだが、そこが私の浅はかなとこんで来て、当時はガラス自体ももろかったのか、割れるこ とがあった。 ろだ。私はすぐ発言を求め、 「そういう小説の書き方は、日本では芸術とはいいません。 普通、加害者の子供の母親はガラスが割れた家に行って そういうものは宣伝文書というのです」 息子の行為を謝り、窓ガラス代を弁償することを申し出る。 しかしこんなことが後々まで尾を引くような問題になるこ と言って向こうからは危険分子扱いにされたのである。 まだ四人組と言われた人たちが勢力を持っている時代であとは、ほとんどなかった。被害を受けた家でも、「まあ、 った。 男のお子さんは元気が何よりですからねえ。スポーツもし 謝罪は、極めて個人的なものだ。私が謝らねばならないた方がいいし」などと言い、ガラスを割った子の母親は、 ことは始終起きる。私は原稿の中に誤字・脱字を残し、年「ほんとうに申しわけございませんでした。これから気を 号を写し間違え、たまには「てにをは」さえ狂わせたままつけるように申し聞かせますから」などと言うのが普通だ話 編集部に送りつける。校正刷りを見る段階で、校正者に感った。 係 この場合、過失や亜は金銭的に、そして個人の行為の 謝と共に謝らねばならないことばかりだ。しかし作家の心 人 理や哲学に関する部分は、誰かに謝らねばならないことは結果として、明確に償われたと見てもいい。しかし或る人 ほとんどない。 が、自分の意見として持った思想や主義や好みが、反社会

4. 新潮45 2016年7月号

言「たのに 「関西ではアホは敬称ーですから 一億総活躍社会の掛け声で、活躍してほしくない奴ばかりが活躍する 前回の冒頭部分で第長から原稿に対信念もまったくない。白洲次郎が「プるのだ。今回も偏見に満ちた時評を始め する注文があったことを明かし、「僕はリンシプルがある男」なら、私は「プリるよー 無智だから反省なぞしない。利巧な奴はンシプルがない男」になりたい。余計な たんと反省してみるがいいじゃないか」ことを一一一口えば、プリンシプルがないのが先日、大阪に行ったのですが、予定が と書いた。それを文字通りに読んでくれ保守である。私が保守主義に唯一シン。ハ狂い一一日目の午後の時間がすつぼり空い た人がいて、ツィッターで「継 ! シーを感じる理由はそこにある。保守主てしまった。それで道頓堀周辺を散歩し、 望なのエ棗長の三重さんの助言も参考義には「主義」とついてはいるが、むし一〇年ぶりになんばグランド花月に人っ にしてください」と。どうもありがとう。ろ「主義」を拒否する ~ である。 た。新喜劇の座長が小籔千豊だったので あれは小林秀雄の話が出たついでに、敗理想を唱えることも、対案を示すこと見るのを一瞬ためらったが、それはさて 戦直後に行われた『近代文学』の座談会も、社会運動を始めることもない。ただ、おき、冒頭で坂田利夫の人形が出てきて における彼の発言をマネただけで、そも胡散臭いものに「胡散臭い」と言うだけダンスを踊った。 ちょうど一年前、大阪では「都構想」 そも私はオファー通りにしか仕事はやらだ。そこには偏見も人り込むかもしれな い。しかし、エドマンド・ヾ ないし、いくらでも原稿は書き換える。 ノ 1 クも言うなる珍動が発生。住民投票前日の五月 一六日に大阪に人った私は、南海難波駅 黙って事変に処するだけだ。 ように、偏見こそが「常識」を支えてい 1975 年山梨県生まれ。早稲田大学で 西洋文学を学び、ニーチェを専攻。近著 に「デモクラシーの毒」 ( 藤井聡氏との 共著 ) 「ミシマの警告」「現代日本バカ図 鑑」「死ぬ前に後悔しない読書術」など。 てきなおさむ 作家・哲学者 July 2016 112

5. 新潮45 2016年7月号

諭吉らが受け人れに奔走したという話もをあげた北里柴三郎博士はノーベル賞を大正時代はのない一五年間という 残っている。 もらっておかしくない業績をあげた。日印象が強い。しかし、実際はそうではな この時の留学生が、日本語になってい本育ちの研究者第一世代は、物理の長岡い。政治経済・科学技術・文云術と、 た漢字用語を中国に持ち帰った。だから、半太郎博士 ( 原子の構造モデルを提案 ) 、すべての分野において、その後の日本に 現代中国語には、たくさんの日本語漢字物理化学の池田菊 ~ 士 ( うま味成分を見られる現象や出来事のプロトタイプ 孰語が人っているのである。国名の中華発見し、味の素として実用化 ) あたりか ( 原型 ) が次々と登場した時代であった。 人民共和国でさえ、「中華」以外は日本らである。明治三〇年以降のことだ。 それらが噴出する若々しくて危うい時代 で作られた熟語。日本はかって中国から司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読むと、の雰囲気があった。 漢字文化を取り人れたが、明治期にご本日露戦争あたりまでの日本人の公正な勤この歴史書は、大事なことを教えてく 家に返礼を差し上げているわけだ。 勉さが描かれていて ) 世界の一流国をめれる。大正期の日本とは、明治以降今日 ざす若い明治国家の自茨を感じ取ることまで、日本が国際社会で最も高い地位を 輸入からオリジナルの時代へ ができる。バルチック艦隊を打ち破った占めた時代であったということだ。大正 明治初期、科工旧の卵は、日本語でな日本海海戦はよく知られる。しかし、そ一一了七年に第一次世界大戦が起こり、ド く英語やフランス語で科学を学んだ。日の日本軍艦艇の大半は外国で建造されたイツ帝国に官戦布告した日本は、ドイツ 本で、お雇い外国人教師からである。知ものであった。富劇糸場などでも、機の持っていた中国の利権を手に人れた。 識の習得といえば立派だが、要するに既械はすべて輸人品、工場の仕組みも外国国際連盟 ( 大正九年発足 ) では、常任理 成知識の詰め込みである。だから最初の丸写しであった。 事国となった。ワシントン軍縮会議 ( 大 の学生たちは、今日でいう研究者のレ ざっくりと言えば、司馬さんが高く評正一一年 ) で、軍艦の保有トン数は、米 ベルには達しなかった ( 補助者、協力価した明治時代とは、西欧文明をそのま英に次ぐ世鞏三位となった。 者として論文に名を残している人はいままるごと、日本に取り入れる時代であその大正時代を迎える直前、最も流行 る ) 。 った。では、科学鎮術立国への歩みは、 した一一 = ロ葉が「独創性」だった。それは、 独立した研究者つまり科工旧という名いっから始まったのか。それは『日本の日露戦争に勝利し、一等国となった日本 前で呼んでいい人が登場するのは明治時近代 4 「国際化」の中の帝国日本』 ( 有は、西欧文明の直輸人、要するにモノマ 代後半である。例えばドイツで研究成果馬学、中央公論新社 ) を読むとわかる。 ネではもう先には進めない、という認識

6. 新潮45 2016年7月号

分には縁のない話だろうと思っていたが、エディングをやりたいという元夫の 降ってわいた「奇奇怪怪な話」 状をみてびつくりした。九州出張か意回をうけ、米国のアルフレッド・アン 朝日新聞会部より書が届いたら帰京した週明けに、朝日新聞社と共同ジェロ社のウェディングドレスの輸人卸 のは、 4 月幻日のことだった。私が代表通信社 ( 二社は国際調査報道ジャーナリ売販売を営むようになり、 2007 年に 取締役を務める会社の贄から ~ があストロⅡ— o —に加盟し、独占取材私が元夫から会社を引き継いだ頃にはそ り、アイスランドの首相、キャメロン英を行っていた ) の共同取材を受けることちらが本業になっていた。年商 国首相の父親、習近平甲国国家主席の親にした。 万円の小さな会社で、現在は新宿区内に 戚、オーストラリアの首相など次々に政今回。ハナマ文書で関係があると報道さオフィスを構え、通常 3 名のスタッフが 財界の要人が各国で関与し国際的なスキれたのはトランス。ハシフィック・エデュ日々ウェディングドレスの卸売営業をし ャンダルに発展している、あの。ハナマ文ケーション・ネットワーク株式会社といている零細企業である。 書について、朝日新聞社から問い合わせう会社で、もともとはハ ーバードを卒業私は代表取締役を務めてはいるが、売 がきているという。 したカナダ人の元夫と私が 1989 年に上が低いので役員報酬をいただいておら 私はタックスへイプン ( 租税回避地 ) 資本金 1000 万円で立ち上げたもの。ず、会社には隠すような売上などない。 に隠すような大きな所得もないため、自当初は調査業務をおこなってきたが、ウ取材に応じるにあたり、私は通常業務に スナマ文書」の風評被害加藤 まったく身に覚え 世界を揺るがす騒動にまさか自分が巻き込まれるとは のないことで「名指し」をされた内閣参与が、憤懣やるかたない思いを綴る 0 0 1959 年生まれ。慶應義塾大学文学部 卒、米ハ ーバード大学大学院都市経済学 修士課程修了。一般財団法人産業遺産国 民会議の専務理事も務める。著書に「産 業遺産「地域と市民の歴史」への旅」。 かとうこう July 2016 102

7. 新潮45 2016年7月号

沖縄の「最悪な治安」は 本当に基地のせいか うるま市の殺人事件の前から「米軍関係者の犯罪」は、大きくクロースアップされ、 社会問題化している。たが刑法犯発生率などのデータは、別の事実を指し示す 沖縄の米軍基地内で働く元海兵隊員をなどで主として兵站業務に従事し、凵年と 3 人で暮らしていたという。容疑者本 容疑者とする殺人事件が大きな波紋を呼 9 月 9 日に除隊したときはワシントンで人の職場や近所での評判はけっして悪く んでいる。 4 月日以来行方不明だった勤務していた。対テロリズム、韓国防衛なかったと伝えられている。 名護市出身、うるま市在住の女性笳などでの功績でメダルも受賞している。 事件で勢いづいた翁長知事 きの遺体が、恩納村の雑木林で発見さ除隊後は、沖縄に移住して米国系民間 この事件は、関係者の苦しみや哀しみ 会社に就職し、嘉手納基地内でインター れた事件だ。 をよそに、大きな政治贈と化している。 5 月日に死体一爨容疑で逮捕されたネット関係の仕事をしていた。その間、 のはシンザト・ケネス・フランクリン容沖縄県与那原町出身の女性と結婚、本来事件直後から、翁長雄志知事や翁長氏を 疑者 ( ) 。ニーヨークのハーレム出の名字である Gadson ( ギャドソン ) で支える「オール沖縄」に参加する国会議 身で、米軍基地内にのあるメリーラはなく、妻の名字であるシンザト ( 新員・首長・地方議員、基地反対運動の活 ハーシティ・カレッジ校を里 ) を名乗るようになったらしい。この動家、地元メディアなどは、事件の原因 ンド大学ュラ 4 月に、与那原町与那原にある妻の実家は日米地位疋と米軍駐留にあるとし、 卒業している。 2007 年 7 月日に海兵隊に人隊、に転居、容疑者夫妻のために義父母が改地位疋の改定と米軍基去を強く求 沖縄県浦添市にあるキャンプ・キンザー装した住宅に、生まれたばかりの子どもめている。県民咸が「米軍の暴力」に 篠原章 評論家 1956 年山梨県生まれ。経済学博士 ( 成城大学 ) 。シンクタンク、大学教員を 経て評論活動に入る。共著に「沖縄の不 都合な真実」、監修本に「別冊宝島報 道されない沖縄基地問題の真実」など。 しのはらあきら JuIy 2016 78

8. 新潮45 2016年7月号

理に優れていると聞いたことがあります。日スノボを楽しんで心身疲れて冷えきっています。アメリカでしていたような音 楽にかかわる仕事が見つかをといいなと 私はこれまで京都や盛岡に住んだことがたあとの温泉はたまらないです。 あって日本の田舎とか地方都市が好きなサラ私も温泉は大好きです。最初の川思いつつ、今は週汞にイベントを友 んです。何を含めると纜、層雲峡温分くらいは恥ずかしかったけれど、すぐ達と企画したりしています。一生日本に 泉、金沢、八幡平、広島、唐津、佐世保、に慣れて大好きになっちゃいました。来住み続けるかはわからないですが、アメ 熊本などたくさんの場所を訪れました。週もみんなで秩父の温泉にいく計画を立リカに帰るよりは、いろんな国に住んで 地方に足を伸ばすとそれぞれ全く違ったてています。これまで訪れた場所だと白いろんな文化を経験してみたいという気 旦松〕や食べ物に出会える、その多が川郷も素敵でした。 ( キーホルダーを見持ちがありますね。 アーノもう 8 年も住んでいる僕は、日 日本の魅力です。自然を大切にしていませながら ) さるぼぼカワイイ— 高千も小笠原諸島も白川郷もい本にいることが自然になってきているか すよね。田舎はーも通っていな かったりするけど、たくさんの人が親切っか行ってみたいと思っていた場所でしもしれません。おばあちゃんだけはやっ たが、みなさんすごいですね : : : 。そんばり淋しがっていて、早く帰ってきたら に助けてくれるし。 ーーずいぶん色んな場所を訪れているんな日本人より日本のよいところを知っていいのに、と言いますけど、他の家族は いるみなさんは、いずれ自分の国にお帰僕が日本に住んでいることに慣れたみた本 ですね。お気に入りはどこですか。 いです。家族が日本に遊びにきて一緒に フィービーうーん、富士山に登れたのりになるのでしようか。 の は咼でした。でも一つだけ選ぶなら宮フィービー私は 5 年のビザを取ったと付したときは、自分の家族に第一一の故 言 崎の高千。あの絶景は忘れられないころなので、しばらくは帰らないです。郷日本をフランス語で案内している状況矼 な です。あと小笠原諸島も。やつばりひと先のことはわからないですが、今は日本が、不思議な感じがして面白かったです。 チ つには絞れないですね。 に友達も多いし、新しい仕事をはじめた父親は最後まで恥ずかしがって温泉には モ アーノ僕も去年、フィービーと同じ時ところなので、当分このまま啝で生活人れなかったですけどね。 ーー皆さんのお陰で日本が「住みやすい 期に小笠原諸島に行きました。東示都としたいです。 は思えない楽園です。あ、でも日本からサラ私はとりあえず、 2 年のプ国、なんだと気付けて嬉しかったです。 フランスに持って帰りたいものをもうひログ一フムが終わったら、英語教師以外の今日はどうもありがとうございました。 とっ思い出した。温泉は局ですね。一仕事を日本で探して住み続けたいと思っ

9. 新潮45 2016年7月号

「ミシュラン〇っ星の—」とか、「 x ヶ月に様々な軋轢を生み、結果「アンチ・ミ まさしく椿事 先、あるいは一年先まで予約の取れない シュラン」という少数派 ( 実際は多数派 —」などという宣伝文句が付いておりまかも分からない ) を生み、数年度に亘る 最後に、これは皮肉と受け止められる す。 懲りない重版のおかげで、我々「アンかも分かりませんが、申し加えたい事が 中でも一番世間に浸透し、ある音・そチ・ミシュラン」派にとって拠り所となございます。前作「ミシュラン調査員撃 れなりの効力をもつ「ミシュラン」の星る様々な事象が積み重ねられつつあるの退記」において厳しく批判した拙店に 数は、そういうお店にとって喉から手がが現状でありましよう。謂わばこれは敵「ミシュランガイドブック」は、その後 出るくらい欲しい冠なのだと思います。に塩を送る、といった状況だとも一一一一口うこそれに対して格下げしたり掲載を込っ しん 上陸当初は日本でのその正当性、信とができます。 たりすることなど一切なく、逆に二つ星 びようせい 憑性に少なからず疑念を抱いていたマ我が浜作も創業以来どんどんと店舗をに格上げをいたしました。私にはその理 スコミ関係者も、その媚薬のような独特増やし、事業規模を七十年に亘って拡大由は分かりかねます。しかしながら、こ のネームバリューの誘惑に負け、あまりしてまいりました。しかしながら二代目の事実においてこのガイドブックは、本 にも安易に乱用したおかげをもちまして、の親父が亡くなり、私が三代目となりま当は実に懐深い了見をお持ちなのかもし 結果として日本全国津々浦々までこの赤して本店以外の事業をすべて縮小、清算れません。小心者の私の狭量な音寛など 本の知名度を確固たるものにならしめたいたしました。 全く意に介さず、それを格上げで遇する と一一一口えるでしよう。 祖父から親父、私と、六十年に亘りそなどということはまさしく珍しい椿事と しかし、発売当初のミシュランフィー の亦を間近に見聞を」しておりました母言えるものであります。さすが本家フ一フ ーと言える現象も長くは続かず、関西が、事あるごとに思わず吐露した言葉がンスでは格式と権威を維持し続けている 版に神戸を人れてみたり、奈艮を増やしございます。 というところは、このあたりに基がある たりとあの手この手を尽くされておりま「なんでも物を始めるときは勢いでやつのかも分かりません。 すが、なかなか爆発的な売れ行きには繋てしまうけど、店じまいするときは大変とにもかくにも一服の清涼剤を得た思 がらないようであります。 ゃなあ。百倍しんどいわ」 いをいたしました。このことだけは比保 こうした美食に対する価値体系の転換ということでございます。誠に僭越なにご報告申し上げねばなりません。 があまりにも急で、かっ激しかったためお話でございました。 せんえっ

10. 新潮45 2016年7月号

いう概念を提起した ( 一 p r 畠 , et はいえ、このいわば「転向」にはむろん 論が盛んになされていた。 ひとりアメリカはそういう「計算」を斗 J CIm OncoI 20 一き】 2 3 ) 。これはそれなりの根拠や正当性があるから、表 拒否し、「どれだけコストがかかろうと、「治療効果」を「副作用 ( これは今まで立ってアメリカに文句をつけるわけにも 良い治療は導人すべき」という原則論をも考慮に人れてあった ) 」と「コスト」いかない。 ここで時系列からお分かりになった向 振りかざしてきた。もちろん、かの国でで割ったもので、つまりは費用果を は貧乏人の医療と金持ちの医療に天地の検討すべきであるという 180 度の方針きもあるだろうが、私がコストのことを 声高に叫ぶようになったのは、アメリカ 差があり、それはやむを得ないものだと転換である。 で上記一一つの方向転換を示す論文が発表 いう本訓提がある。しかし本邦ではみな 尻馬に乗って されてからである。これはどうしたこと そこのところに目を瞑って、またヨーロ むろん、だからといってアメリカのか。 ツ。ハでの議論も見て見ぬ振りをして、 「コストは二の次」という考え方が全面多少の自己弁護をすると、それまでも 「アメリカでもそうなのだから」と、コ 的に撤回されたわけではない。今般厚生「コスト意識をもつべし」と学会で訴え ストの話を無視してきたのである。 たりしていたのだが、誰もほとんど聞く ところが、他の分野でもそうだが、ア労働省が、売り上げが非常に大きくなっ メリカというのは平気で、ある日突然変た医薬品に対して半ば強制的に薬価引き耳を持たなかった。「だったら君は次の 節もしくは「君子豹変」する国であって、下げの方針を打ち出したのに対して、米挙にでも出たらどうだ」などと揶揄 あてにしているとすぐ梯子を外される。国研尢薬工業協会が「製薬の創造性をされたこともある。 従来彼らは、効果がちょっとでも上な損ね、日本の名は革新的医薬品の人手しかし、「あのアメリカでもそうなっ らば、わずかな差のために高いコストがが遅れる」と脅した、とか産経新聞が報ている」となれば話は別である。そして、 前々回にも書いたが、 2015 年のアメ かかってもかまわないという「基準」でじたのもその表れであろう。 しかし、いずれにせよ、「アメリカでリカ臨床腫瘍天ムでニューヨークのレオ 治療法を評価していたが、 2014 年に 突然、「臨床的に意味のある差でないともそうだから」という理由で、「安心しナルド・ザルツ博士が全く同じようにニ いけない」と言い出した (EIlis ニ← et て」コストを無視するということができポルマプなどの免疫療法剤を、「効果は なくなっているのは明らかで、この点も優れているが、いかんせん高過ぎる」と、 al. J Chn OncoI 2014 【 12 コ ) 。 また、翌 2015 年には、と日本の医者・に不安を与えている。とそのコストが法外なものであることを示 July 2016 268