「軍議に入りたいと存じますが」一通り叱責の終わった後で、ヴラムスはそう会議のロ火を切 った。「各々がた、よろしいですかな ? 」 てったい 「撤退だ ! 」マーギスト卿がすぐさま叫ぶ。「こんな所にいつまでもおられん ! いつまた羊 泥棒が、我が領土の羊をかすめとるかわからんのだ ! 」 「それは、我が民のことを言っておられるのかな、マーギスト卿 ? 」そう言ったは、白髪のシ ぬすっと ード卿。「だとすれば、盗人たけだけしいとは貴公のためにあるような言葉よ」 「なんですと、私が盗人だとおっしやられるか ? 」 「そう聞こえませんでしたかな ? タルジ・ハ卿、貴公もそう思うであろう ? クラ湖でマーギ ごぞんじ スト卿が密漁をやらせていることを御存知ないはずはあるまい」 「無礼極まる ! 」マーギスト卿は拳を机に叩きつけた。彼の杯が袖に絡んで倒れ、膝を乳で濡 いまいま ぼら・と・、 らした。彼は忌々しげに地母神への冒漬の言葉を吐き散らし、一同の眉を曇らせた。 「まあ、落ち着かれよ、お二方」なだめるようにヴラムスは言った。「いまは密漁が事をどう こう議論するために集まったのではないのですから」 ズボン 「えい、忌々しい ! 」マーギスト卿は洋袴を乱暴に拭いつつ言った。「そもそも、ヴァレリア いなか の侵略を受けぬ我が、何故にこんな北の田舎くんだりまで来なくてはならぬのだ ? しかも、 旅費は自らの領地から出さねばならぬとは ! はっきり言おう。迷惑なのだよ ! ここにこう して留まっているだけでも、日々なにかと物が人り用となる。もはや一日とて留まれるもので おのおの
であり、それができぬとあらば、後は老女のように生きることが定め。 くだらぬこと、とヴラムスは思う。ならば、戦に出てもよいではないかーーヴァレリアのよ うに。そうでなくても、やれることはいろいろとあろうに。政などは、私より、姉上のほうが よほど向いている。 だが、それは異端な考え。それゆえ、ヴラムスは、姉とエスナフェル以外にその話をしたこ とはなかった。 また、少し痩せたようだ。せっせっとお茶の用意をしている姉の後ろ姿を見ながら、ヴラム スはそう思った。戦に出る前には、もそっと肩に丸みがあったような気がする。 おづえ 彼は頬杖をつきながら、支度が整うのを待った。あえて用意を手伝うことはせぬーーーそれが シンシアの望みゆえ。 「あなたの世話を焼くことが、わたしの残された唯一の楽しみなのだから、それを奪うような ことはしないでね」徴笑みながらそう言われては、ヴラムスはおとなしく腰を下ろしているし かない。 ヴラムスはこの姉を誰にも増して愛していた。それは無論、肉親に対する愛以外の何もので まっと もなかったが。無理をせねば、寿命を全うすることもできるでしようーー療法師は、そう言っ たもの。ならば、私が全うさせて見せよう。それが姉上にたいして私のできる唯一のことなの だから。
103 氷の王 うれ 嬉しいことを言うーーヴラムスは思った。このように言ってくれるのであるから、料理する しようばん のがつらいはずはなかった。作るばかりではない。彼は己の作った料理を、日毎、相伴にあず かっていた。これもまた、楽しきこと。いつも独りで食事をしていたことを思えば。 戦場ではいざしらず、いままで屋敷では、誰かとともに食事をすることはなかった。父の方 針ゆえに。 うたげ 宗主たるもの、使用人や配下のものと、宴以外に食事の席を同じくすることなどもってのほ かーーそれが、ランドの考え。それで、なにが変わるのかと言えば、正直なところ、ヴラムス にはわからなかった。父は『けじめ』だと言うが、それは嘘であろう。父がこだわっているの は、『身分』というものにほかならない。領主一族と他の民では人間の格が違うのだーー父は そう思っているのだろう。 だが、ヴラムスは違った。食い物は皆で食したほうが旨いし、楽しいではないか。私はたま たま領主の家に生まれただけにすぎない。己の実力で国ひとっ取ったのならともかく、私とエ とうてい スナフェルと人間の格が自分のほうが上だなどとは、到底思えるものではない。あえて言うな ら、エスナフェルのほうがよほど人格者と言えよう。 しかし、宗主の方針は屋敷内では絶対である。それゆえ、物心ついた折より、ヴラムスはっ い最近まで屋敷にいるときは、独りきりで食事をしていたのだった。彼とシンシアの母は、彼 が幼き頃に死の王の元にみまかっていたため、その母とともに食事をした憶えもない。 ひと
思って」 「いや・ : : 神殿には行ったほうがいい。我らは皆、地母神ノーラ様の子なのだから 言いつつ、エスナフェルは義妹を押しやった。酔いが、ぶり返してきたように思える。やは り帰ってくるべきではなかったのだ。 「ノーラ様なんか嫌い . ふてい エミリアはそう不逞なことを述べると、ほおをふくらませてエスナフェルの腕に自分のそれ を絡ませた。そうして後ろ手に扉をしめ、閂をかける。 担いできた荷物を下ろし、その隙に腰よりエミリアが剣を外す。そうしたとき、エスナフェ ルはいつも体を硬くせずにはいられなかった。こんなことならヴァレリアと剣を交えていたほ うがず - っとまし。 「ねえ、兄さま。開けてもかまわない ? 」 袋を抱え、そう訊いたエミリアに、エスナフェルは生返事をした。 彼女が自分の荷物を探っている間に、エスナフェルは食卓についた。机の上には、戦場では 王考えられぬような豪華な料理の数々が彼を待ち受けていた。腹は空いている。だがしかし、こ の れを食べるわけにはいかぬと思った。料理には魔力がこもる , ーー人を惹きつけずにはおかぬ魔 力が。 ひね エスナフェルは首を捻って義妹を振り返った。 かっ
うしてそれを口にした。 「もっともな質問だー 暗闇の中より応えがあった。からかうような調子。聞いたことがあるような気はすれど、思 い出すことはできない。この洞窟のせいやも知れぬ。 ぼう、と闇の中に、淡い光が現れた。スウノーリアの瞳を傷つけぬための配慮と思えた。だ が、もしかしたらそうではなく、単に芝居がかっているだけとの気もしたが。 光はしだいにその輝きを増していく。それにつれ、スウノーリアはいま同じ暗闇のなかにい る誰か ( 何か ) を知っているような気がしてきた。いまだ、その名は出ては来ぬが。 輝きはいや増し、絶えきれず、スウノーリアは目を閉じた。まぶたを通して、光が見える。 だがしかし、現れし時と同様に、それは不意に消え失せた。 再び暗闇へと放り出されたのだろうか ? ひょっとして光が消える前に、相手の名を当てる 遊びだったのかしら : まぶたを開けてみようかしら。もしかして、なにか見えるかも知れないーーそう彼女は思っ 冬の女王は、ばっと目を開いた。光はあった。そこは、小さな洞窟。数十歩も行けば、端か ら端まで歩けてしまえるような。足も、きちんと地についている。先ほどまでは、闇の中に上 も下もなく浮いているように思われたものだが。
。ハラシアをわたしたちの娘にしたら。むろん、婿を 「どうでしようねえ、あなた。このさい、 取るのではなく、うちから嫁に出しますよ。そうでなけりゃあ、あの娘は領主の地位を取るた めの道具になってしまいますから。でも逆に、地位などいらないというような男の人が、あの 娘を欲しいといってくれるなら、これほどいいことはないじゃありませんか。どうです、あな た ? 」 「しかし、彼女が承知をするかね ? 孤児とはいえ、あの娘は巫女見習い。うちへ手伝いに来 てくれているのにしても、修行の一環なのだろう ? 」 「ところがあの娘のほうは、まんざらでもない様子でしたのよ。『あんたがうちの娘だったら、 だんな どんなにかいいだろうねえ』と言ったら、『わたしも奥さまと旦那さまの娘だったらどんなに か嬉しいでしようと、夢に見たことがありますの』と目を輝かせましたのよ。けれど、『それ じゃあ、うちの人に話してみよう』と言ったら、『もし断られたりでもしたら、二度と夢を見 ごしよう ることもできなくなりますから、後生ですからおやめください』って言うんですよ。ねえ、あ なた。あんなに良い娘は探そうったって探せるものではありませんよ」 「おまえがいいと思うのであれば、それでわしは構わんよ。あの娘ならば、わしも歓迎だ」 「それを聞いて安心しました。さあ、あまりのんびりしていては、遅れてしまいますよ」 「ああ、そうだな」シード卿はやおら腰を上げると、妻の上掛けを直してやった。「では、行 ってくる」 むこ
ラジスティアの手が動いた。剣を抜き放ち、スウノーリアを斬ると思えた。無論、スウノー リア自身もそのように感じ、その前に彼女を倒すために、槍を突き出した。 にぶ 鈍い衝撃とともに、槍はラジスティアの体を貫き、後ろの椅子までも突いた。 さや 斬ると思われた彼女の剣は、いまだ鞘に収まったまま。 「 : : : なぜ ? 」槍を握ったまま、スウノーリアは訊いた。「なぜ、わざと刺されたの ? 」 ヴァレリアの長は、薄く徴笑んだ。ただそれだけ。ラジスティアは笑みをたたえたまま、さ らさらとした白い砂に変わり、床の上に山と積もった。 「どうして : : : 」砂の山を見下ろしつつ、スウノーリアはつぶやいた。斬ろうと思えば十分に 斬れたはず。それなのに、なぜ ? かえ 「天にーーー」鎖に繋がれていた娘が、ふいに口をきいた。「天に還れるこの日を、あの人は待 っていたのです」 「待っていた ? 」 娘はこくんと頷いた。「詳しいことは知りません。ただ、あの人はあなたが来ることを知っ ていました。そうして、今日の日を待っていたのです。死して後にしか、天界には還れない と、そう言っていました」 無言で、スウノーリアは槍を椅子の背から引き抜いた。 それじゃあ、全ては : : : 人に対しての侵略の全ては、己を殺させるためだったというの ?
では我々はこの不毛な戦いを、まだまだ続けなくてはならぬということなのか。 「戦が続くかどうか、案じているのね ? 」 ヴラムスは眉をしかめた。「 : : : 心を読んだのか ? 」 「そんな器用なことはできないわよ。なんとなくそう思っただけ。でも、そのとおりだったよ うね。祭りの初めの日のことを憶えていて、ヴラムス ? あの女吟遊詩人に化けたラジスティ アのこと。こちらから出向かずとも、彼女たちのほうからおしかけてくるわーーじきに」 ならば、そのことを各領主に伝えおくことにしよう。葉を吐き出し、ヴラムスはそう考え た。それしかあるまい。攻め寄せてきたところを、帰り討ちにするが残されし策。もはや古き 盟約は空約束となろう。 「それにしても、姫」ながれ落ちる金系の髪を掌ですくい、ヴラムスは陽気に言った。気分を 変えようとするがごとく。「なにゆえ顔を見せようとしてはくれぬのですかな ? 」 声にはからかいの調子を混ぜた。それにスウノーリアが気づいたかどうかは、彼にわから ぬ。何故このような言いようをしたか。それは、心中の苛立ちを隠さんがため。ヴァレリアと の戦を思い。 あわ 「ぜひ、拝顔の栄誉をこの哀れな奴隷にお与えください」 ゆっくりとスウノーリアは体をり、そうしてヴラムスは体をこわばらせた。掌から髪がこ ぼれ落ち、間抜けのように彼のロは開かれたままとなる。 てのひら
久しぶりにスウノーリアの夢を見たと思ったら、今度はあのような夢とは : ヴラムスはため息をついた。いままでにも、彼女の夢を見なかったわけではない。初めて逢 ばんさん った雪の原での風景、祭りの日のこと、日々の晩餐 : ・ : それらが混ざりあい、とけあい、夢の 中へと姿を現すことはしばしば。 だが、この頃はそのような夢すらも見てはいなかった。見ていたのかも知れぬ。だが、 . それ を憶えてはおらぬほど、彼は疲れていた。 あのような悲しきスウノーリアの夢を見たのも、疲れのせいかも知れぬ。 そうけん 父である、ランドの死で、アルムングル領は、その全てが彼の双肩にずっしりとのしかかっ じゅうしん てきていた。その上に、ランドはその死の道に、彼の重臣たちの同行を求めた。父が病に倒れ まつりごと て以来、ったないヴラムスの政を支えてきた者たちまで、彼は失ってしまったのだ。 これはこたえた。すべての決定を、彼がひとりで下さねばならなくなったのだ。 しくじれば、矢のような非難が胸を刺す。だが、うまくいったとて礼を申すものはいない。 そのために税を払っているのだから、うまくいって当たり前だと民は思っている。 みけん 王 ここしばらくで、ヴラムスは十も老けたように見えた。顔つきは激しくなり、眉間には皺が の よって消えることがなくなっていた。ロもへの字に曲がったまま。笑わなくなったためだろ う、とヴ一フムスは思っている。父を己の手にかけた日より、いちども笑ったことなどない。笑 みの作り方も、もう忘れてしまった。そうしてそのような自分の顔は、父によく似ていた。た
うつぶせにし、欲望に焼けつく杭を、しなやかな柳を思わせる体のただ中へと打ち込む。己 まさ おえっ の体の下から洩れる悲鳴とも嗚咽とも取れる声は、甘やかな最上の酒に勝る素晴らしさで、卿 の心をとろかさずにはいなかった。 何度となく動き、そうして少年の中に果てると、今度は仰向けにして体をのしかからせてい するとアズナフェルの反応が変わった。その細い指が鳥の羽根を思わせる仕草で卿の体を撫 で、蜘蛛の足が網にかかった虫を手繰るように腰を自らのほうへと引き寄せた。 うめ 「お、おお」マーギスト卿は思わず呻いた。「おお : : : なんと・ 歯の根があわなくなるほどの強烈な快感に、卿は白目を向いた。そうして、このときになっ てようやく、この少年が人でないことに気づいた。 「快楽の中で死ぬるがいいさ , マーギスト卿に四肢を絡めつつ、アズナフェルはささやいた。 「幸せだろう ? 」 やっき 「貴様 : : : 何者・ : : ・」何とか己を取り戻そうと躍起になりつつ、卿はようやっと言葉を吐い た。だが、すぐに狂気の快楽へと引きずり戻されそうになる。手足にまったく力が人らぬ。 「なにゆえに : : : 」 「わからないの ? 」アズナフェルはまさしく絵の中の天使のように徴笑んだ。「僕の母さんは、 あんたたちがヴァレリアと呼ぶ女族のひとりなんだ。この日のために、あんたの父さんの代か くい