それは、バルドザックのような若い男性だけでなく、トーラス・スカーレンやエル・コレ ンティの心でさえ揺さぶり動かす、本物の魅である。 おとめひとみ 乙女は瞳を巡らせ、自分の置かれている状況を認識する。 倒れ伏した自分を助け起こし、見守ってくれていた優しい瞳をしたひとたちに、知んで みせる。 「ありがとう。だいじようぶですわ」 な金の鈴を鳴らす声で、乙女は三人に語りかけた。 細く高く甘く響く、なんとも心地のいい一尸だった。 耳だけでなく、やんわりと体に染みこむような声だ。 ろうまどうし 自力で起きあがろうとする乙女の動きに、老魔道師は手を貸す。 大きな手を支えにして、乙女は一人少しばかり頼りなげに体をふらっかせながら、ゆっく りと立ちあがった。 立ちあがり。 血に濡れた応の郁りを目にし驚愕する。 少なくとも、ついさっき荒れ狂った落雷によって激しく打ち崩されたばかりのそれは、何 らくらい
212 ・ハンたち四人が目覚められます。あなたたちのお ありませんでしたものね。明日、ファラ 歌を聞いていただけるように、練習しててくださいね」 子供たちは大声で擺って返事すると、礼儀正しく辞して、来たときと同じに騒々しく 走りながら引きあげていった。 。バルドザックは笑む。 マリエは苦笑し、トーラス・スカーレンは、くすくす笑う りきゅう こうきしんおうせい ハンの離宮にそーっと潜 王宮にいる好奇心旺盛な子供たちは、眠りについているファラ・ りこみ、彼女の寝顔を飽くことなく、にこにこと見つめるのが好きだった。 ひとみ 花のように美しい姫君の海のように青い瞳が、いつ見開かれるのだろうかと、どきどきわ くわくしながら見つめていた。 うるわ ファラ・ ハンの美しさ麗しさ、シーツの上に零れ見ることのできた指先一つに至るまで、 どんなに素敵であるかなど、子供たちはこと細かいことまでも皆に広めて回った。 ファラ・ ( ンの確かな存在は、無雅な声で話される夢のような美なとともに、ひと うるお びとの心を潤した。 彼女がいれば。
むらさきいろひとみ 女王は透明に澄んだ紫色の瞳を開き、真下の祭事場を見おろした。 ひとびとの願いを集めて描かれた魔法陣には、大勢の魔道士たちの懸命の努力にも関わら ず、なんの変化も見られない。 溜め混じりに漏れ出そうになった言葉を、すんでのところで女王は飲みくだす。 おとめ ( 本当に伝説の乙女は現れるのか ) いかに心強き女王トーラス・スカーレンであっても、一片の迷いや疑いの心を持たないわ けではない。 女王であるから、それを言葉にしないというだけのことだ。 苦しげに眉をひそめた女王の心情を察し、老魔道師はわずかに顔をあげる。 「全身全霊を傾けましてを行っております。今しばらくお待ちくださいませ」 う言葉を耳にし、女王は老魔道師に振り返る。寂しい表情で淡く知んで見せた。 招「努力は評価しています。ただわたくしが胸を痛めているのは、それなのですよ。招喚の しようもう 女儀式は、大変に消耗すると聞いています。多くの魔道士たちが入れ替わりに懸命に力を尽 くしてくれています。けれど : 女王は軽く口をつぐみ、一度ふわりと目を閉じた。 まゆ まほうじん
光は爆発的にけ、を刺す光の柱が魔法陣いつばいに突き立つ。 瞬間に溢福った光の圧力を受け、招喚に当たっていた魔道士たちは紙屑のようにあっけ なく吹き飛ばされた。 をあげていた護摩の香木が、一瞬にして吹き消された。 かす 身構えてはいたものの、微かに揺らいだ女王の背を、バルドザックが腕を伸ばして支え ほうえ だぶついた重い法衣を光のカで激しくはためかせながら、老魔道師は静かに腰を落とし 不意打ちを食らった魔道士たちが、光に薙ぎ倒されて転倒する。 おのれ とびら この、天界への扉が開かれた奇跡の時、瞬時に己の内で増大した魔道力を感じ、体じゅう の細胞が爆発したかのを起こした魔道士が大半だっただろう。 招魔法陣に現れたのは、視界を真っ白に変えるほどの絶対的な明るさを持っ光であったが、 ひとみ 女それはけっして瞳を射るものではなかった。 まぎ 聖 太古の昔から、伝説となりひとびとに伝えられてきた、紛れもない聖光だ。 暗き溘鴻とした淀みを浮かべる空の一点を貫いて、一条の神聖なる光が存在していた。 る。
何かが違う。 そしてそれは、彼女にとって正しい 自分にとっても、もちろん、正しい 心惹かれてやまないのは、この美しさだけではない。 全身から鬼やかに薫りたっ、清らかさだけではない。 それがなんなのか思い当たって。 ディーノは、はっと息を飲んだ。 それは。 一筋の癖もない、しなやかな長い黒髪だ。 ひとみ どこまでも透明に澄みきった、深い神秘の海のような青い瞳だ ディーノのそれと、同じ色。 その色彩ゆえに、鞋と扱われてきた遺伝形質。 招 この世界で、ただ一人と思われていた、色。 の 女 同族を示す色。 聖 蝣「お前は : : : 」
188 に名前を織りこみ。 祈り叫んでいた。 ファラ・ ハンは。 自分を呼んだと思しきそれらの声に、びくんと背をのけ反らせた。 じぼうじき 自暴自棄とも考えられた行動を支えていたものが、彼女の中で確かなものに変化した。 おとめ ディーノの指が乙女の腕に触れるかと見えた、その時。 きれつ シルヴィンとレイムが亀裂のあいだに激突するかと見えた、その時。 さくれつ 乙女を中心に、光が炸裂した。 周りから色を奪い真っ白に染めあげた光。 目もくらむほどに眩しいはずのそれは。 しかし。 ひとみ けっして瞳を射るものではなかった。 の陣に突き立ったのと同じ。 まぎ 紛れもない聖光である。 まぶ
第五章強襲 島の身の黒魔道師、バリル・キハノの待ちに待った瞬間は。 訪れた。 きつりつ ちょうぞう 腕組みをして彫像のように屹立していたディーノが、はっと顔を上げた。 まったく同時に。 ひとみ ひもの めいそう 瞑想していた人間の乾物のような老人が、かっと瞳を見開く。 ただなんとなく時間を持てあましていた二人は、ディーノの動きにぎくりとして首を巡ら 喚 まがまが しっと唇の端を吊りあげた老魔道師の禍々しい表情をみとめ、イグネ 女中空を見つめ、にいゝ 聖 シウスとオーパの背筋に冷たいものが走った。 ゅうゆう ディーノは悠々とした動作で、キハノの前、イグネシウスやオーパの側に近づいた。 0
「その務め、引き受けよう」 雄々しく響く、きつばりとしただった。 たくま 形よく逞しく盛りあがった筋肉を持つ、武人として非のうちどころもない見事な肉体が、 幅の広い落ち着いた歩を運ぶ。 聞き覚えのある声。 見覚えのある体型。 いふうどうどう ものお 物怖じせぬ威風堂々とした、その態度。 まどうし りんかく 魔道士たちは、おばろげに輪郭を結ぶその者に、瞳を凝らす。 もや 白い靄の中。 漆黒の髪が、青く煙る瞳が、墟見えた。 そのような色彩の遺伝を受けた人種は、ここには、この聖地の中には、唯一人しかいな 招真っ先にそれを思い出したのは、ついさっきまでアル・ディ・フラの塔の近くにいた魔道 女士だった。 聖 「ディーノっ : 震えわななぐ新で、みし名前を呼ばわる。 ひとみ
ひとみ 見開かれたキハノの瞳が、血のように赤く燃えあがった。 。かげ・ろう 宙に浮かび、くわあっと口を開き笑うキハノの体から、影に似た陽炎のようなものが立ち のばるかに見えた。 吹けば簡単に飛びそうな痩せこけた体が、魔道という質量を含んでそこにあった。 ついさっきまでとまったく形を変えぬはずのそれの本質が。 明らかに変わっていた。 「今こそ行かれよ、望みの場所へ。欲望のくまま進むがよい。汝らに香しき血の祝福あら んことを 己の前に立っ三人の男に、朗々とうようにキハノは言った。 招次の瞬間。 の 女 聖 雲で闇なす暗き殪を切り裂いた激しい雷光が、アル・ディ・フラの塔を直撃した。 塔は真っ二つに裂け砕けて、崩れ落ちた。
192 静かに落ちていた。 まどうし りゅうつか 魔道士レイムと竜使いシルヴィンは。 激突するかという寸前で動きを止めていた。 最後の魔道を用いたレイムの体から、すべての力が抜けていた。 魔道ので意識が弾け飛んでいた。 死んだようにぐたりと弛していた。 シルヴィンは激突するかと思ったときすでに気を失っていた。 二人は全身を光そのもののように輝かせながら。 静かに浮かびあがってきた。 、ン十 60 背に白き翼を持っ聖なる乙女ファラ・ 光球に包まれながら、緩やかに地に降り立った。 ハンを包んでいた光球が、ふいと消滅した。 地を踏みしめたファラ・ くずお うるわ ひとみ ファラ ・ハンは翼と麗しい青い瞳を閉じ、くたりとその場に頽れた。 ハンの白い背中に、するりと翼がしまいこまれた。 倒れたファラ・ おとめ