102 銀の光がった。 ひょうと風の凍る音が空を薙いだ。 まどうし 何事が起こったのか、目を見開いたままの魔道士たちの首が。 ほとまし 鮮血を迸らせながら跳ね飛んだ。 あやっ 噴水のように血を吹き出す四つの胴体が、糸の切れた操り人形のそれのように頽れた。 さげす 血煙に赤くかすむ光景を、目を細め蔑むようにディーノは見おろす。 切れ味がらぬように、長剣を血振りして鞘に収めたディーノは、行き過ぎようとして、 ふと足を止めた。 ひとみ 一瞬、ディーノの青い瞳の端を射た、銀色の光。 蚫の一つがきいてい編のビロードの布に包まれていた物だ。 かが ディーノは、きらりと輝く鏡のような物を間近く見るため、軽く屈みこんだ。 布を指先で摘まみ、そっと払いのける。 鮮やかな紅の布に大切に包まれていたそれは。 銀のだった。 精巧に細工を施された、美麗なる純銀のだった。
134 それが振りかざされた一瞬。 ろうまどうし 老魔道師は、はっと息を飲んだ。 それが己の作る兆を打ち砕く図で取りだされたものであることはわかっていた。 わかっていたが。 それが。 そこにあり。 その者の手に握られていることが。 信じられなかった。 おぼっか ハンを抱きかばうようにして左腕で支え、剣を抜いたバルドザッ 足元の覚束ないファラ・ クは、油断なく身構えながら上空から迫りくる飛竜を睨みえていた。 かいこう 第七章邂逅
聖光に照らされて。 ′」う′」う うずま 轟々と渦巻いていた火の海が消失した。 叫争いを続けている者たちの動きが凍てついた。 ほんの一瞬の出来事。 。た聖なる。 光の消失したその後には。 燃え盛る炎は悪夢ででもあったかのようになくなっていた。 争っていた者たちは戦意と意識を失ってその場に頽れた。 成り行きをただ見守っていた女王たちは、瞬時にして起こった奇跡を前に驚くばかりであ 喚 ろうまどうし 招偉大なる老魔道師エル・コレンティですら、何が起こったのか、即座に理解できなかっ 女 すべての奇跡の 1 として。
を浮かべ、ようやくの形で体勢を保っていた。 きわどい一瞬であったが、招喚の儀式そのものが一応の終結を迎えていることを、老魔道 師は知った。 成功にしろ失敗にしろ。 完全にしろ不完全にしろ。 雷蛇の強襲の直後。 聖光は消えた。 光の中に閉じこめられていた可な肉体は、支えをなくしくたりと頽れた。 同時に、天空を騒がせていた激しい落雷も、びたりと止んだ。 暗雲垂れこめる空は、つい先までと変わらぬ状態に戻った。 わず 喚なごり 招名残だけが僅かに残った。 女何も存在しなかった魔法陣の上には。 聖 ・確、か . に 0 一人の美女が出現していた。
一振りの剣が投げつけられた。 その一瞬だけ急所をす、翼の上がり際を狙った、絶妙の間合いだった。 よほど飛竜の生態に精通していなければ、知りえない瞬間だ。 暴徒と役人たちの入り乱れる場所から仕かけられた、それ。 竜使いならではの攻撃。 ようやくディーノに追いついたシルヴィンである。 焦りに焦って追いかけシルヴィンは大きく肩で息をついている。乾い瀛から吐きだされ る呼気は火のように熱い。 水色の瞳の奥に激した炎を燃えあがらせ、ディーノと飛竜を躰すような目で睨みつけて 招 の 女シルヴィンの仕掛けた攻撃は完璧だった。 しかし。 しゆらおう 相手は修羅王ディーノであり、シルヴィンたち竜使いにとっても自慢の飛竜だった。
自分から行動を起こさなければ、何も始まらない。 女王は顔の前に乱れ落ちた髪を掻きあげ、握っていたバルドザックの手を一度ぎゅっと握 りしめてから離した。 肩に片手を置き、仰にいると存在を主張するだけで、胸の中に逃げこみたくなるほどに優 しくしなかったバルドザックに感謝した。 あくまで女王としてのトーラス・スカーレンを支えようとしてくれたことが、嬉しかっ まず事態のに努めなければならない うずま この火炎渦巻く祭事場の混乱をどうにかせねばならない。 第をの手から奪い返さねばならない 立ちあがった女王の見あげる中。 ルなしの平手打ちをまともに受けたディーノは、に裂した痛みに一瞬思考が停止 した。 何が起こったのかわからなかった。 しゅうた、 修羅と呼ばれた男にあるまじき醜だった。
豊かに波打つかげりとなって見えるのは、確かに長き黒髪。 らしん なだらかにくびれ、やわらかく盛り上がるのは、白い裸身。 神々の持っ完璧な形状。 とわれる至上の肉体。 瞳を吸い寄せられるように、我を忘れ、無としてひとびとは乙女の影を見つめた。 はっと、エル・コレンティの瞳が、一瞬頭上に向けられた。 ひとびとの視線を集める、その真上。 うずま 黒雲渦巻く天空。 まがまが だいじゃ 聖なる光刺すその周囲に、大蛇に似た禍々しい雷光が生じた。 またた 雷光は激しく瞬きながら、生あるもののように聖なる光柱の表面を這いまわるようにし 招爆烈するかのごとくに。 女落ちた。 大地を根本から分断するに足りる力を持つ、落雷があった。 て。 らくらい らいこう
これは : ただ血をみるだけでは済まされない。 そうぜん こみち レイムは蒼然となって、ディーノの先回りをしようと魔道の径の中、緊急用の近道を探し て首を巡らせた。 うろたえておろおろと視線をさ迷わせるレイムの横を。 綿の袋を裂いて引き襁った人影が駆け抜けた。 一瞬、正対して擦れ違った、その者。 燃え盛る竜舎のほうから駆けきた者。 急ごしらえの石綿の外套の陰からちらりと見えたのは、火のような激しさを帯びた光を放 ひと っ薄い水色の瞳肩ロで切り揃えた大きく波打っ亜麻色の髪。 喚 招 の 女レイムと擦れ違った娘は。 シルヴィンは。 剣を携え、血が滲むほど強ぐ噛みしめて、空行くディーノの後を追っていた。 が、とう
何かしら自分の知らぬことの進行している様子に、鯔をぐ。 のど キハノは皮と筋ばかりになった咽を鳴らして、くつくっと笑う。 たくら 何かしら、よからぬことを企んでいる陰湿な楽しさが、笑い声に重く染みている。 ディーノの問いに言葉を返さなくとも、その笑いだけで十分な答えになっていた。 の瞬間には、おそらく、天界と世界を繋ぐ時空の扉が開かれる。 まどう 魔道の根源をなす力も、ほんの一瞬ではあるが増大されるはずなのだ。 下半身を地に封じられたが拠に、今はほんの子供騙しの範囲でしか自由にならぬキハノの 魔道力も、その瞬間だけ、本来あるべき大きさを取り戻すはずである。 にく せんざいいちぐう 憎んでもなお余りあるエル・コレンティ老魔道師の鼻を明かしてやるのに、千載一遇の機 会なのだ。 これに乗じぬ手はない。 「招喚の儀式って、なんだ ? 」 波止場の捨て子であり、文盲であることに少なからぬ劣を持っている無学なオー は、おずおずとディーノに尋ねた。 ノ
そよとを攤でたそれに、ディーノは微かに首を横向け、眩しいものを避けるように目を 閉じる。 結び合った視線の線が絶ち切れた。 はからずも自分からディーノの胸に飛びこみ、抱きしめられることを望んだ形になった ファラ ・ハンは、落下を角れ安堵していたことを知ると同時に、激昂した。 頬を真っ赤に染めて、ディーノの胸に手を突き、密着していた体を引き剥がす。 わざとこのようにされたのだと思った。 他愛ない無力な女として、身のほどを思い知らされるために、はめられたのだと。 卑な手段に訴えるこの男が許せなかった。 簡単にひっかかってしまった自分が恥ずかしかった。 非難していた人物を頼ってしまったことが腹立たしかった。 どうき たくま 逞しい腕に抱かれ安らいだことが、かえって胸の動悸を落ち着かなくさせていた。 目の前の男を感じ自分の女を感じたことが、我慢ならなかった。 こんな男に一瞬でも気持ちを奪われてしまうことになるなら。 あのまま落ちていたほうがましだった。