ひとみ 見開かれたキハノの瞳が、血のように赤く燃えあがった。 。かげ・ろう 宙に浮かび、くわあっと口を開き笑うキハノの体から、影に似た陽炎のようなものが立ち のばるかに見えた。 吹けば簡単に飛びそうな痩せこけた体が、魔道という質量を含んでそこにあった。 ついさっきまでとまったく形を変えぬはずのそれの本質が。 明らかに変わっていた。 「今こそ行かれよ、望みの場所へ。欲望のくまま進むがよい。汝らに香しき血の祝福あら んことを 己の前に立っ三人の男に、朗々とうようにキハノは言った。 招次の瞬間。 の 女 聖 雲で闇なす暗き殪を切り裂いた激しい雷光が、アル・ディ・フラの塔を直撃した。 塔は真っ二つに裂け砕けて、崩れ落ちた。
ひとみ お互いだけを瞳に映し、間近く見つめあっている。 薄物を攤んで腿を触れあわせている。 一一人ともなしの服を着ているため、剥きだしの腕と腕の肌が直接触れている。 腕に重さを伝えるたおやかな体の、ふわりとした肉に包まれた細い肋骨やを、感じて 彼女を除く現実が色褪せた。 ディーノの内に流れる時間が停止した。 かっとう 急激に変調をきたした精神の内的葛藤についてゆけず、肉体のリズムが狂った。 眩暈がした。 「きゃあ ! ゆる ふっと緩んだディーノの腕から、ずるりと抜け落ちかけ、ファラ 悲鳴に驚いて、ディーノは我を取り戻す。 何が起こったのかは、すぐに理解できた。 ハンは落ちまいと、ディーノの体にすがりつこうと腕を伸ばした。 反射的に、ファラ・ ハンを捶え直す。 慌てたディーノは引き寄せるようにしてファラ・ めまい ・ハンは悲鳴をあげた。
それは、バルドザックのような若い男性だけでなく、トーラス・スカーレンやエル・コレ ンティの心でさえ揺さぶり動かす、本物の魅である。 おとめひとみ 乙女は瞳を巡らせ、自分の置かれている状況を認識する。 倒れ伏した自分を助け起こし、見守ってくれていた優しい瞳をしたひとたちに、知んで みせる。 「ありがとう。だいじようぶですわ」 な金の鈴を鳴らす声で、乙女は三人に語りかけた。 細く高く甘く響く、なんとも心地のいい一尸だった。 耳だけでなく、やんわりと体に染みこむような声だ。 ろうまどうし 自力で起きあがろうとする乙女の動きに、老魔道師は手を貸す。 大きな手を支えにして、乙女は一人少しばかり頼りなげに体をふらっかせながら、ゆっく りと立ちあがった。 立ちあがり。 血に濡れた応の郁りを目にし驚愕する。 少なくとも、ついさっき荒れ狂った落雷によって激しく打ち崩されたばかりのそれは、何 らくらい
・ティーノ ・ファラ・ハン 修羅王と呼ばれ、人々から恐れられてい 世界を滅亡の危機から救うために具現し た、伝説の翼ある乙気。透きとおるようなる、華麗で凶悪な蛮族。彫像のような素晴 白い服と黍の髪に彩られた麗しく愛らしらしい体驅を持つ。自己中心的で、自分の りやくだっ いその姿形には、誰もが見惚れずにはいら欲求 , ーー破壊行為と略奪ーーーのおもむくま れない輝きがある。はかなく優しけなイメまに生きる男である。老魔道師エル・コレ ージだが、正義感が強く自己犠牲も厭わなンティによって塔に幽され、外界では生 い大胆な性格をあわせ持つ。鴉な力によきていけない体となっていたが、邪悪な黒 り記憶を失っていたため、使命うには相魔道師バリル・キ八ノのカで、ファラ・八 0 ンの具現間もない聖地に解き放たれる。 当な困難が予想されるが : 朝 2 ーん第 : 、
風にあおられ、ころりと足元に転がり出てきたものに、魔道士見習いの若者は歩みを止め せいこうガラスぎいく 精巧な硝子細工のようなそれを、そっと取りあげ、顔をあげる。 儀式に用いるを運んでいた彼が拾いあげたそれは、透きとお「た、角のない甲虫の ようなものだった。 生き物であることを証明するかのように、透明な体の中に、藩色に透ける卵を六つ抱い ている。 聖地クラシ = ケスの夜を明るく照らしていた虫だ。 死んでしまった虫を持って、若者は首を巡らせた。 第三章魔道士 まどうし
恐怖や屈辱、怒り以外で、体が熱く搬した。 そしてひどく愛らしい みずみず うるわ 麗しく生命に溢れて瑞々しい 腕に感じるい重みと地好いほのかなかさ、しなやかさ柔らかさ。 鼻孔をくすぐる体臭も、やかに甘い。 どれ一つをとっても非の打ちどころのない、完璧ともいえる美を欲しいままにした乙女 , 」っ」 0 世界のどこにいようとも、名を馳せて不思議はない美女である。 きれい 綺麗な顔は怒りをもって厳しくディーノに向かっていたが、それが彼女の魅力を損なうこ とはなかった。 招美しいからこそ、なお携絶にえている。 ディーノは、今。 彼女を腕に抱いている。 そこ
「な姫様 ! 「わたしたちのファラ・ ハンが ! 」 「ああ、なんて素敵なんでしよう ! 」 高く丸い声で、小鳥のようにかしましく騒ぐ。 たた 笑み崩れながら女王にまとわりつく子供たちに、マリエがばんばんと手を叩いた。 「ほらほらお前たち、お歌のお秤左はどうしたの ? まだ遊び時間ではないでしよう ? さ ばっていてはいけませんよ」 一目置く。に厳しい声で指摘され、子供たちはきゅっと首をすくめる。 「だって」 「だって」 「ねえ」 「あんまり嬉しかったんですもの」 喚 「女王様のお顔が見たかったんだもの」 女 小さな体をさらに小さくして、ばそばそと子供たちは言う。 聖 トーラス・スカーレンは優しい笑い声を立てた。 まどうし 「エル・コレンティのお話は本当ですよ。魔道師の予知がはずれたことなど、今まで一度も
156 甘く透明に澄んだ罵り声に、ディーノはむっと眉をひそめそちらを見やる。 鉄の腕に抱えられたか弱い捕らわれ人は、ディーノをまっすぐに睨めつけていた。 命を落とす高みで、ただ一本の腕に身を預けていながら。 ねた命に恐れもなく、まっこうからディーノを非難していた。 このとき初めて。 ディーノは自分がした乙女を見た。 ト脇に捶えたただの捕虜にしかすぎなかったそれは。 この瞬間から。 存在価値をえた。 どくんと胸が高鳴った。 ロの中がからからに上がった。 頭を強打されたかのような衝撃があった。 しんしび じんと体の芯が痺れた。 血管が、筋肉が、ありとあらゆる細胞が、脈打ち膨れあがったかと思った。 ののし まゆ
138 おとめ 震えている乙女をかばうように、腕をあげて身をもって盾になる。 ファラ ・ハンがいれば。 世界は必ず救われる。 ハンそのひとであると信じて トーラス・スカーレンは、この力ないか弱い乙女をファラ・ 疑わなかった。 ・ハンな 翼を持っ乙女でなくても、トーラス・スカーレンにとっては、彼女こそがファラ のだ。 乙女は。 迫りくる者の激しさと忍さを、本能的に悟っていた。彼が繰り広げるであろう鬼な 光景の予想がついていた。だから歯の根が合わないほど、震えているのだ。 しんぎんもの もちろんそれは新参者の乙女以外の、ディーノそのひとを知る、ここにいる誰もが常識の 一部として容易に想像できることだ。 それなのに。 高貴な品格を漂わせる女性までが、体を張ってまで、自分を守ろうとすることに驚いた。 皆が一丸となって、ここにいる誰よりも、自分のことを守ろうとしていることに驚いた。 たて
ディーノの瞳を射た光は、その瀧らかなの一部に跳ね返「たものだ。 脆い銀でできた、にさえ見える斧は。 しかし。 けっして力なき物ではなかった。 何かこう得体の知れない凄みというのか、一点の曇りさえない美しさの奥に、を思 わせる激しさのようなものを帯びただった。 ためらうことなく伸ばされた手が、斧の銀のを握る。 柄をんだ右手のひらから。 かっと、体内に白いが奔り抜ける感覚があった。 体じゅうの細胞が煮えたぎり、爆発する衝撃があった。 目を見開き、柄を掴んだ格好のまま、瞬間、ディーノは凝固した。 反射的に、柄を握った手の握力が増していた。 それが中身を空洞とする金属杯のような物であったなら、思わず握り潰していただろう しようしんしようめ ) 正真正鑵の確固たる力が斧を締めあげていた。 力。 つぶ