31 聖女の招喚 老魔道師頭を垂れて内の意を示し、ゆらりと立ち上がる。 ほうえ マントにも似た法衣の袖が、巨大な鳥の翼のように大きくばさりと広げられた。 窓から吹き込む風を受け、激しくはためいた法衣の色が、影そのものに変化する。 女王の側に駆け寄ったバルドザックは、手を貸し女王を助け起こす。 ふく 広がった老魔道師の法衣の影が倍以上の大きさに膨れ、女王とバルドザックの二人をも すつばりと巻き込むように包んだ。 ひょうか、 ひだ 顔を伏せ、そうっと身を沈ませた老魔道師の影が、日溜まりに置かれた氷見が溶けて蒸 発していくように、みるみる小さくなる。 音もなく応に染みこむように消える。 ものみ 物見の塔には、もはや誰もいない。 そで
第四章具現 の儀式、魔道士たちの懸命の努力にも関わらずなんら変化の見られない祭事場。 まほうじん 魔法陣に向かう魔道士の古代語における祈りの声だけが、激しく押し寄せる波のように唱 和されている祭事場の側。 畳の上に、ほっりと黒い点が生まれたかに見えた。 まゆ 目を止め、眉をひそめてふと足を止めた魔道士の見守る中、わずかな点のように見えたそ れは、みるみるうちに大きく広がり、影の溜まりとなった。 石畳のあいだから染みでた影の溜まりは、れあがり、影の小山と化す。 招実体を消失した暗黒のわだかまりのようなそれは、見あげるほどの大きさとなったとき、 女ふいに質量を持つものとなった。 むらさきほうえ 聖一しつこく 漆黒のそれは、黒く輝く紫の法衣の色と変化する。 紫の法衣をまとったその者は、全身をい隠すために上げていた腕を解いた。 、しだたみ た
た体と基礎体力は、この混乱の時代における彼の存在価値を高めた。 彼は乙女ののために人手の不足する聖地クラシ = ケスの魔道宮に呼ばれ、儀式の手 伝いや補助、そして様々な雑用を言いっかり立ち働いた。 カ仕事などそれまで無であったと見える若者は、同じくらいの背格好の若者と比べると 遥かに無力であったが、彼は彼なりに、薄い手の皮を幾度も切り裂き、に整えられてい た白い指先を赤く腫らせながら、懸命にっていた。 「レイム ! 」 あいいろ 立ち止まり、うつむく彼の名を、先を歩いていた藍色の法衣を着た中級魔道士が呼んだ。 彼は自分が何を成すべきであったのかを思い出し、そっと光虫を法衣のポケットの中に落 としこむと、小脇にを抱え直し慌てて魔道士の後を追った。 みちくさ しぐさ 少し目を離すとすぐに道草を食う、薄ばんやりした見習い魔道士の若者の毎度の仕草に、 あきら 招半ば諦めの気持ちを持ちながら、魔道士は彼を祭事場へとうながした。 女レイムは少し頭を下げただけで、魔道士の後ろに付き従った。 一言添えて謝るのが普通ではあるが、レイムには、それはできない。
ひざまず 五メートル四方ほどの広さのこの部屋でただ一人、背を向ける女王に跪いて控えるその者 むらさきほうえ は、高級魔道士を示す紫の法衣を着る痩せた老人であった。 若い頃にはさぞかし大きな男であったのだろうと想像できるほどに、肩幅が広い。 骨と皮ばかりのような体で、だぶついた重い法衣を支えていた。 深く引き被ったフードで、下を向いているだろう顔は見えない。 枯れ枝のように細い指を持つ大きな手の先だけが、袖からいている。 老人は、ひとしきり吹きすさぶ風の行き過ぎるのを待ち、ゆっくりと口を開く。 「季節はずれの豪雨のために、西のニバダの村では、マノカ麦を全滅させたそうでございま ひつじ しも す。ワギスの牧草地では、霜にやられた草を食べたカヤック羊に伝染病が広まりつつありま みつむし す。シフアカでは花畑が全滅し、蜜虫の成虫が死に絶えたと聞き及びます。北のボラーレと の情報交換は激しいにまれ、今のところ我々の魔道をも「てしても困難であります」 響きの低い、肉の深みに染みいるかのような老人の声は、事実のみを淡々と告げた。 招耳の痛い報告は、尽きることがないかに思われた。 女女王はそれらを胸に刻みこむよう、一つ一つの事柄に小さくうなずく。 かす 遠く地鳴りが響き、微かに塔が揺れた。
まどうきゅう ほどこ 魔道宮には今も各地から運びこまれた様々な生物がその術を施され、ひとときの眠りに ついているはずである。 そしてまた、死んで間もないものならば、復活の魔法を使っせることもできる。 異変に強い卵の形で子孫を残していくものならば、親が死んでいても、卵だけ生かしてや ることもできる。 だが彼には。 それほどの実力はない。 崩れぬ完全な形の蚫を手にしていても、何をしてやることもできない。 唇を噛みしめ、手にしたを見つめた若者の翠色の瞳が、滲んだ涙で揺れた。 ほうえ しんま、 深緑色の法衣をまとうところから見ると、彼は、ごく新米の見習い魔道士であるようだ。 本来なら、聖地の中心にいるような魔道士たちの中に混じり、作業できるではない。 なんらかの理由があってつい最近になって魔道士となる道を選んだのだろう若者は、幼い 日から修行を積む子供ばかりの見習い仲間のうちでは、少しばかり異質な存在である。 術の拙さという点では誰と比較もできぬほどにだだったが、成長期を経て出来上がっ
男たちにまれる娘の窮地を目にし、ついに魔道のから飛びだしていた。 駆け寄りながら、に深々と突き刺さっていた剣を一息で引き抜く。 男としては整えられた、すぎるレイムの手が握った剣は。 鮮やかな轣蹣を描いて振るわれた。 濡れ瀛花びらが散る。 しようぞく 剣をかざし突然乱入してきた魔道士装束の若者は、恐ろしく腕の立っ剣の使い手だった。 包囲を突破し、瞬く間に苦戦するシルヴィンの真横に入りこんだ。 ほうえ 見覚えのある深緑色の法衣と背格好の味方の出現に、シルヴィンは目を丸くする。 それを確信づけるように、首を狙って繰り出された樹を避けた魔道士の、頭部を覆ってい たフードが後ろに跳ね飛んだ。 こま 長い金色の巻き毛が零れでる。 喚 招「あなた : ・ 女信じられないものを見る目つきで、シルヴィンは剣を振るう魔道士を見つめた。 軟弱者の象徴のように思っていた若者によって、たやすく形勢を逆転し助けられることに Ⅱなろうとは夢にも思わなかった。 またた
140 ろうまどうし ほうえ だぶついた法衣に風を受けた老魔道師は、反射的にそこに四つん這いになり、うつ伏し 巨大な黒い影を伴い行きすぎた暴風。 ぶざま 無様に転がり地に伏した彼らは、素早く目線を投げ合ってお互いを確認した。 そこには。 いなければならないはずの人間が一人足りなかった。 「ディーノっ 髪を振り乱し女王は叫んだ。 ひりゅう 通りすぎ再び上昇する飛竜。それを駆る若者の名を。 してやったりという顔で、ディーノは女王を振り返る。 斧を握るディーノの腕に。 りされたの姿があった。 声をあげることさえできず、んの手に拉致されたファラ・ 腰に巻きついたディーノの腕は、一人の人間の体重を支えていても、びくとも動かない。 ハンのかなうものではない。 熱く脈打っすべやかな。のような腕は、とてもファラ・ こうしよう ・ハンは自分の無力さを 見あげる者たちの表情を見てとったディーノは哄笑し、ファラ
そして。 その瀞なる光の柱を誰もが認識したかに見えた時。 耳をつんざく敲が鳴り響いた。 幾筋もの電光が空を切り裂い め、どう らくらい 大地が動し、同時に落雷の直撃を受けた幾つもの建物が音を立てて崩れ落ちた。 聖地のあちこちで、悲鳴があがった。 内の屯嚠に似た、荒れ狂い歓喜した男たちの叫び声が、聖地の中、怒濤のように溢れた。 の儀式に当たっていた魔道士たちが、倒れた者のうちではいち早く身を起こし、顔 を上げた。何事が起こったのかと首を巡らせ、一番の頼りとする者のほうを振り仰ぐ。 むらさきほうえ まほうじん 紫の法衣をまとう老魔道師は、魔法陣に輝く聖光に向かってひざまずき、厳しい表情で黙 し、を結んでいた。 圧倒的な力を持って出現した光によって、はからずも祈りを中断してしまった十人の高級 魔道士に成り代わり、ただ一人儀式を続行しているのだ。
174 それなのに。 それを観察していられる自分に、気がついた。 ( もしかすると、もう死んでしまっているのかもしれない ) 恐ろしい疑惑に襲われ、シルヴィンはぎくりと顔をあげる。 ほうえ 炎に飲まれていない、深緑色の法衣が見えた。 纃の炎の色に染まる中に屹立する揺るぎない色。 一人の青年。 信じられないものを見る配撥ちで、シルヴィンは目をしばたたく。 第一印象で軟弱者られていた彼は、今シルヴィンの及びもっかない不思議を駆使し て、溿く炎と戦っていた。 目を凝らしてよく見ると、彼とシルヴィンの体を、薄い光の膜のような物が覆っている。 圧力を感じているのは、この光の保護膜が炎を受けているからだ。 成すもなく炎に巻かれ死に絶えていく者たちの中で、二人だけが無傷でいる。 まどう 場所そのものを区切って封陣とする魔道を、レイムはまだ知らなかった。 選出した特定のものに働きかける、規模として小さなそれを使えるだけだ。 微かに首を背けたによって、完全な直撃を避けていたことが幸運だった。 こ
152 あの狙い定めた剣の一撃は、竜使い以外には考えられない。 ついさっき竜に剣を投げつけたのは、竜使いの娘に違いない。 たかが竜使い、卑の身にありながらこともあろうにこのディーノに盾いたのだ。 敵対するものは虫けら一匹であろうと許さない。 ディーノは飛竜の首を巡らせた。 一瞬の間と、彼の見ていたもの、そして飛竜の首の向かう先から素早く先を読み、ファ ・ハンは色をなす。 刃物のみで果恥に大勢の男たちを相手に戦っている二人。 ろうまどうし 彼らの戦う姿からは、あの老魔道師にファラ ・ハンが感じたような、強大なる不思議のカ を想像することは難しい ほうえ 金髪の青年は法衣をまとっていたが、魔道士だから火炎から身を守れるというわけでもな いのだ。 まほうじん 事実、魔法陣の周囲では、炎を防御しきれなかった魔道士たちが大勢負傷し、あるいは焼 け死んでいる。 「やめてつ " こ