はく 「フランディア伯のおなりだ」 きようばんざい 「フェレニス卿、万歳 ! 」 人の群れが半分に分かれて、その間を馬車がゆるやかに通り過ぎた。そこからばらまかれる 金貨や花を、貧しい人々が狂喜して、うずくまって拾った。 あざ つづ あしげ 葦毛の馬が土くれを飛び散らして進んだ。綴れ織りの装飾馬衣と、絹の胸帯が鮮やかだ。二 たづな 本の手綱のうちの一本に埋め込まれた銀細工の鋲がきらきらと光り、銀色の鈴が華やかな音を たてていた。 警備兵を乗せた何頭かの鮮やかな馬の後、フランディア伯フェレニス卿を乗せた天蓋つきの 四輪の馬車、それに続く、伯の息子シメンとその新妻の馬車、そしてまた警護の馬と、長い行 列が続いて跳ね橋を渡った。 城下の人々がそれに続く。 ゅうれきがくじん うたげ 一行がすっかり城館の広間におさまった後、宴のおこぼれに与かろうと、遊歴楽人や派手な 緋色と白の衣装の道化師たちが中庭で騒いでいた。 の 「サヤ、私もあの道化師を近くで見たいわ」 彼女はまだ結い上げていない亜麻色に輝くしなやかな髪をたらして窓の と、少女が言った。 , ひいろ びよう きぬ てんがい
くじゅうよみがえ の苦渋が蘇った。どんな凶暴な反乱軍よりも手に負えないのはオーディーの僕たちだ。 レザンディは執行人にも金子を握らせて観衆の中に戻った。 司教が助祭に何事か耳打ちした。助祭はうなずいて囚人のもとへ歩いた。そしてソールの顔 に耳を近づけてわざとらしく言った。 「ここなるソールという囚人は、たった今よりソ 1 ルという忌まわしき名を捨て、改宗すると 申しました。エーヴァ神の使徒である私たちの願いが届いたものと思われます。ここに、これ けいげん なる罪人の刑を軽減し、投石に処することに : : : 」 民衆から不平や驚きの声が上がった。 助祭が下がった。 ソールはその青い双眸に、改宗のぬれぎぬを着せられた怒りをあらわした。 「わが神はオーディーである。わが名はソール ! 」 ソールの叫びは民衆の最後列にまで響きわたった。それから、彼はビオールを奏で始めた。 びよう くさり かけいちゅう 彼は架刑柱に胴を鎖で固定されようとしていた。執行人が鋲をうって囚人が逃げ出せないよう っち 聖にしている間、ソールはビオールを弾いていた。鋲をうつ鎚の音と、民衆の怒号をぬって、そ 薇のビオールの音はレザンディの耳に届いた。 レザンディがはっとソールを見た。 それはエレミアンが大切にしていたあのビオールにつけられていた楽譜の旋律だった。死を そうなう い
( マンダラゴ一フを摘んだ時に、私は死んだ ) エレミアンは儀式の間、そう考えていた。 あんたい しかばね ( 屍が飾りたてられてここに立っているだけなのよ。フランディアの安泰のために ) 白い馬が何頭か一列に先導し、続いて伯とエレミアンの乗る馬車が進む。枝編みの枠に日除 けの天蓋を張り、緑色のビロードの垂れ幕と、金色の飾り紐をあしらった華やかな馬車だ。そ の後ろに軽騎兵が護衛する。エレミアンは、長兄シメンの婚礼を思い出していた。 びよう 煉瓦色の街に人があふれている。馬車はゆらゆらと進み、鋲を打った車輪が土をはねとばし ていた。一行の行く先々に、花がまき散らされ、金貨が舞う。招かれた吟遊詩人や道化師や軽 業師の浮かれ騷ぐさまも、あの時と一緒なのに、アベルがいない。 けんそう きようせい の調べ、花売りの声、酔いがまわ 嬌声や、金貨の音や、それに群がる市民の喧噪、リュート けんか りすぎて喧嘩する血の気の多い若者、・ : : あの時と同じだ。けれど、アベルのビオールの音は どこにも見つけられなかった。 エレミアンは唇をかんだ。 聖 ( アベルが守ってくれる・ の 薔 しかし、ラングヴェルド伯レザンディに関する不穏な噂はまたひとっ加わることになった。 うたげ 七夜の宴に、伯の身内でありながら参列しなかった者がいた。伯の末弟で、名をヴァンセルと
それはアベルが城にやってきてひと月たった頃だった。サヤが呼びに来たので主人の部屋を 訪ねたのだが、下女たちは恐る恐る扉の側からエレミアンの様子をうかがっていた。エレミア ふしど つや ンは臥所に小さな体を伏せて泣いていた。羽枕に、艶のある髪が散り広がって、かすかに震え ていた。 「エレミアン様、お話しください」 エレミアンはゆっくりと顔をアベルに向けた。エレミアンはしばらくしやくりあげていた が、アベルが根気強く待っていると、ようやく話しだした。 くじゃくつめ 「マ 1 シュったら許せないの。マーシュの放した猫が、私の白孔雀に爪を引っかけたの」 ひざ アベルは臥所の脇に膝をついたまま、そっと話しかけた。 「白孔雀は死んでしまいましたか ? 」 「まだ暖かかったけれど、もうだめだと思うわ ! マーシュなんか引っかいてやるわ」 「行ってみましよう。エレミアン様」 はおた エレミアンは乱れた髪が濡れた頬に垂れかかったのも直さずにアベルを見た。アベルは口元 に徴笑みを浮かべてエレミアンを見つめていた。いっか、雨が降るのを言い当てた時のような 自信めいたものをエレミアンは見てとった。彼女はゆっくりと起き上がった。 庭園には素焼きの瓶が並んで、その中に季節の花を咲かせていた。とりわけィリスの紫の花 が強い美しい香りを漂わせていた。そしてそのまわりに孔雀の純白の羽が散乱し、所々血の跡 かめ
ちょうど た。アベルは、追い剥ぎにでも遭ったように、弱り果てていた。胴着は肩幅も丁度良く、はや ひざたけ りの膝丈というエレミアンの注文通りに出来上がっており、親方も誇らしげにうなずいてい きんせい わき た。脇にスリットがあるのも、洗練された貴族のファッションで、均整のとれた体つきでなけ ホ 1 ズ れば着こなせないのだが、アベルには思いのほか似合っていた。さらに水色の脚衣、金色の絹 ふちど 糸で縁取りした白いマントを次々に身にまとわされて、アベルはおびえた表情さえ浮かべてい こ 0 エレミアンはかたわらに置いた木箱から、まばゆいベルトのようなものを取り出した。 しよくたい 「これは飾帯。銀のベルトに金の細工がしてあって、あなたの髪の色によく似合うはずよ。で つるぎ も剣は、あなたが立派なお小姓になったときにお父さまからもらえると思うわ こんなふうに一人前のロをきいて、エレミアンはうっとりとした。小姓を従えて歩くのは貴 婦人のようだとあこがれていたからだ。 「 : : : あのう、ぼくは、 : エレミアン様に忠実にお仕えいたします」 アベルは真っ赤になって、消え人りそうな声でそう言った。 エレミアンが、アベルの肩にその華やかな装飾をほどこした剣帯をかけてやると、アベルも 聖 薇貴婦人の従者のようなくちぶりでもう一度言った。 「雨粒ひとつにも濡らさずに、あなたをお守りすると誓います」 この誓いは長い間破られなかった。