からす 囲「そうさ、しぼるほど血を失っているよ。もうすぐ鴉もやってくるさ」 ( 悪戯で残酷なマンダラゴ一フは、恋人たちの味方であることには変わらないのだわ。なぜな ひんし ら、瀕死の恋人を救うことができる : : : ) こうこっ エレミアンは恍惚とした表情でマンダラゴラを見つめた。 彼女は細く白い手を伸ばした。 「な、なんだい ? あたしを摘もうってのかい ? およし ! ばかなことはやめるんだよ、こ の小娘ったら ! 」 それまで高慢な物言いをしていたマンダラゴラが、じたばたと葉を揺らして叫んだ。 「アベルを助けるためなの」 エレミアンの真剣な眼差しに、マンダラゴラは半泣きになって言った。 「誰だよ : : : そんなに大切な男かい ? 」 「ええ、そう、 ・ : どんなに大切だったかやっと気がついたの」 「はやまるんじゃないよ、小娘、いや : : : お嬢ちゃん、 : そんなことしたって、命かけるほ どの男なんて滅多にいやしないんだよ。あたしや、今まで分たくさんの恋人たちを試してき たけれど、みんなあたしを前にすれば腰を抜かして逃げていったさ。どんなに勇敢に見える男 だってそうだ。よく考えたほうがいいよ、 ・あんたのことなどすぐに忘れて、他のいい娘と 一緒になるのがオチさ。それでもいいのかい ? 」
たたかさを見て、唇をかんだ。 「あなた ! マンダラゴラをもっとください。早く ! 」 エレミアンが金切り声で言った。 「マンダラゴ一フは : : : もう、ない」 うめ レザンディが呻くように言った。 「簡単に手に人るとおっしやったわ ! 」 「 : : : そんなはずはありません、エレミアン様。それをどこで手に人れたか、レザンディ殿に お聞きになることです」 レザンディは苦しげな顔をして黙っていた。 マンダラゴ一フはねじれるようにして燃えていた。 「あれは、エレミアン様がデ一フヴィーナで引き抜かれた、本物のマンダラゴ一フです。私はあの すべ 時、デ一フヴィーナにいたのです。レザンディ殿、私は全て知っています」 アベルは肩で息をしながら、しかし確信をもって言った。 聖「何ですって ? デラヴィーナに ! 確かに私は : : : 」 けわ こぶし の 薇 エレミアンはアベルの体を支えたまま、レザンディを見つめた。彼は拳を握りしめて険しい 顔をしていた。それから、ひとつ大きく息を吐いた。 「 : : : アベルの言う通りだ。あれはきみが命をかけて抜いたマンダ一フゴラだ。天の異変の起き
212 「マンダラゴ一フが ! あのマンダラゴラが燃えてしまったわ ! 」 エレミアンが悲しげにそれを見ていた。 アベルは痛みと苦しみに顔をしかめながら、静かに言った。 「それでいいのです。 : : : 私が今、息をしていることさえ不思議です。ルーネの石は、まだ私 に仕事をさせようと : : : しているのでしようか」 アベルの声が次第に力を失っていくことがエレミアンにもはっきりとわかった。 「苦しいのね ? ・ばかなアベル ! なぜあんなことを・ 「お許しください : : : しかしあの魔教の草は、もう二人の命を救っています。あれはその役目 をもう終えています」 「二人の命を ? 言っていることがわからないわ」 「あなたがマンダラゴラの呪いの歌をお聞きになったのになぜこうしてここにおられるのか、 お考えください。夜と朝が同時にくるような奇跡が起こらない限り、恋人がともに助かるはず はないということを。そしてあの日その奇跡が起こったのです : : : それよりまだ、言わねばな やくとう らないことがあります。 : : : どうか、ヘンルーダの薬湯を : : : 」 じゅうたん エレミアンは静かにアベルの体を絨毯の上に横たえ、テープルの上にある水差しから薬湯を 皿に注いだ。そして匙でゆっくりとアベルのロに運んだ。アベルはそれで喉を潤し、また話を 続けた。 うるお
「なぜ ? 」 「それを分かち合えば、永遠に結ばれると言われているからです」 エレミアンは目を輝かして腕を伸ばしたが、アベルはその手をそっと自分の手で包み、眉を ひそめて言った。 「抜いてはいけません。恐ろしい精霊が宿っているかも知れないのですから」 けげん エレミアンは怪訝な顔をしてアベルを見つめた。 「恐ろしい精霊 ? 恐いものなんかないわ。願いがかなうのなら」 いたずら 「それを抜けば、悪戯な精霊の宿ったマンダラゴ一フは、恐ろしい報復の歌を歌うでしよう。願 いがどれほど強いものかを試しているのです」 アベルの奇妙な言葉に、エレミアンは一瞬沈黙した。しかしすぐに彼女はロを開いた。 「平気よ。どんな歌なの ? 」 「それを抜いた者を死に至らしめる歌です」 エレミアンはびくんと手を引っ込めて口元をおさえた。アベルはさらに続けた。 しゅび 聖「勇気ある若者がマンダラゴラを抜いたらどうなるか、・ : ・ : 首尾良くその根を分かち合い、恋 薇がかなうでしよう。望み通り甘い一夜を過ごした後、マンダラゴ一フを抜いた者は死にます」 はんばく エレミアンは反駁した。 「それでは永遠に結ばれるなんて嘘じゃないの ? 」
寄り添って見守っている。 アベルは額に汗をにじませ、辛抱強くその炎の音と熱から暖炉の所在を探り当て、震える手 でマンダラゴ一フをかざした。 小姓が、レザンディが、そしてエレミアンが驚いて声を上げた。 既に乾燥していたその植物に、たやすく火が移った。 「だめ ! アベル」 しかし、アベルは故意にそうしたとでも言うように徴笑んで、草の燃える音を聞き、そして 手を離した。 「私が定めの通りに生きるにはこうするほかはないのです」 そしてアベルの体は前のめりになって、崩れるように倒れた。エレミアンは自分のひざにそ の頭をのせた。 「なぜ、こんなことをする ? ソールー エレミアンの気持ちを奪って逝くつもりか」 レザンディはうろたえて叫んだ。マンダラゴラかどうかを疑っているエレミアンよりもはっ きりと、失望をあらわしていた。 「金に糸目をつけなければいくらでも手に人る、野や山にはえる草 : : : では、なかったのです アベルがそう言って、見えない目をレザンディに向けた。レザンディはその虚ろな双眸にし か」 すで しんう そうう
物です。有毒なので、その麻薬的作用から、媚薬だとか、抜いた音を聞くと死ぬとかいう妙な うんぬん のろ : というのは吉田のオリジナルです。文献によ 言い伝えがありますが、報復の呪いの歌云々・ ってはマンドラゴラとかマ「ンドレークと書いてあることも。旧約聖書や、マキアヴェリの戯 きよく 曲、他に映画の『グレートウオリアーズ』などにも出てきますが、媚薬という扱いが多いよう です。どこかで見かけられましたら声をかけて、じゃないな : : : これがあのマンダラゴ一フか、 なんて思ってやってください。 ビオールという楽器は、十七世紀以前のものです。アベルは派手にかき鳴らしていますが実 際は柔らかい音質で、あんまり激しい音とか情熱的な音楽には向いていないらしいのですが、 ようしゃ ご容赦ください。 敬語 : : : うーん、大変だった。エレミアンなどは、レザンディに敬語を使ったり使わなかっ 。なんといってもすべて正しく統一された敬語で通すと恐ろしく長ったらしくなっ て、言葉の勢いってものもなくなってしまうし。それでエレミアンは興奮すると敬語もぶっと んでしまうのだと解釈してください。マルシュレーンが出てくる場面になると妙に原稿の進み がが早かったのは、ぶつきらぼうな言葉のおかげかも知れません。 あ こんなふうに自分の書いたモノの解説とか言い訳とかを書けるということは、本当に幸せな ことだと思っています。なぜ今こうしているのか、今でもよく実感できないでいます。ついこ びやく
いのだわ、私は明日にはもう死んでしまうのだから ! 」 男が驚いたように顔を動かした。 くぐもった声で彼は言った。 「そう、マンダラゴラを抜いたのだから、アベルのために、でも私は思い違いをしていた。 : だけど、ひどく胸騷ぎがする 0 ルーネの石が語ったからには本当に私はアベルを失うのか も知れない」 また鴉が騒ぎだした。男に死が近づいていることが、彼らにはよくわかるらしい。 : そうだわ、これをあなたに上げる」 「なんて忌まわしい声 ! あなたを待っているのよ。 エレミアンは帯からマンダラゴラをはずして二つに裂いた。 ひんし っゅ 「明日の朝、私が死んだ後にこの草の根は命の露を出すというわ。それを食べれば、瀕死の者 も助かるのよ。絶対に死なないという気持ちで、今夜を持ちこたえなさい ! そして、もうひ とつのマンダラゴラをアベルに届けて」 聖男の手にマンダラゴラを握らせて、エレミアンはささやいた。 あお 薇「アベルよ。金の髪と、海のような深い蒼の瞳をもっていて、他の誰にも弾けない美しい曲を ビオールで奏でるわ。私はアベルを救うために、マンダラゴラを抜いたのだから、あなたは地 の果てまでも行ってアベルを探し、このマンダラゴラを届けると約束しなさい」
切なる願いだった。 しかし時に、不吉な考えが浮かび上がってはエレミアンを責めることがあった。 五月になり、イリスの花が咲いてもアベルからの消息はなかった。ただ、エレミアンは夢を 見たのだった。 恐ろしい夢だった。 けが アベルが血にまみれて息絶えようとしていた。剣の怪我を負っているようだった。べっとり と血のついた手を伸ばして、何かを求めていた。 : マンダ一フゴラ : そう言っているように聞こえた。 ひんし マンダラゴラは瀕死の恋人を救う。 アベルはマンダラゴラを欲しているのかも知れなかった。 夢の中で、エレミアンはマンダラゴラを探していた。 からす まわ しかし足がすくんで動けなかった。鴉がアベルの周りを飛び回ってその死の瞬間を待ってい ちょうしよう た。マンダラゴラが嘲笑した。 アベルの手が震えながらやがて力をなくしていった。
はくひ その夫を平然と見送るエレミアンを、なんという冷淡な伯妃だとェシュアンは思ったことだ ろう。 「あの方が、あなた ! マンダ一フゴ一フは : : : あの恐ろしい精霊は、あなたをアベルと間違えた ゅうかん のだわ。精霊と心を通じ、誰よりも勇敢で、孤高な深い色の瞳をもったアベルを知っているか と私はきいたのです」 はんらん 今になって思えば、マンダラゴラが間違えたのも無理のないことだ。王宮の叛乱でともに戦 きゅうち い、窮地を互いに救い合った二人は、ビオールの腕も、勇敢さにおいても似ていた。何よりそ いちず の一途な魂が。 らくたん 「デラヴィーナできみを見た時、すぐに婚約者だとわかった。きみは、はじめひどく落胆して : しかし、きみは鴉を追い払い、私に、剛胆なと いた。アベルを待ち受けていたのだろう。 しった ころを見せろ、気力で持ちこたえろと叱咤した。そして持っていたマンダラゴラをくれた。あ れには、確かに瀕死の者を歩かせるほどの効き目があった。 きみは、地の果てまでも行ってアベルを探し出し、残りのマンダラゴラを届けろと言った。 ねた した 聖命がけでそれを抜くほど慕われている男が若干妬ましかったが、私は何とか約束を果たそう 薇と、アベルを探していたのだ」 暖炉の中で、マンダラゴラは燃え尽きて、その姿をとどめていない。 ひんし
「 : : : しゃべったのはおまえ ? エレミアンは夢を見ているような気持ちで、その草に話しかけた。 「おまえだって ? ロのきき方を知らない小娘だね、ほんとに」 ぶつぶっと不平を言いながら、草は話した。 「あたしの名を知ったら、そんな威張っていられないよ。聞きたいかね ? あたしの名は」 エレミアンが聞きたいとも言わないのに、その草は話し続けた。 「マンダラゴラさ」 「マンダラゴラ ! 」 エレミアンは一瞬、あまり良い気持ちはしなかったが、恐ろしいとも思わなかった。 きじようぶ 「おや、この小娘、あんまり驚いちゃいないようだね。よほどの気丈夫か、世間知らずのどっ ちかだね」 エレミアンが恐れなかったのは、あれほどその声を聞きたいと願っていた精霊にようやく出 いたずら 会えた驚きのほうがまさっていたためだ。それがアベルのいう、悪戯な、恐ろしい精霊であっ たとしても。 「だって、夢のようですもの。私が森の精霊と話ができるなんて ! 」 いたけだか マンダラゴラは自分を恐れない小娘に不満をあらわして、居丈高に言った。 「それなら、歌ってやろうかね、私の歌を」