古い楽器を並べた商人が、客に言葉巧みに試し弾きをすすめていた。 めった 「どうです、お客さん ! こんな掘り出し物は滅多とありやしません。このリュートの彫刻を らん ご覧くださいよ、音の良さはお聞きの通りです」 エレミアンは雑踏に紛れてリュートを弾いたり、竪琴の飾りの彫刻に見とれたりした。その うすぎぬ うちに、様々な楽器の中に、紗に包まれた物を見つけ、指をさした。 : シカモアの木で作った極上のビオールです。ご覧になります 「これはお目が高いー か ? 」 商人が紗をめくると、滑らかな光沢をもった、よく使いこなされたビオールが出てきた。 の エレミアンは息を呑んだ。 つる ぶどう ネックの部分に葡萄の葉と蔓、実を彫り上げたレリーフ。糸倉には彫刻の、ビオールを弾く 裸の天使が精霊のように宿っていた。どこを探しても二つとない逸品だ。 忘れるはずもない、エレミアンがアベルのために特別に作らせたものだから。 天使の彫刻には、いつもアベルの金色の髪が揺らめいていた。葡萄の模様の上を、アベルの 聖しなやかな指が滑るように動いていた。 薇「これは : : : ? 」 エレミアンが震える声で尋ねると、商人は言った。 「古物商から買ったんです。あまりに見事なので、言い値で買ったのですが、 まぎ たず たてどと ・お気に召し
「いや ! 今すぐでなくてはいや」 そしてエレミアンは走り出した。 「エレミアン様 ! 」 しんく 真紅のドレスが、花びらのように軽やかに回廊を駆け抜けた。柱のひとつひとつに灯された たいまっ 松明でできた小さな影が揺らめきながらどんどん遠ざかった。 エレミアンはミルク色の石の階段を降りて、大広間へと向かう。乳母はその後を、手すりに つかまってあたふたとついて行った。 大広間の人り口で、少女は立ち止まった。 リート弾きが異国の調べを奏でているのが聞こえた。放浪の楽士の一団であろう。この城 つづ 館自慢のいとも豪華な「アリアスの綴れ織り。のタベストリーを背にして、数人の楽士たちは 今は独奏による音の祭典を繰り広げていた。 貴族の別荘が買えるほどの高価なタベストリーに比べて、楽士たちのなりはみすぼらしかっ た。彼らの演奏を無視するかのように宴は次第に盛り上がり、その笑い声や雑談で、リ = ート 聖の音も絶え絶えにしか聞こえなくなった。リュート弾きは演奏を終えて下がった。 薇その時、一人の少年が、おずおずと進み出た。貴族の子供であればちょうど小姓になって間 もないという、十歳くらいの少年だった。黄金の髪と海の色の瞳も、貧弱な体格と服装のため みりよう に人々を魅了するほどには目立たなかった。彼は六本の弦を張った楽器を手に持ち、フランデ かな ピオール とも
いは夫婦の情が持てるとはかけらも考えられなかった。 もっと そして最も恐れていた夜が来た。 あやうすぎぬ うたげ 七夜の宴が終わり、とうとう二人で夜を過ごさねばならないのだ。エレミアンは妖しい紗の 寝間着を着せられ、純白のガウンをまとった。鏡に映った彼女の顔は少し青ざめていた。下女 ていねいくし あま が髪飾りをといて、無数のピンをはずした。長い亜麻色の髪を腰まで垂らして丁寧に櫛けずつ 「もう下がって良いわ」 エレミアンは人払いをした。 わき ふしど 水色の天蓋のついた大きな臥所の脇の椅子に座って、エレミアンは気持ちを落ちつけようと した。しかしどうしても震えが止まらなかった。 こうり エレミアンは立ち上がり、寝室の脇に置かせた行李を開いた。貝の装飾で仕上げたエレミア ンの行李だ。奥の方から、まだ震えの止まらない手で銀のナイフを取り出した。 聖ただの飾りに過ぎない。それで人を殺めるということなどできないだろうと思う。それより しよくだい 薇も臥所の脇の燭台を置くテープルには伯の長剣が置かれていたのだ。けれど、エレミアンは小 さな銀のナイフを枕の下に人れた。不思議に気持ちが落ちついた。 寝室の小さな窓の外で、リュートが鳴っているのが聞こえた。 てんがい あや
投げだして下女に着替えを任せ、祈りもそこそこに臥所に眠ってしまう毎日だった。 ある日、レザンディは、それまで一度も宴では弾かなかったあのアベルの新曲を弾いた。彼 は珍しく深酒をしていた。エレミアンは耳を覆いたかった。アベルの温もりがかき消されてし まうような気がした。 ぎまん だが、エレミアンはなぜか席を立っことができなかった。彼女はレザンディの演奏に、欺瞞 をうぎやくふそん : そういったあらゆる欠点を見出そうとしたが、ビオ や暴虐、不遜、見せかけだけの技巧、 ールの音からはそれを見つけられないのだった。 ゅうれきがくじん その日招かれた、南方から来た遊歴楽人のリュート弾きも目を見張って、城主の演奏に聞き 人っていた。 ちまた 不誠実なビオールは、エレミアンの意に反して、レザンディの毬の噂も、エレミアンに対す る数々の仕打ちも打ち消してしまうほどの美しい音色で、広間を満たしてやまなかった。 エレミアンはレザンディを見た。本当に彼が間違いなく弾いているのかを確かめずにはいら もてあそ まなざ ものう 彼は酔っている。物憂い眼差しをふせて、ビオールを弄んでいるだけなのだ。そ れなかった。 , つわもの 聖れなのに、ビオールは簡単にこの強者に屈服して甘い声で歌っている。 ネウマ の 薇 レザンディの指は、正確に音符をたどり、アベルの作った旋律を再現していた。意地悪く作 られたと言っていいほどの、限られた者にしか弾けない技巧と重音を乗り越えて、澄んだ清ら かな音色を響かせていた。 おお ふしど
116 ずきん くさりかたびら オレンジ色の頭巾をくるくると巻いた不思議な出で立ちをした異国の商人、鎖帷子の職人、 金持ちの後を笛を吹き鳴らして歩き、日銭を稼ぐ楽士たち、手品師は軽やかな話術で見る者を 笑わせ、吟遊詩人は甘い声で人々をうっとりさせた。 くじゃく 黒と緑、青、妙なる光沢をもった孔雀の羽、香ばしいアルモンドや干しぶどう、貴重品であ みつろうろうそく る香辛料、高価な蜜鑞の鑞燭・ エレミアンが興奮に頬を染めてその品々を見つめていると、伯が言った。 「気に人った物があれば、従者に運ばせれば良い」 しかしエレミアンはそんな物で伯に心を許す気はなかった。 とげ 「刺のない言葉以外の何も、欲しくはありません」 「それは互いにそうだ。だが、先に刺を見せたのはきみのほうではなかったかな。まあ、表面 は夫婦らしく見せるように努力することだ。私には物も言いたくないだろうから、不自由なこ とがあれば、ェシュアンに」 すべ そしてそれきり、二人は何も話さなかった。大市を全て見ようとすれば、半日ではすまなか った。一行が帰り支度を始める頃、エレミアンはリュートの音に立ち止まった。 らん 「楽器の行商人でございます。ご覧になりますか、奥方様」 従者の一人がそう言って、エレミアンの答えを待った。 「ええ、少しだけ : : : 」 かせ
( マンダラゴ一フを摘んだ時に、私は死んだ ) エレミアンは儀式の間、そう考えていた。 あんたい しかばね ( 屍が飾りたてられてここに立っているだけなのよ。フランディアの安泰のために ) 白い馬が何頭か一列に先導し、続いて伯とエレミアンの乗る馬車が進む。枝編みの枠に日除 けの天蓋を張り、緑色のビロードの垂れ幕と、金色の飾り紐をあしらった華やかな馬車だ。そ の後ろに軽騎兵が護衛する。エレミアンは、長兄シメンの婚礼を思い出していた。 びよう 煉瓦色の街に人があふれている。馬車はゆらゆらと進み、鋲を打った車輪が土をはねとばし ていた。一行の行く先々に、花がまき散らされ、金貨が舞う。招かれた吟遊詩人や道化師や軽 業師の浮かれ騷ぐさまも、あの時と一緒なのに、アベルがいない。 けんそう きようせい の調べ、花売りの声、酔いがまわ 嬌声や、金貨の音や、それに群がる市民の喧噪、リュート けんか りすぎて喧嘩する血の気の多い若者、・ : : あの時と同じだ。けれど、アベルのビオールの音は どこにも見つけられなかった。 エレミアンは唇をかんだ。 聖 ( アベルが守ってくれる・ の 薔 しかし、ラングヴェルド伯レザンディに関する不穏な噂はまたひとっ加わることになった。 うたげ 七夜の宴に、伯の身内でありながら参列しなかった者がいた。伯の末弟で、名をヴァンセルと