いやみ 機嫌な医師には厭味をいわれ、看護婦には笑われる、ような気がする。若い母親は自 己嫌悪に囚われる。その怒りは、赤ちゃんに向かう。わけの分からない赤ちゃんのせ いにして母親は自分を正当化する。そこに、虐待の芽があるのではないか。 育児書には「指しゃぶりはお母さんの愛情が足りないせいです」「おむつを取るのは 一歳の夏がチャンス」などと書いてある。クリアできないのは母親が悪い、といわん ばかりだ。若葉マークの母親は、書かれているすべてを信じ込む。そうでなければな らないと思い込み、赤ちゃん自身を見ようとしない。育児書に書かれている″基準″ に合わなければ、発育が悪い、発達が遅れていると悩む。 いかにも権威ありげな育児書は「理想の子育て」で″脅迫〃する。亜里沙さんのい うような《ゲームの主キャラ》ではないから、赤ちゃんは″計算通り〃に育たない。 医まだ目が開かないうちから、泣くは、おしつこはするは、おつばいは飲まないは、う 児んちはするはで、ほんとうに手がかかる だが、赤ちゃんは親の保護がなければ育っていけない生き物なのだ。それが分かっ 八ていない母親は、わけの分からない生き物に翻弄され続ける。理屈に合わない、理不 第 尽な要求ばかりする赤ちゃんは、自分の人生に侵入してきたインべーダーのようだ。 きざ そんな母親の追い詰められた心理に、虐待が萌すのではないか。 ほんろ、つ
「ただ、これが仮に本当だとすると、自分がやっていることは悪いことだ、虐待だと 認識しているわけですから、自己変革をしやすいとはいえます。虐待とは何か、自分 所のしていることがどういうことなのか何も分かっていない人は、こちらか説明して変 談 相化を求めようとしても、人間関係から考え方までいろいろ問題があるので、ちょっと 児ついてこれないし、理解してもらうのに時間がかかるんです」 戸子どもの側にたった児童虐待への視点は、まだ確立されてそれほど長い年数が経っ 神 ていない。だからこそ、「私の子どもなんだから私が勝手にやっていいでしよう」とい 五う考え方がなくならないのだろう。そういう考えをどのように変えていけるかか、関 ら係者の悩みだ。それは、まるで横を向いている人に「こっち向いてくださいーという ようなものだ、と村上所長いう 一一そうした考えのひとが起こした虐待のケースに出会った場合、児童相談所としては、 〇母親と接点をもつようにして、虐待が子どもの心に与える影響について説明する。あ るいは、心が抑圧されたせいで、子どもの身長など生育の面にその影響が出てくるこ 一一ともある、と話すことにしているとい、つ 第 「自分がやっていること、虐待がまずいことだと理解できた人は、変化しやすいです けど、何も分からない人に変化を求めようとする場合は、人間関係作りもしないとい
「その子らしさ」が生まれ、個性が発達してくる。この時期に、母親が未熟だったり問 題を抱えていたりして、子どもの要求に十分に応えられなかった場合には、後になっ て子どもの情緒的発達に影響が及ぶこともある。うるさく付きまとったり、わがまま をいったりするのも、独立しかかっている不安が原因と考えられるだろう。 生後三年目になると、周囲の状況を把握し、時間の観念を理解し、言語能力や空想 する力などがついてくる。そうして、母親との分離がさらに進むのだ。 虐待に苦しむ母親たちのホ 1 ムペ 1 ジなどを読むと、こうしたそれぞれの時期に何 らかのストレスを感じて、子どもへの虐待行動が現れてしまうひとが少なくない。ど の行為も子どもの発達に不可欠だと理解していれば、べタベタ付きまとわれたり、い 医つまでもイヤイヤをされたりしたときに、気持ちを切り替える余裕をもっこともでき たのではないかと思うのだが。 正確な知識はカになる。毛利医師が書いていたように、子どもをよく見て、自分の 八カンを信じて判断するようにしてゆけば、育児書に書いてないから分からないなどと 第 いってパニックに陥ることもなくなるのではないだろ、つか
231 解説 そこでの取材で、親からの虐待の記憶が語られた。あるいは父と母の 壮絶な暴力場面の目撃者として傷付いた体験もある。話し手と聞き手の 間に信頼関係が築けるのに数年間かかる。その終わりに近いころに、そ うした記憶は語られる。父や母の期待にこたえようとした物語から、実 は父や母に愛されていなかったという物語に転換していくと、「大したこ とではないのだけれど : ・」と口を開く。抵抗できなかった「恥すかしさ の感覚ーが自分の中に刻印されていた。 ではなぜ親は子どもを虐待するのか。当事者から聞くのがジャ 1 ナリ ズムの原則である。三年間にわたり母親から聞いた物語を『家族漂流記 母が紡ぐ物語』 ( 共同通信社 ) にまとめ、孤立した家族の「世代連鎖」 の現実を提起した。 じつに長い歳月を費やしてきた。そのときに本書に目を通す機会にめ ぐり会った。なるほど、物語を聞く手法にこだわってきた私は、本当か どうか分からないホ 1 ムページを、関係者に尋ねて歩き推理してもらう 「ミステリ 1 手法」に出会い、その新鮮さに「まいったな」という思い をした。
ちもいったんは収まるんですけれども、子どもが反応を見せないと、これだけいって もまだ分からないのか、とカッとなる。しまし。 ( 、こよ、自分は馬鹿にされている、裏切 られ続けている、と思えてしまうんです だが、子どもは反応できないのだ。恐布で声を失い、涙も出ないのだ。説明は続く。 「子どもに聞きますとね、『怒られたのは分かるけれど、なぜ怒られたのかは分からな い』っていうんです。とくに体罰を加えられたときは分からなくなっています。小さ い子でも、ゆっくり聞いてゆくと、それなりに表現できるんです。小さな子でも、最 初に怒られたきっかけは分かるっていう子もいます。でも、叱責が一時間も二時間も 続くと、『あとは、何をいわれてるのか分からないんだよね』って。子どもの頭のなか は真っ白になってしまっているんですね、きっと。それはあまりにも辛くて、傷つく かいり 理自分を現在の苦境から心理的に切り離してしまおうという " 乖離。が起こっているの せんく か、その前駆症状なのか、どちらかだと思うんですが、おそらく怖さのせいで感情が まひ 臨 麻痺している状況なんだと思います。ただ、怒られ続けていることは認識しています 六ので、無反応の状態がいつまでも続いてしまいます」 第 そこまで悪循環が進んでしまうと、親には子どもが悪魔のように見えてくる。いう ことを聞かない子どもが自分を痛めつけてくる存在のように感じられる。子どもには つら
報道を見ると、児童相談所の所長が、保育所等に連絡をし、「該当児童がいるかどう か調査したいーとおっしやってたようですが、これは「この児童を探せ」ということ で調査しているんですか ? 職員このホームページに該当するような名前の児童がいるのかいないのかという点 について、調査をしています。メールが送られたかどうか、プロバイダーに確認を したいが、。 シオシティーズの連絡先は分かりますか ? 女性メールでのやりとりがほとんどなので、電話番号は分かりません。 職員東京から電話しているということだったが、なぜ神戸市在住と名乗ったんです 女性知人が神戸市にいただけの理由で、特に深い意味はありません。 これだけの騒ぎになってしまったので、早く何とかしたいんです。また、神戸市を はじめ、各方面にご迷惑をかけており、謝罪もしなければいけないと思っています。 職員先ほど連絡をいただいた直後。 こ、この件について記者発表をする機会がありま して、「事実かどうかは分からないが、たったいま本人と名乗る女性からの電話があっ て、イタズラのホームページである旨の電話があった」ことを発表しました。 女性ありがとうございました》
目がそれだ。 キーワードは《長い目で見る》であり、《子どもの回復力と成長する力を信頼するこ と》である。《焦らずに見守る度胸をもっ》ことが、母親を楽にし、子どもを楽にし、 互いに成長していく原動力になる。 「確信をもって育児をやれる人がいたら、その人は子どものことどころか人間も人生 も分からないでいる、いや分かろうともしていないに違いない」 そう断言し、母親の立場に寄り添うように、子育てへの自信を見いだすための知恵 を教えてくれる。育児に迷うのは自然だ。極めて人間的なのだ、と説かれてみると、 さまざまな不安が解けていくのを感じる母親も多いことだろう。 まずは、自分は親失格なのではないか、というマイナス思考から脱却することだ。 医虐待してしまう親は、優等生であろうとして果たせす、自己嫌悪の悪循環に陥ってし 児ま、つことが多一いよ、つだから。 「川の知恵」が、悩んでいる母親を少しでも楽にしてくれることを願ってやまない。 章 第
) ネズミのように毛を逆立てて、身を守ろうとして 責められる前に先手を打って、 いるみたいですよね。でも、そのなかから、救いを求める気持ちが伝わってくるよう な気が私にはするんですー 雄介くんのこと 佐藤心理士は、『ありさの虐待日記』で虐待されている雄介くんのことを心配する。 「もしこれがほんとうだとすると、雄介くんにはいろいろな心理的反応が出てきて、 それが行動上の問題になって表れるようになります。そして、ますます育てにくい子 士 どもになっていくと思います。雄介くんもどんどん傷を重ねていくんですけど、その 理 子を育てなければならない亜里沙さんも、どんどん傷ついていってしまう」 臨 しかも、亜里沙さんには自分の陥っている状況が分かっていない。自分の状況やイラ 章 イラの理由が分からないということに、なおさら苛立つ。雄介くんも亜里沙さんも、 あり 第 蟻地獄に落ちてしまったようなものだ。佐藤心理士は、心配する。 「いろいろな保育所に電話して、こういった子どもがいないか徹底的に調べる必要が
北里大学病院では、救急外来で連れてこられる虐待された乳幼児が多かったという。 どういうところから虐待に気づくのだろうか。まずは、その点から聞いてゆこう。 「不審な傷痕、怪我の状態と親の説明するその理由、子どもの表情、全体の印象から、 ということが多いですね」 大田医師はいう。 救急外来に来るような大きな怪我などの場合はすぐに理由が分かるものだが、虐待 はそうではない、なぜそんな怪我をしたのか分かりにくい場合が問題になる。転んだ とか、ぶつけたとか、親はいろいろ説明するが、実際にはあり得ないような怪我の理 由を口にすることがある。たとえば乳児が硬膜下出血した場合でも、親は「この子が 自分で頭を叩いた」などと説明する。乳児の腕力では頭蓋内出血は起こりえない。こ 亠のいまい 医のように親の説明が曖味だったりすれば、医師は虐待があるのではないかという疑い 胼をもつ。しかし、医師に虐待された子どもを診察した経験がなければ、そうした徴候 を見逃してしまう恐れがある 、か / 、せい 章 だから、虐待を防ぐためには、現場の医師たちの意識を覚醒させることも大切だ 第 医師の知識不足で、子どもへの虐待を疑いもせず、単なる事故として報告してしまう ケ 1 スも少なくないだろう、という関係者もいる。それが、次のさらに深刻な虐待を
〈罪悪感を持っ〉 ひとが多いからです。でも、それは自分自身を受け入れられないという困難のためで す。だから、自己肯定感を持ってもらうために、あなたは、罪悪感を払拭する闘いに 乗り出したのだと思うのですが、あなたの言葉の真意が伝わる前に世間は蓋をしてし まいました。 あなたの本当にいいたかったことに耳を傾けたい。そうして、虐待について考えて くれるひとみんなに、あなたの真意を伝えたいと思うのです》 おおよそ、こういった内容である なぜ虐待してしまうのか、なぜ自分で分かっていながら虐待を止められないのか、 虐待されて育った子どもはどのようにすれば救えるのか、社会はこうした親たちのた めに何ができるのか、虐待を防ぐ方法はないのか、虐待に気づいたとき社会は何をす じればよいのか : 『ありさの虐待日記』を軸に考えてみた。 ふっしよく ふた