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検索対象: ありさの「虐待日記」
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1. ありさの「虐待日記」

「ただ、これが仮に本当だとすると、自分がやっていることは悪いことだ、虐待だと 認識しているわけですから、自己変革をしやすいとはいえます。虐待とは何か、自分 所のしていることがどういうことなのか何も分かっていない人は、こちらか説明して変 談 相化を求めようとしても、人間関係から考え方までいろいろ問題があるので、ちょっと 児ついてこれないし、理解してもらうのに時間がかかるんです」 戸子どもの側にたった児童虐待への視点は、まだ確立されてそれほど長い年数が経っ 神 ていない。だからこそ、「私の子どもなんだから私が勝手にやっていいでしよう」とい 五う考え方がなくならないのだろう。そういう考えをどのように変えていけるかか、関 ら係者の悩みだ。それは、まるで横を向いている人に「こっち向いてくださいーという ようなものだ、と村上所長いう 一一そうした考えのひとが起こした虐待のケースに出会った場合、児童相談所としては、 〇母親と接点をもつようにして、虐待が子どもの心に与える影響について説明する。あ るいは、心が抑圧されたせいで、子どもの身長など生育の面にその影響が出てくるこ 一一ともある、と話すことにしているとい、つ 第 「自分がやっていること、虐待がまずいことだと理解できた人は、変化しやすいです けど、何も分からない人に変化を求めようとする場合は、人間関係作りもしないとい

2. ありさの「虐待日記」

ようにお考えですか ( 答 ) 日本にすんでいる以上、虐待は法律で悪い事だと決められてる。 だから、誰がなんと言おうと悪い事だと思う。 それでも、自分を正当化しないと自分が壊れてしまいそうな時はある。 あくまで一時的に自分を正当化する行為は、必要な時もある。 それが虐待でも。 人間は自分を守る本能があるんだから、しようがないと思う ただそれは「一時的」なもので、公衆道徳に反するものなら、 カ落ち着いてから考えなおす必要があると思う。 ワ それでもネットのような不特定多数の交差する場所で公開すべきじゃないと思う。 ャ シ 五日記に書かれている内容は、本当だと思いますか ソ ( 答 ) 上記したように、八割がたが真実だと思う 七傷口に塩を塗るような行為はしていないと思う 第 彼女は書き出す事で、その行動への欲求を収めていたんだと思う。 また、子供を悪く書くことで、「ここまで悪くはないかな ? 」って思う気持ちを自分

3. ありさの「虐待日記」

2 解説 持ったといえるだろう。その意味で私が「面白い」と思ったのである。 ここに登場する意見を述べたひとびとも「聞き手ーになった。 このの中味は本当であるのか、どうか。それは聞き手が決める。 その意見にはそれぞれ「聞き手ーのポジションが映し出されている。、し かし「ありさ」との信頼関係がだれにもないから、どうしてもミステリ 1 の世界に入ってしまう。 私も『家族漂流記』で登場した虐待する母親のことを思い起こしなが ら『虐待日記』と重ね合わせてみた。インタビュ 1 した二〇代の母親は 「母に不幸では勝てないーと嘆き、「母が幸せになるまで自分の幸せを先 に考えてはいけない。それが母と娘のルールだった。そして私にも娘が 生まれた。娘の顔を見ながら、母より幸せになろうと思った。だけど気 がつくと、ピカピカに掃除した部屋を汚す娘をたたいていた。私が上に 立ち、下にいる娘たちを虐待する最低な母親になってしまった。母親の ようになりたくないと思った。それなのに・ : 」と自らを語り始めた。 そして最後には、六歳と四歳の二人の娘に「お母さんは私たちをたた いたね ? ーと言われたら何と答えればいいのか、自問自答しながら考え

4. ありさの「虐待日記」

う事が多いようです。そして、自分の親と同じ事を繰り返している自分と自覚しなが らも、コントロールできないと言う、どうしようもない失望と、絶望の感覚が、さら に攻撃性を高めてしまうと言う、悪循環の迷路の中へ入り込んでしまいます。 一般社会では、このような現実は溢れているにもかかわらず、何故か表にはにくい ものです。 マスコミにもう少し分別があれば、この「ありさの虐待日記」も、なくなることはな かっただろうと、悔やまれていました。 それが、ひょんな偶然から、山田晁平様が立ち上げたこのサイトへ辿り着くことが出 来ました。 しかし、この掲示板を開いた途端、私は絶句してしまいました。 こんな状態があっていいものでしようか ? これでは、真剣に幼児虐待を問題視して取り組む人々、また、実際にこの問題を抱え

5. ありさの「虐待日記」

さすがに疲れてくると泣き声が小さくなります。そういう時は、ダンポールをたたい たりゆらしたりします。すると再度泣きます。 本当にゲームのようで、思わず「声が出つづけていたら私の勝ち ! 」みたいな感覚に なってしまいます。逆に雄介が疲れて寝てしまうと私がゲームに敗北した気分で、そ れが更に怒りを誘ってずっとやりつづけていました。 【生後一 0 カ月頃ーーー布団蒸し】 文字通りです。寝かせて顔だけ出して子供用布団でグルグル巻きにして逃げ出さない ようにひもでしばります。ハイハイや伝え歩きをしたい時期なので、体の自由を阻害 されるのをものすごく嫌がります 何回もやったので、私が掛け布団を持って近づくと察っしてしまって逃げるようにな りました。まだ歩けないのですぐ捕まえて布団蒸しにしました。 IO>LU へ

6. ありさの「虐待日記」

認しよ、つとはしなかった。 ここで、『ありさの虐待日記』に何らかの真実が含まれていると仮定しよう。「事件 はいまでも継続している、と考えているからだ。もしあの記述が本当だったとしたら、 亜里沙さんのひとり息子である雄介くんという子どもが、心理的にかなり虐待されて いる恐れがある。このことはだれしも認めることだろう。それでも、″本人と名乗る女 性〃が電話してきて「イタズラだ」といったので、それを信じた、というのだろうか よ、つ力し 官そして、厚生省としては、当事者である東京都が何もしない以上、容喙しないという 驩姿勢なのだろうか 福亜里沙さん本人を探す方法は、ほんとうに何もなかったのか。たとえば、プライバ 童 シー保護を名目に情報開示を拒否したプロバイダーに対して、厚生省は事情説明した 児 うえで協力を求めることはできなかったのか。そうしたら、亜里沙さん本人からの連 厚 絡をもらえたかもしれない。彼女を虐待という事態から救い出す可能性も生まれたか 三もしれない。そうした努力は十全になされたのか。こうした問いに、前橋専門官は懐 第 疑的だった。

7. ありさの「虐待日記」

224 あとがきにかえて それでも人生にイエスと言う ナチスのアウシュビッツ収容所から生還した・・フランクルは、オーストリア の精神医学者である。一九四五年に解放されてから『強制収容所における一心理学者 の体験』 ( 邦題は『夜と霧ドイツ強制収容所の体験記録』霜山徳爾・訳 / みすず書房 ) を発表した。過酷という言葉も及ばないほどの凄絶な体験のなかで、なお、絶望と戦 、人間らしい矜持を失わなかったフランクルの言葉は、深く我々を撃つ。 強制収容所その記憶も生々しい一九四六年に、ウィーンの市民大学講座で行ったフ ランクルの講演をまとめた本が、『それでも人生にイエスと一言う』 ( 山田邦男・松田美 佳・訳 / 春秋社 ) である。タイトルは、プーフェンヴァルト収容所のなかで、虐待を 受けながらも生きることを引き受けたうえ、人生を肯定しようと雄々しく戦ったユダ ヤ人たちの歌から取ったものだ。

8. ありさの「虐待日記」

216 れを妨げればおもしろいほど泣く》と。こうした物言いが、ひとびとの神経を逆撫で したのに違いない。被虐待体験をもつひとの無意識を刺し、そうした経験をもたない ひとの感情をもザラザラにしたのだろう。 しかし、一体、何が、そうまで亜里沙さんの憎悪を掻き立てているのだろうか 「赤ちゃんというのは、全面的に愛情を求めます。無報酬の愛情ですね。けれども、 自分が愛されてこなかったと感じている親は、『じゃあ、私はどうすればいいのよ』と 不満をもつんです」 僕は虐待された子どものケアが主な仕事なので、虐待する親とは関わりがあまりな いから、と断ったうえで、西澤助教授は推論する 子どもに愛を与えるためには、自分が安心していなければならない。ところが、親 に愛されてこなかったひとは、自分は守られていないという感覚を抱いていることが たま 多い。そういうひとは、子どもに頼りきられているのを感じると、嫌で堪らない。お そらく親に頼れなかった自分を思い出し、自分はだれを頼ればいいのか、という不満 を感じてしまうためだろう。 愛されてこなかったひとは、たとえばパ ートナ 1 にそれを求める傾向がある。だが、 それは親からもらえなかった無償の愛情なのだ。相手にしてみれば夫婦になったはず

9. ありさの「虐待日記」

ている子どもをど、つやって救ったらいいのか、とい、つことを手さぐりしているよ、つな 段階で、まだ、その後のことにまで手が回らない、というのが正直なところですね」 さて、『ありさの虐待日記』についてである。芝野教授は次のような感想を抱いたと 所 相し、つ 児「だれが作ったか知らないけれど、上手ですね。上手というか、状況を非常によく分 戸かっているんですよ。虐待する状況をよく分析して、しかもおもしろおかしく、パロ 神 ディ 1 風に書いていますよね。ただ、非常に悪質ですよ。いかにもありそうですから 五ね。ここに書かれている状況は、孤立した環境のなかで育児に疲れて、たとえば子ど らもかいうことを聞かなかったことに対して、自分はこうした、と書いている。そこは 日なかなかなものだと思います。よくできている 四 作者も犯罪的で、非常に挑発的ですよね。上手に社会現象を取り上げて、ある程度 〇状況を把握したうえで、おもしろおかしくこれを作り上げたという感じですよね。私 は、作者は男性のような気がしますね。 ( 神戸市保健局児童家庭課に ) 電話をかけてき 一一たひとは女性ですが、『育児に疲れてつい』なんて、あれほどのことを書いたひとはい 第 わないと思いますね」 実際にそうであるかもしれない。しかし、たとえそうであっても、社会的事件にま

10. ありさの「虐待日記」

156 亜里沙さんが来院したら 亜里沙さんが相談に来たとしたら、どのような対応になるのだろうか。北里大学病 のり 院小児虐待防止委員会 (0<æco) に所属する法由美子さんに話を聞いた。彼女は総 合相談部の主任ソーシャルワーカーだ。 「まず、亜里沙さんがお出でになるとしたら、おそらく育児ノイローゼなどの理由で 精神科への受診相談を受け付けることになると思いますね。子どもの関係のことで相 談したい、子どもがかわいく思えない、子どもが育てにくい、などという訴えがあれ ば、精神科に外来でおいでいただく、ということになりますー 最初から治療・援助を望むのであれば、事前に子どもの虐待のことで話したいとい った相談をするのが一番の早道になる。亜里沙さんが電話でアプロ 1 チしてくれば、 その緊急性を判断し、彼女の希望を聞き、住んでいる場所や経済的な状況など通院で きる状態かどうかを確認したうえで、最善の方法を考えることになる。そして、亜里 沙さんがきちんと通院し続けることができそうなら、北里大学病院の精神神経科に受