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検索対象: ありさの「虐待日記」
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1. ありさの「虐待日記」

一 0 月一七日 雄介を自転車に乗せて近所の公園に行った。しばらくして帰ることにし、途中まで自 転車に乗せた。帰り道が大体わかりそうなところまできたので、雄介を自転車から突 き落として、「あとは自分一人で帰ってね」と命令して、私だけ先に帰宅した。徒歩一 〇分ほどの距離だったがニ〇分ほどして泣きながら帰ってきた。 一 0 月一八日 夕食は雄介の大好きなハンバーグにした。「あ、食べたい」と言うので、「雄介の分は ないよ」と言っておあづけさせた。夕食抜きである。翌朝も寝坊して朝食抜きで保育 虐園に行った。私だったらニ食も抜いたらふらふらしてしまうが、子供は大丈夫らしい の さ 一 0 月一九日 夕食の時、「お前はもらいっ子だから、自分の家に帰れ」とずっと言っていたら、「僕 章 のおうちないからどうしたらいいの」と答えるようになった。大分すりこまれてきた 第 号ロ

2. ありさの「虐待日記」

ようにお考えですか ( 答 ) 日本にすんでいる以上、虐待は法律で悪い事だと決められてる。 だから、誰がなんと言おうと悪い事だと思う。 それでも、自分を正当化しないと自分が壊れてしまいそうな時はある。 あくまで一時的に自分を正当化する行為は、必要な時もある。 それが虐待でも。 人間は自分を守る本能があるんだから、しようがないと思う ただそれは「一時的」なもので、公衆道徳に反するものなら、 カ落ち着いてから考えなおす必要があると思う。 ワ それでもネットのような不特定多数の交差する場所で公開すべきじゃないと思う。 ャ シ 五日記に書かれている内容は、本当だと思いますか ソ ( 答 ) 上記したように、八割がたが真実だと思う 七傷口に塩を塗るような行為はしていないと思う 第 彼女は書き出す事で、その行動への欲求を収めていたんだと思う。 また、子供を悪く書くことで、「ここまで悪くはないかな ? 」って思う気持ちを自分

3. ありさの「虐待日記」

解できないんですよ」 つぶ 大田医師はポツリと呟いた。 「僕は小児科医ですから、いままでたくさんの子どもに会ってきました。でも、やっ ばり自分の子が一番かわいい。だから、どんな理由があろうと、自分の子に手をかけ るというのは信じられない。間違っていると思います。それがないと、子どもを治療 する自分の立場が分からなくなります。どうしたらいいのか、自信がなくなってしま いま、丁から ふたりの子どもがいる親としての目からみれば、虐待という行為は納得できない だが、それでも、虐待してしまう親への援助はしていかなければならない、と大田医 師は言う。それは、虐待してしまう親が苦しんでいると思うからだ。だが『ありさの 虐待日記』は《虐待は悪くない》と主張した。 「だから、『ありさの虐待日記』は、一般のひとに違和感を抱かせたのでしようね」 大田医師は「違和感」という抑えた表現を使ったが、「親なのに自分の子がかわいく ないのかーという批判があるのは当然だと思う。それが、一般的な親子の感情だろう。 しかし、亜里沙さんはそうした「常識」に真っ向から異議を唱えようとしたのだと思 う。それが、自分の気持ちに正直であろうとする亜里沙さんの姿勢なのだし、そのよ

4. ありさの「虐待日記」

220 あるかのように反応する。これが「トラウマ記憶ーだ。ところが、それが繰り返し語 られ、思い出されると、次第に衝撃は薄れてゆき、最終的に過去の経験として心の中 に収まってゆく。こうしてトラウマは〈過去の物語〉になり、ひとはそこから回復し てくることが可能になるだろうと、ヴァン・デア・コークはいう。 トラウマを消化吸収してゆく過程を、三つので説明するのが、・ジョンソンで ある。再体験 (Reexperience) 、解放 (Release) 、再統合 (Reintegration) がそれだ。 話すことは、体験を客観化することに通じる。そのときに感じた怒りや悲しみや無 力感などを言葉にすることで、子どもだった自分に説明してやる。そのときには何が なんだか分からなかった体験を、こういうことだったのだ、と教えてやる作業だ。 ときには、あまりに辛く、悲しい体験を思い出して泣くこともあるだろう。だが、 その体験をしたときに、 こうした感情を抑え込んでしまったことが、トラウマの原因 ともなっているのだから、感情を解放して悲しみ直すことも大切だ そうして、自分の感情を思い切り解放したら、閉じ込めていた体験とその記憶を、 自分の人格の中に組み込んでやることが必要になる。虐待された自分も、やはり自分 の一部であり、それをそのまま受け入れることで、欠けていた自己を取り戻すのだ。 虐待を許すとか、親を認容するというようなことではなく、そういう経験をしたのだ

5. ありさの「虐待日記」

216 れを妨げればおもしろいほど泣く》と。こうした物言いが、ひとびとの神経を逆撫で したのに違いない。被虐待体験をもつひとの無意識を刺し、そうした経験をもたない ひとの感情をもザラザラにしたのだろう。 しかし、一体、何が、そうまで亜里沙さんの憎悪を掻き立てているのだろうか 「赤ちゃんというのは、全面的に愛情を求めます。無報酬の愛情ですね。けれども、 自分が愛されてこなかったと感じている親は、『じゃあ、私はどうすればいいのよ』と 不満をもつんです」 僕は虐待された子どものケアが主な仕事なので、虐待する親とは関わりがあまりな いから、と断ったうえで、西澤助教授は推論する 子どもに愛を与えるためには、自分が安心していなければならない。ところが、親 に愛されてこなかったひとは、自分は守られていないという感覚を抱いていることが たま 多い。そういうひとは、子どもに頼りきられているのを感じると、嫌で堪らない。お そらく親に頼れなかった自分を思い出し、自分はだれを頼ればいいのか、という不満 を感じてしまうためだろう。 愛されてこなかったひとは、たとえばパ ートナ 1 にそれを求める傾向がある。だが、 それは親からもらえなかった無償の愛情なのだ。相手にしてみれば夫婦になったはず

6. ありさの「虐待日記」

154 「私が出会った親ごさんのほとんどが、被虐待体験をもっています。虐待体験とまで はいえないひとでも、何らかの親子関係の障害を抱えて生きてこられているんです。 とくに親に支配されて生きてきた、自分は被支配者だと思っているひとが多い。だか ら、自分の子どもに対しては、自分の思いどおりになってほしい、思いどおりにした という気持ちがすごくあるんです」 実は、田 5 いどおりになどならないのが通常の子育てというもので、思いどおりにな らないところが、その子の " 個性。なのだ。ところが、被虐待体験のある親にとって ささい は、そ、ついうふ、つには考えられなし ( 、。まんの些細なことでも、子どもが自分を裏切っ ている、わざと困らせている、馬鹿にしていると感じられてしまうのだ。 虐待は、だから、エスカレートしてゆく。親は子どもに対する怒りを抑えられなく なるからだ。虐待によって生じる子どもの行動特徴が、ますます親を裏切られた気持 ちにさせ、子どもを自分の思いどおりにさせようとして手が出る、足が飛ぶ、声が荒々 とカ しく尖って、罵詈雑言を浴びせる。 しっせき 「そういうふうに虐待され続けると、ほとんどの子どもは、叱責されたときに無反応 になってしまうんです。何時間でも無反応のまま立ち尽くす。これが一番、親を傷つ けてしまう。叱られたときに、子どもが泣いたり、謝ったりしてくれれば、親の気持

7. ありさの「虐待日記」

250 私はこれまで五年間にわたり一〇ー一二〇代までのひとびとへのインタ ビューを重ね、出会ったひとびとの回想した各シ 1 ンが一つの物語に収 斂されていくことに気付き『アダルト・チルドレン』 ( 三五館、集英社文 庫 ) にまとめた。家族の中に居場所がないとき、「自分は生まれてこなけ れば、よかった」と内閉しながら、この世ならぬ世界にさまよう。その ように現実の自分をいつも追い詰め傷めつける苦しみは、親子関係に起 因しており、子どものころから「親代理ーとして家を支えて生きてきた 自分自身に責任はない、と免責するのがの言葉である。 <0 は、もともと「アルコール依存症の親のもとで育って成人したひ と」の意味である。アルコール依存症のひとがいる家族ばかりでなく、 薬物依存、ギャンプル依存、ワーカホリックなどのひとがいる家族のほ か、家族関係がうまく機能しない家で育ち成人したひとびとも含めて幅 広くとらえている。は子ども時代に家の秩序を維持しようと自分や 他人にもコントロール過剰になり全てを自分が背負い込んでしまったり、 家族の中で緊張と苦痛を和らげようとピエロになって他人を喜ばせるこ とに、いを砕いた。

8. ありさの「虐待日記」

「その子らしさ」が生まれ、個性が発達してくる。この時期に、母親が未熟だったり問 題を抱えていたりして、子どもの要求に十分に応えられなかった場合には、後になっ て子どもの情緒的発達に影響が及ぶこともある。うるさく付きまとったり、わがまま をいったりするのも、独立しかかっている不安が原因と考えられるだろう。 生後三年目になると、周囲の状況を把握し、時間の観念を理解し、言語能力や空想 する力などがついてくる。そうして、母親との分離がさらに進むのだ。 虐待に苦しむ母親たちのホ 1 ムペ 1 ジなどを読むと、こうしたそれぞれの時期に何 らかのストレスを感じて、子どもへの虐待行動が現れてしまうひとが少なくない。ど の行為も子どもの発達に不可欠だと理解していれば、べタベタ付きまとわれたり、い 医つまでもイヤイヤをされたりしたときに、気持ちを切り替える余裕をもっこともでき たのではないかと思うのだが。 正確な知識はカになる。毛利医師が書いていたように、子どもをよく見て、自分の 八カンを信じて判断するようにしてゆけば、育児書に書いてないから分からないなどと 第 いってパニックに陥ることもなくなるのではないだろ、つか

9. ありさの「虐待日記」

206 する努力を放棄しないことだ。 だから、相手の発言を封殺するのではなく、まず、耳を傾け、心を開き、待っこと が大切になる。 『ありさの虐待日記』は、そういう母親たちに告白の場を提供することになったかも しれない。だれにもいえずに、子どもを愛せない自分は異常ではないか、子どもを虐 待してしまう自分は精神的に問題があるのではないか、と悩んでいる母親たちにとっ て、自分だけではないのだ、ということを教えてくれる、一種の安らぎの場になる可 能性を孕んでいたのではなかったか。 それを閉鎖してしまって、果たしてよかったのか。疑問は拭えない はら

10. ありさの「虐待日記」

199 第八章小児科医 生まれたばかりの子どもは、視覚を使った識別ができるようになって、母親と顔を 見交わす。母親の匂いや乳の味、声の記憶などが蓄積されてゆき、母子関係の基盤が できあがる 逆に母親のほうも、新生児の匂いや肌の感触、笑顔、泣き声などに触れることで母 性愛を発達させてゆくのだろう。母性愛は育つものだ。もともと備わっているのでは ない。未成熟児の母親や、母乳が十分に出なかった母親が、子育てに自信を失いがち であるといわれるのは、こうした時期における触れ合いが不十分なことも影響してい るのかもしれない。 ところで、この間に新生児の神経系の発達が進み、八 5 一〇カ月で完成する。脳重 量は二倍以上になり、乳歯が生え、離乳食を摂るようになり、自分で這い回れるよう になる。 次の段階が、母親からの子どもの分離と個体化である。 一二 5 一五カ月経っと、母親と子どもが情緒的に分離し、子どもが独立して個体化 する。つまり独り立ちだ。生後五カ月から八カ月で、子どものほうから母親の顔に触 れたり、笑いかけたり、さまざまなものに注目したりし始める。人見知りは、母親な