154 「私が出会った親ごさんのほとんどが、被虐待体験をもっています。虐待体験とまで はいえないひとでも、何らかの親子関係の障害を抱えて生きてこられているんです。 とくに親に支配されて生きてきた、自分は被支配者だと思っているひとが多い。だか ら、自分の子どもに対しては、自分の思いどおりになってほしい、思いどおりにした という気持ちがすごくあるんです」 実は、田 5 いどおりになどならないのが通常の子育てというもので、思いどおりにな らないところが、その子の " 個性。なのだ。ところが、被虐待体験のある親にとって ささい は、そ、ついうふ、つには考えられなし ( 、。まんの些細なことでも、子どもが自分を裏切っ ている、わざと困らせている、馬鹿にしていると感じられてしまうのだ。 虐待は、だから、エスカレートしてゆく。親は子どもに対する怒りを抑えられなく なるからだ。虐待によって生じる子どもの行動特徴が、ますます親を裏切られた気持 ちにさせ、子どもを自分の思いどおりにさせようとして手が出る、足が飛ぶ、声が荒々 とカ しく尖って、罵詈雑言を浴びせる。 しっせき 「そういうふうに虐待され続けると、ほとんどの子どもは、叱責されたときに無反応 になってしまうんです。何時間でも無反応のまま立ち尽くす。これが一番、親を傷つ けてしまう。叱られたときに、子どもが泣いたり、謝ったりしてくれれば、親の気持
21 第一章「ありさの虐待日記」 幼児虐待って悪いこと ? 虐待する親ってそんなに異端なのでしようか ? なぜ幼児虐待を繰り返す親は罪悪感を持っているのでしようか ? 板 報道やでの声に対して私が感じる独り言です。 一小 掲 子 電 【なぜ罪悪感を持つの ? 】 ム テ 最近、幼児虐待をする親の特集が l—> でさかんに報道されている。インターネット新 でも虐待している親のホームページも増え始めた。どの親にも共通するのは、「子供 テ に対して悪いと思っているのだが、それでも手をあげてしまう。」といった虐待に対 する罪悪感を持っている点だ。悪いと思うくらいならば虐待なんかしなければいいの 疑ったが、保母に相談したら病気というほどではないらしい
126 精神神経科面接室 《子どもを虐待して楽しい親などいないんです》 北里大学病院の佐藤千穂子臨床心理士は、かっていったことがある。インターネッ ト「読売オン・ライン / 医療ルネサンス」 ( 一九九九年三月一二日 ) で見た、北里大学 病院の「小児虐待防止委員会 ( ) ーに関する記事であった。 《でも、病院や保健所などに相談しても、指導は子ども中心になるので、親は却って 罪悪感を強めてしまうことが多い。相談したことで、自分は親として失格、だめな人 間なのだなどという思いを強めてしまった親が追い詰められ、逆に虐待を繰り返して しまうという悪循環に陥りやすい。親自身が、虐待によって傷ついているのだ、とい うことを理解して、受け入れる姿勢が大切なんです》 と思った。 このひとに『ありさの虐待日記』について聞きたい、 北里大学病院は東京都町田市に隣り合う神奈川県相模原市にある。周辺は開けた新
216 れを妨げればおもしろいほど泣く》と。こうした物言いが、ひとびとの神経を逆撫で したのに違いない。被虐待体験をもつひとの無意識を刺し、そうした経験をもたない ひとの感情をもザラザラにしたのだろう。 しかし、一体、何が、そうまで亜里沙さんの憎悪を掻き立てているのだろうか 「赤ちゃんというのは、全面的に愛情を求めます。無報酬の愛情ですね。けれども、 自分が愛されてこなかったと感じている親は、『じゃあ、私はどうすればいいのよ』と 不満をもつんです」 僕は虐待された子どものケアが主な仕事なので、虐待する親とは関わりがあまりな いから、と断ったうえで、西澤助教授は推論する 子どもに愛を与えるためには、自分が安心していなければならない。ところが、親 に愛されてこなかったひとは、自分は守られていないという感覚を抱いていることが たま 多い。そういうひとは、子どもに頼りきられているのを感じると、嫌で堪らない。お そらく親に頼れなかった自分を思い出し、自分はだれを頼ればいいのか、という不満 を感じてしまうためだろう。 愛されてこなかったひとは、たとえばパ ートナ 1 にそれを求める傾向がある。だが、 それは親からもらえなかった無償の愛情なのだ。相手にしてみれば夫婦になったはず
されるようになりました。その後、女性の人権、障害者の人権、老人の人権という具 合に拡大されてきたんです。一九八九年に『子どもの権利条約』が成立して、ようや く、子どもの人権がいわれるようになってきた。日本もこれを批准しました」 『子どもの権利条約』によれば、「子どもは父親や母親に対して、自分を育ててくれと いう権利がある」とある。これを言い換えれば、父親や母親には、子どもを育てる義 務があることになる。そして、この義務を奪おうとする国や第三者から子どもを守り、 育てるために、だれにも奪われない権利として「親権ーが設定されている、と木下弁 護士は考える。つまり、親権とは、親が子どもを育てる権利として第三者に対抗する ためのものであるはずだった。ところが、いつの間にか″親が子どもに対して振るう 権力を保障するもの〃という捉え方をされてしまっている。それが、日本社会の誤り なのだ。 護亜里沙さんの誤りは、親としての権利を振り回すなら、まず親としての義務を果た 弁 さなければならない、 ということを理解していない点に生じている。多くの虐待事件 五に携わった経験から、木下弁護士はこう言い切る 第 「実際にも、親権を振り回す親というのは、虐待されている子どもにとって非常に危 険なケースが多かったですね。生活保護を受けるために子どもが必要だったり、児童
25 第一章「ありさの虐待日記」 良いのだし、良いと思ったら繰り返せば良い本人が判断すべきだ。 共働きの母親に対して昔浴びせられた言葉がそのまま繰り返し使われている。日中、 親が不在で寂しい思いをしたのが心の傷になっているならば、親になったとき専業主 婦となって育児に専念する人生を選べば良い。逆に専業主婦の母親に育てられて息が つまるような思いをしたならば、親になってから子供と距離を置く生活を選べば良い。 親のやり方が良くない、と感じたら次の世代がそれを改めたらいい。そんなものは 個人の判断であって、他人が口をはさむ次元の問題ではないはずだ。 XO>LLJ へ 私の虐待日記 ここは、毎日息子をどのように虐待したかを記録した「私の虐待日記」のコーナー です。自分が何を行っているか、まずそれを冷静に見つめることが必要なのではない でしょ , つか
115 第五章弁護士 虐待にもいえる。「虐待の連鎖」ということが現実にも頻繁に起こっているのだ。虐待 された子どもが親になると、その子どもを虐待してしまう恐れが強い。これを <0 ( ア ダルト・チルドレン ) という言葉で分かりやすく説明したのが、精神科医の斎藤学氏 であった。虐待する親には高い確率で <0 がいる、というのは関係者の等しくいうと ころだ。こうした現実を背景に、木下弁護士は語を継ぐ。 「子育ては文化なんです」 弁護士は、そういう 「子どもは親に育てられた通りに、子育てをしようとします。それ以外の子育て文化 に出会わなければ、親と同じ育て方をする。だから、虐待された子どもは、子どもを 虐待してしまう恐れが高い。それ以外に知らないんですから」 アメリカに < —とい、つ活動がある。 1 の日曜スペシャル『隠され た過去からの叫び』 ( 一九九八年一〇月一八日放送 ) によれば、刑務所から出所したひ
142 う立場に立ちながらも、その傷に苦しむひとたちに共感する姿勢を崩さない。 クいい子ク幻想 おそらく、この国は親に対する同調圧力が非常に大きいのだ。おとなしい子、ひと に迷惑をかけない子が″いい子″なのだ。つまり、親に迷惑がふりかからないような 子だ。親はそういう子ども像に当て嵌めようと、子どもを叱るのだろう。でも、と佐 藤心理士は笑う。 「三歳の子が、ひとに迷惑をかけないように生きていけるわけなんてないですよね」 社会に都合のよい′しし / 、子 / として育ち、成績も優秀で、競争社会で生き残ってき たひとに、三〇代、四〇代になっていろいろな問題が起こってきている、と佐藤心理 士は指摘する。そうしたひとが一様にいうことが「自分がないーである。今までの自 分の生き方は、すべて親の敷いた路線のままだった。だから、自分がない、と。 「でもね、幾つだって、それに気がついたならいいじゃないですか。これから、自分 を見つけていけばいいんですから。遅いなんてことはないんです」
解できないんですよ」 つぶ 大田医師はポツリと呟いた。 「僕は小児科医ですから、いままでたくさんの子どもに会ってきました。でも、やっ ばり自分の子が一番かわいい。だから、どんな理由があろうと、自分の子に手をかけ るというのは信じられない。間違っていると思います。それがないと、子どもを治療 する自分の立場が分からなくなります。どうしたらいいのか、自信がなくなってしま いま、丁から ふたりの子どもがいる親としての目からみれば、虐待という行為は納得できない だが、それでも、虐待してしまう親への援助はしていかなければならない、と大田医 師は言う。それは、虐待してしまう親が苦しんでいると思うからだ。だが『ありさの 虐待日記』は《虐待は悪くない》と主張した。 「だから、『ありさの虐待日記』は、一般のひとに違和感を抱かせたのでしようね」 大田医師は「違和感」という抑えた表現を使ったが、「親なのに自分の子がかわいく ないのかーという批判があるのは当然だと思う。それが、一般的な親子の感情だろう。 しかし、亜里沙さんはそうした「常識」に真っ向から異議を唱えようとしたのだと思 う。それが、自分の気持ちに正直であろうとする亜里沙さんの姿勢なのだし、そのよ
1 師 全然そんな気持ちはないのに、自分を苦しめるためにわざと悪いことをする、と信じ 込むようになる。そのうえ、事態がここまで行ってしまうと、虐待行為に反対で、と きには止めに入ってくれていたもう片方の親も、「これは子どもがいけないと思って、 一緒になって子どもを叱ったり、それでもいうことを聞かないと苛立って、虐待に加 担してしま、つよ、つになる。 「子どもは、逃げ場がなくなってしまうんです。唯一の逃げ場であったかもしれない 片方の親からも見放されてしまう。その親も虐待に加担してしまうと、子どもは見捨 てられてしまったと感じます。ですから、子どもはもっと救いのない立場に立たされ てしまうんですー 虐待される子どもの気持ちを思うと、佐藤心理士の説明に胸が苦しくなる そうなれば、子どもの行動はさらに悪化する。盗み食いは頻繁になり、おしつこは ところかまわず、嘘に嘘を重ねる。子どもにも止められないのだ。 虐待は、このようにエスカレートしてしまう性格を持っている。そして、子どもは 深く深く傷つけられていく。親も、傷ついていく。 だから第三者が介入しなければ、虐待は止まりようがないのだ。 「身体的な虐待っていっても、うちのは病院に行くほどじゃないからいいんじゃない