「おまえの瞳はきれいだな」 ある日、カナンの横で眠っていたリュウトが、ふと目を開いてそうつぶやいた。 リュウトは手を伸ばしてカナンの毛むくじゃらの頬を撫で、その青く透きとおった瞳を見つ めながら続ける。 きれい 「ほんとにきれいだよ。でもただ綺麗なだけじゃなくって、なんか、なっかしい感じがする。 忘れてた大事なことを思い出しそうなんだ」 くちびる カナンの好きなハスキーヴォイスが、子守歌のようにリュウトの唇から洩れてゆく。 きれい カナンは自分の瞳などよりリュウトの黒い瞳のほうがよほど綺麗だと思っていたが、それを 口にすることはできなかった。 ン リュウトがカナンの毛むくじゃらの胸に顔を埋めてくる。 デふかふかした毛皮の感触を楽しむ無邪気な子供のようにその胸で思う存分暴れて、リウト はくすくす笑った。 カナンは幸福で息が詰まりそうになる。 彼らは仲の良い家族のように寄り添って、いつまでも離れなかった。
リュウトが不安になって問いかける。 反応はな、。 ドキンと心臓が鳴る。 「おい、死ぬなよ」 リュウトはふたたび声をかけたが、それにも怪物は反応を示さない。 怪物は多くの獣が死を迎えるときにそうするように体を横にして、四本の脚をパイプと砂利 の間に投げ出している。 リュウトは目を瞬かせた。 ドクドクとマグマのような勢いで脈打ち始めた自分の胸を、リュウトの手は気づかないうち にぎゅっと押さえつけていた。 しつかりしろよー ここまで来て死ぬんじゃねえそ ! 夜なんかすぐそこだぜ ! 」 ひざ 怪物のすぐそばに膝をつき、その毛むくじゃらの腕に初めて触れる。 しかしそこまでされても、怪物はもう反撃しようとすらしなかった。 「くそっ、どうすりやいいんだ ! 言えよ ! 食われるってのはカンべンだけどよ。他になん ひとの話聞くときは目くらい デか方法ねえのかよ卩血は卩俺の血でも吸うかよ ? おい 開けろよ ! 」 むちゃくちゃ なんだか無茶苦茶な気分になりながら、リュウトは必死で怪物の腕をゆすった。
152 イヴ 「くっそねみー。おい、おまえ。 : っておまえ、名前なんてんだ ? 闇の剣精なら名前くれえ あるんだろ ? あ、俺はリュウトってんだけど」 そうやって自分の名前を口にした瞬間、ふと、行方不明の幼なじみの名がリュウトの頭を横 切った。 「サナ : ・ ? 」 イヴ もし本当にサナが光から闇に堕とされ、闇の剣精になっているのだとしたら、こうや・つて光 を浴びてまで自分に会いに来ることもあるかもしれない。 サナだと本能的に感じたから、だから自分はこの怪物を助ける気になったのかもしれない。 せんりよっ たちまちリウトの胸は淡い期待に占領された。 「サナ、か ? 」 ぐううと怪物の咽の奥で小さな唸り声がした。 「サナ ! おまえなんだな ! 」 思わず喜色満面の笑みを浮かべて怪物のほうへ飛び出してしまう。 ひび だが次の瞬間、ガアッという烈しい唸り声が響き、リ、ウトの体は怪物の毛むくじゃらの腕 に振り払われてしまった。 右頬に鋭い痛みを感じて手で押さえる。 ほお あわ
みじ この上もなく情けない惨めな顔をして、すっかりなすすべをなくしている。 男の後ろで不自然な角度になって停められているべージュの大型セダンが、リュウトの目に 飛び込んできた。急ブレーキをかけた証拠だ。 怪物の左脚からあふれる青い血液は前よりも増えているように見える。 相当なダメージを受けているのか、足もともふらふらしている。 そうしてにらみつけているリュウトの前で、怪物が突然がくりと両脚のバランスを崩した。 子供がコンクリートにたたきつけられる前に、怪物はその腕から子供を放す。 そうして下ろされた子供はじいっと怪物のほうを見上げている。 母親が叫びながら子供に駆け寄ってくるのが見える。 地下からは異変を知った警備員がひとり、あわてたように駆け登ってくる。 ( もしかして、子供を助けたのかこいっ : ・ ? •) 青く澄んだ瞳の色。 ン毛むくじゃらの怖ろしげな姿の中で、そこだけが聖剣のように光を放っている。 工 それは一瞬の判断だった。 野生の動物にも似た直感がリュウトを動かしていた。
バッと上着を脱いで上半身はだかになると、リュウトは怪物の毛むくじゃらの腹の横に体を 滑り込ませた。 そうしてくの字になった怪物の前脚をなんとか抱え上げ、自分の肩にかけさせると、ほ・ほ真 といき 横に抱き合うような形に並んで横たわり、その獰猛な獣の吐息の前に自分を投げ出す。 「どのへんが吸いやすいんだ ? 腕か ? 頭からむしやむしやってのはやめろよな」 恐怖を感じないわけではない。 この巨大な怪物は食人種なのだ。そこらにいる犬や猫とは訳が違う。 だが何かがリュウトを大胆にさせていた。やめようという意思は働かない。 「わ、おい、く、 首はやめよーぜ。なんか殺されそうな気がする。おまえ今、すっげ腹へって んだろー 狼のよな顔をした怪物がリュウトの目を覗き込み、ゆっくりと首をかしげた。 「いや、だからさ」 青い瞳にじいっと見つめられて、リュウトが絶句する。 「ど、どこでもいいよもう。好きにしな」 ン デ どうやら自分はこの青い瞳に弱いようであると気づく。 みにく その上、この醜い野獣の顔や巨体にも、だいぶ慣れてきてしまっていることにも気づかされ る。
( 何があったか知らねえが、こいつはドジッたんだ。太陽の光の下に自分の身をさらすなんざ イヴ 闇の剣精には命取りだ。んな目立っカッコでどうやってこっから逃げる気だよ ? へタすりや 殺されるぜ ) 「誰か ! 誰か助けて ! 息子を助けて ! 化け物が息子をさらってくわ ! 誰かアアア ! 」 女性の叫び声にリュウトはハッと我に返る。 見れば、怪物の毛むくじゃらの腕には一人の小さな男の子が横抱きにされていた。 かんはっ つか 間髪入れず、リュウトの左手が腰のベルトに引っかけていた聖剣の柄にかかる。 まだ戦いに参加することはできない年少のチームメイハーからの借り物だが、相手を威嚇す るだけの力はあるだろう。 とな どうあっても聖剣を持ち歩けと言ってきたスザクに、遅まきながら胸の内で感謝の一 = ロ葉を唱 えるリュウトである。 光。 ン重層化する光のカーテン。 リュウトは大人の目には映らない輝く光の聖剣を怪物の目前へと振りかざし、そのクールな ハスキーヴォイスで叫んだ。 かく
184 トライ 怪物の毛むくじゃらの手は何度か挑戦した後、ようやくリュウトの手をすくい上げるように して持ち上げ、自分の手中に収めることに成功する。 カナンはそうやって自分の大きな手の中心に広げさせたリュウトの手のひらに、今度は空い ているほうの手を近づけてきた。 「てつー リュウトは思わず声をあげたが、それでも手を引っ込めないあたり、さすがにリーダー格。 根性が据わっている。 むしろあわてたのはカナンのほうだ。 つめ カナンの鋭い爪は、あろうことかリュウトの手のひらを傷つけてしまっていたのだから。 「ああ、 しいって。たいしたことねえよ。このくらいの傷、舐めてりや治るぜ」 うな 興奮してぐるると唸り始めた怪物に、リュウトが穏やかな声で言いさとす。 「それより、ここに何か書くつもりだったんだろ ? 字か ? 続けろよ。ほら、 しいカら」 リュウトにやさしく促されて、怪物はようやく落ち着きを取り戻した。 雲に文字を書くよりそうっと、リュウトの手のひらがアイスクリームでできているとしたら わずかも溶けないような細心の注意を払った圧力で、カナンは二度目の挑戦をする。 「ああ、わかるぜ、″さ〃、だろ ? 」 怪物は微かにうなずき、同じ筆圧とテンボで次の文字を書く。 かす うなが
うな 「そう唸るなよ。別になんもしねえって。おまえとここで戦おうとか思わねえしさ。でもよ、 いいから来いって。ほら、物みつ せつかく会いに来てくれたのに立ちつばなしもなんだろ ? くなよ。さわる・せ」 リュウトがそうっと左手を伸ばして、カナンの毛むくじゃらの腕に触れる。 カナンはじっとその手を見つめた。 陽に灼けた健康そうな手だ。引き締まった手首。その先に五本の指がついている。 節のはっきりした、活発な動きを予感させる指だった。 どの指も今は自分の毛深い腕に吸いつくように触れている。 それだけで。 たったそれだけのことを想っただけで、カナンは泣きたくなった。 なすすべを知らない赤ん坊のように、今すぐこの場で泣き叫びたいと思った。 「こっちだよ。そこのシートの上に座ってくれ。シートにや見えねえだろうがシ 1 トなんだ。 ス。へシャルシート そいつは特等席だぜ」 リ = ウトが示してきた場所には、ダンポールを重ねて厚みを出した″シート〃が敷かれてい ン デる。 工 カナンはリュウトの手に引かれ、その″特等席〃の上にしずしずと腰を下ろした。 座るときには非常に気をつかった。乱暴に座ったら破ってしまいそうで怖かったのだ。 スペシャルシート