なんという瞳だ。 くつきりと黒く宇宙のすべてを映している。 その瞳に自分の今の姿を映されているのだと知った瞬間、カナンは自分がひどく恥じ入って しまっていることに気づかされた。 ( 見られたくない。 このような姿など ) 人間の女が自分のこの姿を見て「化け物ーと呼んでいたことを、今さらのように思い出す。 あのときはなんでもなかった。 野獣化したときの自分の姿を恥ずかしいと感じたことなど、今まで一度もなかった。 なのに今は、死にそうだ。 彼のあの黒い目にこの体を見られていると思うだけで。 な・せここに来てしまったのだろう。 みにく わざわざこの醜い異形の姿を晒してまで。 「ん ? どうした。こっち来いよ。牛丼食ってたんだけど食うか ? って人間の食べ物なんか ンまずくて入らねえって ? 」 リュウトは笑いながらカナンを手招く。 下水路の端にうまい具合にダンポールの切れ端や赤いレンガを並べて、居心地のいい空間を 創り出している。 さら
どろりとした血液の重たさは男の飢えた胃に生命の安らぎをもたらす。 ひざ 獲物の膝から下の部分を捻りちぎってむしゃぶりつく。 両手にしつかりとっかんだ肉の弾力と、久しぶりに唇に感じたエロティックな触感に、男は 何カ月ぶりかの落ち着きを取り戻そうとしていた。 エレメント あともう三分もすれば、弱まっていた闇の無幻力も復活し、背後に迫っていた敵の気配など たやすく読みとれていたかも知れない。 ゆらり。 といき 闇の奥に光の吐息。 複数の人間の足音に気づいたときにはすでに遅かった。 光。 重層化する光のカーテン。 食事をする手を止め、後ろをふり返った瞬間、男の目の前を一本の光の軌跡が真横に走って . しュ / むさん 闇が、霧散する。 かたむ 男の体は傾き、血の海へと突入してゆく。 ひね きせき
次の瞬間。 スザクの手は平手の形に指をそろえられ、済んでのところでリュウトの横っ面を張り倒すと ころだった。 そうならなかったのは、リュウトの反射速度がスザクより速かったためだ。 スザクの前からサッと退いたリュウトの肩の上で、大きな鷹がバササッと両羽を広げ、足踏 みする。 ナスカはリ = ウトの幼なじみであるスザクを認識している。こういう揉め事には慣れている のか、たいして反応する様子はなかった。 「何しやがる ? 」 とリュウトがにらみつけるより早く、スザクがどなっていた。 「おまえがリーダーだリュウトー サナと三人で誓ったのを忘れたのか ! 闇のやつらをくい エレメント 止められるのは俺たちしかいないと知ったあの日、おまえは光の無幻力を集めて闇に対抗して おやじ やると言ったんだ ! 闇に食われたサナの親父さんのためにも、俺たちは立ち上がろうと誓い エレメント 合ったはずだ ! 最初に光の無幻力を持っ仲間を集めてチームを作ろうと言ったのはおまえだ デそ ! 今さら情けないことを言わせないでくれ : 「だったら俺にサナをあきらめろなんて言うな ! 「リュウト : ・」 つら
イヴ 「貴様はすでにニューヨークにおいて闇の剣精を得ている。この新宿にも愛人が欲しかったの かどちが だとしたらお門違いだったな。私に食われぬうちに去るがいい」 まず 「フ・ : フ、闇の者など食っても不味かろう。むろん貴方に食われるなら本望だが、まあそうも エデン エレメントはげ ゆくまい。貴方の無幻力は烈しすぎる。これでは俺も動けない。貴方のほうから聖剣を退いて くだされば、すごすごと退場できるが」 グレイ将軍が言い終わるか終わらないかのうちに、カナンが聖剣の構えをスッと解く。 たくばっ そのあまりのさりげなさに、グレイ将軍はまたもや相手の卓抜した技量を思い知らされ、あ ぜんとなった。 ( だがそれもここまで。男の身とはいえ、しよせん貴方は剣精。戦いには向かない方だ ) カナンが聖剣を引き下げた一瞬の隙をついて ( ついたつもりだった ) 、グレイ将軍がカナン の体に体当たりを食らわせる。 相手よりは幅のある自分の体驅の下に押さえ込み、カナンの動きを封じる予定であった。 、刀 次の瞬間、グレイ将軍は自分の首が噛み裂かれ、人間としての肉体に致命傷を負わされたこ とを知ることになる。 「カナンどの : 首筋と口から大量の血を噴き、ダグラス・グレイの大きな体が倒れてゆく。 ヾ、 0 たいく
152 イヴ 「くっそねみー。おい、おまえ。 : っておまえ、名前なんてんだ ? 闇の剣精なら名前くれえ あるんだろ ? あ、俺はリュウトってんだけど」 そうやって自分の名前を口にした瞬間、ふと、行方不明の幼なじみの名がリュウトの頭を横 切った。 「サナ : ・ ? 」 イヴ もし本当にサナが光から闇に堕とされ、闇の剣精になっているのだとしたら、こうや・つて光 を浴びてまで自分に会いに来ることもあるかもしれない。 サナだと本能的に感じたから、だから自分はこの怪物を助ける気になったのかもしれない。 せんりよっ たちまちリウトの胸は淡い期待に占領された。 「サナ、か ? 」 ぐううと怪物の咽の奥で小さな唸り声がした。 「サナ ! おまえなんだな ! 」 思わず喜色満面の笑みを浮かべて怪物のほうへ飛び出してしまう。 ひび だが次の瞬間、ガアッという烈しい唸り声が響き、リ、ウトの体は怪物の毛むくじゃらの腕 に振り払われてしまった。 右頬に鋭い痛みを感じて手で押さえる。 ほお あわ
178 そういうときはもちろん犬や猫たちも一緒だ。 ときにはナスカもこの輪の中に加わることがある。 ナスカは主人が仲間だと認めたものをすぐに自分の仲間だと認めた。 彼女はそもそも大きな生き物が大好きだ。 しかし実はカナンは飛ぶものが大の苦手だった。 ( 闇の城の者たちには知られていないが、 実際のところ、彼が青い翅を仕舞ったままあまり使わないのもそのためと思われる ) 人の姿をしているときはまだそれほどでもないのだが、こうして野獣の本性を外側に表した 姿をしているときは、どういうわけか羽音を耳にしただけでも震えが来るのだ。 初めて彼女がこの下水路に舞い降りてきたとき、カナンはその巨体を四本の脚で支え、自分 が出せる最高速度で逃げ出したのだった。 しかし残念ながら未完の下水路は途中で切れ、怪物は追いつめられた。 ナスカはしかたなく飛ぶのをやめ、ガタガタ震える怪物にびよんびよんと足を使って近づ き、愛の表現をした。 誇り高いナスカにしては度を過ごした特上のサービスである。 カナンはこうして唯一の翼を持っ友を得た。 ナスカはカナンの肩に留まり、片足で立って寝た。 パラダイス 怪物も動物も人間も、この楽園ではたいして差がなかった。
「カナン」 「カナン ? カナンか。悪くねえな。似合ってるぜ、″カナン〃」 こ、つりん 野獣降臨。 女神アシェラは約束の地に降り立つ。 「れ ? なんだこれ ? ああ忘れてたぜ。カナン、こいつはあんたの忘れもんか ? 」 ふとポケットの中に手を突っ込んだリュウトは、指先に当たったものに気づいて取り出す。 そしてもう一度ライターをつけて、自分の手のひらに乗せたその物体を照らし出した。 長さ四ほどの小さな銀のプラスチック。 いっそやこの下水路で拾った飛行戦闘機の模型だった。 「カナン ? こ 返事がないので、リュウトが横にいるカナンの顔を見上げる。と。 ン次の瞬間、リュウトの目の前には、青い翅を広げたこの世ならぬ妖精か現れていた。 デ「カナンー 工 「来るな ! 違う。私は・ : 、私は」 「カナン卩よせつ ! もう外は夜が明ける時間だ : よ、っせい
そう思った瞬間。 「きやっ ! 」 突然、頭上で眩しい光が炸裂してチヒロは目をつぶった。 ハラバラと天井のコンクリート が欠けて落ちてくる音が聞こえる。 ( た、たすかった o-•) おそるおそる目を開けたチヒロのすぐ後ろで、聞き慣れたやんちゃなハスキーヴォイスが響 「ちえ、失敗。逃げられたか」 「リュウト ! 」 アダム その場にいた光の聖剣士たちがいっせいに反応を示す。 まるで天上からひと筋の光が差し込んできたような強烈なイン。ハクト。 シャッターを閉じた店の前、積み重ねられたレンガの上に立って戦士たちを見下ろす少年の 顔は、勝利の女神の顔だ。 ン デ彼こそは光を受け継ぐ者たちの心を集める者。 アダム 工 最強の光の聖剣士。 額の前で指を二本重ねてビッと敬礼などしてみせる。華やかなタイミング。 まぶ さくれつ
我ながら冷静だなと思いながらそんなことを考える。 緊急事態になればなるほど冷静な思考が働くのはチヒロの持ち味である。 きもたま 男の腕が近づいてきたときも、そういえば肝っ玉かあさんと呼ばれたこともあったなあなど アダム と思い出し、このまま闇の聖剣士に侵入されて闇に堕ちてしまったら、もうそんなふうに呼ば れることもないんだろうなと考える始末だ。 男の青い瞳に見下ろされて、チヒロはぎゅっと目をつぶった。 ( えーいなるようになれっての ! ) 男の吐息を胸元に感じる。 といき そっとするほどに冷たい、氷の吐息。 近づいてくる死の気配。 光。 重層化する光のカーテン。 もうダメだと思った瞬間、チヒロの耳にザシュッと鈍い音が響いた。 驚いてみひらいたチヒロの目に、青い瞳の男がバランスを崩して膝をつく様が映る。と。 「チヒロ、そう簡単に自分を他の野郎に売り渡すな。ヒメが泣くぞ」 にぶ
「やめてくれ。そいつが悪いのはわかってる。すまなかった。でもそいつはもうまともに歩け ねえんだ。足引きずってるだろ。悪ガキにやられたんだ。幀むよ。それ以上傷を増やさないで やってくれ。野良だからな。走れねえってのは致命傷なんだ」 かな リュウトの声から哀しみが伝わった。 胸が痛む。 なんでこんなに痛いのか、カナンにはわからない。 とりあえず犬から脚を離した。 犬はとたんに起き上がってすみつこに逃げ去り、小さくなってうずくまる。 突然、胸の内側で、中心に向かって引き絞るような強い引力を感じた。 ( なんだ ? •) カナンは不安になって犬のほうを見おろす。 するとまた、同じ強い引力を感じる。 それが感情と名づけられる心の働きであることを、カナンは知らなかった。 ンその感情は憐れみという別の名も持っていたが、それもカナンには知らされたことがない。 「え、おい、よ・ : 」 工 ふたたび犬のほうに向かってゆく怪物に気づいて、リュウトは止めようと駆け寄ったが、次 の瞬間、その言葉を飲み込んだ。 あわ