236 えりもとほお のど 三千子夫人の襟元に頬をもたれさせて、龍司はくつくと咽を震わせ、ごほっとまた青い血を 吐いた。 「ふ・ : ふふ・ : 、きみに・ : 裏切られるとは・ : ね : ・」 想いもしなかったよと残りはロの中で呟き、龍司が瞼を閉じる。 三千子夫人は龍司の体を腕に抱いたまま、カナンたちのほうを見上げた。 「お行きなさい。早く」 はかなもろ 薄青く透きとおった三千子夫人の瞳は、儚く脆いガラスのようだ。 カナンはじっと彼女を見つめて言った。 「なぜおまえはそのようにいつも私を助けてくれる ? 「カナンさん、きっとわたくしはあなたに御縁がありますんでしよう。そしてあなたはわたく しのリュウトに御縁をお持ちなのですわ」 「私がリュウトに、縁がある ? 」 ほほえ こた リュウトの名に瞳を青くしたカナンに、三千子夫人が淡く微笑んで応えた。 「あなたとわたくしのリュウトとは、同じ女性のお腹を借りて生まれてきたのです。血の繋が りこそなく、記録に残されるようなものは何も表れてはいないかもしれませんが、わたくしは あなた方がもっと強い何かで結びつけられていることを感じずにいられません」 「もっと強い何か : ・ ? ・ 「あなたのご両親が飛行機事故で亡くなられた日、リュウトは一晩中泣きやまずにいて大変で ・」えん まぶた
くず 龍司が脇腹を押さえて体を折り、足下のバランスを崩す。 片手で押さえた龍司の口から、ぼたぼたっと青い血が吐き出された。 「な : ・」 よろめきながら後ろを振り返った龍司は : ほやけた視界の中にその女の姿を映し出す。 みちこ はなみずき かがゆうぜん 灰紫色の地に花水木を散らした加賀友禅に鮮やかな朱の帯が映える。 お ほっそりとしなやかな白い腕の先には、今の夫を闇に堕として得た一本の闇の聖剣。 ひんよ きれいに結い上げた髪は品好くまとめられてはいたが、食を絶っているためにその髪の色は すっかり銀に変わってしまっていた。 さはら 佐原三千子。かって永瀬龍司の妻であり、ショウヤとリュウトの実の母である女性である。 そうして闇の聖剣を持ったまま立ち尽くしている彼女の前へ行き、龍司はその着物にしがみ ついて呆然と呟いた。 の「三千子さ・ : 、なぜ : ・きみが : ・ ? 」 したた 日 美しい女性の着物に青い血が滴り落ちて、濃い染みを作ってゆく。 明 三千子夫人はかっての夫の髪にそっと指を這わせ、柔らかな声で言った。 ン デ「わたくしの大切な息子たちに、どうそそれ以上は手をお出しにならないで」 龍司の体はそのまま三千子夫人の腕に抱き取られ、夫人は廊下に膝をついて彼を支える。 ばうぜんつぶや わきぼら ひざ
「わたくしの大事な息子たち。おそらく後はあの子たちに任せれば大丈夫ですわ。最後まで見 届けることはできませんけれど、わたくし、リュウトが光に目覚めたとぎから、いっかぎっと 何か大きな力にふれることのある子だと思っていましたわ」 「リュウ・ : ト : ・ 「ふふ、母親の勘ですわよ、あなた」 イヴ 三千子夫人の手が愛おしげに龍司の頬にふれ、青い闇の剣精の血をぬぐう。 「あなたはわたくしにあの子たちが自分の子供だと偽りをおっしやった。けれど」 「よ・ : せ、三千子 : こんがん 息も絶えだえに龍司が三千子夫人に懇願する。 エレメント 「・ : 早く・・・闇の城へ戻っ : ・、の無幻力を : ・補充・ : し・ : 「裏切られても、愛していましたわあなた。わたくしにはあなた以外の誰も見えませんもの」 の誰も誰も誰も。 日あなた以上に愛することなどできなかった。 ン ゆが デ三千子夫人が床に置いていた闇の聖剣に手を伸ばし、龍司の顔が恐怖に引き歪む。 闇の聖剣は闇の剣精の肉体を破壊し消滅させるが、光の聖剣のようにその魂を封じることは 239 できない。闇で斬られた闇はどこへ逝くのか。 かん いつわ
240 データのない未来を恐れるあまり声も出なくなっている龍司に、三千子はやさしく囁いた。 「一緒に参りましようね。どうぞもう二度とわたくしをお離しにならないで、あなた」 「や・ : め・ : 」 イヴ つらぬ エレメント 闇の聖剣がふたりの剣精を同時に貫いて、周囲に闇の無幻力を撒き散らしてゆく。 二種類の青い闇の剣精の血が混じり合い、闇に吸い込まれてゆく。 「ああ、あなた。これでやっとわたくしだけのものになってくださいましたのね : ・」 闇に染まったまま浄化されることのない魂が、ゆっくりと肉体を離れ始める。 その青い無間の闇に溶け込んでゆく途中で、三千子夫人はふと、透きとおった壁の向こうに 高く舞う鳥の姿を見た気がした。 ( ・ : ナスカ・ : ) 闇へ向かう意識はそんな名をひらひらと泳がせたが、そのときにはもう名前に宿る意味を解 する魂はその場を消え去っていた。 ( やっとふたりきり。永遠に ) そんな一言葉もやがて闇に流れ、無となって消えてゆく。 この魂は再生の日を待っことはない。 やがてすべては静けさを取り戻し、何事もなかったかのように時間を流し始める。 廊下に敷き詰められた絨毯の上に大量に染み込んでいた青い血液も、まもなくその色を薄れ させていった。 じゅうたん ささや
したわ。遠く離れた場所にいたはずなのに、あなたの心が伝わったかのように」 「さあ、もうお行きになって。そしてどうかわたくしのショウヤとリ = ウトをよろしくお願し いたします」 「あの ! どうそあなたもご一緒に ! 」 あわてて後ろから声をかけてきた早川医師に、三千子夫人は静かに首を横に振った。 「この人を残しては行けません」 「し、しかしー イヴ 「どうそわたくしのことはお構いなく。わたくしもこれで闇の剣精ですから、ここから飛び降 りるほどのことはできますわ 「そ、そうですか。それじゃ その場を後にしようと早川医師が向きを変える。そして驚いて足を止めた。 の「ショウャくん ? 」 すっと早川医師の脇を通り過ぎて、その少年は三千子夫人のすぐそばまで来て言ったのだ。 明 ン デ「お母さん」
カナンも早川医師もショウヤの上に視線が釘付けになる。 きしっこう つい先ほど、突然に現れた父親の姿に恐慌を起こしていた少年はもうどこにもいなかった。 正気を失っていた瞳は、今はもうまっすぐに母親の顔を見据えていた。 「ショウャさん : 息子を見つめ返していた三千子夫人の目から、はらはらと涙がこ・ほれ落ちる。 「どうかお母さんを許して。あなたもそしてリュウトさんも、お母さんが強くなかったから生 まれさせてしまった。でもお母さんはあなた方を産みたかった。ほんとうに産みたかったの」 「 : : : お母さん」 ショウヤが腰を折り、母親の細い肩をそっと上から両腕で包んだ。 「僕たちを産んでくれて、ありがとうー 「いい子たちでしよう ? ねえ、あなた」 カナンたちの背中が見えなくなった後、ふたりきりになって三千子夫人は腕の中の龍司に話 しかける。 エレメント その龍司は闇の聖剣によって受けた傷を自分の無幻力ではふさぐことができず、青い血を流 し続けながら、かろうじて意識を保っている状態だった。
「うーん、僕だって、さすがにそんなご近所の人に手を出したらマズイだろうってことぐらい わかってたよ。でも満月が近かったし、お母さんとの約束で人を食べるのはふた月に一度って ことになってたし、とにかくおなかがすいてたんだよ。まさか隣の部屋にショウヤがいるとは 思わなかったんだ」 「お・ : 、お袋も知ってたのか : ・ ? 」 みちこ 「え ? ああ、だって三千子さんも僕と同じ闇の剣精だもの」 「うつ、うそだリ さはら」しま、ついちろ、つ 永瀬三千子 今では佐原恭一郎と再婚して佐原三千子となっているが、かっては龍司 の妻であり、ショウヤとリュウトの母である人の名である。 イヴ 「うそなんてつく意味ないよ。もちろんきみたちを産んだ後での話だけどね。僕が闇の剣精に なったことを知られたとき、三千子さんも僕と同じになりたいと言ってくれたんだ」 「う、そ・ : だ。そんなのうそに決まってるぜ・ : ! 」 リュウトの頭の奥で母親の横顔が占 , 滅し始める。 感情のないひんやりと美しい横顔。どうしようもないよそよそしさ。 いっからだろう ? あの人は俺をまっすぐには見てくれなくなった。 それでもリュウトの中ではいつも自分が守るべき位置にいる女性だった。再婚した後です ら、それは変わりはしなかった。 最愛の兄と、母と。 ひと
真昼の満月。 白い月がすうと自分の内側に落ちてくるような感覚。 リュウトは今、自分の肉体が地球と聖剣と月とを繋ぐ媒体となり、意識が薄らいでゆくのを 感じている。 真昼の満月を喚ぶときはいつもこんなふうだった。 そしてリュウト自身は気づいていなかったが、そうするとき彼は常に無意識にふたりの女性 の顔を思い浮かべていた。 ながせみちこ ひとりは永瀬三千子。 さはら 現在は佐原三千子となっている自分の母親の顔である。 そしてもうひとりは。 まだリュウトが見たことのない女性の顔。 やがてリュウトの聖剣は真昼の満月の光を吸い込み、リュウトの体にそれを伝え始めた。 翼 の リュウトの脳はイメージを受け取り、その画像を再生する。 りんかく へ そうして最初のうちぼやけていた輪郭が、はっきりとひとつの形に表されるようになる頃。 明 ン ぼうぜん デ茫然とリュウトは呟いた。 「マジかよ ? あれが新宿のオ っや ー。ハーツだって : ・ ? つなぽいたい
「うん。そう。ショウヤとリュウトは僕の子じゃないんだ。どうしても—O の秘密が知りたく てね。ちょうどよかったんだ。三千子さんは子供を産める体じゃなかったから、人為的に卵子 だいすけ を操作して大介の精子と掛け合わせて。あとはアメリカで見つけた代理母に出産を頼んでね」 「リュウトが : ・—O の、子供 : ・ ? 」 、そうなると大介を叔父に持っき 「うーん、まあ正確には大介の子供なんだけどねー。アハ けっえん みにとっては、 リ、ウトは血縁的にはイトコってことになるのかな」 みは カナンが目を瞠る。思いもかけない繋がりだ。カナンは小さく首を振って言った。 「・ : だが、リュウトは闇ではない。光の聖剣士だ」 エレメント 「そうなんだ。あれにはまいったな。ショウヤはなんの無幻力も発現しなかったし、リュウト エレメント アダム はうまくいったかと思ったら、光の聖剣士になっちゃった。光じゃだめだよ。無幻カからして お話にならない。光は闇の亜流みたいなものなんじゃないかな。亜流はいっか本流に飲み込ま れて消えてゆくだけだよ」 の「ではリュウトは失敗作か : ・ ? エレメント 「残念ながらそういうことになるね。結局、うまく闇の無幻力を発現させることができたのは イヴ 明 大人に対してだけだったな。それでも僕や三千子さんみたいに剣精にしかなれないし、どうし ン デても完全な人間を造ることができないんだ」 「完全な人間 ? おまえは完全な人間を造ろうとしているのか、リ = ージ ? 」 「そう。そしてそれは *O の望みでもあるんだよ・ : ! 」 199 つな おじ
198 この男の眼鏡の向こうの瞳は奇怪な重さに満ちている。 なんだろう。 行動するよりも考えることが好きな男。 リ = ウトと似ているところはほとんどないような気がする。 カナンは彼をじっと見つめたまま訊いた。 エレメント 「リ = ージ、おまえは h0 の無幻力が欲しいのか ? 」 「ふふ。僕が欲しいのは知識だよ」 「知識 ? 」 であ 「知りたいんだ。マチ = 。ヒチ = で初めて hO に出逢って以来、僕の知識欲は深まるばかりだ。 エレメント あれだけの無幻力をいったいどこから得ているのか、今の僕の興味はそれに尽きるんでね。で きれば *O の脳をこじ開けてデータを引き出したいくらいさ。僕はそれを知りたいためだけに 先輩がに体を乗っ取られるのも見過ごしたんだからね」 アダム イヴ 「そして自分も闇の剣精になったのか ? だが聖剣士ではなくて剣精になったということは、 おまえも元は光の剣精だったのだな ? みちこ 「ああ、いや、僕は少し違うんだ。実を一一 = ロえば三千子さんもそうなんだけど、僕たちの場合は 実験の結果でね。そう、ショウャやリ = ウトたちの遺伝子を使って少し、遺伝子操作をね」 「え ? 」 ばうぜ ほほえ 呆然と見つめてきたカナンににつこり微笑みかけて、龍司は言った。 めがね ひとみ