聞い - みる会図書館


検索対象: 明日香幻想 朝露の章
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1. 明日香幻想 朝露の章

しばらく待っと、耳慣れた低い声がして真稚が中へ入ってきた。 「よお」 、「弓月どの」 しささか につと唇をつり上げた弓月の姿を、確認するみたいに彼は一暼する。その瞳には、 ) の驚きが含まれていた。 「よく、来てくださった。しかし、すいぶんと、早い こっちに発っていたか 「入れ違いになったらしい俺はお前らからの連絡を受け取る前に、 ら」 まゆ むしろ 座るよう促されて、真稚は円に編んだ筵に腰を下ろす。いっそう怪訝そうに、彼は眉をひそ めた。 「受け取る、前に ? かくさく おわりおおあまけ 「尾張大海家の迦な養い子が、下らない気を回してあれこれ画策していたことがわかったと か、思い出したことがあったとか、幾つか向こうであったんだよ。もしかしたら、虫が知らせ たのかもしれないけどな」 苦い笑みが、弓月の整った唇に浮かぶ。が、それは一瞬のうちにかき消えて、彼は品治と真 稚とに順に目を向けた。 「最初から聞かせてくれ。何が起こって、今、どうなっている」 いちべっ けげん

2. 明日香幻想 朝露の章

ひざ 葦毛から降りて、品治はその場に膝をついた。葛城王子は彼のすぐそばまで来たところで黒 一げ・じよう 鹿毛を止め、下乗する。 けさ 「多臣品治。大海人はどうしたのだ。なぜ今朝は宮に、来なかった。熱があって起きられなか ったのか」 」、フべ あらわ 頭を垂れた真上に、不機嫌を顕にした声が落とされた。意味がわからず、品治は目をしばた たいて顔を上げる。 「はい ? 」 おおあまけ 「どこにいる。忍海の大海家で寝ているのか、あいつは。お前は、話は聞いているのだろう な」 まうぜん 葛城は畳みかけるみたいに、尋ねてきた。品治は呆然として、彼のきつい光を含んだ瞳を見 章つめる。 露「あの : ・・ : 葛城さま ? いったい何の話を、しておられるのでしようか。王 : : : 大海人さま やかた ~ が、どうして忍海に ? 昨夜は葛城さまの館に泊まられて、宮へはそこから : しオし 想「誰が館に泊まった。大海人は私の館に泊まってなど、 葛城は語気を強くして、彼の声を断ち切った。 明 「あいつは夕方、用事を思い出したと言って帰っていった。用を済ませたら忍海に行って泊ま ると : : : 」 たた

3. 明日香幻想 朝露の章

130 じじよ おおきみ らんおわり ご覧、尾張。これは一兀々は大王の位につく資格を認められる者だけに、分け与えら れる薬だ。はんの一粒、それで人一人を永遠の眠りへと誘う。遠い昔より大王家に連なる者 はずかし に、戦いに敗れ敵の手に落ちょうとするとき辱めを受けようとするときには、これを飲んで自 みこおおきみ つらぬ らの血の誇りを貫くようにと伝えられてきたものだ。本来は大王から王子や王へ分かち与えら から れるものなのだが、お前には私から、この唐より伝えられた容器に包んでいれてやろう。決し て知らぬ者には見せぬよう、不用意に中を開けたりしないようになーー・ーーー しろがね 手のひらに乗せた銀の容器を、子首はしいっと見下ろしていた。安らかで誇り高い死をもた らす薬の入った、八角形の匣。子首にそれが何であるかを教えてくれた父は、その薬ではなく 一本の縄で命を絶ったという。 みなり いかるが 目が覚めたときには斑鳩ははるか遠くになっていて、目の前にいたのは文屋と三成と一一人の 侍女だった。一族の最期を聞き、遺骸を守って戦った者たちの死を聞き、手の中にあったも ので残されたのはこの匣一つだと知らされた。 そのとき自分の中に在ったのは、疑問 : : : こはく色の瞳の人への疑問だけだ。 はこ こ・ひと

4. 明日香幻想 朝露の章

きんき やかた た場所に館を構えたと聞く。その上、事件の後漢王の壬生のことは、漢王ご自身と同様に禁忌 とされた。だから語ることは許されず、訪れる者も当然なく、十七年を経た今では、知ってい た者の記憶もあいまいなのだ」 そんなに淡々と言わないでほしい。 品治は脱力してしまいそうな自分を、必死に押しとどめた。 「てことは、このまままっすぐ登っていっても、無駄だってことですか ? 」 「それは : : : わからないが。私見では、この先へ進んでも、館を構えるだけの広さをもっ場所 に行き着けるとは思えない そうだよな。 つぶや 心の中でだけ、呟く。目の前には、木々がうっそりと広がるばかりであった。 あきら 「諦めた方がいいですかね ? 尋ねるというよりは、確認するみたいな口調になった。 おおあま 大海人の、元々の壬生の館であったところを一度見ておきたい。 みつるぎ 真稚に話を聞いた時からずっと、なぜともなく思っていたことだ。御剣の捜索とは関係がな かつらぎのみこ えんりよ いことなので、これまで遠慮していたのだけれど。今日は大海人が葛城王子の館に泊まること になって午前中は身体が空くとわかったので、探して行ってみようと決めたのだ。真稚に、正 確な場所を尋ねて。

5. 明日香幻想 朝露の章

す。証拠になるものは、何もありません」 彼は顔を上げ、葛城をまっすぐに見た むしろ 葛城は額に手を当てて、沈むように筵に座り直す。 「俺が上宮家のことを考えたのは、ですから、本当に単純な直感にすぎなかったんです。王子 も最初は、山背大兄王も上宮の一族も亡くなっていると取り合って下さいませんでした。でも 俺が気になるのなら、気の済むまで調べてみようとおっしやって下さったんです」 品治の床についた手が小刻みに震えているのを、彼は目に止めた。 「それがどうして、葛城さまに家譜を望んだりなさるまでに疑いを強められたのかは、俺には ばくぜん わかりません。漠然と思いっかれただけなのか、それとも何か俺の気づかなかったことに、気 づかれたのか。俺は : 「わかった」 朝肩の力を、吐息に変えて葛城は吐きだす。 「今は充分だ。残りは、大海人に訊く。話に入ろう」 あんど 幼品治に手を上げるよう、彼は命じた。弓月がごく小さく、安堵のため息をついた。 香

6. 明日香幻想 朝露の章

「弓月どのになら、わかるかもしれない。弓月どのは俺よりすっと鋭いし、王子に近いところ にいる」 「一つ目は買いかぶりだし、一一つ目の方はあまり同意したくないぞ」 「でも、本当です。それに弓月どのは、俺と違って自分を : : : ええと、うまく言えないけど、 どんなときでもそういう部分だけは、冷静な場所においておくことができるから」 「 : : : お前、俺のこと絶対に誤解している」 うな のど 弓月はうーと、喉の奧で唸った。 「まあ、現場に居合わせた状態で見聞きしているお前や真稚よりは、少し離れた位置で客観的 に考えるくらいはできるかもしれないけどな」 立てた膝の上にひじを乗せて、こめかみをひっかく。 章「いえ、そういうのとは違う。俺は・ : : ・」 露「弓月さま、品治どの。真稚どのがおいでです」 ~ 扉の外から、声がかけられた。一一人は一瞬だけ、目を見合わせる。 想「ここに通してくれ」 弓月が答え、家人ははいと返事をして遠ざかっていった。 明 「ちょうどいい。真稚の情報もまとめて聞かせてもらおう。俺も、お前らに話しておくことが 行あるし」 まわか

7. 明日香幻想 朝露の章

「大海人の行きそうな場所に心当たりがあるのなら、聞いておく。うちの者を探しにやらせ る。あいつの場合、どこかで落馬でもしてけがを負った可能性も、ないとは言えないからな」 かつらぎ ほんじ 長い沈黙の後に、葛城は穏やかに品治に尋ねた。静かな声のうちにある苦い響きに、品治は あえ 山而み、ト小、フに自 5 」吸、つ。 おおあまけ 章「申し訳ありません。俺は、俺にはわかりません。大海家の方ならば、もっと王子のことをご 露存じかもしれませんが」 うなず かろうして、そう言った。葛城はほとんど無表情で、頷く 想「そうか。では、今日のうちにでも訊いてみてくれ。何かあれば、宮にでも、私の館にでも知 香らせてくれればいい」 「はい。わかりました」 「用件はこれだけだ。邪魔をした」 みつるぎ 度か耳にしたが。それが真実を突いていたのなら、御剣が熱田社に戻されるという兆しなのだ ろ、フか。これは」 いつのまにか雨が、静かに降りだしていた。 おおあま やかた

8. 明日香幻想 朝露の章

「しようもない : 一通りの話を聞き終えた弓月は、長く、ため息をついた。 「いい年して、何ばけたことをやらかしてるんだか。誰かに一言くらい言ってけ」 うな てのひらおお 額から目のあたりまでを掌で覆い、唸るようになじる。 かんじん 「まったく : : あいっときたら、自分については肝心なところでばっさり抜けてるんだ。本っ 章当に : : : 莫迦 露その声の、痛い響きに品治は唇を噛んだ。 こうし 品治の寝室に、あてられている部屋である。扉と格子の窓とを完全に閉じきったその狭い空 想間に、雨が屋根を、窓を、地面を叩きつける音が響いた。 「結局のところ、大海人が消えたことを知っているのは誰と誰なんだ ? ある程度の事情を知 明 る者は かつらぎ 「葛城さまと津守どののお一一方には、すべてをお伝えしました。それと、この大海家の家人た 「王子が、いなくなられました。もう、五日になります」 雨脚が、一段と激しくなった。

9. 明日香幻想 朝露の章

みつるぎ 「実はな。俺がこっちに来たのは、御剣を盗みだしたのが上宮家の場合、その標的が大海人自 身だったという可能性があるって伝えるためなんだ」 不意の言葉に、場の空気がびんと張り詰める。 「王子ご自身が、奴らの標的 ? それはいったいどういう : : : 」 品治の乾いた声が、問うた。 そがのおおおみけ 「どうしてそんな。彼らの第一の目的が大王家でも蘇我大臣家でもなく、宮に上って間もない 王子にあるなんて」 弓月は小さく一つ息をつき、再び口を開く。 いかるがのみや 「お前も真稚も、知らないことがある。あいつは、斑鳩宮で山背大兄王に遭ってるんだ」 あぜん 章四つの目が、唖然と見開かれた。 露「王子が : : : 山背大兄王に ? 」 朝つぶ のど ~ 潰れたみたいな声が、真稚の喉をつく。品治は声さえもでなかった。 想「俺も一度聞いたきりだったんで、完全に失念していた。お前を探しにいったあの夜、あいっ うまやどのみこ に出くわした山背大兄王は、あいつを厩戸王子と思い込んで助けを求めてきたらしい 明 「厩戸王子になんて : : : なんで」 かし 品治のつぶやきに、弓月は自信なさそうに首を傾げる。 おおきみ あ

10. 明日香幻想 朝露の章

「三輪山は広く、すべてを探す前に申し上げても納得はできませんでしようが、この神域に住 みつるぎ まいをおくことは何人であってもないと、私は思います。御剣を隠すのであれば : : : 可能性は みいだ あると申し上げますが、それもまた、もし大海人さまが見出したものであるならば、すでに移 されているのではないでしようか」 ぐ、つじ ゆが 品治は唇を結び、三輪の宮司を見やった。痛ましげに彼が顔を歪めるのが、わかる。 「わかっています。それでも俺たちは、何か、残されているのではないかと思って、ここに入 れていただきました」 弓月が、静かに答えるのを聞いた。 「もし許していただけるのであれば、明日もう一度、こちらへ入ることを許可していただけな し とうと いでしようか。どれほどこの神域が尊く、また広大であるかは承知の上で、強いてお願いいた します」 「それは : : : できますが」 こうべ 頭を垂れた弓月を、甕穂はいっそう苦しげに見つめる。 いくにち 「山の中で、すでに幾日も日が経ってしまった状況では、たとえ何かの手掛かりが残されてい たとしても、とうに雨に流されたり、獣が持ち去ってしまっているのではないですか」 やかた 「それでも。俺たちに残っている手がかりは、甕穂どのの館の方が大海人を見たという、それ なんびと