グラス - みる会図書館


検索対象: 約束
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1. 約束

138 パジャマのまま一階へ下り、洗面所で顔を洗って、桐香は台所をのそいた。冷蔵庫を開け、 麦茶を出してグラスに注ぐ。カウンター式になった流しの向こう側で、母親がソフアに座り、 正面に置かれたテレビを見ていた。桐香に気づいて立ち上がる。 「早いのね」 「おはよう」 グラスを持って洋間へ歩くと、母親は入れ違いに台所に立った。コンロに火をつけ、フライ パンを温める。 「トーストでいい ? こ 「・ : うん」 冷蔵庫を開けて卵を取り出す母親を見ながら、桐香はテー・フルにグラスを置いた。 「いいよ、自分でやる」 「なに ? 」 「目玉焼きでしょ ? お母さんいいから、座ってて」 「いいのよ」 「作れるんだよ、私」 しいから黙って待ってなさい ! 」 台所の入り口で押し返された。耳元で怒鳴られ、桐香は放心したように口を開けた。母親は どな

2. 約束

252 「・ : それはやつばり親だから・ : 「えっ ? 何か言った、柚子さん」 「いえ」 柚子はきつばりと首を横に振り、店の扉が開くのに気づいて、一番に声をあげた。 「いらっしゃいませーえ」 強く張りのある声で、近くで聞くとびくっとする。桐香は首を回した。 「水、用意して」 柚子が近づいて小首をかしげる。指は一本。お一人様ですか、と言う声が聞こえる。桐香は フロアに背を向け、グラスに氷を落とした。胸がざわざわした。水を注ぐ。振り返って、トレ イの上に載せる。 「ハナナジュース 1 、お願いします」 柚子が戻ってぎて、厨房へ叫びながら振り返った。声もなくにやっく。桐香はグラスだけ取 り、うつむきながらフロアへ向かった。探した。哲は、左隅の一番テーブルにいた。壁に背を ぎよっぎ ついて座り、行儀悪く足を椅子にあげている。店内を見回し、桐香に気づいて目を止める。 「・ : いらっしゃいませ」 客に向ける程度の笑顔さえ作れず、桐香はテーブルの横に立った。グラスを置く。哲は顔を

3. 約束

うめ から 首を振りながら答えた。ふうん、という呻きのような声がして、とうに皿を空にして退屈し にら ていた少年たちが、睨むように見た。桐香はうつむき、コ 1 ラのグラスに手をかけた。 「おかわり ? こ たたみひざ 声がした。ハッとして、音がするほど勢いよく、桐香は顔をあげた。哲が畳に膝をついて、 食べ散らかした皿をトレイに載せているところだった。 「飲む ? コーラだったら、ただで出すよー 溶けた氷と茶色い液体の混じったグラスを、桐香はじっと見下ろした。なんで顔を見られな こわ いんだろう、と思った。布い。哲になにか言われるたびに、びくびくしてしまう。 「・ : ください」 うつむいたまま、精一杯の声で言った。哲は何も言わず、桐香の手のなかから、空になった グラスを奪うようにしてもぎ取った。 「もう、トイレ混んでたあ」 入れ違いに絢子が戻ってきて、 「あたしもおかわり」 と叫ぶ。哲は振り返り、 約「おまえら帰れよ、 しいかげん」 行と、うとましげにテーブル全体を見回した。白井がなだめるように笑う。

4. 約束

「いらっしゃいませー」 坂田がメニューを手に取り、 「お冷や用意して」 とこちらを向く。桐香は頷き、氷の溶け始めたグラスのなかに水を注いだ。 「いらっしゃいませえ、こちらへどうそ ひげ 歌うように言って、柚子は三人連れの客を丸テーブルへ案内した。髪を茶色に染めたり、髭 はで を生やしたりとやや派手めな、桐香とさして変わらない年頃の少年たちだった。低い声で笑い 合い、坂田からメニューを受け取って、話の続きにまだ笑っている。 「川上さん、水 ! 」 柚子が戻ってきて、呆れたように叫ぶ。本当なら今さら、指示されるまでもないことだっ われ た。桐香は我に返り、 「はい、すみません」 とトレイの上にグラスを並べた。三つ。客は三人。氷よし、水の量よし。 「いらっしゃいませ」 テーブルの横に立ち、軽く頭を下げる。少年たちのうちのひとりが顔をあげ、桐香を見て律 ーパンツを合わせ、髪は長めで、やや茶色がかっている。 約儀に頭を下げた。シャツにアー 桐香はゆっくりとトレイを下ろし、三人の前にグラスを置いた。 あき うなす りち

5. 約束

間ない学校で、相手が初対面であるかどうかなど、すでに問題ではないのだ。顔と名前さえ覚え ていれば声をかけるし、友達とはいかなくても、知り合いだと思うだけで気安くはなれる。家 や電話番号を知らなくても、学校に行けば会える。 「お待たせしましたあ」 だん、と目の前のテープルが鳴って、横から伸びた哲の腕が間近に見えた。桐香は顔をあ たたみひざ げ、畳に膝をつきながら、大きなテしフルに覆いかぶさるようにしてビールのジョッキを並べ はだ る彼の横顔を見た。店内には冷房が効いているはずだが、耳の横の茶色い肌を、汗が幾筋も滑 り落ちていくのが見えた。額にも汗が浮かんで、彼はしきりにそれを、シャツの短い袖の 部分で拭っていた。 「はい コーラどうそ」 ごっん、とグラスの底が音を立て、桐香の前にも飲み物が置かれた。絢子が横から手を伸ば し、自分のを取っていく。桐香は残ったグラスを手前に引き寄せ、ストローの袋を破りなが ら、 「ありがとう と言った。一瞬の間を置いて哲が振り返り、トレイに残ったグラスを持ちあげながら、不思 議そうな顔をした。聞こえなかったのかな、と桐香は思ったが、うつむいてコーラを飲み始め た。なぜだかわからないが耳が熱くなった。・ するずるとストローで吸いあげながら、哲が立ち ぬぐ おお

6. 約束

そうですか、と桐香は頷いた。 「十六か。いいな、これから、何でもできるよなー」 「そうですか」 「そうですか、じゃないでしよ。他人事みたいに」 「二十二歳って、若くないんですか ? 」 「・ : 十六歳に比べればね」 「そうですかあ ? 」 「なに、その不満げな顔は」 てぎわ 伏せていたグラスを裏返し、柚子は手際良く端から順番に氷を入れた。そろそろランチタイ ムなので、近くのビルからサラリーマンや O*-Äたちがどっと押し寄せてくるのだ。 じきゅう 「だって、時給安いですよ」 桐香は横に立ってグラスを並べた。 「十八歳から、とか、高校生だけかっこっきで一「三十円安かったり 「まあ、そうだろうね。特に高校生は、こういう平日の昼間に入れないからー 「どうせいっかは歳取るんだから、今のうちにさっさと二、三歳老けちゃった方が良くありま 約せん ? 時給もいいし」 まあ何言ってるの、と坂田が割り込んだ。台拭きでトレイを拭きながら、真っ赤に塗られた うか上 9

7. 約束

244 「・ : いらっしゃいませ」 駆け寄って指を一一本立てる。 「お二人様ですか ? ー うか争・ 髪の長い女の方が、はい、とにこやかに頷いた。男は黙って、店内を見回していた。こちら ちゅうばう へどうそ、と腕を差し示し、右側奥の十二番テープルへ案内する。男が壁際に座る。女は厨房 ほほえ に背を向け、桐香を見あげて微笑む。 「ハヤシライスと、シーフード。ヒラフをお願いしますー をし、かしこまりました」 一礼し、向きを変える。柚子がトレイにグラスを載せて、ちょうど近づいてくるところだっ た。桐香はすれ違い、レジ横へ走って籠のなかのマッチをつかんだ。テーブルへ戻る。 「あの : ・」 グラスを置く柚子を見あげ、女がなにか言い掛けているところだ。 「はし、なんでしようか ? こ 柚子は小首をかしげてみせた。 「マッチを・ : 」 「はい、どうぞ 桐香は柚子の体の脇から、手だけ出してマッチを置いた。女が驚いて顔をあげる。男が黙っ わき かご

8. 約束

声や、その時の感情とは違う。 「いらっしゃいませー」 柚子の声が響いた。開いたドアに目をやり、新しく入ってきた客をひとめ見て、いらっしゃ いませ、桐香も勢いよく頭をさげた。背の高い男の方はうつむき、横に並んだ女の方が笑っ て、軽く首をかしげるように桐香を見た。いつものように右端のテーブルへ行き、男が壁際 へ、女がその向かいに座る。 「行って」 うか争・ はい、と頷き、桐香はグラスに水を注いだ。伝票をエプロンのポケットに、それから、レジ の横でマッチをひとっ取る。 「ご注文は : ? グラスをふたっ置く 「ハヤシライスと、シーフード。ヒラフ」 長い髪を垂らした女の方が答え、男は静かに水を飲んだ。桐香が立って伝票へ書くあいだ、 男の太い指がこっこっとテー・フルを叩く。女が腕を伸ばし、その指をそっと上から押さえて包 む。音が止む。 「以上でよろしいですか ? 」 はい、と女が頷いて、遠慮がちに口を開く。

9. 約束

て、長くはもたないわよ。夜になったら、電話でもするんじゃない」 「そうそう、そんなもんよね」 うた争・ ふたりだけで通じ合ったように頷いて、柚子と坂田はにやにや笑っている。桐香は完全に取 り残された気分でフロアを見る。女は髪をかぎあげ、グラスの水を飲んでいる。煙草は吸わな いから、今日はマッチもいらない。受け取って、代わりに礼を言う必要もない。 「平気そうですよ ? こ 目を戻して言う。柚子が顔をあげ、あからさまにフロアを振り返る。忙しく首を戻し、桐香 を振り返って眉をあげる。 だめ 「駄目なのよ、それじゃ ! 」 めずらしくムキになって、顔を覗き込んでくる。坂田が頷く。 「それじゃ終わっちゃうじゃない」 「そうよ、終わっちゃうじゃない」 そうですか ? と桐香は首をかしげた。柚子が顔色を変え、直後、長い長い爪が目の前に迫 束ってきた。きらりと光って、頬に巻きつく。 このガキ 約 痛い、という声が言葉にならなかった。柚子は頬をつかみあげたまま、ぐいぐいと前後左右 に揺すった。桐香は涙が出てきた。やめてください、と叫ぶが、唇が正しく動かない。 ほお つめ

10. 約束

起きたら二時だった。昼の二時だ。べッドを降りながらしつこく時計を見る。昨夜は何時に 眠ったつけと思う。少なくとも、風呂から出て、。ハジャマを着てべッドに入ったのは何時だっ たつけ ? 覚えていなかった。カーテンを閉め切った、薄暗い部屋を見回す。冷房がつけつば なしになっていて、鼻の奥がむずがゆい気がした。 木曜なので、バイトは休みだった。パジャマのまま階段を下り、台所へ直行する。廊下を歩 いていくと話し声がして、ドアを開けた瞬間、母親がこちらを振り返った。コードレスの受話 器を持って、テーブルに腰かけていた。受話器からなにか、ぼそ・ほそと音が漏れるのがわかっ 束た。冷蔵庫を開け、牛乳を取り出してグラスに注ぐ。一口だけ飲む。こぼさないように手に持 って、母親の後ろを通りすぎ、ソフアに座ってテレビをつけた。とたんに音が湧き出し、受話 約 器の向こうの低い声も、母親の囁くような声も消える。 「ーーねえ誰、お父さん ? 「それでも、壊れちゃうことはあるよ」 あたしみたいにね、とつぶやいて、絢子は手を伸ばし、桐香の肩へ触れた。強く、押すよう に叩く。答えない桐香を見て、呆れたようにため息を漏らす。 あき ささや