だが、江戸に比べ、気質が穏やかだといわれる京の人間であっても、職人衆はやはり荒事に 慣れている者が多い。 己の腕ひとつで生きている彼らには、 ( 侍がなんだ ! ) という気持ちがある。 つじぎ 特に昨今は、辻斬り ( 通りの角で待ち伏せをして、通りかかった人を斬り殺す、通り魔的犯 てんちゅう 罪 ) にも等しい『天誅』騒ぎ ( 攘夷派が佐幕派の人を多数暗殺した事件。武士だけでなく、商 人なども標的になった ) のこともあって、侍の威張りくさった態度には怒りを覚えているもの が多かった。 ( 刀がなんだ。あんな物は、でかい包丁じゃねえか ! 抜けば大人しくいうことを聞くと思っ ~ たら大間違いだ ! ) きがい 襲という気概が、居合わせた客のどの顔からもにじみ出ていた。 田「うぬ ! 」 ~ 若い侍は、満面に血を上らせた。 みやむら の「待て、宮村」 さやばし 群 いまにも鞘走らんとした大刀の柄の頭を、いま一人の侍の手が押さえた。 さして力を入れているとは見えなかったのだが、それだけで若い侍は、まったく刀を抜くこ じレつい さばく
丸山一郎太は、右肩から左脇腹までをただの一刀で深々と斬られて死んでいた。 てんちゅう そして、その額には小柄で、『天誅』と書かれた紙が、縫いつけられていたのである。 おおだな うかが おしのこうじ 頭巾の侍は、長州藩邸に程近い、押小路通りの大店の並ぶ間の路地に、特に辺りを窺う様子 も見せず、す、と入っていった。 真っ暗な闇の中である。辺りはすべて寝静まっていて、ほとんど物音もせぬ。 足元すらおぼっかぬその夜のなかを、頭巾の侍は迷うことなく歩き、一軒の家へと入ってい 家の中には、男が一人帰りを待っていて、侍の姿が見えると、 「ご苦労様でございました」 と迎えた。 襲「見ていたのでござるか ? 」 「まさか。手前は、先生を信用しております」 牙「先生はやめてくれ。背中がむずかゆくなる」 狼侍は頭巾を外した。 現れたのは、神坂弥四郎の顔であった。だが、髷がある。しかし、間違いなく弥四郎であっ こ 0 ちょうしゅう こづか
間とが出来なくなってしまったようであった。 「おちつかぬか、馬鹿者め」 淡々と話す声は静かで、若い侍の方にあった、人を見下す感じがなかった。 「おぬし、これ以上、殿のお立場を悪くしたいのか ? こ 「馬鹿め。下がっておれー 宮村、と呼ばれた侍は、先程までとはうってかわった様子で、すっかりしょげて、おそらく は上役であろう侍の、後ろに控えたものである。 「すまぬな、番頭ー 侍は、薄く笑った。 あいづ きっとるすいやく いけだまさかっ 「儂は、会津藩、京都留守居役配下、池田昌勝という者だ」 「番頭の兵介でございますー あるじ 「聞き及んでおろうが、先日、我が藩の者が無惨に殺された。その件について、主に話を聞こ ひとっき うと思ったのだが : : : 兵介とやら、主はいっ戻る ? おおよそで構わぬ。よもや一月も戻って こぬ、ということもあるまい ? ・」 「ええ、まあ・ : ・ : 長くても半月の内には : ・ かみさかやしろうゆくえ 「ではおぬしに聞くが、この店の裏手に住む、浪人、神坂弥四郎の行方を知らぬか ? こ わし
202 えぬ。 ( ならば、会津か : ・ : •) しわざ 弥四郎の仕業と知れているのは、伏見街道での、会津藩士を斬った一件しかない。 ( 家を突き止め、人を頼んで捕らえるつもりであろうが : : : そうはいかぬ ) このあたりは何度も歩き、熟知をしている弥四郎なのだ。尾行を巻くことなどわけもない。 すきま 急に路地へ曲がり、そのまま駆け、家と家の隙間に体を滑り込ませて、気配を絶った。 路地の先は、別の通力へと繋がっている。 案の武懾てた様子で飛び込んできた侍一一人は、そのまま路地を駆け、反対側の通り〈行 0 てしまった。 だが弥四郎は、やり過ごして、それで済ますつもりはなかった。 狭い場所から体を引き出し、今度は逆に侍たちを尾行けた。 一一人の侍は、弥四郎を見失ったことがわかると、ほとんど半狂乱の態で探し回り、夕刻の道 を行く人々に、 「まあ、怖い」 「うわ、お助けえ」 などと怯えられていたが、ついには諦め、どこかへ戻る様子であった。 弥四郎は、これをまた尾行していった。真、会津の侍であるのかを確かめるためである。 おび つな あきら まこと
138 ぢさっちん 丸山は、提灯を突き出すようにした。 ずきん すると、闇の中に、頭巾をかぶった侍が浮かび上がったものである。 はおりはかま この侍は、羽織、袴をつけ、身なりもきちんとしていて、どこその家中の者と見えた。 はんてい ( 藩邸に用があったのだろうか ) そうも思えた。 「貴殿らは、会津藩の方々か ? こ 「左様。なんそ御用ですかな ? 「いかにも 途端、頭巾の侍の腰から一筋の光芒が疾り出て、提灯を、ばさり、と斬り落とした。 「ああっ」 くせもの ぎゃあっー 「く、曲者っー 「あ、ああっ、秋川卩秋ーー・ぎゃあっー 悲鳴に続き、なにか大きなものが落ち込む水音がして、橋上はそれきり静かになった。 しばらくして、橋の西側の常夜灯に、頭巾の侍の姿が現れ、そのまま通りを西へ去った。 そのうちに会津藩邸から、悲鳴を聞きつけた小姓が数人駆けつけ、橋上の惨状を発見し、懾 てて藩邸に引き返した。 「た、大変でございます ! 丸山様が ! 丸山様がー こうば、つはし
けいた 「会津藩士、坂口圭太と申す。お静かに願いたい」 うかが と有無をいわせぬ様子で言っておいて、店の中から外を窺った。 折しも、かま屋から出てきた侍が、西に向かって目の前を通りすぎるところであった。 ずきん はおりはかま この侍、羽織、袴のきちんとした格好で、頭巾をかぶっている。 見えているのは目の部分のみであったが、これを見た途端、 ( 神坂弥四郎だ ! ) と坂口は確信した。 中田に笑われた、あの絵がよかった。まさしく、びたり、とあてはまったのである。 坂口は店の主に、 「丸や町の今は店を閉めている小間物屋の者に、坂口が神坂を追って西へ向かったと知らせて ) くれ」 襲と言い残して、すぐさま頭巾の侍を追った。 ゅ、つゆう 田 侍は、坂口には少しも気づいていない様子で、悠々と通りを歩いて行ぐ。 牙 しろやまや 狼油問屋の『白山屋』から知らせを受けた中田と篠森であったが、見張り所を無人にするわけ 群 にもいかず、仕方なく中田が一人で押小路通りに出てから西へ坂口の足跡を追ったが、追いっ くことは出来なかった。
を一人っれたのみで、さっさと行ってしまったのだ。 「どこへいった」 「材木の買い付けに、少々遠出を : 「だから、どこか、と申しておる」 「さ、それは : コ一 = ロえぬと申すか」 兵介は薄く笑ったのみである。 「いっ帰る」 こうししっ 「さ、それも : : : 交渉次第、というところでございましようか ? 」 「こいつ、ふざけている ! 」 たちつか 若い方の侍が、左足を引いたかと思うと、腰を落とし、大刀の柄に手をかけた。 兵介は、表向きは平然としたものであった。 客も、騒ぎ立てたり、逃げ出したりする者はいない。それどころか、侍を凄い目付きで睨み ふところ つけ、なにやら己が懐に手を差し入れたりするものもいた。 これには、若い侍の方が戸惑ったように見えた。 それを見れば、この男のいままでが知れようというものだ。町人など、刀をちらっかせれ はいうことを聞くものだと思っているに違いなかった。 にら
220 くせもの 宮村はその間、呆と、曲者の凶行を眺めていた。その凄まじさに、動くことが出来なか 0 ずきん はおり 曲者は、頭巾をかぶった侍であった。小袖に袴で、羽織をつけてはいない。小袖には襷を掛 け回してあった。 曲者が、くるりと宮村を向いた。 ( あっー か、神坂弥四郎 : : : ) すきま わず のぞ 頭巾の隙間から僅かに覗いた目を見た途端、宮村は曲者の正体に気づいた。 「か、神坂・ : : ・」 掠れた声で言ったが、頭巾の侍は応えず、血に濡れた刀を下段に構えた。 よ、つこ 0 . をし、カ子 / , 刀 / 宮村は、立ち上がろうとしたが、足が震えて思うようこ、 ( 馬鹿な・ : ・ : こんな馬鹿な・ : : ・ ) 涙が出た。 ( 俺は、俺は強いはずだ : : : ) そのことである。 だが、実際には足が震えてうまく立っことも出来なかった。 頭巾の侍が、肉薄した。 「あっ、ま、待ってーー」 かす こそではかま すさ たすき
140 ますやきうえもん 迎えた男、これは桝屋喜右衛門である。 あれから桝屋は、弥四郎を、侍が外出をしてもあまり目立たぬ場所へ越させることにして、 三日後にはこの場所を見つけ出し、すぐに移したのである。 かがっしま この辺りには、北に川越藩や大垣藩、東に長州、加賀、対馬藩などの藩邸があって、普段か ら侍の多いところである。 ずきん それだけに、身なりさえきちんとしていれば怪しまれる心配はなかった。頭巾は侍の外出用 としては通常のもので、特に目立っというものでもない。 現に、弥四郎は昼出をしているが、誰も怪しむ様子はなかった。 たたみ あぐら 弥四郎は畳に上がると、両刀を外して置き、胡座をかいた。それから両手を頭の後ろにやっ て何やらしていたが、そのうちに、ぼろり、と髷が取れた。 しかし、桝屋に驚く様子は少しもなかった。 それもそのはずで、これを用意したのは桝屋なのである。 「慣れぬものを頭に乗せているのは、何やらおかしな気分でござる」 「我慢をしてくださいまし。あなたさまの頭は、暗闇でも目立ちます。頭巾がとれるようなこ とっさ とがあれば、顔は咄嗟に隠せても、頭はそうは参りませぬ」 「わかっている」 桝屋は、なんとも言えない嫌な感じの笑みを浮かべた。 かわごえ おおがき はんてい
196 知れない。だが、新式のマスケット銃や連発銃、ガトリング砲が相手では駄目だ。続けざまに 何発も弾が飛んでくる。ガトリングなんかは、一人で百も二百も休みなく弾を撃てるのだぜ。 そんなものに刀でどうするっていうんだい」 鷹一朗は答えぬ。 「そんな世の中が来る。外国に負けるような侍は、世の中から捨てられるぜ。必要ないから な。捨てられた侍の末路は見たね ? 岡田君は武市を奪われ、土佐に捨てられ、壊れてしまっ ゅ、ス 9 う た。侍ほど融通のきかない連中もいない。いに まっていちゃあ商売は成り立たないが、頭を下げ るのはむずかしい」 「話が見えねえ」 「君はこの国をどうしたいと思っている ? 」 「 : : : 考えたこともないぜ。俺が動かせるものでもないしな」 「それは違う。動かそうと思わないから、動かないのだ。岡田君を私のところへ連れてきた もと 本君は、岡田君にそのことをわかってもらいたかったようだが、駄目だった。 , を 彼よ、考えるこ とを、武市瑞山に預けてしまっていて、結局、そのまま私の元から消えてしまったよ。風の便 りに、京にいることは聞いていたから、今度の上京のついでに、ちよと捜してみようとは隸っ ていた。思いもかけず、岡田君は早くに見つかったが、遅かった」