こら エンランドは口元が引きつりそうになるのを必死に堪えた。 「いや、少し違うか。深すぎて一見黒に見えるほどに濃い赤 : : : かな ? 」 ますます悪い いや、待て。大丈夫だ、黒赤色の薔薇には確かふたっ花言葉があったはす。 「 : : : あー、それはご本人には言わないはうがいいかもしれませんね。何しろ花一言葉が『死ぬ まで憎みます』でしたから そう忠告を装って彼女のロを塞ぐ。 相手の男が花一言葉に詳しいかどうかは知らないが、調べれば必ずもうひとつのほうも見つけ てしまうに違いない。そうさせないためにも、ここはラエスリールに釘を刺しておくべきだろ うーーー彼女は自分の運命の人なのだから。 自分だけが彼女に運命を感じているわけではないはずだ。 何度も自分に言い聞かせる程度には、エンランドの胸に不安が湧き起こっていた。しかし、 葉 のそれは束の間のことだった。 の ラエスリールが、不意にこんなことを言い出したからだ。 たと たんぼぽ ア 「あなたを花に喩えるとしたら蒲公英かな」 彼女の視線が自分の頭部ーーもっと正確に一一 = ロうなら、常々おばちゃん連に『ひょこ頭』と評 つか
152 しようぜんうなだ 悄然と項垂れる男たちの中で、音のしたほうに顔を向けたのは妖貴の青年 , ーーそして、その たましい ひょうい 身に憑依しながらも決して解け合うことも重なることもせすに存在する魂のみの少女のふたり のみだった。 青年 : : : 来焔の唇が「煌弥」と動い えんや それを実に楽しそうに見やりながら、突然宙から現れた黒髪の艶冶な魔生は、心底感心した 様子で人間には不可視の魂だけの少女に声をかけた。 あつば 「いや、天晴れな心意気 : : : 聞いていて久々に胸がすっとした。実に気持ちのいいお人だ、眷 属でないのがつくづく惜しまれる」 そう告げる声は楽しげに震えていた。 しつこくそうぼう しかし、その漆黒の双眸に宿る光はそうではない。 「だがな、言の葉姫。 ) しや、かって言の葉姫と呼はれていたお人と言い直そうか : : : あなたが 変わらず持っその力は強大にすぎる。わたしとしては、到底野放しにはしておけないのだよ。 我が炎では魂ごと灼き尽くすことはできまいが : : : 」 いったん言葉を切った妖貴の右手に現れたのは刃を思わせる形の巨大な炎。 「身動きできぬ程度に弱らせることはできよう : : : 後のことは我が君にお任せすれば間違いは ない。ということで : : : ご機嫌よう」 けん
「ちゃんと起きたわね卩しゃあ、わたしは授業があるからもう出るわね ! 」 言いたいことだけを言い置いて、さっさときびすを返したリエンカの後ろ姿を見つめなが ら、レンヾルトはふう、と息をついた。 養い子たる彼女の朝が慌ただしいのはいつものことだーー朝一番の講義には間に合わないこ の時刻に彼女が急いで家を出る理由を知らなければ、彼としても「もう少し計画的に動くこと を覚えたらどうだ」と苦言のひとつも口にしているところだ。 ふう、ともうひとっ息をつき、レンバルトは押しつけられたグラスの中身を凝視する。 見たところ、何の変哲もないただの水だ。 いや、感し取ることが だが、それがただの水などでないことをレンバルトは知っている できるのだ。 一度熱処理を加えた後に冷やした湯冷まし。 三年前から、彼女は毎日これを欠かさす自分に持ってくるようになった。 ゆいいっ すいじゃく おそ 襲い来る悪夢ゆえに、衰弱しきったこの身に負担をかけなかった唯一の『水』だと彼女が認 識したがためだ。
三年ほど前、体調不良を訴えたレンバルトが、その井戸の水にその処理を施したものに限っ て美味しそうに飲み干した時から、リエンカは彼に届ける水はその井戸のもの、そして同し処 理を施したものと決めていた。 だから、今日も水差しいつばいの湯冷ましを手にレンバルトの寝室の扉を叩いた。 「レン、そろそろ起きないと」 くだん おっくう とが 寝坊を咎める口調で告げて件の水を差し出せば、寝台の上で億劫そうに身を捩ったあと、薄 また 茶の髪の青年はのろのろと瞼を上げた。 こはくそうぼう まっげふちど 髪と同じ薄茶の睫に縁取られた瞼の奧から覗くのは、濁りのない琥珀の双眸だ。 たび そこに浮かぶ光を目にする度、リエンカは胸を締めつけられる。 だが、そのことには目隠しをして、彼女はずい、と寝ばけ眼の青年に盆の上のグラスを押し つける。 「ほーら、起きる ! 今日は大事な商談があるって言ってたでしよう卩」 そんなことでどうするのー 叱りつけるように言うと、レンバルトはくしやり、と笑みなのか苦笑なのか判然としない表 情を浮かべて「ああ、そうだった : : : そうだったな」と返してきた。 お ねじ
124 来焔は見逃さなかった。 「 : : : なにがあった ? 」 ちゅう 低い声で間うと、淡い金髪の少女は落ち着かなげに視線を宙にさまよわせた後、「中で話す から」とばそりと答えた。 それから彼女は背後を振り返り、来焔が感知したもうひとつの気配の主であろう相手に声を カ ( オ 「ここです、どうかお茶でも飲んで行ってください ! 」 答える声は、女性としてはやや低いアルト、口調はすいぶん硬いものだった。 「いや、無事に帰宅できたのなら、わたしはこれでーー」 さえぎ 失礼する、と続けようとしたのだろう相手の声を遮ったのはリエンカの悲鳴にも似たそれだ 「とんでもない ! 攫われそうになっていたところを助けていただいたのに、お礼もさせてい ただけないなんて、そんなのあんまりです ! どうか寄っていってください 必死に引き留めようとするリエンカの言葉にぎよっとした来烙だった。 今、 リエンカは何と言ったのか。 攫われそうになった ? さら
ノ葉ノ呪縛夢ノ扉 139 「あの、レン : : : あの方たち、って : : : ? たず 本気で不思議に思って尋ねると、今度はレンバルトが驚いたように目を瞠った。 「何を言ってるんだ、リエンカ。あの方たちといえば : : : ああ、そうか。君はあの方に連れが いらっしやるのを知らなかったんだね。昨日、君を助けてくれたあの女性とお連れの方のこと だよ」 知らないーー知らなかった。 だって、昨日彼女はすっとひとりだった。連れがいるだなんて話も : : : いや、もしかしたら 話していたかもしれないけれど、自分はすっとレンバルトの彼女に向ける顔が気になって気に まじめ なって真面目に聞いていなかった。 けれど問題は、なぜレンバルトがそのことを知っているのかということだ。 , ( 彼ま特にあの女 性と親しく会話していたわけではない。なのに何故、彼女のことをこうもよく知っているのか ・調べたのだとしたら、その理由は何なのか。 それに、昨夜 : : ? 昨日の夜に彼は彼女に会いにいったのだろうか ? そうしてその連れ と会ったというのか。そうして自分のことを頼んだと : ぐるぐるぐるぐると頭の中で疑間符と不安か舞い踊る。 「レン :
Ⅷなるものを持っ方はいらっしやらなかった : : となると、もうあなたしか考えられないではあ りませんか。言の葉姫と直接会ったことのある者の中で、可能性が残っているのはあなただけ なのですよ」 ですから、なにがあろうと協力してもらいます 続けられた男の声は、リエンカの耳には入らなかった。 自分が、可能性を持っ唯一の人間 「そんな : : : はす」 「事実ですよ。言の葉姫はマヤフの守護者ーーすべての言動は記録されてます。彼女が外部に 出たのは、七歳の折の最初で最後の里帰りだけです」 「でも、だって、そんなはすはないわ : : : だって、それじゃあレンは : : ? レンは一一 = ロの葉姫 に頼まれたからわたしを引き取ってくれたと確かに ぼうぜん そう一言ったのにーーー呆然とつぶやいたリエンカは、背後の男の息を呑む気配にはっと我に返 つ、」 0 「レン : ・・ : 卩」 いぶか こわね 心底訝るような声音と同時に、刃を押しつける力が一瞬弱まった。 それに気づくなり、リエンカは動いていた。
ューライカの街外れを人目に立つ一組の男女が歩いていた。 どちらも大変な美貎の主であったため、すれ違う者は十人中十人が振り返るという有様だっ ノたが、ふたりは気にする様子もない 夢 不意に男のほうがクスリと笑うと、黒髪の女性が怪訝そうに問いかけた。 縛 呪 「なんだ、どうした ? 」 ノ 葉 ノ 男は一一 = ロ葉を濁しかけ、田 5 い直したよ、つに問いに答えた。 「どうやら無事に意識を取り戻したようだぜ」 言 171 しゅ かせ の呪であり枷。 らいえん 「来焔、だ : みずか 自ら名乗り、彼は彼女を抱きしめた。 「お前を見よう、小さかったおれのリエンカ : : : お前だけを。放せと言っても放さない」 くちびる くら 目の眩むような幸福感に包まれながら、リエンカは愛しい青年の唇の味を初めて知った。 けげん
あき しかし、すぐにふう、と息をつくと呆れたように問いかけてくる。 「擬態を解いた姿で会いに来るとは、命知らずなやつだな」 わたしの前身を知らないのか ? おうみつ さらりと告げられた言葉に、来焔は思わす苦笑した。知らぬはすがない : ・ : 王蜜の妖主の娘 はよう まげつ はくえん がかって浮城一の破妖剣士であったことは煌弥から聞かされていた。魔月を滅ばし、白焔の妖 つぶ 主の心臓のひとつを潰した実力の持ち主だとも。 かたわ しかもその際用いられた破妖刀は、彼女が浮城を離れた今でもその傍らにあるのだと。 そんな相手に自分の正体を晒すのは自殺行為だ。しかし、来焔はそうしなけれは彼女の協力 あお を仰ぐことはできないと判断したのだ。 ノ「存しております。だからこそ、真実の姿でお願いに参じたのです。わたしの赤心と覚悟を信 夢 じていただくために 縛 ひざ うやうや 、」うべ 呪 ふわりと床に着地すると、彼は女の正面に膝をつき、恭しく頭を垂れた。 ノ 葉 「どうか力をお貸しいただきたい。輝かしき王蜜のご息女よーーー」 ノ ぎようぎよう つぶや 仰々しい来焔の態度に女が不夬げに呟きを洩らす。 「別に輝かしくも『ご息女』というガラでもないがな」 一言 133 せきしん
184 そうして三日後の今日、わざわざラエスリールが店を訪ねて来てくれた。彼女もきっと自分 に会いたかったのに違いない そう思うと心が浮き立つのを止められないエンランドだった。 いそいそと店内の客を追い出し・ーー先に出たおばちゃん連だけでなく、他の皆も常連の冷や かしばかりだったのだーー彼は咲き初めの牡丹の鉢を両手で抱え、宿までは僕が持ちましよう と言って、ふたりで街を歩くことを彼女に承知させた。最初、 , 彼女は自分が持つからと言って せんさい 聞かなかったのだが、牡丹は繊細な花ですから、と一一一口うとおとなしく引き下がった。 ・ : もしかしたら、ラエスリールさんは結構がさつなひとなんだろうか。いやいや、人間誰 しも欠点のひとつやふたつはあるものだ。そんなことぐらいで、僕の心は揺らがない , まんきっ そんなことを思いながら、ふたりで歩く幸せを満喫していたエンランドだが、彼女がしきり うれ 上に彼女の名前を知ることができたのが嬉しかった。 彼女の名はラエスリール 早く呼べるようになりたいな、とエンランドは思ったのだ :