ゅううつ フォルカは憂鬱そうに目を閉じた。 エーヴァ神の花嫁を横取りしようとした自分は、十分に神を冒漬しているのかも知れない。 いたんしゃ 「異端者は火刑なのだろう・ : : こ ぼつりとフォルカは言った。 修道僧は手を止めたまま、物も言わずフォルカを見た。 フォルカは独房に戻ることはなかった。見張りをつけられておぞましい拷問室で一夜を過ご ほうじゅん ぶどうしゅ した彼は、その朝、芳醇な香りのする葡萄酒を与えられた。そばかすの若い僧が、フォルカの 頭の下に手を入れ、脚のついぞそれを飲ませた。飢え乾き、痛めつけられた体を、それは とうみつ なぐさ 暖かい血のように流れて、糖蜜のように甘い慰めとなった。 。これが最後の酒というわけだな」 夜「ああ : : : うまい : すいそく 長フォルカは、いつになく情け心のある教会の対応に、処刑の日が近いのだろうと推測した。 しょぐう てつ の 「夜を徹しての討論の末、あなたの処遇が決まりました。司祭は、あなたの審判をエーヴァ神 ゆだ レに委ねました」 カ ス 「エーヴァ神に ? 」 マ 「あなたは聖ロマンド広場で今日処刑されます」 フォルカは驚いた様子も見せない。 ようす をうとく
178 終わった ? 「あなたは、自分がやったと言いましたから。私はそんなはずはないと思ったんですが」 きようれつ 「強烈だったじゃ、ないか : : : 。最後の審問、ってやつは」 をうちょう フォルカはずきずき痛む額や、膨張したように感じる両肩や、全く力の入らない足が一体ど うなっているのかわからなかった。どうにか生きているらしい、ぐらいのことはわかる。 「あれは審問じゃありません。縄が突然切れたのです。 : : : あんなことは初めてですよ」 僧はいまだあの不思議さを思い出して、遠くに目をやった。 こころざし おそ 「あれはエーヴァ神の志ではなかったかと : : : 皆、ある意味ではあなたを畏れています」 フォルカは目を閉じた。 工 1 ヴァ神の志って何だろう。 夢のなかで、エーヴァ神は処刑台を指差したのだった。 おお 「エーヴァ神はぼくに処刑台に行けと仰せだ。 ・ : それが神の志だ」 ておけ フォルカが眠そうな、夢の続きを見ているような声でそう言った。若い僧は手桶の水に麻布 ひた を浸した。 「そうでしようか。あなたが自白をした途端に縄が切れたのです。その上、あなたは命をとり しょぐう しさい とうろん とめた。今、司祭も加わってあなたの処遇について討論が行われています。 : : : 審問会はおそ らく、あなたに最後のチャンスを与えるでしよう。その時には、どうか真実を言ってくださ
しこうしん 見せしめのためでもあったし、「至高神の審判」と銘打たれた処刑には何らかの奇跡がおこ っと るかもしれないので、その神の裁きを見届けるのも市民の務めだった。 こうとう しゅうれんし 文字を読めない人々のためには、早朝から修練士たちがその予告文を口頭でふれまわる。 昼前には、既に処刑台の周りには人だかりがしていた。 どんな奇跡が起こるのかと、人々は心を踊らせていた。 じゃあく あるいは、奇跡が何も起こらず、処刑される囚人が真の罪人だった場合、彼はどんな邪悪な しんしん 人物か見てやろうと、興味津々なのだ。 奇跡など起こらない。 さと 夜フォルカはそう悟っていた。 あきら くちびる いらだ 長そしてもうひとり、教会のやり方に失望して諦めと苛立ちに唇をかみしめている青年が同じ ドことを考えていた。 レ「奇跡なんか起こらねえ」 カ ス セルフィオンがつぶやいた。 マ 「フォルカのばか野郎 : 夜も眠れないほど心配して、フォルカに読まれた通り、自分が書きノーマに署名させた証言 すで めいう ざいにん しよめい
「ルキダ・エル様 : : : 。聖ロマンド広場に処刑台が用意されていると聞きました」 おろ ウリキナがそれをもって自分の勝利を確信したとは愚かな話だった。 「確かにその上で裁かれるのはフォルカ・アスカリナだが、裁くのは誰か知っているのか」 「通常夕刻に行われるはずの処刑が、アスカリナのそれは真昼に行われる。裁きをくだされる しこうしん のが至高神だからだ」 ウリキナが一瞬不可解な顔をした。 「至高神の審判の意味もわからぬか」 あしもと おろ しやじせい 無表情で叱責するルキダ・エルが見下ろす足下で、愚かしい写字生は顔色を失っていた。 「至高神の : ・ : 審判・ 夜「おまえはそれに耐えられるか。罪なき学生が処刑台の上で炎にさらされ燃え尽きるまでを、 長正体を失わずに耐えられるか」 そううい の 全てを見透かすような黄金の双眸に射られて、ウリキナは消え入りそうに身を固めている。 よこしま けいあい きじんくちびる レ敬愛すべきその貴人の唇から発せられる言葉は、たとえそれがどれほど残酷で邪であっても カ ス それが自分を裏切り見捨てるものであってもーーウリキナには神の言葉と聞こえた。 マ め 「おまえの編み出す写本を愛でる気持ちがあるからこそ、これまで側に置いてやったものを、 何ゆえに血迷った行動を起こしたのだ ? 」 しっせき あ っ
最後の鐘が鳴った。 奇跡なんか起こりやしないじゃないか フォルカは微笑んだ。 司祭が処刑台に上がった。その後にルキダ・エルも続いた。 とな ちんこん 鎮魂の祈りを唱えた。 よいん 鐘の余韻はまだ残っていた。 たいまっ 執行人が松明を運んだ。 炎の先を、フォルカの足下の薪に近づけた。 しきさいよみがえ 突然、人の波が動き、フォルカの視界に色彩が蘇った。 ころも けだか あんかっしよく 夜暗褐色の、すり切れた衣。どんな僧衣よりも気高く、どんなドレスよりも清らかな花嫁衣 長装。エーヴァ神の花嫁 : の 雪の中を、ノーマが進み出た。 レそして彼女は処刑台にのぼって司祭とルキダ・エルの前にひざまずいた。 カ ス「おまえは : : : 」 司祭がたずねた。 フォルカは目を疑った。 ほほえ そうい
煙の向こうにフォルカの顔が見えた。 全てを見放したように彼は徴笑んでいた。 ノーマの唇が動いた。 つらぬ するど 空をも貫くような鋭い叫び声があがった。 ものご 物乞いたちが走り出て、処刑台に乗り込んだ。彼らは手にナイフを光らせていた。 「何をする ! 罪深い者たちが ! 」 司祭がおろおろと彼らを止めようとしたが、何の役にも立たなかった。 たちまち処刑台に炎が上がり、司祭もルキダ・エルも修道僧もさがった。 炎の中から、物乞いが縄を切って囚人を引っぱり出した。 フォルカは雪の上にころがされ、せき込んだ。 夜さっきのは何だったのだろう ? 長あの叫び声はーー ? の フォルカは顔を上げた。 レ ノーマが泣いていた。 カ すそ ス司祭の長い衣の裾にすがりつくようにして、うずくまっていた。彼女のフードがその背に垂 れて、褐色の髪があらわになっていた。彼女は司祭を見上げた。 「何をしている、ノーマ ! 」
大きな怪我はないのだ、大丈夫なんだと説明しなくてはならなかった。 「ノーマはどうやって助かった ? 本当にきみこそ無事なんだろうな ? 」 「司祭様が救ってくださったのです」 「きみが処刑されたと伝えて来たのも司祭様だった。今まできみは一体どこにいたんだ ? 」 「教会の地下室です。アスカリナ様がいらしたところです」 「そんなところに ! 手荒なことはされなかったか ? 」 もうふ だん 「はい。暖も取らせていただきましたし、毛布も。司祭様は本当に私を助けようと」 フォルカは胸をなでおろした。 ろうそくささ 「じゃあ、礼拝室にイグサの鑞燭を捧げてくれたのもーー」 しゅうどうそう 「それは修道僧の方にお願いしました。わたしは人前には出られなかったので、イグサの鑞燭 夜を作ることだけは許していただいたのです」 まぬが どうやってきみは処刑を免れたの」 長「しかし、 の 「わたしはーー思い出すのも恐ろしいことなのです。裁きを受けるために教会へ連れて行かれ レたその時ーー・」 カ ス ノーマはそこで言いよどんだ。 マ 「その時 ? 」 うなが フォルカが続きを促した。
「正午の鐘だ ! 」 「ウリキナ殿。何も鳴っておりませんぞ」 「ふたっ、三つ : : : ほら、鳴っているじゃないか」 従僕は耳をすませたが、やはり何も聞こえなかった。 「私はエーヴァ様に恥じることは : : : 何もない : ウリキナが裏声のような高い声で、とぎれとぎれに言った。 「ウリキナ殿。時疇書をお読みなさい。鐘はまだ鳴っていないが、それも間近でしよう。くだ んの学生がまもなく、処刑されます」 げんちょう 幻聴であろう鐘の音に、ウリキナはひどく怯えていた。 しこうしん ーー至高神の審判ーー 夜「神は : : : 全てを御存知か ? 」 にうぜん 長ウリキナは呆然と開いた目を窓に向けて言った。 の 「神は御存知です」 レ従僕が答えた。 カ ス突然ウリキナが立ち上がり、笑い出した。 「六つ目の鐘が鳴った。処刑が始まるぞ ! 神は御存知だ ! 」 いよう 扉を叩きながら、ウリキナは異様に高ぶった笑い声を上げた。鉄の扉に爪をすべらしてきし おび
このまま審問が続けば幾日も持たないだろうから、同じことだ。なにより、それは急がなく てはならなかった。セルフィオンはノーマに証言させようとしていた。おそらく文字も書けな しよめい いだろうノーマにどうやって : : ? たとえばセルフィオンの書いた証言にノーマが署名した だけの物を、誰が信じるだろう ? セラはすぐにそのことに気づくだろう。そうすれば次は 「 : : : どうしました ? 気が遠くなりましたか ? 」 思考の片隅に、若い僧の声が割り込んでいた。 「いや、全然」 「あなたは、至高神の審判を受けるのですよ」 フォルカはその言葉の意味だけは知らないこともなかった。 至高神の審判 : : : 学生裁判でも異端審問会でも決着がっかなかった場合の、運任せの審判だ った。 さいど 「聖ロマンド広場の中心に処刑台を今作っています。あなたはそこで最期の時を待つのです。 ざいにん 正午の鐘が鳴り終わるまでに、 あなたが無実であるなら、必ず本当の罪人がそこにあらわ しよくざい れて贖罪をするはずです。彼が生きている限り、の話ですが。処刑を急ぐのは、このことを知 って犯人が消されたりする暇を与えないためです : : : エーヴァ神に審判を委ねたということ は、つまりそういうことなのです」 まか
げんそうよみがえ ごうもん ふとフォルカの裏に、拷問のさなかに見たエーヴァ神の幻想が蘇 0 た。 「至高神のーー審判・ 奇跡など何も起こらないと思っていた。起こったのはノーマの証言という辛い事実だけだっ たと思っていた。しかしエーヴァ神は自分とノーマを見捨ててはいなかった。これほどの回り 道をしなければノーマと再会できなかったことすらエーヴァ神の心憎い計らいであったのか ? 「でもなぜ、司祭様はそのことをぼくに教えてはくれなかった ? はっきりときみを処刑し た、もうあきらめろと言ったのはなぜだ」 「それは : : : 」 ノーマはロごもった。 「わたしがお願いしたのです」 夜その答えに、フォルカは失望を通り越して怒りさえ覚えた。 長「ぼくがどんな気持ちでいたのか、きみは知らないのか ? どうしてそんなことを ! そんな の にぼくから逃げたかったのか ? 」 レ 声を荒げて責めるフォルカに、ノーマは困ったように言い訳した。 カ ス 「いいえ : : : わたしは本当に処刑されても良かったと思っています。エーヴァ様への誓いは破 マ 。あなたが救われるなら、わたしは良いことをして ってしまったけれど、後悔はなかった : わたしはあなたにふさ 召されるのだと思ったのです。こうしてわたしは助かったけれど、 3 はか