そうふく つかさど を司る僧たちが、白い僧服を着てその周りを取り囲んで広場の中央へ進み出た。 かたむ 観客ともいうべき人々は、背伸びをしたり顔を傾けたりしてなんとかその囚人を見ようとし ていた。 しゅうあく 。そしてそれを確認した上 醜悪な男であるのか、美しい皮をかぶった悪魔であるのか で、民衆はそれぞれの胸の内でその囚人は有罪か無罪かを決定するのだった。 フォルカは、何度も雪につまずき倒れながら、火刑台の手前まで連れて来られた。 必死で囚人を見ようとする心ない人々の中に、青ざめて今にも泣き出しそうなノーマを見つ よういくいん いちべっ けたが、フォルカは刑場をまっすぐ見つめたまま、彼女を一瞥することすらなかった。養育院 えきびよう の子どもたちがこちらを見ていた。あの疫病騒ぎの少女も元気だ。花あめも木の実もパンも、 もう与えてやれないのだ、とふと田 5 った。 夜セルフィオンが、後ろのほうに見えた。 もっと とほう まいご 長迷子の子どもみたいに途方に暮れている、彼の最も親しかった友人だ。 の フォルカ、おれを、疑ってるか ? レ きみも、自分も、何もかもを カ ス フォルカは彼に申し訳ない気がした。 マ セルフィオンを疑う気持ちなどなかった。 全てが信じられなかっただけだった。
すっかり闇が彼らを包んでも、ふたりは帰ろうとしなかった。面倒なことの大嫌いなセルフ イオンがいつになく辛抱強く友人につきあっていた。やがてフォルカが雪の中から何かを探し 当てた。見えなくてもわかっていたようだ。 , 彼は無言で立ち上がった。セルフィオンもつられ て立った。 たいまっ 教会側から松明の明かりが近づいてきた。 医師が迎えに来たのだった。 けんめい 明かりに照らして、フォルカは懸命に見つけた石を見つめた。肩を固定されていたため、こ にぎ わばって自由にならない手で、二度と落とさないようにその石を握っていた。 「見つかったみてえだな、医師、天上の鍵ってやつが」 のぞ セルフィオンがそう言いながらフォルカの手の中を覗き込んだ。そこにあった平らな石は、 何人もの靴に踏みつけられたのか、汚れて傷だらけだった。そこに何が描かれているのか、全 く見定められなかった。 だがフォルカだけにはわかっていた。 しようぞう けんめい かってそこにはノーマが懸命に描いたフォルカの肖像が存在していたことが。 くのう エーヴァ神を裏切ってフォルカに関心を寄せてしまった苦悩が、その小さな石に描かれてい たのだ。 ノーマはぼくを : ふ しんう せんせい
114 ふしど といき ものう ・真紅の臥所の垂れ幕の奥から物憂い吐息が聞こえる。 衣擦れの音がした。 しよくだい 枕元の燭台の細い明かりの中で、形のよい長い指が女の髪をかき上げた。 「どうした ? 微笑みを忘れたか」 かげお 穏やかな声がほんの少し陰を帯びた。 「わたくしーー」 うる 女の声が潤んで、すすり泣きが漏れた。 「 : : : 何があった ? 」 けが 「わたくし、。ーー学生に汚されてしまいました」 かわ 重苦しい静けさの後、感情を殺した乾いた声が問いただした。 「学生の名は ? 」 「わかりません。エーヴァ神に似た友人だとセルフィオンが言っていました」 「本気で学生を相手にするきみではないだろう。何も不自由はさせていないはずだ。退屈しの ぎの話し相手にと、許していたのに」 その声に非難めいた響きが感じられる。 しんく きぬず おだ
「よっ、フォルカ。遅いじゃねえか」 「ああ、セラか」 セルフィオン、というべきだが彼はその友人を親しみをこめてセラと呼んでいた。彼はフォ ルカと同じ十七歳だが、もっと大人びた顔つきをしていた。 「財布をどうかしたのか ? 」 フォルカがマントの切れ目から、持て余した。ハンをねじ込んだのに目を留めてセルフィオン が言った。 「いや、なんていうかその : : : 」 きまり悪そうにフォルカが言葉を濁した。 「へつ、わかった。すられたんだろ ? 」 ほそおもて いくぶん狡猾そうな浅黒い細面のセルフィオンが、薄い唇を歪めて笑った。フォルカはこの 町に下宿を移してから間もないというのに、財布を取られたり金を抜き取られるということが ほうもっこ 何度もあって、その度にセルフィオンに「隙だらけの宝物庫」なんていうあだ名をつけられて からかわれていたのだ。 「うるさいな。すられたならここにあるかよ。ほっといてくれ」 フォルカは話をそらしたくてまた足を速めた。セルフィオンは一度もそんな目にあったこと こうかっ ゆが
たがってもらおうって気持ちがあるのなら、喜捨なんかしないほうがましだね」 「ありがたがって : : : もらう ? 」 フォルカは辻の聖堂で祈るノーマを思い浮かべた。 彼女から感謝されたがっている ? ・彼女たちをばかにしている ? 違う : きやしゃ しんえん ノーマの祈る姿は、聖域そのものだった。華奢なあの体に深淵ともいえる強さを秘めて、フ くぎ ォルカの目を釘づけにした。あなどる気持ちなんてどこを探したって見つからない。 た ノーマが寒さと飢えに震えているのがフォルカには耐えられないだけだ。興味本位などでは なく、卑劣な下心もなく 「なぜ、セラにそんなことが言えるんだ、何も知らないのに ! ぼくは彼女を見下してなんか いない。今の言葉、取り消せよ」 夜 の問い返されてフォルカは一瞬言葉をなくした。セルフィオンがうかがうようにそれを見てい レ カ 「 : : : 何、ムキになってんだよ ? おまえがそう思うなら、それでいいじゃねえか」 ス マ 「しかし : 遊び人の友人になぜこうまで言われなければならないのだろうかとフォルカは憤慨してい ひれつ みくだ ふんがい
242 「ええ ? 」 あき セルフィオンが呆れたように聞き返した。 「ノーマがいたような気がした」 セルフィオンが同情をんだ目で友人を見据えた。 フ矛ルカは持っていた乱暴にテープルに置いて部屋を飛び出した。赤紫の濃い液体がこ ぼれて杯のを濡らしていた。 なが ためいき 残されたセルフィオンはふうっと溜息をついて、窓の下を眺めた。 しつこくきじん 漆黒の貴人が町を行く。 今や誰も彼を知らない者はいない。 物乞いたちは、彼を「エーヴァ神だ」と言う。 学生は「カシュメリアナを落とした」ことを噂し、 修道僧は「至高神の審判によって救われた若者」と呼んでいた。 ちんもく 芸術家たちは「聖なる花嫁の沈黙を破った男」と。 この日誰もが仮装して浮かれ騒ぐというのに、彼は至高神に似た風貌そのままに、飾りも隠 しもしない。 フォルカは黒髪を風に流して、人混みをかき分けた。 ものご ふうぼう
な押しかけをしようとしているのではないことをフォルカは内心祈った。 じゅうきょてんざい いた さらに東に進むと、教師たちの住居が点在するやや高級な住宅街に至る。しかし、馬車はそ こうじ こからどういうわけか抜け道や小路を複雑にたどりはじめた。 セラ ? 」 もし、フォルカがもう少し早くから友人たちの悪ふざけに加わっていたなら、このあたりで たくら セルフィオンの企みに気がついたはずだ。 「何 ? 」 セルフィオンは何くわぬ顔で前方を見ていた。 「教授の住宅街を過ぎたんじゃないか ? 」 ーもう 「知らねえのか ? 文法教授は神学の師ほど儲からねえから、こんな高級なところには住まね えのさ、もうすぐだ」 夜 いあたりはすっかり暗くなっていた。 の カ ~ 、し」う 馬車は角燈のついた小ぶりの家に着いた。 レ カ 従僕らしい大柄な男が出てきて、ふたりを中に通した。よどんだ目つきをした醜い男だっ ス くつきようたいく かが ひくっ た。屈強な体躯をやや屈め、卑屈な感じのするしわがれ声で、お待ちいたしておりました、と 言った。 みにく
はいねえ」 しようかん 「娼館に : : : 清らかな愛 ? 」 フォルカは相手にしないばかりか、めずらしいことに、のぼせている友人の目を覚ますよう な一撃でとどめをさした。 せいろく 「もったいぶった娼婦なんだな。 : まさかきみは、神学の講義を聞いて受け取った聖禄をつ いやしているんじゃ : : : 」 「う : : 、たまにはそういうこともある」 痛いところをつかれてセルフィオンはちょっぴり元気をなくした。 そうせき きんす 上級学生は、神学に進むと同時に僧籍を得て、聖禄という金子を受け取るしくみになってい る。 とみ 学都リプサリアでは、学生の富にたかって生計をたてている市民が大半で、町をあげて学生 きしん を保護していた。教会でも学生の生家からの多大な寄進のお返しに、少々の聖禄で学生の機嫌 をとるのだ。 「ここじゃおれたち学生はお客様じゃねえか。少しくらい不作法を働いたって、目をつぶって もんく もらえる。夜な夜な酒を浴びてばか騒ぎをしたり、娼館通いにうつつをぬかしたって誰も文句 言えねえのさ」 セルフィオンはそれをすっかり楽しんでいる。 あ せいか しんがく
124 : つまり、正直言ってカシュメリアナ殿がまさかおまえを寝室に導くとまでは予想してい なかったんだ。初めて彼女を訪れて、顔を見せてもらえるやつはいねえってくらいなんだか ら」 そしてセルフィオンは申し訳なさそうにフォルカの頬を見た。 「ちょっとからかったんだ、そのことは謝る」 こうろん フォルカはそれ以上口論する気をなくしてしまった。いつになくセルフィオンのペースには まった自分もうかつだったのだ。 友人に失望しながら、フォルカはきびすを返した。 午後の講義はざわざわと落ち着きがなかった。フォルカはそれが自分に関するあらぬ噂のせ いだとわかって、いたたまれない思いだった。 上級に上がって間もない学生フォルカが高級娼婦カシュメリアナを射止めた しこう 外見が至高の神に似ているだけでーーそれも誰が見たというわけでもない、伝説の中の神の 風貌なのだがーーそして悪疫騷ぎの美談も據をかけて、本人の知らぬところで勝手に孤高な せいしよう かぶ 雰囲気をもっているとみなされ、聖性のヴェールを被せられてきたフォルカ。その彼に突然ふ ってわいたような噂は、今までのイメージを覆すような、あまりにもセンセーショナルな内容 あやま くつがえ
に医学と法学の書がある。 たぐい 自由に学生が見ることのできないような類の書物はーーそれは特別に高価なものや、学生や ーー・修道院ではなく、教会の書庫に 信者たちに悪影響を及ぼすとみなされていた書物などだが あった。 こうそう その鍵付き書庫への出入りが許されていたのは、高僧はいうまでもないが、学生側では歴代 の学頭と、その専属写字生だけだ。さきほどフォルカに鋭い視線を投げかけたウリキナもその ひとりである。 文法の書庫のあたりで数人の学生が、書棚の写本を探したり、中を確かめたりしていたが、 フォルカの姿を認めると一瞬その動きを止めて、意味有りげにうなずいたり、連れの友人に耳 打ちしたりした。 フォルカは易しながらも彼らを無視して書棚の前を進み、ふと足を止めた。 「セラ : 窓際に寄り掛かって、セルフィオンが楽しげにフォルカを見ていた。 ようえん ちち セルフィオンの縮れた長い髪が逆光を浴びてちょっと妖艶な感じがした。昨日のカシュメリ 。セルフィオンの大人びた一面に触れた衝撃が尾を引い アナへの態度がそうだったように ているのかも知れない。 「昨夜のことを説明してもらおうか」 するど