たいき 泰成がふっと溜め息をつくのを見て、義純も黙ってしまった。泰成に相談を持ちかけた ものの行き詰まってしまったからだった。 ふすま その話を息を詰めて襖の陰で聞いていたのは貞信だった。前回の作戦の失敗はすべて自 分にある。責められても仕方のないことだった。 「ひとつだけ、これがあればというものがあります」 重い沈黙を破って泰成が口を開いた。 「なんですか、それは」 「私も聞いたことしかなくって、式神を飛ばして探させてみたのですが見つからないので なすおんせをたいみようじんかぶらや すよ。那須温泉大明神の鏑矢です」 「鏑矢 ? 」 「ええ。那須温泉大明神の鏑矢は願をかけた目的に向けて放っと必ず当たるんです。そし て刺さると決して抜けないと言われています。もしそれがあれば新しくたてた作戦の抜か りを補うことができると思いませんか ? 義純が身を乗り出してきた。万事休すと思われたところに光が射してきた。 「那須温泉大明神といえばすぐ近くではないですか」 もとくら 「ええ。もしかして灯台下暗しなのかもしれませんが、ずいぶんと前から探しているので すよ。でもどうしても見つからないのです」 しきがみ
夢にまで見た虻矢だった。 「なぜこれをそなたが持っているのだ ? あそこの神社を壊して妖狐が持ち去ったはずの 鏑矢ではないか : ・ 「あなたはこれを探していたのですね。それはちょうどよかった。さあ、どうぞ」 ちゅうちょ 女性が目の前に鏑矢を突き出した。それを受け取ろうとして貞信は躊躇した。 「いったいそなたは何者なのだ。妖狐が持ち去った鏑矢をどうして持っているのだ」 いぶか 貞信の先手をとる妖狐が持っていった鏑矢を、手に入れている女性を訝った。女性の頬 ままえ あで がピクリと動いたが、すぐに艶やかな微笑みを浮かべた。 、そう、私は那須温泉大明神に仕える者です。妖狐から大明神はこの鏑矢を 「それは : たく 取り返しました。そして妖狐退治のために使ってほしいと、あなたに託されるのです。ど うぞこれを使って妖狐を退治してください」 鼻先に突き出された鏑矢と女性を交互に見つめていた貞信は、しばらく迷ったがやがて 鏑矢に手を伸ばした。 風「なんだか狐につままれている気がするが、遠慮なくいただいておこう」 なが にぎし 戸しつかりと鏑矢を握り締めて感触を確かめ眺めていた貞信が、顔を上げた時には女性の 科 姿はもうなかった。あたりを見回して女性がいなくなっているのを確認した後、再び鏑矢 昭に目を落とした。 きつね ようこ ほお
かぶらや 「まことにこれは那須温泉大明神の鏑矢。さっきの女性は本当に大明神の使いだったのか ようこ もしれん。やはりわしには神のご加護があるのだ。これさえ手に入れば妖狐を討ち取った も同然だ」 なぎんみ 貞信は鏑矢を撫で吟味してから、大事に抱えると城に向かって歩きだした。 さだのぶ みずくめ 貞信が妖狐の力が及びにくい城の近くまで帰ると、藻女はふわりとその姿を現した。鏑 矢が再び妖狐の手に渡らないように、貞信の近くを飛びながら見守ってここまでついてき ねら 「これで鏑矢が泰成の手に渡るわ。妖狐が言っていたようにあの鏑矢が本当に、狙ったも のに確実に当たり決して抜けないのなら、泰成はあれを使って妖狐を仕留めるはず。その 時に私が妖狐の中に入っていれば、私も妖狐と一緒にこの世からいなくなってしまうこと ができる。妖狐の妖力の影響で自分では死ぬこともできない私が自由になれるたったひと つの方法・ : ・ : 」 夜の闇の中で厖かに明るい場所が城のはずだった。藻女は城にいるであろう泰成を思っ やすなり いっしょ
さだのぶやすなり なすおんせんだいみようじんかぶらや 貞信は泰成たちに相談することなく、単独で那須温泉大明神の鏑矢を探していた。一 部の家来を内密に国じゅうに走らせ、ありとあらゆる情報収集の手段を試みていた。 ようこ 「もうすぐ冬がきてしまう。その前になんとか鏑矢を手に入れるのだ。妖狐退治を来年に 持ち越してはならん」 鏑矢探しに名を連ねた家来たちはもっとも優秀な武将であり、厚い忠誠心を持ってい こた た。貞信の期待に応えるがために昼夜を徹して探し、意外に早くよい知らせを持ってき 「殿、例の鏑矢が納められているという神社が見つかりましてございます」 平伏して伝える家来の言葉に貞信は思わず腰を浮かせた。 みずくめ 第 2 章藻女の裏切り
部屋に着くなり広常が叫ぶように質した。帰ってからすぐに風呂に入ったのか、こざっ きようそく ばりとした貞信は上機嫌で脇息にもたれ掛かり座っていた。 「これはこれは。さっそく見にいらしてくださったか。三人より先に見つけてしまって申 し訳ない。これ、矢を持ってこい からからと笑いながら嫌味を一一 = ロう。前回の作戦の失敗などコロリと忘れているようだっ 「それは真の鏑矢なのですか ? 」 きり 冷静な義純にむっとして、持ってこさせた桐の箱から鏑矢を取り出した貞信は三人の前 に突き出した。 だいみようじん たく 「大明神の使いの者がわしに託したのだ。間違いはなかろう」 泰成はその鏑矢を手に取った。鏑矢自体から発する気は確かに本物だった。 「そうです。間違いありません。よく手に入れられたものですね。これがあれば戦いは 我々のほうがかなり有利です」 うなず のぞ 泰成から手渡された鏑矢を見て、義純も頷いた。覗き込んでいた広常もしぶしぶ首を縦 に振った。 「今全軍に鏑矢のことを伝えました。いやがうえにも士気は高まって、明日にでも出陣で きそうなくらいですよ」
ふてぶてしい笑みを浮かべて貞信は見下したような目で泰成を見た。 おとろ 「さあ、三人で話して日を決めてくだされ。士気が衰えないようなるべく早い日に」 勝ち誇った貞信を残して三人は再び作戦を練っていた部屋に戻った。真っ先にドスンと 腰を下ろしたのは広常だった。 「あー、面白くない。なんだ、あの顔。だいたいなんで大明神の使いが泰成殿や私たち じゃなくて、貞信殿の前に現れるんだよ」 かぶらや 「貞信殿に特殊な力があるようには思えないが・ 。でも確かにあれは本物の鏑矢だっ 義純も座り両腕を組んで考え込んでいる。 「いいじゃないですか。どんな形にしろ鏑矢が手に入ったのですから。さあ、作戦の立て 直しをして、貞信殿の一一一口うとおり日を決めましよう」 「泰成殿もお人がよすぎる。私はなんだか素直に喜べませんよ。それになんで貞信殿は。一 しょ ようこ 緒に作戦を練ろうとしないのですか。まるであの鏑矢さえあれば自分一人で妖狐は退治で 風きると考えておられるようだ」 とこだたみたた 戸広常は作戦帳を丸めてバンバンと床畳を叩いた。 「実際にそう考えておられるのだろう。鏑矢が手に入った瞬間から我々は建て前上の存在 でしかないのだろう」
ポ 1 カ 1 フェイスの義純にしては珍しくがっかりとした顔を見せた。 「その鏑矢があればもう妖狐を討ち取ったようなものなのに = ・ = ・。泰成殿の襯でさえ見 つからないということは、もうこの地にないのか : 「それとも相当な能力を持つ者が隠しているか、です」 二人は顔を見合わせた。思い当たるのは妖狐しかいなかった。 「まさか妖狐が隠していると : : : ? 「その可能性はなくはありません。けれど大明神の所有物を妖狐が持っというのも変な話 ですよね。邪悪から生まれた妖狐が敵対する神のものを持っていられるとは思いがたいの ですよ」 ごうもん 「そうですよね。妖狐にとって神やその所有物に手を触れるなんて拷問でしようからね。 身近に隠しておくなんて考えにくい 「まだまだ探す余地はあるはずです。私も式神を飛ばしてみますが、義純殿も広常殿と協 さぐ 力して探ってみてくれませんか ? 風「もちろんですよ ! その鏑矢さえあれば先は明るいですからね」 戸ようやく二人に笑顔が戻った。 「おやおや、私としたことがお茶も出さないで失礼しました。今晩は寒いのでこっちのほ うが体が温まっていいかもしれませんね」