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検索対象: 科戸の風 : 霊鬼綺談
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1. 科戸の風 : 霊鬼綺談

ふてぶてしい笑みを浮かべて貞信は見下したような目で泰成を見た。 おとろ 「さあ、三人で話して日を決めてくだされ。士気が衰えないようなるべく早い日に」 勝ち誇った貞信を残して三人は再び作戦を練っていた部屋に戻った。真っ先にドスンと 腰を下ろしたのは広常だった。 「あー、面白くない。なんだ、あの顔。だいたいなんで大明神の使いが泰成殿や私たち じゃなくて、貞信殿の前に現れるんだよ」 かぶらや 「貞信殿に特殊な力があるようには思えないが・ 。でも確かにあれは本物の鏑矢だっ 義純も座り両腕を組んで考え込んでいる。 「いいじゃないですか。どんな形にしろ鏑矢が手に入ったのですから。さあ、作戦の立て 直しをして、貞信殿の一一一口うとおり日を決めましよう」 「泰成殿もお人がよすぎる。私はなんだか素直に喜べませんよ。それになんで貞信殿は。一 しょ ようこ 緒に作戦を練ろうとしないのですか。まるであの鏑矢さえあれば自分一人で妖狐は退治で 風きると考えておられるようだ」 とこだたみたた 戸広常は作戦帳を丸めてバンバンと床畳を叩いた。 「実際にそう考えておられるのだろう。鏑矢が手に入った瞬間から我々は建て前上の存在 でしかないのだろう」

2. 科戸の風 : 霊鬼綺談

「泰成殿 ! 」 無理にでも止めさせようとする広常を制して、義純が言葉を発した。 「わかりました。私たちだって死ぬ時は武将として死にたいものです。泰成殿の願い、聞 き入れました」 「義純、なにを言う : ・・ : ! 「おまえが泰成殿の立場だったら、きっと同じことを言うと思う」 くっと詰まって広常はしぶしぶ泰成から手を放した。 「ありがとう、義純殿。頼みます、広常殿」 泰成はこれまでにない笑顔を一一人に向けた。すべてを達観したような爽やかな笑顔だっ よ、つこ 総勢八万の軍勢は妖狐狩りに向けて、進撃を開始した。 ほどこ 見晴らし台の上からその様子を見ていた泰成は降雨の術を施す態勢に入った。 こた ( 藻女が私ではなく死を選ぶのなら、私はそれに応えなければならない ) かぶらや 鏑矢を手に入れたことで全体の士気は盛り上がっていた。高揚している気は不可能なこ とも可能にしてしまう強さを持っていた。 ( きっと妖狐は今日捕らえられるだろう。その時、私はできる限りのことをして浄化させ さわ

3. 科戸の風 : 霊鬼綺談

。私とい 「そうですね。皺女もそれがわかっているのでしよう。だからこそ死を望む えば自分勝手な想いで、彼女が他の誰とも接することのないよう、誰にも傷つけられない よう、私の腕の中で生きていってほしいと願ってしまうのですが」 「泰成殿・ : 義純の心の傷の深さを見せつけられ愕然としつつ、それでも広常は泰成の喉えられぬ願 望がわかるだけに辛かった。 それぞれの想いに口を閉ざしてしまった三人の沈黙を破ったのは、貞信の帰還だった。 「殿が、殿が知を持「てお帰りでございます」 バタバタと足音をさせて貞信の家臣が泰成たちに知らせにきた。 「泰成様、義純様、広常様、殿がお呼びでございます。すぐに来られますように」 「鏑矢だと ? 」 三人は顔を見合わせた。 「貞信殿が見つけたというのか ? 」 風「我々が探しても見つからなかったのに」 戸半信半疑のまま三人は貞信のもとに急いだ。もしそれが本当なら妖狐退治の幸先はかな 。すぐにでも妖狐を攻められる。 「鏑矢を見つけたというのは本当ですか ? 」 ようこ さいさき

4. 科戸の風 : 霊鬼綺談

遊びに連れていってやると言った親が、いつまでも支度をしないのを不満に思っている 子供のような顔つきだった。 「はは、かな。だが私はいつまでもどんな状況でも綺麗なものは綺麗だと素直に感じ ていたいんですよ」 「綺麗だと感じるのはいっこうに構わないんですけどね、もう秋なんですよ、秋。わかっ よろ・ヤ」 てます ? あと一月もしたら冬がきてしまうんですよ。その前に妖狐をなんとかしないと 春まで待っことになりかねないんですよお。本当にわかってます ? 」 広常はぶんぶんとススキを振り回している。その仕草がなんとも可愛らしくて泰成はく すりと笑いを漏らした。 「なにがおかしいんですか。泰成殿はなにを考えているのかわからないお人だ」 「いや、失礼。広常殿はご自分に正直なお方だと思って : ・ 「そりやお褒めにあずかって、どうも。義からは単純ばかって言われてますけどね。ば かはばかなりに考えているわけです。妖狐をどう退治すればいいのか、このままダラダラ さだのぶ 風と待っているだけでいいのか。貞信殿ではないですがじっとしているのは性に合わない」 戸「座りませんか、広常殿ー 泰成はペタリと地面に腰を下ろすと、広常を見上げてにつこりと笑った。 「ああ、本当に泰成殿は今の状況がわかっていらっしやるのか」 したく

5. 科戸の風 : 霊鬼綺談

も大したことはござらんの。今だって二人の武将がいなければ妖狐など退治できなんだ。 泰成殿はなにもしていないではないか」 「貞信殿こそなにをおっしやる。泰成殿の降雨の術がなければ、妖狐は空へ取り逃がして いたものを」 広常が胸ぐらに掴みかからんばかりに怒をあげた。 「わしは見たままのことを言ったまでだ。実際に手を下したのはお二人ではないか」 「まだ言いますか ! 泰成殿の術や作戦がなければ私たちの力など役には立ちませんでし た。そんなこともおわかりにならんのか」 「もういいです」 泰成が一一人の間に入ってきた。なんとか顔に笑みを浮かべている。 くよう 「貞信殿のおっしやることも一理あります。ですが、私は妖狐を供養します。これだけは ゆず お譲りできません」 ひとみ 口元では笑っていても、瞳には揺るぎない決意をもって貞信を見つめた。 「封印はしません。私は妖狐を浄化させたいのです」 その迫力に貞信はなにも言えず、フンと鼻を鳴らしてその場を立ち去った。貞信の後ろ 姿を見送ってから、泰成は一一人に向き合い頭を下げた。 わまま 「どうか私の我が儘を聞いてください。妖狐を別の場所に移動するのに、兵士を何人かお よ、つ」

6. 科戸の風 : 霊鬼綺談

もてあそ あき 呆れて広常も座り込んだ。心持ち泰成に背を向けてススキを手で弄んでいる。 みかど 「わかっています。那須の領民のためにも、帝のためにも、この国のためにも一刻も早く ようこ 妖狐を討ち取らねばならないことは」 「だったら : : : ! 」 目を細めて秋を満喫している泰成の表情は穏やかだった。微塵の無りも感じられず広常 あらわ は不満を露にした。 「私から見ると泰成殿は妖狐退治をなんとか先延ばしされているように見える。なにか妖 狐を退治したくない理由があるようだ」 「・ : ・ : そうかもしれないな。でも広常殿、今の私たちに打つ手がありますか ? 広常殿と ほしみ 義純殿の能力にも、私の星観にも妖狐の影は見えません。なんの手掛かりもないのに気ば かり急くと、失敗するのが目に見えています。今のこの時間なんて宇宙から見ればほんの ままた 瞬きする間なんですよ。瞬きを 1 回するのも 2 回するのも大差ないと思いませんか ? 「それは : : : そうだし、確かに妖狐がいったいどこに隠れているのかもわからないのは事 実です。 : ・ : ・でも・ : 「もう少し待ってもらえませんか ? 広常殿。妖狐もここしばらく人間を食べるようなこ とをしていませんから、そろそろ行動を起こすような気がするんです。その時はきっとあ なた方にも、私の星観にも変化が現れるはずです。それを逃さないで妖狐を捕らえましょ

7. 科戸の風 : 霊鬼綺談

義純はそれ以上食い下がることができなかった。 「ああ、まだ言いたりんわ。もう一度泰成殿に発破をかけておかねば」 同じ頃、貞信が泰成の部屋に向かっていた。先ほども繰り言を言ったにもかかわらず、 気が納まらなかった。 「ところで義純殿はこんな話をしにいらしたのではないのでしよう ? 落ち着き払って笑む泰成に、本来の目的を思い出して義純は腰を下ろした。 よう、」 「今度妖狐退治の機会があった時のことを泰成殿はどう考えていらっしゃいますか。前回 と同じでは妖狐に手の内を見られて、また失敗に終わる気がします」 「義純殿もそう思っておられましたか」 「姿を現さなかったものの、妖狐はどこかで私たちの攻め方を見ていたのではないかと思 うのです。そうなると同じ手法はとれません。ですがいくつかの作戦を考えても、私には 風どれもがピンとこないのです」 ずるがしこ 戸「実は私もそうなのです。前回の作戦以外はどこかに抜かりができてしまう。あの狡賢 い妖狐がそこをついてこないはずはないのです。前回の作戦が成功していれば一番よかっ たのですが」

8. 科戸の風 : 霊鬼綺談

「それもそうですね。自分の感情でさえ持て余すこともあるのに、他人の気持ちまでわ かってしまったら苦しくて生きていくのがいやになってしまうかもしれません」 「 : : : それは以前におっしやったことと関係があるのですか ? 」 おんたけさん 妙な黒雲が発生し御嶽山に精神を飛ばした時に、泰成が双子に言った言葉を指してい ようこ 『もし私が妖狐退治において迷惑をかける行動をとったならば、どうぞ遠慮せずに斬り捨 ててください』 ひとみ ひょうひょう あの時の泰成は飄々と笑ってはいたが、瞳は暗く沈んでいた。 「泰成殿と妖狐の間にはなにがあるのですか ? もともと妖狐退治を言いだしたのは泰成 おも 殿なのに、まるで妖狐に想いを馳せていらっしやるようだ」 : ええ、そうです」 「まさか、泰成殿 : 肯定されるとは予想もしていなかった義純は、思わず腰を浮かせた。 「いえ、正確には妖狐ではありませんが。この話は近いうちに広常殿にも聞いていただき たいので、それまで待ってください。私がなにを迷っていたか、どうしたかったか全部お 話ししますので」 そう言う泰成の表情が御嶽山の時とは違い、悟りを開いたようにすっきりとしていて、 ひと

9. 科戸の風 : 霊鬼綺談

「なんだと。それは本当か。探し始めてから幾日も経っておらんのに、もう見つかると は。やはり神はわしの味方なのかもしれん」 「きっとそうでございます。泰成殿が探して見つからなかったものが、殿がお探しになれ ばこんなに簡単に見つかるのは、神のご加護に違いありません」 貞信は腰を下ろし、ふてぶてしい笑みを浮かべた。 しよせん 「そうよの。わしにとっては身を切られるような思いがすることも、所詮泰成殿にとって はこの那須野のことは他人事。見るに見かねて神もわしにお力を貸してくださったはず。 して、その神社はどこにある ? 」 「御嶽山のふもとにある小さな神社でございます。どうしてそここ虻矢があ 0 たのかはわ かりませんが、明日にでも取ってくるつもりです」 よう・ヤ」 うなず あごな 手で顎を撫でながら貞信は何度か頷いた。これを機に妖狐退治の実権を泰成から自分の むだ 手に移すべきだと思っていた。そうすれば無駄な時間を過ごさずに行動を起こすことがで きる。 風「わしも行こう」 戸思ってもない貞信の申し出に家来は驚いた。こんなことに一国の領主が出向くことなど 考えられなかった。 じきじき 「なにも殿直々に足をお運びなされなくとも、この私が取ってまいります」

10. 科戸の風 : 霊鬼綺談

おも どう想っているのかはわからないが、人間として生きたい気持ちはどこかに持っているは ずだ。だが、手を差し伸べる泰成を拒む気がしてならなかった。 よしずみ 「泰成殿、義純です。入ってもよろしいですか」 居住まいを整えて泰成は義純を招き入れた。 「雨が降ってきました。今夜は冷えるかもしれませんね」 ふすま 義純は礼儀正しくいざって入ると、ピシリと襖を閉めた。 こしよう 「そうですね。どうぞこちらにお座りください。小姓が火鉢を用意してくれています」 、ただよ 「はい、ありがとうございます。ところで雨の冷たい空気と一緒に泰成殿の気が漂ってき ました。なにかありましたか ? かを 重々承知していても義純の勘のよさには驚かされ、泰成はまじまじと見つめてしまっ ひろつね ばくぜん た。広常は二人一緒でなければ漠然としか物事がわからないと言ったが、義純は一人でも かなり感知している。 「まったく義純殿にはかなわないなあ。私の気持ちの浮き沈みが手に取るようにわかって 風しまう」 ざぶとん 戸苦笑して泰成は座布団を勧めた。軽く頭を下げて義純は泰成の対面に座った。 「いえ、今はたまたま泰成殿のことを考えていたので気の変化に気づいただけです。いっ もというわけではありません。それでは私の気がもちません」 いっしょ