「あはは、ごめんごめん。なんだか神様があなたを加えたのがわかる気がしたの。湊の考 しゅうこ え方ってすごく前向きなんだもの。高陽も勇帆も、柊子も私もどこか後ろ向きの考えだか ら、きっと神様はこれじゃ前に進まないと思って湊を入れたんだわ」 「人をゲームの駒みたいに言わないでよ。失礼な」 笑いを止めて真面目な顔で毬亜は湊を見つめた。 「ありがとう、湊。そうよね、未来は変わっていくんだわ。変わらなきや未来じゃないん だわ」 「そうだよ、未来は変わって船津くんは私と結ばれるのよ」 ま、それもいいか」 「 : : : そうくるか : かな ふっと緊張感がとれ、二人は笑いだしていた。哀しい結末しか待っていないとわかって いたら、生きる気力をなくしてしまう。未来に希望がなければ生きてなんかいけない。そ んな当たり前のことに気がついて、安心した毬亜だった。 風 舮同じ頃、病院の食堂ではと友季がテープルを挟み、暗い面持ちをしていた。置かれ ているコーヒーカップはすでに空になっている。 うれ 「勇帆くんの気持ちはとても嬉しいわね」 こま
ら、心安らかに眠ってほしいとの一念だった。 だが毒はいっこうに薄らぐ様子はなかった。 「今度はいっ来られるかわからない。もしかするともう来られないかもしれない。私はそ なたたちが気掛かりで仕方がない : なごりお いつものように泰成はそこに何時間も立って、石に語りかけていたが、名残惜しそうに 何度も振り返りながら立ち去っていった。 ようこ 泰成の気が完全に消えてから、藻女は妖狐の意識下から随い出してきた。数歩、泰成が たいき 去っていった方向に歩きだしてから、溜め息をつくと石の側に戻ってきた。そして石に抱 きつく形で寄り添った。 こぼ はらはらと藻女の涙が零れ落ちた。それが蒸気になり霧となってあたりを包んでい 「もう、泰成の姿を見ることはないわね : 藻女にはこれが最後の別れだとわかっていた。 「ならばなぜ泰成に会わなかった」 妖狐には藻女の感情が理解できず訊いた。 。日が経てばいっかは薄れゆくもの。でも妖狐に対する 「泰成に対する気持ちは恋情 : 気持ちは ・ : なんだというのだ」 「私に対する気持ちは : きり
35 科戸の風 「私を人間に戻してくれるというのなら、今すぐ私をさらいにきてよ ! 私を救いだし て ! 泰成、私の声を聞いて ! 」 それはただ悲しく御嶽山にこだまするだけだった。 藻女が走り去った方向をじっと見据えたまま、友衛は立ちすくんでいた。 ようこ たった今までこの腕の中に藻女がいた。柔らかい髪の感触を味わっていた。妖狐が藻女 の体に入っていた時は何度も抱き締めていたのに、まったく違う抱き心地がしていた。 「人間とはいつもこんな気持ちを持っているものなのか : 友衛は湧き上がってくる抑えきれない感情に驚いていた。 きつね かたまり いっ生まれてきたかも知らない、気がつけば欲望の塊の黒い狐として生きていた。妖狐 と出会ってからの何千年、妖狐に対して抱いていた感情とは異なる初めての気持ちだっ 考え込む友衛の上に枯れ葉の雪が降りしきっていた。
101 科戸の風 「 : : : ばあちゃんには黙ってる。だから湊に相談して食堂に連れていってもらったんだ」 「おばあさんも保護者だ。私も高陽の親だ。子供が危険な目に遭うことを勧めるわけには いかない」 「でも、おじさん。俺はこんな気持ちになったことはなかったんだ。高陽が側からいなく なってしまう不安に襲われたことなんかなかった。このままじや高陽はきっと目覚めな ようこ 。その証拠に妖狐がいないじゃないか。目覚めるくらいの浅い眠りだったら、妖狐はこ の病室にいるはずだ。それがいない。これはおかしいよ」 「しかし : : : 」 「俺は高陽をこの世界に連れ戻したい。おじさん、毬亜、柊子。頼む、手を貸してくれ。 俺を高陽の意識の中へ連れていってくれ」 勇帆はべッドから降りて頭を下げた。勇帆ほど強くはないものの、高陽が戻らないかも しれないという不安はそれぞれが持っていた。勇帆の気持ちはわかる、だがそれはあまり に危険すぎて快ぐ和識するわけにはいかなかった。
234 金色の妖狐は輝く体毛を風に静らせて、今まで見たなかで一番美しかった。 「やだ、妖狐・ : : ・、どこに行くの : : : 」 高陽は妖狐を追いかけようとした。 「高陽 ! 妖狐の気持ちをわかってやれー その前にトモが立ち塞がって背中で高陽を制した。 「どいてくれ、トモ。妖狐が : : : 僕のために : 「あいつの気持ちをわかってくれ。あいつはおまえによって救われてきたんだ。おまえを 守ることがあいつの望みなんだよ。この世を乗っ取ろうと考えていた妖狐の、悪の代表の ようだった妖狐の今の願いはたったひとつ。ちつばけな存在のおまえを守ることなんだ 「だめだ。そんなことしたら妖狐は : : : 、妖狐はどうなるか : : : 」 「心配するな。妖狐を一人で行かせはしない」 「俺たちはずっと一緒だったんだ。妖狐と俺は同類で、仲間で、かけがえのない相棒なん だ。妖狐の行くところには俺もついていくさ」 「トモ ! 」 妖狐がスポットに体を滑り込ませた。 いっしょ ふさ
「だったら安心しててもいいの ? 時間が経てば高陽は戻ってくるの ? 」 毬亜の顔がばっと明るくなったが、勇帆は首を横に振った。 「それはわかんねーよ。俺たち三人が同じものを見たんだ。同じ場所に倒れていた高陽 ようこ だって同じものを見ているはずだ。高陽は自分の体を乗っ取った妖狐を許せるだろうか。 自分の人生をめちゃくちゃにした妖狐を」 誰もが黙ってしまった。勇帆にとっては高陽の側についている妖狐と藻女の体を乗っ 取っていた妖狐では、まるで別の生き物に見えた。だが当の本人にしてみれば、あっさり と割り切れるものではないのではないか。 「きっと高陽のことだ。妖狐に対する気持ちを持て余しているだろうし、そんなことを 思ってしまう自分がいやになったり、もしかして妖狐に憑かれることに甘んじていた藻女 にも腹をたてているかもしれない。自分の気持ちが決まるまで目覚めるつもりはないん じゃないかって、そんな気がして仕方がないんだ」 「そんな : : : 」 風子が揃って高陽を見た。勇帆の声が聞こえているのかいないのか、高陽はピクリとも 戸動かない。 「それで俺が考えて出した結論なんだけど」 勇帆は思行に射るような視線を向けた。
226 一一人のオーラは柔らかく貞ノ助を包み込んだ。ゆっくりとではあったが貞ノ助の表情が 変化していった。 もうしゅうとら かわいそう つら 「おまえが妄執に囚われているさまは、正直可哀想だと思うよ。辛いだろ ? もっと軽 い気持ちで過ごしたいと思わないか ? 」 「軽い気持ち ? 」 ふなづ 「俺、昔は泰成だったかもしれないけど、今は船津勇帆なんだよ。泰成ほどの力なんて ねーし、持ちたいとも思わない。きっと何回かの転生で俺は普通の人間に近づいてきてい るんだと思うんだ。俺はそれでいいと思ってる。俺は今の俺が好きだし、藻女じゃない高 陽が好きだ。俺を取り囲む人間が好きなんだ」 「・ : ・ : 人間が好き : : : 」 「なあ、貞ノ助。おまえいつつも領地のことや国のことを考えているけど、人を好きだと 思ったことがあるか ? 人間を好きでいないで国を守れるって、俺は思えないんだけど な。おまえ、本当に国を守ってるのか ? 」 「わしは : ・ 「憎しみや恨みは時間が経てば洗い流せる。貞ノ助、おまえも少し肩の荷を下ろしてみな いか ? 人間の根本にかえって人を好きになってみないか ? ー ひざ 貞ノ助ががくりと膝をついた。体じゅうの力が抜けたようになっている。 にく うら
おも どう想っているのかはわからないが、人間として生きたい気持ちはどこかに持っているは ずだ。だが、手を差し伸べる泰成を拒む気がしてならなかった。 よしずみ 「泰成殿、義純です。入ってもよろしいですか」 居住まいを整えて泰成は義純を招き入れた。 「雨が降ってきました。今夜は冷えるかもしれませんね」 ふすま 義純は礼儀正しくいざって入ると、ピシリと襖を閉めた。 こしよう 「そうですね。どうぞこちらにお座りください。小姓が火鉢を用意してくれています」 、ただよ 「はい、ありがとうございます。ところで雨の冷たい空気と一緒に泰成殿の気が漂ってき ました。なにかありましたか ? かを 重々承知していても義純の勘のよさには驚かされ、泰成はまじまじと見つめてしまっ ひろつね ばくぜん た。広常は二人一緒でなければ漠然としか物事がわからないと言ったが、義純は一人でも かなり感知している。 「まったく義純殿にはかなわないなあ。私の気持ちの浮き沈みが手に取るようにわかって 風しまう」 ざぶとん 戸苦笑して泰成は座布団を勧めた。軽く頭を下げて義純は泰成の対面に座った。 「いえ、今はたまたま泰成殿のことを考えていたので気の変化に気づいただけです。いっ もというわけではありません。それでは私の気がもちません」 いっしょ
両手を広げておどけた顔をしてみても二人の表情は崩れなかった。 「そんな強がりはよしてください。私たちに泰成殿の気持ちがわからないと思っているの ですか ? あなたの心はまだ静れておられる」 義純が一歩前に出て、広常の手を取った。とたんに一一人の銀色のオ 1 ラが勢いよく舞い 上がった。なにもかも見透かされているとわかって、泰成は苦笑した。 ようこ みずくめ 「そうですね、私はまだ藻女が助かってほしいと願っています。でも妖狐を退治したいと いう気持ちには嘘はありません。だから今日という日に陽師としてのすべてを捧げた いと思っています」 「泰成殿 : 「私からお二人にお願いがあります← 一一人に正対して向き直り、泰成は拳に力を入れ頭を下げた。 「どうか私が迷うようなことがあったら、お二人の手で私の命を絶ってください。その瞬 間には、きっと私はこの日本国のことよりも私情に動かされているでしようから」 風「そんな : : : っ ! 頭を上げてください」 戸広常に肩を擱まれても泰成は顔を上げようとはしなかった。 「私の最後のお願いになるかもしれません。どうか聞き届けてください。私が私を抑えら れなくなった時、陰陽師として死なせてほしいのです」
白い天井が見えた。 ( ここは : しん 蛍光灯が光っている。人の話し声、歩く音、生活感のある音が耳に入ってくる。頭の芯 いさほ がばうっとしていて、勇帆は今自分がどこにいるのかわからなかった。 ( 俺はなにをしているんだろう : : : ) 風つい先ほどまで大切なことを見ていたような、自分がしていたような気がして、落ち着 戸かない気持ちになった。 頭をずらすと隣のべッドが目に入った。白い布団に包まれ眠っているのは : こ、つトう・ 第 4 章深い眠り ふとん