りよ 呂はいないと仏門に入った。 , 彼女を救うことだけを願ってきた。 「この先何度生まれ変わっても、私はあなたを見つけるだろう。あなたの側にいるから」 こぼ 藻女はばろばろと涙を零した。それは悲しみの白い石にはならず、地面に滲み込んだ。 「私を信じて」 ようこ きようもんとな じゅず 源翁が数珠を持ち直して経文を唱えようとした時、藻女の横に妖狐が姿を現した。 「待て、泰成」 そうりよ 源翁は現れた妖狐の姿に見入ってしまった。金色のあやかしは悟りを開いた僧侶でさ え、心奪われる美しさであった。 「まだおまえのカでは私を浄化することはできない。私は罪を犯しすぎた。私はいいから 藻女だけを浄化してほしい」 「なにを言うの、妖狐。私はずっと一緒にいると言ったでしよう」 「泰成、藻女の言うことは気にせずにさっさと教化でも浄化でもしてくれ。私への話はそ の後だ」 源翁は気を取り直して経文を口にした。 「やめて ! 泰成、やめて。私は妖狐と一緒でなければ浄化はしないわ。妖狐がしないの なら私もしない 藻女はその場を逃れようと走りだした。 いっしょ
しいえ ! そんなことはないわ。きっと望むものに生まれ変われるわ」 「藻女、私がどれだけの悪事を働いてきたか知っているだろう。それを許すほど人間の言 う神は甘くはない」 「そんな : : : 」 体じゅうの力が抜けた気がして、藻女は地にへたり込んだ。 「そんなに落胆しなくてもいい。浄化しなくてもいいと私は思っている。この場所で一人 時間の流れを見つめるのも、私には似合っているのかもしれないー 「一人じゃないわ。私がいるもの」 「おまえは浄化しろ。今度坊主が来たら、殺しはしない。私は毒を吐くのをやめよう。お おも まえが私のためを想って流してくれた涙だけで、もう十分だ」 ようこ いっしょ 「いやよ、妖狐と一緒でなくっちゃ浄化なんてしないわ」 あわ 「そんなことを一一一一口うな。ほら、慌てた朝廷がまた坊主をよこしてきた」 きようもんとな 遠くから経文を唱える声がかすかに聞こえてきた。それは挑むようなものではなく、 おだ 穏やかな優しい声だった。 舮白い石を踏んでや「てきたのは水上範の前世である大徹だ「た。大徹は嬲鰺砿のかな り手前で足を止めた。数珠を握り締めたままを少し持ち上げ、石の全貎を眺めた。 がざんぜんじ 。なるほど朝廷が師匠、俄山禅師に教化を頼んでくるはずだ。なか 「これが殺生石か :
125 科戸の風 こんなところに人がいるわけがないと思った大徹は、女の美しさに目を奪われた。金色 に見える髪の毛が光り輝いていた。 たまも 「あなたはもしゃ玉藻の : : : 」 言いかけて大徹は息をむ。女が寄り添っている岩が妖狐に見えた。妖狐もまた金色の ひとみ 体毛が風に吹かれて、母親が子供を見る瞳で女を見ていた。 のろ 。どこが呪われた石なのだ。こんな情のある霊は見たことがない。こ 「これはなんと : のものたちを早く浄化させて楽にしてやらねば。師匠の代わりに私が下見に来たが、一刻 も早く戻って、師匠に教化をお願いせねば」 きようもんとな 大徹は両手を合わせて経文を唱えた。自分では力不足で教化することができないのが 悔しく、せめて心安らかに待っていてくれるよう願った。 むな だが大徹の願いは空しく、師匠である俄山禅師はこの場所に来ることなく他界してし まった。 げんおうおしよう みに連れられた野帆の意識は、那須境村の後に泉湜寺となる寺の住職、源翁和尚の せんけ、じ
別れを言「ていたと伝えてくれ。それにしても、とうとう禅師のところまで生石の浄 化の依頼がきたのか」 ようこ 「ああ、でも禅師は浄化ではなく、妖狐に仏の教えを説いて成仏させる教化をしようとさ れていたんだ。万年も生きていた妖狐だからきっと知能は高く、教えを理解できるだろう とおっしやっていたんだ」 「でも何人もの僧があそこで死んでいる。聞く耳を持つのだろうか」 大徹は湯飲みに手を伸ばした。冷めかけた茶が半分ほど入っている。静らめく水面を見 て石の側に立っ女を思い出した。 「私もそう思「ていたんだ。いまだに毒を吐く妖怪だ。一筋ではいかないだろうと。だ 力な 「だが ? 」 ふと思いついたように大徹は顔を上げ、源翁を見た。 「そういえば昔、おまえはよく夢に出てくる女がいると言ってたじゃないか」 けげん 話の変わりように源翁は怪訝な顔をした。 「ああ、その話をすると雇を捨てられないとおまえにからかわれたよな。今も時々その 夢は見るけど、それがなにか ? 「その女は赤い着物を着ていると言ってたな」
「ここは時間の海よ」 しゅうこ 柊子の声が響いた。 「俺はどうしてここにいるんだ ? 生石は浄化されたんだろ ? 」 「浄化されたわよ、勇帆。でもね」 こ、つ小う 毬亜の声も聞こえた。声にためらいがある。勇帆は周囲を見回した。いるはずの高陽 の姿を捜したが、人の影はなかった。 みずくめ 「なにかあったのか ? 高陽はどこなんだ。藻女が浄化された時点であいつは藻女の意識 から離れているはずだろう ? 」 勇帆は体に力を込めた。あの時代に飛んだのは事の結末を見るためではなかった。高陽 を連れ戻すためだった。 「どこにいるんだよ ? 勇帆の近くの時間には高陽の気は感じられなかった。 「藻女の意識から離れた時、高陽は勇帆と私たちの存在に気がついたの。止める間もなく 風どこかの時間に飛んじゃったの」 戸「どういうことだよ、毬亜」 「・ : ・ : まるで私たちに会いたくないって感じだった : ・ 「なんで ? 」
136 「泰成、私たちを浄化させるために早く転生したのでしよう ? どうか妖狐と私を救っ 「藻女。私は泰成ではないが、私のできる限りで教化をしよう。心を開いて私の話を聞い てほしい。仏は死したるすべての霊を受け入れてくださる。藻女ももう一度人間に生まれ ごう 変わって業を背負い、神仏に仕えて罪が消えるまで、その苦しみに耐えていこう。その姿 は必ず認められ仏は慈悲をかけられるだろう」 あやま 「ええ、そうね。今までの過ちを正すにはそれしかないのかもしれない。どんなに辛くて つぐな も自分が犯した罪は自分で償わなければ」 「あなたはもうそのことに気づいていたのか : 。人間や自然を愛し、いたわっていけば あなたの罪は必ず消えるはずだ」 「少しでも自分を見極めて仏に近づけるかしら。そうしたらあなたの側に、普通の女とし て生まれることができるかしら。あなたは私を人間として愛してくれるかしら」 源翁は目を見開いた。泰成と呼ばれた時にも感じなかったものが、藻女に切なく見つめ られた時に心の中に広がった。 「私は今でもあなたを愛している。ずっと前からあなたしか愛していない。あなたがどん な姿をしていても、たとえ人間でなくてもあなたを愛し続ける」 夢を見始めてから藻女を愛してきた。幼い頃から本能でそれを感じ取り、藻女以外の件 ようこ つら 、′は
「私は空を飛ぶ鳥が好きだったのに。あんなふうに自由に空を飛びたいと願っていたの に」 地上に降りると藻女は石に背を預け、また空を見上げた。 「それならばおまえはさっさと浄化してしまえばいいものを」 ようこ 地の底から聞こえるような声で妖狐が答えた。 「なにも死んでまでも私の側にいることはない。おまえは泰成に浄化されればいいではな いか。私とおまえはもう完全に分離しているのだから」 藻女は流れてきた気に気がついた。 「泰成だわ」 姿を消すと、藻女は妖狐の意識の奥深くに隠れた。 泰成は石に近づけるギリギリの場所まで足を運んだ。ここに来るのは今日で何回目だろ う。もう数えきれないほど通っている。 「しばらくは来られなくなるんだよ」 ひとみ 風優しくて切ない瞳で泰成は石に話しかけた。 戸「私は京へ帰らねばならない。藻女よ、妖狐よ。もし私の声が聞こえているなら、その毒 の噴出をやめてくれないか。どうか浄化してほしい」 モウモウと毒を噴き上げる石を遠くから見て、祈るように言う。死んでしまったのな
ひざ そこでは浄恵が苦しみもがいていた。喉をかきむしり、膝をついて倒れ込んだ。浅い息 の下でガスから逃れようと懸命にいざって、石から遠ざかろうとしていた。 年早いわ」 「私を賺するなど、 100 けれど数間も進まないうちに、浄恵はカつきて息絶えてしまった。 「朝廷がよこしたのだろうが、ふん、そんな奴らに私が倒せるものか」 よ、つこ 藻女との会話で開きかけていた妖狐の心は、また凝り固まってしまった。何年も触れな かった慨しみに出会い、再び妖狐の邪悪な気持ちが再燃してきていた。 「だめよ、妖狐。お願い、私の言うことを聞いて。人間を愛して」 大きな石を見上げて藻女は叫んだ。 「人間を愛せだと。ばかなことを一一一一口うな。私をこんな姿にした人間など愛せるわけはない だろう」 怒りで体を震わせるように、妖狐は蒸気を噴き出した。岩肌にほっぱっと水滴が現れ かたく 風「このままじゃ、こんなに心を頑なにしていてはあなたは浄化できずに、ずっとこの石の 戸ままでいることになるわ。それでもいいの ? 」 冫ししおまえはいつでも浄化して転 「うるさい ! 浄化したいのならおまえ一人がすれまゝゝ。 ' 生できるのだから、さっさと生まれ変わって私など忘れてしまえばいい。私はこの恨みを ふる やっ こ うら
「なにかしら。肉親の情とでもいうのかしら」 にく 「肉親 ? はつ、笑わせるな。おまえは私を憎んでいたのだろう。それなのになぜ肉親な どと」 : でも、生まれてからすぐにあなたは私の中にい 「憎んでいたわ。とても、とても。 た。私をずっと守ってきてくれたわ。それが自分のためであっても、私を守る形になって いたのは事実だわ。きっと私はあなたがいなければ生きていけなかった。あなたとだった から生きてこられたのよ」 「なにを言っているのか、私には理解できん・ : よう」 妖狐の声が当惑して小さくなる。 いっしょ おん 「私はあなたが憎いけれど愛しい。だから、一緒にいましよう。ずっとこのままで。怨 りよ、つ 霊となってもあなたがここにいる限りは、私もいるわ」 「ばかを言うな。今だったらおまえはまだ浄化できる。怨霊になどなったら苦しみながら 消えることもできなくなる。転生もできなくなるぞ」 かわいそう 風「一人は寂しいわ。一人になったら妖狐が可哀想」 戸「妖怪が寂しがるものか。私は可哀想などではないわ。だからおまえはさっさと浄化し 藻女は小さく首を振ってんだ。
「これはどうしますか ? 」 なが 長い時間、無表情で妖狐の死を眺めていた泰成に義純は声をかけた。死骸から少し離 れたところに立っていた泰成は、視線を泳がせて既いた。 くよう 「 : : : 供養をしてやりたいと思います : ・ と言いかけて言葉をみ込んだ。 義純は供養ではなく封じ込めればいい、 「私はあなたを責めているのではないのですよ、義純殿。私の言うように浄化など考えて しず いたら、あの時妖狐を鎮めることなどできなかったでしよう。ですが、こうして物体と なった今、どうか供養だけはさせてもらえませんか」 「泰成殿、お気持ちはよくわかります。ですが : : : 」 「後生ですから聞いていただけませんか」 「いまさらなにを言っておられるのだ、泰成殿は」 さだのぶ 突然、背後から声がした。貞信だった。 「やっと妖狐を討ち取ったのだから、さっさと封印してくだされ。浄化だの供養だのをす 風ることはない」 戸先ほどまで腰を抜かしていた自分を忘れてしまったのか、ずいぶんと尊大な態度に出て ) 0 「そんなことばかり言っているから、こんなに妖狐退治が遅れたのだ。師安倍泰成 やすなりよしずみ