166 「高陽 ! 高陽でしよう」 振り返った高陽は半ばほっとした表情で、毬亜から視線を移した。その方向には勇帆が 崩れ落ちていた。 「勇帆 ! 」 懾てて近寄って抱き起こすと、勇帆の意識は朦朧としているようだった。 「早く現実に連れ帰って。じゃないと勇帆は死んでしまうよ」 辛そうな顔で高陽が毬亜を見下ろしていた。 「高陽、あなたは ? 「 : : : 僕のことなんて心配しなくてもいいから、早く勇帆を : : : 。勇帆を死なせないで」 「帰らないつもりなの ? どうして ? おじさまもとても心配していらっしやるわ。どう していつまでもこんなところにいるの ? 「お父さんが心配 : : : ? 僕のことなんて心配するはずがないー 「高陽 : : : ? なに言ってるの ? 心配するに決まってるじゃない。自分の息子が目覚め ないなんて。だから危険を承知で勇帆にあなたを捜してくれるように頼んだんじゃないー 「僕を心配してくれる人なんていないんだ。勇帆しかいなかったのに、その勇帆でさえ僕 は高陽じゃないって言った」 「 : : : なに言ってるの ? 高陽。どうしたのよ。みんなあなたを心配しているわ。私だっ つら
202 そう言って、高陽は妖狐を捜した。 「妖狐 : : : 。妖狐は : あたりに妖狐の気は感じられなかった。 ひかりに出会うまでは近くにいたはずなのに、精神を集中させて探ってみても妖狐は見 つからなかった。 「捜さなきや。僕は妖狐にひどいことを言ってしまった : ・ どこを捜せばいいのかあてもなく、高陽は時間の波に体を任せた。 「妖狐が僕の側に姿を現すようになったのは、お母さんが死んで僕が意識不明から目覚め た時。きっとあの時もこうしてさまよっていた僕を引き戻してくれたんだ。それからお母 さんの代わりになって僕を見守っていてくれた : ・ 妖狐の高陽を見る目が浮かんできた。 まなざ 愛しさだけではなく、願いのこもった眼差しをいつも向けていた。 『この子が普通の子として育っていくように』 小百合の願いでもあった。けれど妖狐の強い願望でもあったのだ。 「妖狐のことが見たい。妖狐がなにを考えていたのか知りたい : へんりん たぐ 高陽は妖狐の残した片鱗を懸命に捜し、手繰り寄せた。これまで妖狐は側にいるのが当 たり前で、どうして側にいるのかなど考えたことがなかった。 ようこ
柊子には高陽の気持ちがわかる気がした。最愛の人がいなくなってしまった深い悲しみ をどこに持っていけ。いいのか、それを自分を責めることで消化させようとした高陽の気 持ちが。ただそれは 3 歳の子供がすることではなかった。 「その後は高陽はなぜ母親が死んだのか、いや、死んだという事実さえ忘れてしまったみ き たいで、よく私に『お母さんはどこにいるのか』と訊いてきてたから、意識不明で寝込ん だというのも今まですっかり忘れていたんだが」 高陽がなにを思って目覚めないのか誰にもそれがわからず、できることは早く目覚めて くれるように祈ることしかないように思われた。 「俺になにかできないのかよ。このままなんて、俺は : こし にぎし 勇帆はシ 1 ツの下で拳をきつく握り締めた。 次の日の朝、勇帆は湊が志摩を食堂に連れていったのを確認してから、と毬亜と柊 子を病室に呼んだ。 「俺、昨夜ずっと考えたんだ」 こ
かなかった。 「それはたぶん、高陽自身の気持ちのせいだと思うんだ」 くちょう 思行が重い口調で言った。 「こんなことは前にもあったんだよ」 「前にもあったって、どういうことだよ、おじさん」 「この子が 3 歳の時だった。母親が死んだ時も意識不明になって 1 週間寝込んだんだよ」 「それは母親が死んだショックから ? 」 「いや、母親が死んだのは自分のせいだと思って、罪の意識からか自分を追い詰めてし まったんだと思う。 3 歳の子供が自分のに閉じこもってしまったんだ。それからだよ、 高陽と私が距離を置いて接するようになったのは」 「自分を追い詰めた高陽が目覚めたのは、なにかあったのかな ? 」 「いや、突然何事もなかったように目覚めたんだ。なにかあったという感じじゃなかった な。完全看護の病院にいたし」 風「起きてから高陽はなにか言ったとか」 戸「ああ、『お父さん、ごめんなさい』って言ったよ - それを聞いた柊子が絶望の声をあげた。 「 3 歳の子が 1 週間寝込んだ後に『お父さん、ごめんなさい』って・ :
101 科戸の風 「 : : : ばあちゃんには黙ってる。だから湊に相談して食堂に連れていってもらったんだ」 「おばあさんも保護者だ。私も高陽の親だ。子供が危険な目に遭うことを勧めるわけには いかない」 「でも、おじさん。俺はこんな気持ちになったことはなかったんだ。高陽が側からいなく なってしまう不安に襲われたことなんかなかった。このままじや高陽はきっと目覚めな ようこ 。その証拠に妖狐がいないじゃないか。目覚めるくらいの浅い眠りだったら、妖狐はこ の病室にいるはずだ。それがいない。これはおかしいよ」 「しかし : : : 」 「俺は高陽をこの世界に連れ戻したい。おじさん、毬亜、柊子。頼む、手を貸してくれ。 俺を高陽の意識の中へ連れていってくれ」 勇帆はべッドから降りて頭を下げた。勇帆ほど強くはないものの、高陽が戻らないかも しれないという不安はそれぞれが持っていた。勇帆の気持ちはわかる、だがそれはあまり に危険すぎて快ぐ和識するわけにはいかなかった。
「俺、泰成みたいに星が観れるわけじゃないし、よくわかんねーけど、もしかして高陽は せっしようせき まだ殺生石のところにいるから、こっちへ戻ってこれないんじゃないのか ? まゆね 眉根を寄せている勇帆に柊子が首を振った。 ようこそば 「勇帆くんが最後に見たことを言ってるの ? 藻女がずっと殺生石の妖狐の側にいるって 言ったこと」 「そうだよ、柊子。あそこにいるから高陽は起きないんじゃないか ? 」 「それはおかしいわよ。だってあそこにあのままいるのなら、今現在高陽も妖狐もここに いるわけがないもの」 ずっと飃いて黙っていた毬亜がようやく声を出した。 「浄化されているから転生して、ここに高陽はいるのよ。妖狐だってあの石から離れてい るじゃない。きっとあの後にもなにかがあったんだわ」 「そうね、私も毬亜の言うとおりだと思うわ。なんとなくだけど、あれから今に転生した んじゃなくて、間に何回か転生しているような断片的な記憶があるの。だから高陽くんが 目覚めないのは違う理由からだと思う」 「違う理由ってなんだよ、柊子」 「それは : : : 私にはわからないわ」 ちらりと高陽を見やって、勇帆は泓め息をついた。勇帆にも目覚めない理由は見当がっ
こ、つよう 隣のべッドに眠る高陽の横顔を見ながら、勇帆は一晩じゅう考えた。かっては恋した相 手、そして今は大切な友人である一人の少年を救うためには、自分がなにをしたらいいの か、なにをするべきなのか。 「おじさん、高陽が前に意識不明になったのは自分の気持ちからで、何事もなかったよう に目覚めたって言ったよね」 「ああ、そうだよ、勇帆くん。それが ? 」 ようこ 「高陽がその時目覚めたのは妖狐のせいだと思う」 「それはどういうことだい ? きれいきつね 「俺、妖狐を見たことがあるんだ。すごく綺麗な狐だった。それにすごく高陽を大事に みずくめ 思ってるっていうのが妖狐から伝わってきたんだ。藻女と妖狐の間になにかあったから、 きっと妖狐は高陽を守っているんだ」 「私も」 くるま、す 毬亜が身を乗り出してきた。今日はもう車櫛子を使わずに歩いてきていた。座っていた 風円椅子がガタンと音をたてた。 戸「私もあるの。すれ違った時に妖狐が見えたの。こんな綺麗な守護霊を持ってる人ってど んな人なんだろうって思ったのよ。それくらい妖狐は優しいオ 1 ラだった」 「だろ ? だからその時も妖狐が高陽を現実に引き戻したんだよ」
「勇帆くんの言ったように、もしかして高陽が目覚めないのではないかという考えは、確 じんじよう かに私の中にもあるんだよ。なにかが尋常ではないことは私も感じている。高陽を助け なす たいと思う。「那須に行ってくる。心配しないで』と元気に出ていったあの子の顔を思い 浮かべると、勇帆くんがどんな危ない目に遭っても高陽を助けてくれと言いたくなる」 「でも、義兄さん : ・ かえり 「私が高陽を助けることができるのならば、身の危険など顧みないのに私には先代ほども ぐうじ 高陽ほども能力がない。ただの宮司なんだ。子供が迷っているのに方向を指し示してやる ことすらできない : ・ : 。情けない父親だ」 ゆが くっと顔を歪ませて思行はカップを握り締めた。能力がないことを心の底から恨めしく 思った。 たく 「ねえ、義兄さん。義兄さんがそこまで思っているのなら、いっそのこと勇帆くんに託し てみない ? 」 「友季ちゃん : ・・ : ? 」 まゆね 風なにを言いだしたのかと思行は眉根を寄せて友季を見た。 舮「勇帆くんの申し出を断って、もし高ちゃんが目覚めなかったら、きっと義兄さんは一生 後悔するわ。勇帆くんの言うとおりにして、彼の身になにかあっても後悔するのなら、私 は勇帆くんの思うようにさせてあげたらと思うのよ」 うら
勇の手を振りほどいてからいったいどのくらいの時間が経ったのだろう。ふと高陽は そんなことを考えていた。 「無意味なことだな 時間の波に流されながら高陽はばんやりとあたりを見ていた。この世で起こった出来事 やたくさんの人生が流れていく。 「どのくらいの時間が経ったかなんて、ここでは意味をもたないことなのに」 そな 風そう言いながらいつまでこうしているんだろうと考えている。現世で具わった時間の感 戸覚は抜けるものではないようだった。 「僕はもう戻れなくなっているんだろうか。僕の体は死んでしまっているのかな。それと もまだ僕がここにいるってことは、体も生きているのか : : : 」 めた。 「きっと、目覚めるよね。勇帆のためにも高陽はここに戻ってくるよね ? 」 にぎ うなず 確認するように力を込めた毬亜の手を握り返して、柊子は何度も頷いた。 ころ・よう
呼びかける声、機械の音、人の歩く足音 : : : 。瞼の裏が明るくなった。 」、つよ、つ 「高ちゃん」 めがしら なっ 懐かしい声だった。聞き慣れた人の声にほっとした。目頭が熱くなり涙が頬を伝わる感 触がした。 「高陽 ! ←。 何度か瞬きをして高陽は目を開けた。 「高ちゃん ! 「高陽」 ことゆきゅき 焦点が定まって見えた顔は思行と友季だった。 「高陽、私がわかるか ? 私が見えているか ? 」 「高ちゃん、高ちゃん」 ままえ もう一度瞬きをして、高陽は微笑んだ。 風「そんなに叫ばなくても聞こえるよ」 ひとみ 魲力のない声だったが、思行の瞳にみるみる涙が溢れた。 「高陽、本当に目覚めたんだな ? 本当だな ? 」 「お父さん・・・・ : ? 」 まぶた あふ ほお