「そうですよね。打ち合わせの必要なんてありませんよね。あやかさんにびったりの役ですも 「どこが ! 」 と叫んで、あやかは「ん ? 」と首をひねった。 「あんた、どうして知ってるの ? 」 「三時の芸能ニュ 1 スで言ってたんです。今から、こんなに注目されているなんて、さすがで すよねー」 あやかは顔をしかめた。 志貴め、先手を打ったな。 「すてきなお話ですよね 1 。ジプシーの衣装、きっとあやかさんに似合うと思います」 「男を九百九十九人も殺っちまう殺人鬼の役なのよ」 「え ? わたし、ラブスト 1 リーだと思ってました」 あやかは、よろめいた。どう誤解したら、そうなるのよ。 美鈴は、きよとんとして、 張 主「だって、千夜目に本当の恋人に会えるんでしよう ? 」 薇「千人目が、いたの」 びつくりして、あやかは叫んだ。 うかつだった。 や
120 話題は、ずーっと『七色探偵』のことばかりだった。 ドラマを見ていないあやかには意味不明の会話で、まったく話に人れない。 なんだか仲間外れにされているようなイヤな気分で、一人離れた場所に立って、 ( あんたた おんねん ちはオタクか ) と怨念を送っていると、ヘビ、ネコ、カラスが、あやかの周りに集まってき こ 0 けんのん 陽と美鈴のキラキラさわやかコンビを、一人と一羽と二匹のドロドロ極悪チームは、剣呑な 目でにらんだ。 ( ええい、ロを動かすより、手をちゃっちゃと動かしなさいよ。陽も、いちいち意味ありげに 顔を上に向けて笑うんじゃない ! ) 「でさ、ルドルフに鼻をかまれちゃって、またまた。馬ってロデカイだろ ? 頭まで全部 呑み込まれるかと思っちまったよ」 「あはは、でも、わたしあのシーン大好きです。かわいくって」 「やってみる ? オレと美鈴で ? 」 「え、え、そんな」 ルドルフというのは馬のことか ? あのシーンってどのシーンだ、とあやかがむかむかして いると、陽がポケットからガムを出し、銀紙をむいて、ロにくわえた。 目をいたずらつぼく細めて、美鈴のほうへ顔を近づける。 ほお 美鈴も頬を染めて、顔を前に出した : の ガキ
かたまり 苦い塊が、胸の奥から込み上げ、体中が引き絞られたように苦しくなった。 何をうぬぼれていたんだ 自分はその他大勢の脇役連中とは違う。この場になくてはならない人間なんだと思い込んで いたなんて。 だから多少羽目をはずしても、大目にみてもらえるはずだと、そんな・ハ力なことを本気で考 えていたなんて。 江上陽なんて役者は、ただのいきがった子供にすぎず、いくらでも取り換えのきく存在だっ たっていうのに ! ( オレはもう、ここにはいらない人間なんだ ) これで本当に、どこにも居場所がなくなってしまった 「真咲 : : : 」 絶望に足がふらっき、ドアにすがりついて、陽はうめいた。 たった一人でいい、誰かが自分を必要だと言ってくれたらーーありのままの自分を受け人れ てくれたらーーー信じて、側にいてくれたら 張 主だけど、そんな相手はどこにもいない。 薇もう限界だ。 もう一人じや立っていられない。 帰ってきてくれ。 ガキ し
162 つごう 自分の都合で、息子に仕事を辞めさせることはできないと真咲は思ったのだろう。 現実に、陽のスケジュールは一年先まで、びっしりうまっていた。 とーぜん、残るぜ、オレは。 プロダクションで下宿世話してくれるっていうし、ぜんぜん問題ねえよ。 陽も、いまさら真咲にあまえて取りすがるなんてできなかった。 最後まで、自由奔放、独立独歩の人気アイドルの息子の演技をやり抜き、真咲を空港で見送 った。 真咲を奪った、あんなイヤな女と同じ家で暮らせるもんか。オレは一人でだって、ちゃーん と生きていけるんだ。 自分にそう言い聞かせて : そう : か細い声で、陽はささやいた。 「 : : : 独りでも : : : 今までと変わりなく生きていけると思ってた。だけど、ある日、オレには もう帰る場所がないってわかったとたん : : : 怖くなったんだ」 仕事で失敗して、芸能界にいられなくなることが、怖くて怖くてたまらなくなった。 いまさら、どの面下げて、普通の中学生に戻れるというのだ。 かん・ヘきいほうじん たまにしか登校しない学校では、完璧に異邦人だったし、悩みを打ち明けられる友達だって 一人もいない。 ひと ほんなう や
が必死に言い訳しているけど、ほんとのところ、あやかにコテン。ハにやられたせいなんだろ」 「・ハレバレだよなー。あやかが陽をイビって追い出したって、今業界で、話題騷然だし」 「かわいそう、陽くん 「相手が篠原あやかじゃな 1 、陽も悪い相手ににらまれたもんだよ」 「あんなふうにみんなの前で、ハジかかされちゃ、逃げ出したくもなるよな 1 。まだ中学生だ ぜ。ショックで芸能界引退しちまうんじゃねえの」 「うつわあ、、オレ、あやか怒らせるのだけはやめとこ」 一人が、恐ろしそうに身を震わせた。 しかし、彼らの声はしつかりあやかの耳に人っており、大いに彼女を怒らせていたのだっ ( 0 ( なによ、あたしが陽をいじめて、舞台に立てなくさせたっていうの— ) けんか ( 最初に喧嘩をふつかけてきたのは、あっちのほうなのに ) だいたい、話を聞いていると、陽はあやかにきついことを言われたショックで、暗い部屋に 閉じこもって涙にくれていると考えられているようだが、とんでもない ! ( あのクソガキは、あたしのマンションで、七色探偵ごっこして遊んでいるわよ ! 演技にか こつけて、毎日元気に年上の女を口説いているわよ ! ) 昨日、テレビ局で陽のマネージャーの姿を見かけたとき、あやかはよほど陽の居場所を教え て、引き取りに来てもらおうかと思った。
共演者たちのこわごわした視線の中、あやかは帰り支度を済ませ、稽古場をあとにしたのだ った。 ビルの前で待ち構えていた記者やカメラマンを振りきり、志貴の運転する車でマンションに たど 辿り着いたと思ったら、駐車場付近で、自転車に乗った中学生グル 1 プに出くわした。 つつ ! 「うわあああ、ツ・ハキだあ ツバキだぞおおおお ! 」 彼らは、あやかの姿を見るなり大騒ぎし、あっというまにいなくなってしまった。 「あやかさん、有名人ですね」 とぼけたセリフをはく志貴の車にケリを人れ、あやかは最低最悪の気持ちで、エレベータ 1 に乗り、部屋に向かった。 ガキめ、ガキめ、ガキどもめ。 あのガキもこのガキも、みんな憎たらしいったらありやしない。 ( 子供が天使なんて大ウソよ。あいつらみんな悪魔だわ ! ) いすわ 中でも、あやかの部屋に居座っているやつが、一番しまつが悪い。 最近とみに不愉快なめにあうのも、もとをただせば、全部やつのせいだ。 張 主 ( もー我慢も忍耐も限界だわ。今日こそ家族かマネージャ 1 に電話を人れさせて、出ていって 薇もらうわ ! ) すご そう決意して、部屋のドアを開けた瞬間、もの妻い騒音が聞こえて、あやかは耳をふさい 0 にく じたく
152 杏子の目が、ばっと見開かれた。 「だって、だって、仕事でするキスがファーストキスだなんていやだって陽くんが言うから。 初めてのキスは一番好きな人としたいって : : : 」 「うそお、あたしにもそう言ったのよ ! 」 「あたしのときもよ ! 」 女たちが次々わめき出した。 「なによお、じゃあ、あのコ、みんなに同じこと言ってたっていうのつつ ? 」 「くやしい つつ、中学生にだまされた 「許せないわ ! あのガキ ! 」 彼女たちに劣らず、あやかも。ハニクっていた。 ( こんなに何人もの女とキスしてたっていうの卩 ) いったいどういうつもりだ。いや、それより美鈴だ。 ウェディングドレスとタキシードを着て、腕組みする二人の姿が頭の中に大きく浮かび、あ やかは頭がぐらぐらした。 やつばり美鈴を陽と行かせるんじゃなかった ! 陽を野放しにしたのも失敗だったと後悔 し、間違いが起こる前に二人を見つけ出して、連れ戻さなければと決意したとき、 どうせい 「おい ! 陽が女と同棲してるって ! 」 にぎ けいこば 共演者の一人が、手に週刊誌を握りしめ、興奮した様子で稽古場に飛び込んできた。
紅茶の葉っぱをいれた白いティーセットを持って、美鈴はテープルに向かう。 その後を、あやかと陽がやいやい言い合いながらついていく。 今日のお茶は、フォションのダージリンティー テープルのカップは、ちょうど三つ。 白地に野の花をあしらった美鈴のカップ。 ばら 曲線的なラインのボディにリアルな薔薇を描いたあやかのカップ。 はくじ そうして、白磁に金の縁飾りのついたインペリアルプルーの太い帯をぐるりと巻いた三つ目 のカップ くんしよう それは、陽が大人に一歩近付いたという新しい勲章なのだった。 「とりあえずオレ、あやかの弟子二号になろっと」 カップを片手に、陽が軽く言う。 「やめてよねーっ ! 」 「えつ、いいじゃん。もう決めたもんね、オレ」 「勝手に決めるんじゃなーい ! 」 張 主ネコとカラスが一緒に鳴き、ヘビがふっとため息をついた。 薇困った弟子が一人から二人に増えて、あやかの悩みのタネは、とうぶんっきそうにない。 The curtain d 「 0 ℃ s.
いるひとなの」 天使が振る銀の鈴のように、美鈴の言葉は一つ一つ、陽の胸に響いた。 椴え いつのまにか、美鈴の口元には徴笑みが浮かんでいた。 空気の色が変わるような、優しい、明るい笑みだった。 たとえば、世界中の人間が、あやかを悪人だと言っても、美鈴は、こんなふうに笑いなが ら、「あやかさんは優しい人です」と言ってのけるに違いない。 そんなことを確信させる笑いかただった。 みじ 惨めさが陽の胸に込み上げてきた。 あやかがうらやましかった。 こんなふうに語ってもらえるあやかがうらやましかった。 語ってくれるひとがいるあやかがうらやましかった。 誰だって、たった一人だけでも、自分を本当に理解してくれて、受け人れてくれる相手がい たら、怖いものなんてきっと何もない : あやかには、その相手がいるのだ。 世界中を敵に回しても、あやかさんは優しい人なのだと言ってくれて、ぬくもりと信頼に満 ちたまなざしで、見つめてくれる女の子が 「 : : : なんだよー 涙が込み上げ、しぼりだすような声で陽は言った。
250 美鈴は、ぼろぼろと泣いていた。 となり 隣でも、前でも、後ろでも、女の子が泣いている。 くちびる そうして、みんな、自分が泣いていることに気づきもせず、舞台の上で唇を重ねたまま動か ない二人を見つめていた。 ひらめ 陽の右手で短刀が閃いた。 くず その切っ先が、あやかの背中に突き刺さり、崩れおちる彼女の上に、黒いショールが静かに せつな 落ちるまで、誰も呼吸をすることも忘れ、ただ二人をーー・舞台の上で、刹那の真実に身をあず け、愛し合う一一人の姿だけを見つめていたのだった。 『鈴の音が聞こえる : : : 』 白々と明けてゆく、森の中に、たった一人ーー半ば茫然と立ち尽くしながら、陽はつぶやい こ 0 『風が、あの女の足首にまといついた鈴を鳴らしているのか ? いやーーー』 陽の視線が、愛しい、懐かしいものの姿を探すように、遠く、木々の向こうを見つめた。 観客も、陽と一緒に、そちらを見た。 そこにあやかの姿はない。 『オレたちは、また、いっか出会うだろう : : : 天空に赤い月のかかる夜。人も来ぬ深い魔の森 うぜん