声 - みる会図書館


検索対象: 陽影の舞姫 Ⅰ
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1. 陽影の舞姫 Ⅰ

なんで : : : ちく、しよ、う : ひたい 曲げた膝に額をのせて、サリエは小さくつぶやいた。どんなに苦しくとも、どんなに憎くと ささいうふく : こんな、些細な報復しかできない自分のちつぼけさが悲しくて、悔しくて。 あの『声』が聞こえてきたのは、その瞬間のことだった。 『どうしたのだい ? なにをそんなに嘆いているのかい ? 』 頭の中に、直接響いてくるその声 : : : 心に、染みいる声。 はっと息を飲み、サリエは周囲に目をやった。 誰も、いない : : : 少なくとも、この細い小道には、誰も。 「あなた、なの : : : ? わたしの、幸福の鍵 : : : あなた、なの : : : ? 」 尋ねる声は震えていた。 こんな姿は、絶対に見せたくないと思っていたのに : : : それは決して上辺だけの強がりでは なかったというのに。 : ただ、その声だ なのに、この声を感じるだけで、そんな思いが溶けていってしまうのだ・ 舞けが、耳を打ち、心を震わせる・ 影『どうしたというのだい ? 』 声は、もう一度尋ねた。 『君がそんな風に、悲しい泣き方をするなんて、本当に最近ではなかったから、わたしは安心

2. 陽影の舞姫 Ⅰ

先は三人三様ばらばらだった。 そう、声はどこからともなく : ・ : ・まるで、部屋の四方それぞれから発せられたかのように、 響きわたったのである。 たくら 「その手順も踏まず、意中の女性の心より先に体を : : : それも、カずくで征服しようと企むと 声の主を必死に探そうとする三人を、まるであざ笑うかのごとく、声は見事に響きわたる : サリエにさえ、その声がどこから聞こえるのかわからなかった。 「誰だ姿を現せ ! ここはわたしの屋敷だぞ ! 」 ふさ 虚勢を張る男は、しかし震えていた。口を塞がれてさえいなければ、笑いだしてしまいそう こつけい な : : : 滑稽な、その姿。 のぞ 「出てこい ! このいやらしい覗き見野郎 ! 」 そうはく 蒼白な顔で男がわめいたその瞬間ーーー 窓が、開いたーー凍りつくような風が、室内に流れこんでくる。 はためく、ビロードのカーテン : ・・ : 深緑の。 いやらしいだって : 「いやらしい : : : 実に不愉快そうな声が、また響く。 「いやらしいとは、いったい誰のことだね ? お前ごときにそのようなことを言われる筋合い

3. 陽影の舞姫 Ⅰ

「ねえ、そうでしよう : : : わたしの、幸運の鍵。あなたなら、わかってくれるわね 答えてほしいその人の声は、今は聞こえない。 今こそ励ましてほしかった。あのやさしい声で、そうだよ、と答えてほしかった。 けれど、声は聞こえない。 サリエはぎゅっと固く目をつむり、深く、深く息をついた : はげ

4. 陽影の舞姫 Ⅰ

感を誘う。 「なにも初めてってわけでもないだろうに : : : そんなに暴れなくてもよかろうに : : : 」 馬鹿にしたような、別のひとりの声。 「いや、もしかしてもしかしたら、本当に初めてかもしれないぞ ? ジルヴァーロ座ってのは そういうのに無縁な一座だって噂だからな」 最後のひとりがおもしろそうに言う。 「なんにしても、抱いてしまえばわかるさ。なに、初めてなら初めてなりの楽しみ方があると いうもの : : : 存分に味わわせてもらおうじゃないか」 初めて声をかけてきた男が、うるさげに上着のボタンを外した。 せつな そのたくましい : : : だが、嫌悪感しか覚えぬ右手が彼女の胸元にのびた刹那 てくだ 「恋は、相手の心を射止める手管を競う遊びだという説もあるが : : : 」 第四の、男の声が、聞こえた。 部屋中に響きわたる、低く、しみわたるような、美声。 舞それでいて、口調は皮肉げ。 つや 影そのアン・ハランスさが、えもいえぬ艷を生みだしている。 陽 「誰だに」 男たちが、いっせいに声のしたほうを振り向く。だが、不思議なことに、彼らが振り向いた

5. 陽影の舞姫 Ⅰ

日ごとの誕生。 日ごとの死。 それは、誕生と死を繰り返す人の運命にも似ていて : ひとがた 太陽が沈んだ瞬間ーーもちろん、その太陽とはコンサーザ伯爵家の中庭に現れた、人形のそ れであったのだがーー観客は割れんばかりの拍手を送った。 手が真っ赤になり、痛みを覚えようと、それでも拍手をやめようとはしない : : : それほどに 強烈な、感激。 それを、彼らは受けたのだ。 鳴りやまぬ拍手。再度の登場を熱望する声、声、声ーー 汗だくになって下がってきたサリエを出迎える団員たちですら、その例外ではなかった。 「すごいよ : : : すごいよ ! 肩を冷やさないように、上着を手渡しながら、 ーロが興奮した声でまくしたてる。 舞「あんなにすごい踊りができるのに、なぜ今まで隠してたんだい」 影、熱狂する男は、サリエの青ざめた顔に気づきもしなかった。 陽 汗ふきの市を持って出迎えにでたサヴァローラがいなければ、きっと。、 ノーロは彼女の両肩を 掴んだまま、力いつばいゆさぶったに違いない。

6. 陽影の舞姫 Ⅰ

「豪華な : : : 宝石をちりばめた、顔の大部分を隠すほど大きな : : : ? 」 「そんなんだったって聞いてるけど : : : 。知ってるのかい ? 」 サヴァローラの問いに、サリエはこくりとうなずく。 知っている : : : 自分を助けてくれた、あの人だ。懐かしい声をした : : : ああ、あの声 , 「知ってる : : : わたし、知ってるわ : : : 」 今ならわかる。あれは、あの人だ。幼い頃出会った、傷ついたあの人。赤い指輪をくれて、 ずっとそばにいると言ってくれた人。 なぜ、あの人があの屋敷にいたのかはわからない。けれど、意識を手放す寸前に、ささやく 声を、自分は覚えている : けいそっ 『君は少々軽率だよ。気をつけなさい : : : わたしの、小さな姫君』 耳にしみとおるような声で、そう言った : 「サリ : 心配そうな顔のサヴァローラに、サリエは大丈夫と答えた。 舞「大丈夫 : ・・ : なんでもないわ、姐さん : : : 」 影「そうかい : : : ? なら、いいけど・ : ・ : 」 陽 休みたい、と言ったサリエの言葉に、歌姫は心配そうな素振りをみせながらも、静かに離れ ていった。

7. 陽影の舞姫 Ⅰ

あれは、いったいいつのことだったのか ぼんやりと薄れていく意識で、サリエは懸命に思い出そうとする。 たったひとつの出会い。たったひとりの面影。 顔も覚えてはいない。声だけを、かすかに : : : けれど、はっきりとした記憶ではない。 けれど、この声 : : : あの、声に似ている。 優しい腕に抱かれて、運ばれるのを感じながら、サリエは必死に思い出そうと、する。 あれは : : : あの、出会いは。 そう。 あの人との出会いは : がくんと喉がのけぞるのを感じる。体に、もう力は人らない。ぐったりした体を、誰かがど こか ( 連れていく。嫌悪感はない : ・ : ・だから、大丈夫。これは、あの男たちの腕じゃない。こ の人は、あの男たちなんかじゃ、ない :

8. 陽影の舞姫 Ⅰ

それが、本来の意味なのだ、と彼は言う。 とても、信じられなかった。 そんな彼女に、彼はゆっくりうなずいてみせた。 「そう」 ささやくその声は、これまでに受けてきた心の傷のすべてを癒すほどにやさしい。 「運命に愛された者 : : : それが、君たちという存在の、真実の意味だ。人は、目に見えること みずか しか見ない傾向にある種族だからね。精霊や自然、大地の声など、自らが感じ取れなければ、 ないものと勘違いしがちだ。運命は、それを不安に思ったのだろう : : : 」 そして、貴富をこの世に送りだしたのだよ、と彼は続けた。 「人の中に、自然の声を受け人れることのできる存在を送りだす : : : 人々は、彼らの声を聞 ごうまん き、本来持っている傲慢さを封じるのだ。君たちは、決して忌み恐れられるものではなく、貴 い、運命に愛されたもの、なのだ」 とろ その腕の中で、これまでに受けてきた苦しみや悲しみを、洗いざらい吐露したサリエは、意 みは 舞外な言葉に目を瞠った。 影それは、初めて聞く言葉。 初めて、告げられた言葉。 誰も、何者も、これまで自分にこんなことを言ってくれなかった。こんな話を、聞いたこと いや

9. 陽影の舞姫 Ⅰ

その屋敷は、サリエの知っている屋敷であってそうではなかった。 元トランス祭伯邸 によじっ 彼女が最後に見たとき、この屋敷の門は固く閉ざされていた。没収された事実を如実に物語 る、頑丈な鉄の鎖が門にはからめられ、何人も入りこむことがかなわぬほどに : : : 閉ざされて いた。 かっての自分の家であった場所を訪れて、サリエは改めて、時間の流れを感じていた。 門は今では開かれている : ・ : ・とは言っても、誰もが入れるというわけではなかったが。 にぎ 整備された庭、門の向こうから聞こえる賑やかな声、声、声 それはまるで、十年以上前の時間が、そこに流れているかのように彼女を錯覚させる。 だが、それがただの願望であることを、サリエは知っていた。両親はもういない。自分はあ のころの幼い子供ではない : : : そして、この屋敷で今生活しているのは、あのころの自分たち では決してないのだ : なにびと

10. 陽影の舞姫 Ⅰ

『わたしの小さな姫君 : : : 』 しねん ため息まじりの思念が響いたような気がした。 それきり、声は聞こえなくなる。 「違うわ : : : 」 じちょう すでに感じられなくなったその人に、サリエは言う。唇に、自嘲の笑み。 「わたし、小さくなんかないわ。姫君なんかじゃ、ないわ : : ・違うわ」 そのままうつむき、また唇を噛む。 そう、もう自分は小さくなんかない。あんなに、純粋でいられた子供時代は、もう過ぎてし まったのだ。人を憎むことを覚えた自分は、もうあの人の声を聞く資格などないのかもしれな い・ : ・ : そう思うと、涙が出そうになった。 どんなに、あの声に、励まされてきたのか、今になって思い知らされる。 「帰んなくちゃ : : : サヴィ姐さん、きっと心配してる」 飛び出してきちゃったし。 こり 舞上着についた埃をばたばたとはたいて落としながら、サリエはゆっくりと立ち上がった。こ 影れ以上、心配をかけないためにも、平気な顔をしなければ、と思う。 陽 噴水を見つけて、顔を洗って : : : 涙のあとを消さなければ。そして、自分に言い聞かせるの 、帰る道すがらーー大丈夫、だと。