目 - みる会図書館


検索対象: 視線
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1. 視線

ひとりであれこれ首をかしげる瞳に、加代子は声を上げて笑い出した。 「なに笑ってんのよ」 瞳は声を荒げた。加代子は腹を押さえ、 「だってえ、いまどき画家ってえー」 と、笑うのをやめなかった。瞳は唇を噛みしめ、醒めた目つきで加代子を見下ろした。 かんちが 「ふん。女優だなんて、自分がちょっと美人だとでも勘違いしてる、十人並み程度の女が言い そうなことだわー よ、こイ ? ・ カ , 、と音がするほど大きく目を見開き、加代子が瞳の肩をつかんだ。長いルに首筋をひ 0 かかれ、瞳は思わず声を上げた。 「痛ったあ、何すんのよー 「そっちこそ、言っていいことと悪いことがあんだろオー 「先に笑ったのはあんたでしょオリ」 「笑うだけならカワイイもんだろ、このやろーーっつリ」 互いにつかみ合った両腕のかわりに、加代子はシューズの裏で思いきり瞳のすねを蹴りつけ た。ぎゃああ、と悲鳴を上げ瞳は加代子の爪先をぎりぎりとねじるように踏んだ。ひー、ぎや あ、うおー、という奇声に驚き、周囲に人が集まってきたことにも、ふたりはしばらく気がっ つまさき

2. 視線

55 視線 「 : ・遅刻か。ふたりして何やってたんだ ? 名簿に目を落としながら、吉村はからかうように言った。数人がクスリと笑う。 べつに何も、と言いかけ、瞳は思わず寺田の姿を探した。吉村の言葉にちいさく笑う、きち んと席についた優等生の彼女の顔が見えた。目が合ったとたんに下を向いて、彼女は瞳を避け 吉村が言った。声に溜息が混じっていた。 「またおまえか、田辺」 「・ : っ卩」 またおまえか、の言葉のあとに自分の名前が続くのを、瞳は信じられない思いで聞いてい た。『またおまえか』 卩このクラスになって初めての遅刻だ。今年はきちんと間に合うよう に、研に毎朝走 0 て来たのだ。なんで ? どうしてわたしがこんなこと言われてるわけ ? くや かな そんな思いで頭がいつばいになった。悔しいのか哀しいのか、よくわからない。こんなこと程 度で哀しいなんてことはないから、きっと悔しいのだろうと思った。でも鼻がツンと痛む。 「なんだ ? なにか言い訳でもあるのか」 吉村が言った。見ると、周囲の様子にはまったく無関心な様子で、成田はとうに自分の席に ひじ こぶし ついていた。肘をついてそっぽを向いている。瞳は思わず拳を握り締めた。なんて奴だろう。 無関係な顔しやがって。 やっ

3. 視線

わたしは ? 後輩たちの作った花のアーチをくぐりながら、瞳は・ほんやりと考えた。わたし は吉村に勝っただろうか ? 勝ち負けの問題ではないのかもしれない。けれど、わたしはわた しの、プライドをきちんと守っただろうか ? 本当に ? 合唱祭をポイコットしたことが本当 に、勝ちになるのだろうか。 体育館の外へ出た。あとはもう、帰るなり、好きな男の子に第一ボタンをもらいに行くな り、頭を寄せ合って泣くなり、それそれの自由だった。坂を下りる手前で卒業証書の筒を振り 回しながら、瞳は捺美や圭子と別れがたく話をしていた。遠くの人ごみに目をやると、花束や プレゼントを持った輪の中心に加代子がいた。瞳は驚き、思わず笑った。彼女は無事私立の女 ていさっ 工局に合格し、そこの演劇部へ早くも偵察に出かけたらしかった。家は近いし、また会える。 約東はしないけれども、少なくとも瞳は、そのつもりだった。 「先輩 ! 」 たむら 前から、美術部の後輩たちが駆けてくるのが見えた。田村と、数人の一年生たちだ。手にし た紙の筒に目をやって、瞳はいぶかしげな顔をした。 線「先輩、探したんですよ」 非難するようにそう言いながら、おめでとうございます、と田村は頭を下げた。 視 「ありがとう やまかわ 「先輩、山川先生が、これ渡しておいてくれ、って」

4. 視線

せんす 6 げ、ほう、とうなった。瞳は楽譜を扇子のように持ち、そこにいる誰からも目をそむけて、顔 あお めざわ を扇いだ。はしゃいだ寺田の様子が目障りで、それに対して何も言わない成田の態度も不愉快 だった。伴奏なんかしちゃって、けっこうはりきってんじゃないの卩胸のなかで舌を打ち、 鍵盤を見下ろす成田の顔を見やる。ビアノの伴奏者はではなく、経験のある者だけを集め すいせん て、そのなかで決められたものらしかった。彼が自分でやりたいと言ったのか、誰かに推薦さ れたのかは知らない。けれどとにかく、瞳は一人取り残されたような気持ちがして、おもしろ くなかった。 「よし、じゃあ成田。さっきと同じだ、バスの出だしの音をくれ」 指揮棒を構え、吉村が言った。成田は楽譜に顔を近づけ、鍵盤に目を落とした。ポーン、 と、少し硬い、大きめの音が響いた。 終業のチャイムが鳴ってから一一十分後、吉村はようやく指揮棒を下ろし、 「よし、今日はここまで」 と言った。そのとたん、あちこちで深い溜息の音が漏れた。すでに昼休みに入っており、歌 の最中に腹を鳴らしている者もいたくらいだった。瞳は楽譜をたたみ、席に戻って、教科書と ペンケースとを胸にかかえた。購買で。ハンを買うという捺美が急かすので、少し足早に音楽室 した

5. 視線

「けっこうイケてない ? 」 「そう ? ちょっと神経質そう」 まだ名前も知らないクラスメートたちが、口々にそう言い合うのが聞こえた。確かに、と瞳 へんくっ は思った。音楽だとか美術だとか、芸術的なことを教える教師には、偏屈者が多いような気が する。 ざわざわと囁き続けるクラスメートたちに囲まれ、瞳はそっと目を閉じた。あまり知ってい る人間はいなかった。一学年に十二クラスあるこの中学校で、親しい友達と同じクラスになれ る確率は、そう高くはない。まるで転校生のように新鮮な気持ちで、彼女は少し緊張しながら その列のなかに立っていた。でも式は退屈だ。ロもとに手を添え、大きなあくびを漏らす。涙 くも だんじしっ に視界が曇る。壇上に目を向けると、次の新任教師が呼ばれ、マイクの前で挨拶を始めるとこ ろだった。 新しく造られた渡り廊下を使って、体育館から黒ずんだ校舎へ戻る。三年生に進級した今 おお 日、空は灰色の雲に覆われて、空気はどんよりと重かった。三年四組とプレートのかけられた 教室に入り、出席番号順の席にすわる。 視「瞳 ? こ 聞き慣れた声が、廊下から彼女を呼ぶ。椅子を暖める間もなく立ち上がり、瞳はドアの横で かこ あいさっ

6. 視線

視 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 目 線 次 : 6 第八章 : ・ 第九章 : ・ 亠めとか医」

7. 視線

ひざ でていた。腰をかがめて、ついには膝までついて、少年の靴を脱がせてやっている。靴下の上 からそっと撫でて、大丈夫、とうなずく。そばで見守る母親の横顔も、さきほど瞳を睨んだ表 情とは違い、やわらかく緩んでいた。なんだろう、あれ。肩や背中を押されながら、瞳はロを なが 開けてその光景を眺めていた。母親が顔を上げる。涙を拭きながら子供が振り返り、その視線 を追って、一家の父親が、その目に初めて瞳を映す。 子供の頭にまだ手を置いたまま、吉村は目を見開いて、瞳を見ていた。数秒黙って見つめて あいさっ いたかと思うと、彼はふいに笑い、立ち上がって、子供の手を取った。挨拶しなければ、と瞳 はいやがる首をむりやり前へ押し倒した。吉村は気づいたのか、今度はさっきよりもはっきり えしやく と、笑みを返した。普通の、あたりまえの会釈だった。そのまま背中を向けて去っていく彼ら まぎ の姿を、瞳はずっと、人込みに紛れて消えてしまうまで、ロを開け、見守っていた。 気がつくと唇が乾いていた。筋肉の固まってしまった首をゆっくりと回しながら、瞳は泳ぐ じゃり ように人込みをすり抜け、おみくじ売り場の看板を探して、敷ぎ詰めた砂利の上をゆっくり 線と、歩き始めた。 視 三が日が過ぎると、瞳はさっそく加代子に電話をかけた。眠っていたらしい加代子は母親に 起こされ、あきらかに不機嫌な声で言った。 ゆる

8. 視線

った。おみくじを買ってくる、と言ってひとりで駆け出そうとする捺美を止め、 「はぐれちゃうよ」 はで と瞳は言った。派手な着物や家族連れや浮き足立ったカップルの群れで、まだ神社のなかへ も入れない状態なのだ。 「一緒に行こう」 圭子がそう言って、捺美が背中に負った、リュックのベルトをつかんだ。瞳はうなずき、反 対側から捺美の腕を取る。もし万が一はぐれたら鳥居の下、と決め合い、人ごみに押されなが ら、三人はおみくじ売り場へと移動し始めた。寒いはずなのにうっすらと汗をかく。 ぐら、と突然よろめいた人波に押されて、瞳は一瞬だけ捺美の腕を離す。あっ、と思った時 にはすでに彼女の姿はなく、圭子が驚いたように振り返りながら、人波に消えていくところだ った。瞳は呆然と波に押されていた。揉まれながら、おみくじ売り場を通りすぎ、神社の本堂 へ向かう波に流される。頭上に巨大なロープと鈴。あれ、と思うと目の前に賽銭箱があった。 「ちょっ、どいてよちょっと、あんた ! 」 ふりそで 線ビンクの振袖を着た化粧の濃い女が、瞳の右肩のあたりで悲鳴を上げた。自分が波を遮って いることに気づき、瞳はあわてて左へ避けた。と、 視 「ああっ、お母さん、痛い、この人が、このお姉ちゃんがっ と足元で声がした。四、五歳の男の子が、涙目で瞳を見上げている。見ると足を踏んでい とりい さいせんばこ

9. 視線

っと薄笑いを浮かべながら、不思議そうに首を傾げるのに違いない。わかるけど、でも、そこ まで : ・ ? 彼らはそう言って、からかうような視線で自分を見るだろう。吉村は表面的には、 生徒に対して友好的に接していた。つまり人気のある教師のなかに含まれる男だった。授業に はや は必ず冗談を織り混ぜたし、流行りの歌手やテレビ番組の話題をそれとなく口にし、自分に親 近感を持たせることにも成功していた。 瞳だって何も、吉村のやることなすことがすべて、悪意から来るものであるなどとは言って いない。ただ彼は、信じられないくらい無神経なのだった。それそれの生徒の家庭の事情子 供なりに感じる劣等感やプライド、教師である自分が生徒の目にどのように映っているのか、 ということを、彼はあまりにも、考えなさ過ぎるのだった。成績の良い生徒をえこひいきす る、と平気で言い切ることによって、彼は自分なりの教育方針をア。ヒールしたかったのかもし れない。教師も人間である、ということ。それを理解しろと言われたのかもしれない。でも言 かな い方が悪い。頭、悪すぎ、と思い、瞳は哀しくなってしまう。 誰にとっても平等であるはずの教師の、その発言は瞳にとって少なからずショックだった。 そして、それをやすやすと受け入れてしまう、周囲の子供たちの姿も。案外、自分は純情なの かもしれない、と瞳は思った。なせなら彼らはすでに、それらの矛盾とうまく溶け合っていく 手段を知っていたから。教師に媚びることや、教室内での力関係など。 吉村が憎い。消しゴムで消せるものなら、今すぐ目の前から消してしまいたい。彼が自分を こ かし むじゅん

10. 視線

「じゃあ、家に兄弟のでもいいからグロー。フがある人 ? 」 砂いじりを止め顔を上げて、瞳はのろのろと手を上げた。四つ下の弟が持っている。が、心 よく貸してくれるかどうかはわからない。絵の具セットを貸してくれ、と以前弟に言われた 時、「汚くするからいやーと冷たく断った自分を思い出した。 「じゃあ、みんな立ってー。あそこに並んで、自分でスタートして自分でゴールして。ズルし ても先生は見てますからね。三周走り終わった人から、またここに戻って整列して」 はい、じゃあスタート、と内田は手を叩いた。素早く立ち上がる集団に少し遅れて、瞳はブ ルマーの後ろを叩ぎ砂ぼこりを払った。手を払い、自分でスタートを切って、一周約一一百メー トルのグラウンドを走り始める。 ハスケットゴールの下に、男子生徒が整列して座っているのが見えた。男の教師が、ポール をドリブルしながら何か言っている。見ているうちに彼らはいっせいに立ち上がり、ポールを 手に持ち、ふたりずつに分かれてパスの練習を始めた。特に背が高いわけでも目立ってはしゃ いでいるわけでもないのに、瞳の視界のなかに、彼は一番に飛び込んできた。そういえばバス ケ部だって言ってたつけ。慣れた様子でポールを扱う彼の背中を見ながら、瞳はのろのろと走 った。意味もなく、睨まれたことを思い出す。ーーー近視なのだろうか卩 一周目を走り終わったところで、後ろから加代子が追いついてきた。 「何周目 ? 」