ってくるんだよな。おまえん家が金持ちだからじゃないのか、とか、かわいこぶってんじゃな いのか、とか、いろいろ言われたな。特にお利口さんだった女子の何人かはひどくてさ、俺、 がびよう シューズに画鋲入れられたんたそ卩嘘じゃねえそー 「・ : すつごオい」 「でも先生はそんなこと知らないから、相も変わらず俺んとこだけべタ誉め。やることなすこ と何でも嬉しいみたいだったな。そりゃあ先生に嫌われるよりや気に入られるほうがいいに決 まってるけど、その頃になると俺はもう、逆に先生のことを恨み始めてた。軽蔑もしてた。子 供に簡単に見抜かれるようなやり方でしか好意を表せないあいつが憎かった。もっとうまくや れよって思ったんだ。俺が今こんな嫌な目に遭ってんのは全部こいつのせいなんだ、って。そ んで俺、手つ取り早く、学校に行かなくなった。実際、朝、靴を覆いて家を出ようとすると、 腹が死にそうに痛くなるんだよな。仮病なんかじゃなくて、本当にな。それはそういう病気な おやじ しんせき んだ、って親父は言ってた。そんで、学校替わりたいって俺は言った。親父は俺を近くの親戚 いそうろう の家へ居候させることにして、すぐに転校手続き取ってくれたよ」 瞳は黙り込んで、何も言わなかった。思ったことはいろいろあったが、何を、どう言えばい いのかわからなかった。顔を見合わせ黙り込んでいると、体育館の内側で大きな拍手が湧い た。歓声やロ笛も聞こえた。瞳は壁に耳を押し当てた。 けいべっ
「よく聞かせてくれないか ? 」 「ちゃんと歌ってると言うならその証拠を見せてくれ。クラスがまとまってやってることにひ とりだけ参加しようとしない人間がいるとな、全員に迷惑がかかるんだよ。 : ・何か、思い上が ってるんじゃないのか ? どうしておまえだけいつも反抗的なんだ」 いつも ? を持ってきたこととただ一度遅刻したこと、それだけでどうして『いつも』 などと言われているのか、瞳のほうこそわからなかった。どうしてこの男が今、『おまえのこ となど何もかもお見通しだ』という顔で自分を上から見下ろしているのか、瞳にはまったくわ からなかった。頭おかしいんじゃないの。ーー、最初に嫌いになったのはどっちだろう ? 自分 が彼を嫌ったのが先か、彼が自分を嫌ったのが先か。考えてみたが、わからなかった。 「歌え。おまえひとりだけのためにテープを流してやる。指揮もしてやる。 : ・おい、全員、席 につけ。田辺はその場で立って待て」 吉村は手を打ってそう言いながら、教卓に戻ってラジカセのスイッチを押した。巻き戻しを 始める。早川が、 「先生、・ほくが指揮するんですか」 と不服げに言った。瞳とその彼と吉村だけを残して、クラスの全員がそれそれの席につい
132 聞いてどうするんだと思いながら、 「ソーメンだって」 と瞳は答えた。受話器の向こう側で、その一一 = ロ葉をそっくり繰り返す捺美の声が聞こえた。そ ばに圭子がいるらしく、笑い声が起こる。 「なにやってんの ? ふたりして」 外からかけている、というふたりが何やら楽しそうな様子なので、瞳は軽い嫉妬をお・ほえて そう言った。夏休み終了も一週間前のこの時期、今さらのように宿題に追われている自分が少 し情けない。 「宿題、もう終わったの ? コードレスの受話器を片手に、瞳は部屋のなかをうろっきながら言った。公衆電話からかけ ているらしく、立て続けに硬貨の落ちる音がした。 「終わってるわけないじゃん。塾の課題と、受験勉強とで手一杯よ」 捺美は笑いながら言った。瞳のほうも似たような状況なので、同じく笑うしかない。 「そのわりには暇そうじゃない」 そう一言うと、 「今、塾終わって近くの電話ポックスにいるんだけどね」 ためいき と捺美は答えた。なんだ、と瞳は溜息をついた。 ひま しっと
「あんたと同じ」 加代子は答えて、瞳のス。ヒードに合わせびたりと横を走った。息を切らしながら、 「もう、あたし走るの嫌い」 と囁く。瞳は笑いながら返した。 「ソフトボールよりはいいじゃない」 「あんたはそうだろうけどさー 「今年もあるのかな、冬の、マラソン大会」 「あー、あれー げえ、と顔を見合わせ、ふたりは一気にスビードを落とした。その横を次々に影がかすめ る。見ると、すでに走り終わった何人かが地面に座り込んでいた。 「速いねえ、あの人たちー 「ハレー部だよ、確か」 「あたし演劇部だもん」 「わたし美術部 : ・」 線 言いながら、突然息が苦しくなって瞳は下を向いた。喋りながら走っていたのがまずかっ 視た。次々にゴールしていくたくさんの背中を眺めながら、ふたりは同時に最後の一周を切っ 芻た。加代子が少しスビードを上げゑ懸命に追いっきながら、 ささや けんめい しゃべ
232 わたしのせい 『おまえのせいじゃねえよ』 さ - 叩きのめすような勢いで、成田は瞳の言葉を遮った。上目づかいに睨みつける。 『そんなこと、吉村は一言も言わねえよ。そりや言わないだけかもしれないけどな。でもな、 教師がそんなことするなんて、俺は思いたくねえんだよ。それでいいじゃん。実際、俺、秋頃 から成績落ちててさ、おまえ聞いただろ、職員室で俺が言ってたの。あん時は伴奏やめるただ の言い訳だったけど、ほんと、やばかったんだよ、ここんとこ。推薦っていろいろ面倒だろ。 俺、あいつにもの頼むってこと自体、もう嫌なんだよ』 心底、本当に嫌そうな顔で彼はそう言って、強引に話を締めくくってしまった。半泣きにな いちべっ っている瞳を一暼し、さっさと仲間の群れへと戻っていく。二月に彼は一般で試験を受け、こ の学校からはたった三人だけしか受からなかったという私立の男子校に、すでに入学を決めて いた。春からは別々だなあ、と瞳はうたいながら思った。といって、今までいつも一緒にいた ばノきん というわけではないのだった。わたしはこれからどうなるんだろう ? 漠然とした不安にふと 全身を包み込まれそうになって、瞳はあわてて首を横に振った。歌が終わる。 自分の思う高校へ入れなかった成田。受験させてももらえなかった。 , 彼のほうが今度は自分 なんいど で拒否して、もっと難易度の高い高校へ合格した。それは彼のプライドだった。最後に彼は、 きちんと勝ってみせたのだ。
ひイイイイ、と圭子がとてつもない悲鳴を上げ、ガタン、と椅子を蹴り立ち上がった。足元 を揺らすその音に、瞳は筆を止めて振り返った。窓際の席で、圭子が顔を覆っていやいやをし ている。捺美が怒り、 「ちょっと、駄目じゃん勝手に手え離したら ! 」 と大声を上げている。圭子は構わず、泣きそうな顔で瞳のほうへ駆けてくる。 「・ : 何やってんの ? 」 「信じらんない、もうこっくりさん絶対怒っちゃったよ ! 」 「瞳イ、捺美が怖いのオ」 のろ 「圭子、最低 " 】もう知らない、途中で止めたらどうなるか知ってんの ? あんた、呪われち ゃうよー いやああああ、と泣き声を出して、圭子はその場にしやがみ込んだ。瞳は椅子から立ち上が 「なによ、呪われるって ? こ 線と捺美を見た。捺美は机の上に広げてあった紙をつかみ、両手でぐるぐると丸めて、窓から 投げ捨てた。ひどく怒っている様子だった。 視 「駄目じゃん、そんなとこからゴミ捨てて」 ゆくえ 瞳は窓に駆け寄り、前に乗り出して紙くずの行方を見守った。すぐ下にある焼却炉の、黒い おお
れそれが帰りの支度を始めた。瞳は教科書を取り出そうと机のなかに手を突っ込み、そのま ま、動けなくなった。足が重い。腕が、腰が、頭が、まるで自分のものではないように重かっ た。この場所から動けない。逃げ出したいのに、逃げられない。 「そんなに、歌うの嫌い ? 」 きれい 誰かが目の前に手をついた。傷だらけの、あまり綺麗とは言えないその手の持ち主は、成田 かっゆき 克之だった。彼は鞄をかかえ、身を乗り出すようにして、瞳の机に手をついていた。 「 : ・泣くなよ」 あざけ 慰めの言葉ではなかった。成田は嘲るように、高いところから瞳を見下ろして、そう言っ た。泣いてない。それを証明してみせるために、瞳は顔を上げて彼を睨みつけた。成田は表情 を変え、 「怖ええ。睨んでるそー と周囲の仲間に向かって言った。瞳は下を向き、机から教科書の束を引きずり出した。気が つくと体は動いていた。鞄を開け、無造作に教科書を詰め込んで、椅子を蹴る。 「どいてよ。邪魔」 机の横に立っ成田にそう言って、瞳はすたすたと教室を出て行った。泣くなんて、冗談じゃ ない。胸のなかでつぶやいた。吉村に苛められたとは、彼女は一瞬たりとも思わなかった。被 なぐさ こ にら なりた
154 チャイムが鳴りだした。机のなかからペンケースを取り出しながら、瞳はふと窓際に目をや くせ った。最近ではほとんど癖になっている。 前から四番目の席にすわった成田が、椅子の上に片膝を立て、何か悪いことでもするように 体を縮こまらせて、ちいさな自作の単語帳をめくっている。こっち、向かないかな。そんなこ とを考えて・ほうっと視線をやっていると、ガタガタと机が揺れ、教卓に吉村が現れた。 「あー、全員そろってるか ? じゃあ昨日も言ったように、今から合唱祭に向けて、このクラ スの歌う自由曲を決めようと思う 彼はそう言って、ひどく張り切った様子で教室内を見回した。早々に帰り支度を済ませてい る生徒たちは、ばらばらと顔を上げてうとましげに彼を見た。 「先生、まだ二か月も先のことだと思うんですけど」 きちょうめん クラス委員の早川が、、几帳面に手を挙げて発言した。吉村はくるりと首を曲げて彼を見、 「それがどうした。最優秀賞を狙うクラスが、どこよりも早く練習にとりかからなくてどうす る と笑った。自信満々の口調だった。瞳は心のなかで精一杯早川を応援した。あと、もうひと 押し。おそらく、文化祭などすっとばしてすでに受験で頭をいつばいにした生徒たちはみな、
シャツを広げ仕上がりをチェックしていた母が、その声にテー。フルの上を見る。 「全部食べたの ? 」 瞳は玄関へ行きスニーカーに足を突っ込む。 ・ : お姉ちゃん卩」 「食べてないじゃないの。お姉ちゃん、ちょっと待ちなさい、 声を断ち切るように背中でドアを閉めて、瞳はマンションの廊下に出た。そういえば時計を 見るのを忘れた。校則で禁じられているので、もちろん腕時計など持っていない。今、何時だ ろう ? 戻って確かめようかと一瞬迷ったが、母親がうるさく言ってきそうなのでやめた。 遅刻かな。・ほんやりとそんなことを思いながら、すでに半分諦めてエレベーターを待つ。部 屋は三階だから階段で下りたほうが早いのだが、今朝はなぜか、汗をかいてまで急ぐ気にはな れなかった。ようやく開いた扉をくぐって、一階のボタンを押す。 うな ぐうん、と唸ってエレベーターが降下し始めると、瞳はようやく、まるでこの場所が自分の のど 家であるかのように溜息をついた。昨夜は眠れず、朝食は喉を通らず、つい弟に八つ当たりま てらだ なりた でしてしまった。寺田の一言葉は、成田の態度は、やはりそれだけのショックを彼女に与えてい 線たのだった。 成田の母親が。ヒアノ教室を開き、自宅でレッスンをしているという話は圭子に聞いた。寺田 視 はそこで、もう十年近くもビアノを習っているらしかった。彼女が成田に気があるという噂 は、ずいぶん前からあったらしい。こっくりさんも言ってた、と捺美は真剣な顔で言っていた あきら あせ なつみ ーしこ うわさ
抗して叱られたいわけでもない。 じゃま 「いぎがるのよ、 ーししが、邪魔だけはするな」 吉村はそう言い、カッカッと歩いてピアノの鍵盤に近づいた。寺田の横に立ち、 「いいか、次。テナーはこの音だ。よく聞け」 カン、と指揮棒で黒いビアノを叩く。続いて、ロを『ま』の形に開いた男子生徒数人が歌声 を出す。もう一度、と言って吉村は両手を上げる。指揮棒を握る彼の指が、瞳は、大嫌いだ。 、つぬぼ 傲慢で、自惚れていて、大勢の歌声を支配する指。彼の指が振り下ろされると歌が始まり、止 めろというふうに振り回されるだけで、歌は止まる。十本の指が軽く握り締められると、歌は よいん 一筋の余韻も残さずに終わる。人を自由に動かすことに満ち足りている指は、よく肥えて醜 なが その指の持ち主がどうだということよりも、見たまま、それが動くままを眺めるだけで、 気分が悪くなるのだった。あの指に支配されるのは嫌。表情のない顔で、瞳はそんなことを考 えていた。 「次、アルト。アルトは音程が取りにくいから、ソプラノにつられないように」 線指揮棒の合図にあわせて、まー、と瞳はロを開けた。吉村は指揮棒を振り回し、 「やめ。・ : 田辺、もうちょっと口を開けろ」 視 と瞳を指した。指で差されるより屈辱的なその仕草に、 「すみません」 ごうまん しか