118 んな男の後ろについて歩いているのか自分でもわからなかったが、言葉少なな成田の態度が気 になって、仕方なく一緒に歩いた。見てはいけないものを見てしまったのだろうかと思い、彼 女はなかなか上手い話題を見つけられなかった。 うつむいて坂を下る。成田は時おり振り返り、瞳が追いつくのを待っている。ふたりはつか ず離れず、夏休みの宿題の確認などしながら、どこかぎこちない空気のなかで歩いていた。誰 にも言うなよ。そう言 0 てキ = , と犠を噛みしめた成田の表情を繰り返し思い浮かべ、瞳はひ とりで首をかしげた。 「ちょっと、どこ行くのよ ? 」 彼の足が通学路を大きくそれたので、瞳はあわてて追いっき、後ろから腕を引いた。成田は 瞳の荷物に目をやり、 「重いだろー と無理矢理自分の肩に担ぎ上げた。 「交換しよう そう言って自分の鞄を彼女に押しつける。 「何なのよ ? 帰るんじゃないの ? こ 「待って」 問い詰める瞳にすがるような目を向けて、成田は短くつぶやいた。
「洋楽っていうのは、具体的にどういうの ? 吉村はしぶとく食い下がる。瞳は首をかしげながら、 ファイプ 「ジャクソン 5 とかー : ・」 と、曖昧に言葉を濁した。こんな大勢の前で好きだと言えるほど、聴き込んでいるわけじゃ ないのに。そう思うと恥ずかしくなった。 「はあ。それは先生は、わからんな」 吉村はあっさりとそう言い、困ったように笑った。つられて何人かが笑う。 「よし、じゃあ次の人ー 後ろでようやく続きが始まり、しっとりと落ち着いたアルトの声が響く。 てらだゆり 「寺田有里です。茶道部です。趣味は料理、得意な教科は英語ですー すぐ後ろから聞こえてくる声に、瞳は感心して、へえ、と溜息をついた。典型的な優等生タ イプだ。しかも料理ができるなんて。 どんな顔してんだろう ? 単純に興味が湧いて、思わず振り返ってしまう。自己紹介を終え て座ろうとしていた彼女は、待っていたように瞳の視線を受け止めて、につこりと笑った。瞳 はあわてて愛想笑いを返し、すばやく前へ向き直る。ストレートの黒い髪をボブにした、見た まま、言葉のままの優等生だった。 全員の自己紹介が終わると、吉村は白いチョークを持ち、黒板を背に教室中を見回した。 あいまい ひび
なりたかっゆき 「 : ・成田克之です。部活はバスケ、趣味はべつにありません。よろしく」 瞳は顔を上げた。聞き覚えのある名前だった。ガタン、と音を立て椅子に腰かけた横顔は、 少し陽に灼けて浅黒い。すねたようなへの字のロもと。目玉の黒い部分が、普通より少し足り つね ないようだった。整っているといえば整っているその顔のなかで、常に上目づかいをしている けんか ようなその大きな目玉だけが、まるで見るものすべてに喧嘩を売っているかのようにギラギラ ぎ・っし していた。 / を 彼よその目で、何も置かれてはいない机の表面をじっと凝視していた。 のざわしげる 「野沢茂です、趣味はーー」 すぐ後ろの男子生徒が立って、少し頬を赤らめながら、まだ、話している最中だった。吉村 は組んでいた腕をほどき、彼の声を遮った。それは少し無遠慮な、暴力的なやり方だった。 「ちょっと待て、成田。趣味がひとつもないってことはないだろう。ん ? テレビを観るので も、音楽を聴くのでもいし べつにないって言うのはだめだ。何かあるはずだろう ? 」 吉村はまっすぐに成田だけを見つめ、成田はうとましげにそんな彼を見上げた。その後ろで 棒立ちになっている野沢茂には、ふたりとも気づかない。 「・ : 趣味は食って寝ること。以上、おわり 成田は立ち上がり、それだけ言うとまたすぐに座った。吉村の表情をうかがうこともせず、 椅子に深く座り直す。吉村は笑い 「そうか。それも趣味だな」 さ。」
「じゃあ、家に兄弟のでもいいからグロー。フがある人 ? 」 砂いじりを止め顔を上げて、瞳はのろのろと手を上げた。四つ下の弟が持っている。が、心 よく貸してくれるかどうかはわからない。絵の具セットを貸してくれ、と以前弟に言われた 時、「汚くするからいやーと冷たく断った自分を思い出した。 「じゃあ、みんな立ってー。あそこに並んで、自分でスタートして自分でゴールして。ズルし ても先生は見てますからね。三周走り終わった人から、またここに戻って整列して」 はい、じゃあスタート、と内田は手を叩いた。素早く立ち上がる集団に少し遅れて、瞳はブ ルマーの後ろを叩ぎ砂ぼこりを払った。手を払い、自分でスタートを切って、一周約一一百メー トルのグラウンドを走り始める。 ハスケットゴールの下に、男子生徒が整列して座っているのが見えた。男の教師が、ポール をドリブルしながら何か言っている。見ているうちに彼らはいっせいに立ち上がり、ポールを 手に持ち、ふたりずつに分かれてパスの練習を始めた。特に背が高いわけでも目立ってはしゃ いでいるわけでもないのに、瞳の視界のなかに、彼は一番に飛び込んできた。そういえばバス ケ部だって言ってたつけ。慣れた様子でポールを扱う彼の背中を見ながら、瞳はのろのろと走 った。意味もなく、睨まれたことを思い出す。ーーー近視なのだろうか卩 一周目を走り終わったところで、後ろから加代子が追いついてきた。 「何周目 ? 」
124 「推薦状は書けないってこと ? こ 少し風が強くなった。瞳は乱れた前髪をかき上げながら、成田の顔をのそきこんだ。 「そうじゃなくて、そんなものはなくても、おれは推薦状くらい書いてやる、って」 「なんだ、良かったじゃない」 「・ : まあな」 成田はうつむき、ちいさく笑った。体の後ろに手をついて、コンクリート の感触を楽しんで いる様子だった。瞳は前を向いて、白い地平線を見ていた。空の青と海の青を遮る一本の光の なが 線を、まばゆさに少し顔をしかめながら、飽きもせずに眺める。そのうちに成田が言った。 「なー」 「田辺え」 「何よ ? 「俺、・ : ごめんな」 「は ? 」 いらいら 要領を得ない成田のロ振りに、苛々して瞳は声を荒げた。顔をのそきこむと、成田は逃げる ように横を向いた。 なぐ 「おまえ、美術準備室で俺のこと殴っただろ」 さ )
て、鞄を脇に置き、瞳はまだ温かいタコヤキの包みを開いた。そこでようやく、ひとりぎりで 外でものを食べるのは生まれて初めてだということに気がついた。 串をつかみ、一個をひとロでほおばる。キャベッとコーンと、それ以外には何の歯ごたえも ないタコヤキだった。タコはあまり好きではないので、瞳にはそのほうが良かった。こんな味 だったつけ、とふと思った。少し考えたが、だからといってどこがどう違うのかと言われると わからない。 「・ : もしもし ? 」 だまってひたすらロを動かしていると、ふいに後ろから声をかけられた。白衣を来たおばさ んが立っていた。顔を見て、 「あ、どうも」 と瞳は頭を下げた。小学校の保健室に勤務する先生だ。向こうはどうか知らないが、瞳は覚 えている。 「あなた、ここの卒業生 ? 「山の上の中学に通ってるのね ? 」 「ええ」 「ここで何やってるの ? 」 わき
燗るかなんて、聞いてみなければわからない。そんな当たり前のことを、瞳はふたりと言葉を交 わすたびに実感した。それからはいろいろな話をした。学校帰りに塾をさ・ほって、『べきん』 でタコヤキを食べたことも、もう何度もある。 「タコヤキ食べたいねー 雑誌を閉じ、少し熱の冷めた表情で圭子が言った。捺美は鞄から財布を取り出した。 「三百円ある。足りるよね」 「じゃあ帰り、行こうか」 ラムネはどうだい、などとおじさんのロ真似をし、瞳はふたりを笑わせた。三人できゃあき ゃあ一言っていると、 「うるせーなあ、勉強できねえよ」 と誰かが聞こえよがしに言った。瞳は振り返り、声の主が捺美の後ろの席の成田と知って、 思いきり笑った。 「あんたに言われたくないわよ」 授業中にヌード写真集を回し、教師に取り上げられて泣きそうな顔になっていた成田に、そ んなことを言われたくはない。瞳はそう言ったのだった。しかし彼は珍しく、机の上に数学の 問題集を広げていた。 「やだ、怖いつ」 かばん さいふ なりた
むな ふたりは顔を見合わせ、ふつ、と空しい笑いを漏らした。どうやらお互い、新学期早々の てらだゆり 『お友達争奪戦』に乗り遅れてしまったようだった。 / 後ろの席の寺田有里とは弁当を一緒に食 べているが、まだ大した話はしていなかった。見るからに優等生な彼女に、昨日観たテレビド ラマの話などできず、瞳は欲求不満だった。加代子なら違うのに。 「ねえ、昨日のさ、『私を人魚にさせないで』観た ? こ 試しにそう言ってみると、 「観た観た。サュリがトシャの家に乗り込んで行ってさー」 「トシャいいよねー」 「そうか ? あたしはヨシオのほうが好み」 と、加代子の反応は早かった。これが寺田だと、 「塾あったから・ : の一言で終わってしまう。ビデオ予約しろよ、とまでは、さすがの瞳も言えなかった。 「三組ってどう ? おもしろい ? たず 尋ねると、 「べつに。担任、女だしさ。男子がちょっとはしゃいでるって感じはするけど と加代子は答えた。階段を下りながら、 「わたし黒板消し係になっちゃってさ」
手招きしている女友達の顔を見た。 「加代子」 「おはよ。久し振りー むらかみ 去年同じクラスだった、村上加代子だ。量が多いのが悩み、という長い髪を、いつものよう に後ろでひとつにまとめている。背が高く、表情が豊かで、怒るととても怖い 「四組の担任って、あの吉村とかいう男の先生でしょ ? こ 教室のなかへ頭を突っ込んで、きよろきよろとなかを見回しながら加代子が言った。瞳はう なずき、 「まだ、来てないみたいだけど」 と答えた。 「加代子は何組 ? 「三組。隣だよ。体育は二クラス合同だから、また一緒だね」 ざわめく教室のなかをしつこく見回して、加代子はようやく瞳を振り返った。 「これ、借りつばなしになってたからさー そう言って、ケースに入った一枚のを差し出す。春休みに入る直前、彼女が家に遊びに 来た時に、借りていっただった。 「ああ。ごめんね、わざわざ」 となり こわ
160 「・ : よし、練習やめ。みんな。ヒアノの周りに集まって」 よしむら 手を叩いて吉村が言った。アルトの パートで歌っていた瞳と捺美は、楽譜を持ってビアノの けいこ 横に移動した。圭子はソプラノを歌っている。 十月に入った。火曜の四時限目に行われる音楽の授業で、練習はいよいよ全体での合唱に差 てらだ しかかっていた。。ヒアノの前には寺田が座り、真剣な表情で楽譜を睨みつけている。 「じゃあまず、バスのパ ートから。最初の音はなんだ ? 寺田、音をくれ」 白い指揮棒を振り回し、吉村はその先を寺田に向けた。寺田はうなずき、バスの出だしの音 を叩いた。。、 + ーン = ・。低く鏘くその音に、吉村は目を細めて聞き入る。 なりた 「いいカー この音だ。いいか、・ : 成田、 カサ、と紙の擦れ合う音がした。・ハスの。ハ トの一番後ろで、成田が楽譜に目を落としうな ずくのが見えた。 第七章 まわ ひとみなつみ にら