気持ち - みる会図書館


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1. 視線

なかったかのように笑うと、白い鍵盤に目を落とした。早川が腕を振り上げ、歌が始まる。 が、瞳は楽譜に目を落とすことも忘れ、成田を見つめていた。 寺田の横で歌声に耳を澄ます成田を見ながら、瞳の胸はキリキリと痛んだ。痛みの本当の出 どころはもう少し下のような気がしたが、。 とちらでも、結局は同じだった。つまんないなあ、 かな と彼女は思った。とても静かな、哀しい気持ちだった。小学校の金網を蹴りつけながら感じ た、あの時の気持ちと同じ。悔しいのでも、腹立たしいのでもない、ただただ、胸がずしんと 沈んで二度と浮かび上がってこないんじゃないかというような、そんな気持ちだった。 「田辺さん ! 」 ヒステリックな寺田の声がして、突然、歌は途切れた。瞳は我に返り、あわてて目の前の光 景に焦点を合わせた。まず成田と目が合った。彼は目を伏せて寺田を見やり、瞳はつられてそ ちらを見た。寺田は、噛みつきそうな視線で瞳を見ていた。 まじめ 「真面目にやってって言ってるじゃないの ! どうしてちゃんとやれないの ? あなたみんな こっから出てって の迷惑なのよ卩そんなにやる気がないんだったら、出てってよ ! 椅子を蹴り、すさまじい剣幕で怒鳴りつけてくる寺田を見ながら、瞳はただ呆然と目を見開 いきどお いていた。しまった、という後悔の念と、どうして、という憤りが、胸に同時に沸き上がる。 ごめんなさい。わたしが悪い。ちゃんと真面目にやらなくちゃ。わかってるんだけど。和を乱

2. 視線

237 視線 「・ : おう。がんばってこい」 と片手を上げた。下ろした手を頭にやり、くしやりと前髪をかき上げる。去っていく彼の生 徒はもう、振り返らなかった。 秋に行われた合唱祭で、三年四組は望み通り、最優秀賞を獲った。吉村は大喜びだった。合 唱祭が終わって一月経っころになっても、まだそのことを口にするほどだった。相変わらず朝 ホームルーム タのに歌をうたわせたがる吉村と、いよいよ受験勉強の追い込みにかかろうとしていた 生徒たちとは、当然のごとく、次第にずれていった。もう噛み合わなかった。 吉村は気づかなかった。けれど、生徒たちは気づいていた。自分たちの担任教師が決して、 受験の際に役に立っ種類の教師ではないということ。歌をうたうこと、勉強よりもむしろ、そ れ以外のことに目を向けさせようとしている教師であるということ。小学生の時なら、今年が 受験の年でなければ、彼はもっと支持されたかもしれない。けれど、合唱祭で思い通りの成果 彼よもう役に立たな を出すまで、そこまでが、生徒たちが彼についていける精一杯だった。 , を ほんの少しだけ、それは胸の痛くなる光景だった。けれど、ざまあみろ、という気持ちも、 もちろん、すっかりなくなってしまったわけではない。特に名残もなく、あっさりと手を振り とんな気持ちなのだろう ? 自分のもとを去っていく教え子たちを見送って、吉村はいったい、。 「瞳 ! な。こり

3. 視線

247 あとがき ひ たイメージを読者さんに教えてもらえるなんて、なんだか幸せなことだなーと思いました。日 なたし・か 向や静のイラストを書いて送ってくれる方とか、本当に感激です。 万吏男を好きツ、というお手紙を待ってたのですが、全然来ないかと思ってたら少しは来ま かな した。良かったー いくら何でも一通も来ないっていうのは哀しすぎるかなーと心配だったの で、「万吏男の気持ちもわからないでもない」と言ってくれる方がいて本当に良かったです。 彼については、とにかく怖い、気持ち悪い、という声が多かった。うーん、私ももちろんそう 思うけど、でも一応作者だから、愛していないわけではないです。書いていて面白いキャラク ターって、実は彼のような奴なんじゃないかと最近思います。 静は、本当にいろいろでした。怖い、という人と、憧れる、という人とにばっきり分かれて た。日向を悪の道へ連れ込まないで、とか。静についても、まだまだ書きたいことがたくさん 残ってます。「教室』には実は同タイトルの短編があって、そっちの主人公は静になってます。 ゅうじ 静と勇嗣の、例の中学時代の過去について書いたもの。ここでの静はまだちょっと初々しいの で、読み返してみてびつくりしました。なんであんなにヤサグレちゃったんですか、というお 手紙があって、ほんとだ、と我ながら笑いました。 いただいた質問のなかで一番多かったのが、「結局、要目は静と日向のどっちとくつついた のですか ? ーというやつでした。訊かれて初めて、あ、忘れてた、と思いました。考えてなか ったです。ごめんなさい。あれは恋愛を真ん中に置いた話ではなかったので、要目は結局、誰 こわ われ あこが

4. 視線

の指を一度受け入れ、我に返って、あわてて拒絶した。胸が沈んで、一一度と浮かび上がってこ ないようなこの気持ち。小学校の金網を蹴りつけながら、寺田の横に立っ成田の姿を見ながら 感じたあの気持ちは、 あれは絶望だったのだと、瞳は今ようやく気がっした。彼 、 - 女は衝動 的に顎に力を入れた。 だえき 吉村は驚いて手を引き抜いた。瞳はロを閉じ、苦い唾液がにじみ出てくるのを感じて、顔を つば そむけ床に唾を吐いた。 「・ : 気分が悪いんです。保健室へ行ってもいいでしようか」 ひどく落ち着いた態度でそう言った。吉村は彼女の吐き出した唾液の塊に目をやり、困惑し う′玉 9 た表情のまま頷いた。一刻も早くその場を立ち去りたかったが、けれど走るのは悔しくて、瞳 は歩いて音楽室を出た。 トイレに駆けこんで個室に鍵をかけると、吐き気と一緒に涙があふれてきた。悔しくて悔し くて、たまらなかった。彼女を痛めつけたのは吉村でも寺田でも成田でもなく、それより他 線の、どこまでも無関心なクラスメイトたちの存在だった。敵でも味方でもない、死んだような えんえん 彼らの視線に、負けてしまった。あの視線の群れの前で、他でもない、担任教師に延々とプレ くつじよく 視 ッシャーを与えられ続ける、その屈辱に、もう我慢ができなかった。まるで医者が患者に服を 脱げと命じるのと同じように、吉村は瞳に口を開けと言った。患者の役割を与えられた瞳には われ きょぜっ かたまり くや こんわく

5. 視線

「田辺さんて、ほんとにヤンキーなの ? こ 手に持ったちりとりを持て余し、瞳はうろうろと視線をさまよわせてごみ箱を探した。瀬野 は辛抱強く瞳の返事を待っている。 「・ : ャンキーって、死語じゃないの ? こ 半笑いの顔で瞳は言った。この場に居ても立ってもいられないほど、複雑な気持ちだった。 かみそり 「見てわかんないの ? 髪はちゃんと黒いし、スカートだって校則通りの長さだし、剃刀も持 ってないし、塾にだってちゃんと行ってるよー なんでこんなこと、と思いながら瞳はやけになって言った。瀬野はうなずき、 「そうだよね。英語のテスト、満点だったんでしょ ? こ と笑った。瞳は驚いて、瀬野の顔を穴の空くほど見つめてしまった。 「誰に聞いたの、それ」 てらだ 「寺田さんが : ・ 線 「煙草吸ってるわけでも暴れてるわけでもないのに、なんでヤンキーなんて言われてるのかな 視あ、って私ずっと不思議だったの」 瀬野は声を立てて笑い出した。 しんぼう たばこ

6. 視線

244 瞳は彼を呼び、振り返った彼の前に、抱えていた紙筒をひとつだけ、差し出した。 「これ、あげる」 文化祭で展示された絵のほうだ。成田とふたりで見た、真っ赤なタ陽を描いたものだった。 「え・ : 、だって」 きレっせい 彼は言って、うかがうように瞳の顔を見上げた。狂ったような嬌声にふと目をやると、彼の 友人たちが冷やかしの声を上げながらパタバタと走り去っていくのが見えた。成田はさっと頬 を赤らめ、彼らを見送って舌を打った。瞳は黙って彼を見上げた。彼は逃げるように視線をそ らす。 : いいのか ? 」 たず 腹を立てたような口調でそう尋ねる彼に、 「うん。もらって」 と瞳は答えた。成田は手を伸ばし、紙筒を受け取った。とたんに瞳は、何かとてつもなく大 事なものを一度に失ってしまったような、哀しい気持ちになった。 「一緒に帰らない ? あの夏の日と同じことを、今度は瞳が言う。 「・ : おう」 成田はうなずき、とうに消え去った友人たちの姿を遠くに探しながら、ぎこちなく瞳の隣を ほお

7. 視線

「なんか、盛り上がってんな」 成田が言った。三年四組の発表が終わったらしい。瞳はうなずき、ようやく言葉を見つけ出 して、 「結局、その先生、気づいたの ? 」 と尋ねた。自分のせいで成田が苛められていること、そのことに彼女は気づいたのか、と。 成田はうなずき、すぐに、まるで思い直したようにまた首を横に振った。 「・ : 気づいた、と思う。全部じゃないだろうけど。俺が転校手続き取りに親父と学校へ行った かな 時、あいつ、すげえ哀しそうな顔で俺に、どうして、って言ったんだ。クラスのみんなに苛め られてるの ? ってな。だから俺、あんたのせいだ、って言った。顔上げて、はっきり言って やった。・ : あいつ、ちゃんとわかってたかな : ・」 成田はうつむき、キュッと眉根を寄せた。しばらくは何も言わず、考えこんでいるようだっ た。やがて顔を上げると、 「かわいがってもらったんだ。それは確かだ。でもあれは正当な行為じゃなかった。教師とし 線てはな」 と、ひとつひとつの言葉を慎重に、確かめるように言った。彼は顔を上げて瞳を見た。 視 「だからおまえの気持ちは、わかるんだ。なんとなく、わかると、思う。だって吉村の態度 は、あれは、あれも、正当な行為じゃないだろ ? どっちが悪かったとか、そういうことは俺 しんちしっ

8. 視線

チャイムの音。椅子を引きずる音。振動。近づいてくる教師の足音。聞き慣れたさまざまな 音がすべて、新学期にはなぜか真新しく感じられる。教卓に立った吉村の顔も、久し振りだか 線ら少しは冷静に見られる。 「あー、おはよう。久し振りだな。まだ暑いからあんまり九月って気はしないか ? どうだ ? 視 まあ君らのその気持ちはよくわかるが、なにぶん今年は受験なんでな、今日からはまた気を引 ぎ締めて、勉強に励んでくれ」 あき 捺美が呆れて言った。瞳は顔を扇ぐのをやめず、 「あいつは、ああいう奴よ」 とつぶやいた。捺美と圭子が怖がったあんな表情なら、瞳は何度も、正面から見据えたこと があった。考えるだけで胸が悪くなる。あんな醜い顔つきを平気で見せる男が、教師だなん て。信じたくもないが、それは事実だった。 「行こうよ、図書館」 まだ不安けな表情を残したふたりにそう言い、瞳は先に立って歩き出した。捺美と圭子は何 やら素早く目配せをし合い、結局何も言わなかった。気づかない振りをし、瞳も黙っていた。

9. 視線

110 「 : ・ああ、なんだ田辺か」 こちらに背を向け、床に座り込んで何やらゴソゴソしていた怪しい人影は、顧問の山川だっ ゆが た。瞳は歪めたままの顔で、その場に立ち尽くした。 「何やってるんですか、先生ー 「悲鳴上げることないだろう ? あや 「電気も点けないで、怪しすぎます」 「あー、そうか : ・」 山川は腰を叩き、よいしよ、とロのなかでつぶやぎながら立ち上がった。タイルの床の上に 直接、画用紙が何枚か積み重ねられているのが見えた。なかの一枚に目をやって、瞳は壁のス ィッチに触れ蛍光灯をつけた。 「これ・ : 「ああ、やつばり田辺のか。名前書いてなかったそ、書いとけっていつも言ってるだろ」 瞳は膝を曲げ、描きかけのまま放っていた一枚の水彩画を拾い上げた。海の色がわからな い、などと細かいことをうじうじと悩み、結局は完成させられないままでいたこの町の風景画 ほ′」り・ だった。表面に埃が付着し、少しざらついている。あわてて払い除けようと指でこすると、絵 の具の色も一緒に剥がれてしまった。瞳は切ないような情けないような気持ちで、溜息をつい ひざ せつ やまかわ

10. 視線

242 黙って見上ける瞳の肩をもう一度軽く叩いて、吉村は男子生徒たちに声をかけ、写真を撮る のぞ から並ぶように、とあれこれ指図を始めた。いくぞー、と叫び、レンズを覗き込んでいる。そ ういえばさっき、彼は笑っていたのだろうか。瞳はふと、そんなことを思う。わたしの後ろ で、いったいどんな顔をして写真に写ったのだろう ? 「 : ・怒らないでよ、瞳」 隣で捺美が、瞳の腕に手をかけぐらぐらと揺さぶっている。圭子が上目づかいに、機嫌をう かがうような顔で瞳を見る。 しじゃん、一枚く 「最後だからさ、一枚、撮っといたほうがいいんじゃないかと思ったの。い、 らい。ね ? こ 「先生だってちゃんと笑ってたしさあ」 「そうだよ。ぎっと十年後にはいい思い出になるよ」 口々に言い合うふたりの声に適当にうなずきながら、瞳はカメラを構え笑う吉村をじっと見 ていた。一日も休まなかった。そうだ、確かに、瞳はこの一年、遅刻はしても、欠席すること ののし はなかった。要注意人物だと罵られようが、皆の前で歌をうたわされようが、ロのなかに指を 突っ込まれようが、合唱祭当日だろうが。むしろ、まるで戦いを挑むような気持ちで、毎日、 歯を食いしばってあの坂を登ってぎた。負けるのは悔しいから。あいつの思い通りになるの は、絶対に嫌だから。