目 - みる会図書館


検索対象: 視線
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1. 視線

なかったかのように笑うと、白い鍵盤に目を落とした。早川が腕を振り上げ、歌が始まる。 が、瞳は楽譜に目を落とすことも忘れ、成田を見つめていた。 寺田の横で歌声に耳を澄ます成田を見ながら、瞳の胸はキリキリと痛んだ。痛みの本当の出 どころはもう少し下のような気がしたが、。 とちらでも、結局は同じだった。つまんないなあ、 かな と彼女は思った。とても静かな、哀しい気持ちだった。小学校の金網を蹴りつけながら感じ た、あの時の気持ちと同じ。悔しいのでも、腹立たしいのでもない、ただただ、胸がずしんと 沈んで二度と浮かび上がってこないんじゃないかというような、そんな気持ちだった。 「田辺さん ! 」 ヒステリックな寺田の声がして、突然、歌は途切れた。瞳は我に返り、あわてて目の前の光 景に焦点を合わせた。まず成田と目が合った。彼は目を伏せて寺田を見やり、瞳はつられてそ ちらを見た。寺田は、噛みつきそうな視線で瞳を見ていた。 まじめ 「真面目にやってって言ってるじゃないの ! どうしてちゃんとやれないの ? あなたみんな こっから出てって の迷惑なのよ卩そんなにやる気がないんだったら、出てってよ ! 椅子を蹴り、すさまじい剣幕で怒鳴りつけてくる寺田を見ながら、瞳はただ呆然と目を見開 いきどお いていた。しまった、という後悔の念と、どうして、という憤りが、胸に同時に沸き上がる。 ごめんなさい。わたしが悪い。ちゃんと真面目にやらなくちゃ。わかってるんだけど。和を乱

2. 視線

212 けないぐらいの正確さでリズムを刻んでいた。歌声が始まる。聞こえてくる旋律からようやく 解放されたのだという喜びに、瞳はうっとりと目を閉じた。こうして聴いているだけなら、本 当にいい歌なのに。 「一言っとくけどな、おまえにつきあって出てきたんじゃないからな」 なが 成田が言った。瞳は目を開け、まじまじと彼の顔を眺めた。 「な、なんだよ」 「誰も聞いてないわよ、そんなこと」 「・ : あっ、そう。けつ」 横を向いて鼻に笂を寄せる成田の顔を、瞳は飽きずにじろじろと眺めた。目が合うと、彼は パッと視線をそらして瞳のひっかいた腕の傷を撫でさすった。 「ごめんね」 瞳は言った。 「なにが ? 「そこ。・ : 痛い ? こ 「・ : べつに。なんともねえよ、こんなもん」 「なんだ、つまんないの」 本気でつまらなそうに瞳が言うと、成田は目を剥いて信じられないという顔をした。瞳はニ

3. 視線

のぞ 顔を覗き込んで、軽い口調で言った。成田は上目づかいに瞳を見上げた。目が合った。彼の ほうが先に、視線をそらした。 「やつばり怖えよ、おまえ」 成田は言った。 ぎしっし 「凝視すんなよ。目ん玉でけえしよ。怖いんだよ。目つき悪くねえ ? 」 「・ : あんたに言われたくない」 「ふつう教師と目が合ったらみんな下向くだろ。何言われるかわかったもんじゃねえし。その いんねん 気もねえのに因縁つけられるなんて、嫌だろ」 さと 論してくれているらしい。少し驚きながら、瞳は首を横に振った。 「その気、あるわよ。最初の時以外はね」 「 : ・知らねえそ、俺」 「かばってくれなんて言ってないわよ」 「でもすげえ、怒ったじゃないか、さっき 「それはあんたによ」 「あー、そうかよ。悪かったなア 絵の具のついた手と、シューズの裏を洗いたかった。床も拭いておかなければならない。美 こえ

4. 視線

6 こ 0 「ごめん」 瞳はあわてて左足を上け、睨んでくる母親の目をそっと見つめ返した。ガキは抱いてろよ。 まっげ 彼女は内心でそう思っていたので、母親はびくりと睫を震わせ、先に目をそらす。 瞳は財布を取り出し、紅白の太いロープに手を伸ばして、がらがらと鈴を鳴らした。五円玉 をつかみ、賽銭箱へ投げ入れる。千円札や一万円札を投げている人もいる。いったいどんな願 い事なんだろう ? 考えながら、彼女は手を合わせ、祈る。どうか受験に成功しますように。 とトっカ : 一度にいろいろな願い事が思い浮かんだが、。 とれも神様に頼むことではない のが すきま ような気がして、瞳はパッと目を開けた。向きを変え、人波から逃れられそうな隙間を探す。 あった。波にできたわずかな隙間に思いきり足を踏み込むと、 「うわあっ、お母さん ! 」 とまた子供の悲鳴が聞こえた。瞳は驚いて、隙間だと思っていた足元を見た。腰のあたりに さっきの、涙目の少年の顔がある。ということは、母親ーー・。ごめんね、と言いながらさっさ と逃げようと思い、瞳は人波の外へ目を向けた。それから、視界のなかに何かがひっかかるの を感じて、回した首をゆっくりともとに戻した。さっきの少年の母親、その横で、少年の頭を 撫で、困ったように笑っている男の 吉村だった。泣くな、と言いながら、瞳が二度も足を踏んだ少年の頭を、やさしく何度も撫 にら

5. 視線

から目をそらし、 「・ : とにかく、もう決めましたから」 と下を向いてつぶやいた。手に持った白い紙切れを、そっと吉村の机の上に載せる。何だろ うとそれを見下ろして、瞳は首をかしげた。楽譜だった。成田が担当する自由曲の、伴奏用の ものだ。 「まだ半月くらいあるし、寺田さんだったら、こんな曲はすぐに弾けるようになりますから。 突然のことで迷惑なのはわかってるんですけど : ほく最近、成績も落ちてるし : ・」 こちらに背を向け、ほとんど身じろぎもしないで、成田はあくまで淡々と喋った。吉村は椅 子を回し、うとましげな表情で彼を見上げて、コッコッといつものように机を叩いていた。後 やまかわ ろ側の扉近くにすわった山川が、その音にちらりとこちらを見やった。瞳と目が合う。彼は何 も言わず、その視線に特別なものを含ませることもせずに、目を伏せて煙草に火を点けた。こ じゃま とうやら自分でやるしかなさそうだと気づい の嫌な空気を誰かに邪魔してもらいたかったが、。 て、瞳は一歩前へ進み出た。 線「あの、吉村先生 : ・」 「話し中だ。廊下へ出てろ」 視 瞳が言い終わるのも待たず、吉村はそう言って、しつ、と犬でも追い払うように手を振っ た。目の端で瞳を見上げ、コーヒーを一口飲む。 たばこ しゃべ

6. 視線

150 ど かたき 「とか、って言わないでよ。目の敵にしてんのは吉村だけよ」 少しムッとしながら瞳が答えると、 「あれけっこうあからさまだよな ! と沢村は目を見開いた。 「みんな言ってるよ。なんでか知らないけど田辺ばっかりいびられてるからさ、何かあんのか な、って」 「何かって ? 「いや。わかんねえけど : ・。でもさ、田辺がやられてる分、俺らが楽っていうことも・ : : ・」 にら 瞳は顔を上げ、凍えそうなほど冷たい視線で沢村を睨んだ。沢村はしまったという顔をし、 ゆっくりと瞳から視線をそらした。 「なるほどねー しん 瞳はノートに目を落とし、シャーベンの尻を押した。カチカチと音を立てながら、の芯 が顔を出す。が、すでに公式は頭のなかからはみ出してしまった。 「わたしが悪いんだと思う ? ・ : 成田はさ、わたしの反抗的な目つきが悪いって言うんだけ そう一一 = ロうと、 「・ : へえ、成田が ? こ

7. 視線

にはわかんねえけど、でも教師と生徒って立場の人間同士が向き合ってる時に、ああいう態度 を取るのは、ちょっと違う気がするんだ。見てて、そう思ったんだ。最初はおまえに味方しょ うかと思った。 : っていうか、味方したかった。見てられなかった。おまえ信じられないくら い要領悪いし、だから腹が立って、わざわざ嫌味言いに行ったこともあった」 たず 言われて、瞳は初めて思い出した。そんなに歌うの嫌い ? とわざわざ尋ねにやってきて、 なぐさ いらだ けんお 泣くなよ、と慰めではなく言った彼。あの目は彼の苛立ちを表していたのだ。嫌悪だと思っ なぐ た。瞳は、自分は嫌われているのだと思っていた。だから美術室で彼を殴った。ごめんと謝っ た彼が、意外で気持ち悪かった。 「でも俺には推薦で親の言う高校に入るっていう使命があって、だから、吉村に対してあから さまに反抗することはできなかったんだ。だから合唱祭の伴奏も : ・、自分から進んでやった。 吉村に気に入られたかったからな。俺はそういう奴なんだ。なんでかわかんないけど医者にな みそこ るんだ、って小さい頃から思ってる、そういう奴なんだ。おまえ見損なっただろ ? 合唱の練 習のたんびに、俺のこと嫌な目つきで見てたろ ? こ くちびる 唇で笑って、視線は少しも笑わずに、成田はまるで媚びへつらうような目つきで瞳を見上げ 。彼にはそう見えていたのだと、瞳は今になって初めて気がついた。そんな顔をしないで。 かば そんな目で見られたって、わたしにはあんたを庇う一 = ロ葉なんて見つからない。 「・ : べつに。わたしが見てたのは、寺田さんだもの。あんたのことなんかべつに、見たりして すいせん こ

8. 視線

87 視線 「ほら行って来い、みんな待っててやるからー とん、と背中を押されて、その勢いのまま、瞳はひとりでグラウンドを走り出した。振り返 ると、泣き出した女の子の頭をやさしく撫でている、担任教師の姿が見えた。男子生徒がその なが 周りに集まっている。近づいたり遠のいたりするその光景を呆然と眺めながら、瞳は胸のなか で数えた。一、 三周目を走り終わるころには、頭のズキズキする痛みもだいぶ治まっていた。きちんと整っ た列に戻りながら、殴られた痛みとは違う痛みに、胸がドキドキした。何かとてつもない、一 あやま つぐな うず 生償えない過ちを犯したような気がした。なんでわたしだけ ? その疑問はぐるぐると胸に渦 ふく つみ 巻いていたが、結局は解決されないまま、膨らんだ罪の意識だけが残った。 がしゃん。少しゆるんだ金網の壁を、瞳は力いつばい平手で押した。指を曲げて針金をつか む。タ焼けは山の向こうにおしやられ、すでに街灯が白く光っていた。あの時とは違う校 けれど、残された疑問はまだ解決していない。 目つきが悪い、という成田の言葉を思い出した。吉村も最初にそう言った。「ふつう先生と 目が合ったらみんな下向くんだよ」 幼稚園のころ、先生に言われた。人と話をする時は、相手の目を見なさい。中学に入ると、 おか

9. 視線

嫌いになったのと、自分が彼を嫌いになったのとはどっちが先だろう ? 指揮棒を振り回す吉 あきら のぞ 村の目を覗ぎ込むようにしながら、瞳は何度考えても答えの出ないこの疑問を、半ば諦めに近 い気持ちで、もう一度だけ考えてみた。 : ・わからなかった。・ほんやりとただ唇を動かしなが ら、歌をうたっている振りを、彼女は今日も続けていた。。ヒシ、と突然、白い指揮棒が目の前 ふいに、右のまぶたを打つ。 で跳ねた。弓のようにしなって、瞳の持っ楽譜をかすめ、 「田辺つつ げつこう 。すでに激昂した自分を呼ぶ声に、瞳はあわてて顔を上げた。目の前に吉村がいた。音 楽室の白い、穴だらけの壁が見えた。周囲にはざわめく制服の群れ。。ヒアノの椅子に腰かけた 成田と、シャツの腕をまくり、胸元のボタンをはずして、手に持った指揮棒の先端をまっすぐ に突きつけてくる男の顔。 「ロを開けろと言ってるだろうつつリ何をよそ見してるんだ、何を考えてる卩見てみろ、 おまえのせいでまた練習が進まんじゃないかリ みやくう 線右目の奥がドクドクと脈打った。目が開かない。目尻に流れ落ちたのが血なのか涙なのか、 瞳は手を触れて確かめたかったが、楽譜を持たないほうの手は、スカートのプリーツを皺くち 視 やにするので精一杯だった。自分を怒鳴りつけてくる教師にウインクで応えながら、瞳は客観 こつけい 的に見た自分がずいぶん滑稽であることに気づいて、笑いたくなった。唇がゆがんで、勝手に しわ

10. 視線

まま自宅へ帰ってしまったこともある。彼がいないというので、学校中が大騒ぎになった。そ ういえばそんなことがあった。 / 冫 彼こ関する噂は主に女子生徒のロを借りて、次から次へと流れ てくるのだった。 にら 下唇を突き出し、上目づかいに睨んでくる彼の目に少しおびえながら、瞳は負けじと目を見 けんか 開いた。視線をそらせない。喧噬売ってんのか、こいつ。つられて下唇を出しながら、瞳は一 瞬たりとも彼から目を離さなかった。初対面の男に、こんな目で睨まれる覚えはない。けれど まばた 一回だけ、瞬きをした。ふたたびまぶたを開いた時、彼はすでに、何事もなかったかのように くや 頬杖をついてそっぽを向いていた。瞳は猛烈に悔しくなった。 「黒板消し係をやりたい人、手を挙げてください。誰でもやれる仕事ですから。ああ、あと、 クラス全員に必ず何らかの係をやってもらうようになってるんで、嫌な仕事が回ってこないう ちに、自分から手を挙げたほうがいいと思います。残りはあと、中庭で飼ってるウサギの飼育 係と、清掃係、それからーーー」 てきばきと議事を進める早川の言葉に、瞳はびくりと顔を上げた。飼育係も、清掃係もいや 。こっこ 0 ノ / 「はい 黒板消し係やります」 そう言って手を挙げた彼女の声に、低い、男子生徒の声が重なった。瞳は驚いて声の主を見 た。彼も、ロを開けて瞳を振り返った。 うわさ