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検索対象: 黄金の日々月夜の珈琲館
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1. 黄金の日々月夜の珈琲館

124 ふと、ばんやりと視線を上に向けて立っていた青木の耳に、目の前にいた青年が深く息 を吸うのが聞こえた。 確かに息苦しい 青年の呼吸が不規則なものに変わったのが気になって、視線を落とすと、わずかに見下 ろすかたちになった青木と顔を上げた青年の目が合った。 青木は、はっとした。 ひとみ きれい 青年の瞳が、近頃では珍しく綺麗に澄んだものだったからだ。 二十歳は超えているのだろうが、最近ではもっと若い年齢にもここまで純粋な目をした 者は見ないな : : : と青木は思った。まるで何にも汚されたことがないかのように、一点の 曇りもない。 何かを確かめるかのように美しい目を細め、青年が小さく息を吸ったのを見て、青木は ようやく、ごく微量ながら自分がコロンをつけていたことを思い出したのだった。 病院職員で香りを使っている者は、意外と少なくない。 きゅうかく 医療に従事していると、どうしても嗅覚が麻痺して気にならなくなりがちだが、思っ まひ

2. 黄金の日々月夜の珈琲館

状況が状況とはいえ、岡野は硬直したまま、途方に暮れたように麻子を見つめていた。 あせ こめかみのあたりに汗が光っている。顔色もよくない。 津川もまた、険しい顔をしていた。 「何も心配ないわ。後は私に任せて、あなたはお二人を案内してさしあげて」 麻子はそう言うと、「大丈夫ですか ? ーと声をかけた青木に申し訳なさそうに小さく会 しやく 釈した後で、改めて青木と津川に向かって詫びた。 「お見苦しいところをお見せして本当にすみません」 そう答えながら、なんとなく麻子と津川を見た時だ。 無意識に麻子の視線を追っていた青木は、その先で津川が頷くのを目にして、なんとも 形容しがたい奇妙な感じに襲われた。 表面的には、麻子の謝罪に津川が頷いているだけにしか見えなかったが、二人の目の奥 日に特別な何かがあるのを感じたからだ。暗黙の了解が二人のあいだにはあって、その何も 金かもを承知したうえで彼女をカづけるような強さが、津川の目にはあった。 知り合った期間を思えば津川とは比べようもなかったが、ふと青木は、自分が蚊帳の外 そが、かん にいるような疎外感を覚えた。大切な何かが自分には見えていないような気がしたのだ。 うなず

3. 黄金の日々月夜の珈琲館

いたのはこの人だ ! 』って思ったんです。頭の中の理想像が実体として目の前に存在して いたんですから」 「なるほど」 えか 絵描きのことはわからなかったが、気取りのない岡野の話を聞きながら、そんなものか もしれないなと青木は思った。 「しかし : ・ 「なんですか ? 「いや、確かにあいつは男前だと思うよ。体格もいいし。だが、絵になるかどうかと言わ れたら、君のほうがずっとモデル向きだろう ? 」 それもまた、本当の気持ちだった。 せかっこう 事実、岡野は、なかなかの好青年である。顔立ちも整っているし、背格好も決して悪く きれい みりよく 何より、綺麗な目だけでも、充分に人を惹きつけるだけの魅力があると言うと、さすが に青木を見る岡野の顔にも、呆れたような笑みが浮かんだ。 「そんなのは関係ありませんって。惹かれるのは、どうしようもない 「まあ、確かにね : ・ あき

4. 黄金の日々月夜の珈琲館

ないような気がしていたのだ。 席を立ち、麻子についてカウンタ 1 を離れようとしたところで、青木たちを目にした岡 野が突然立ち止まった。 「ちょっと、待って」 きれい まばた 綺麗な目が、驚いたように瞬きを繰り返した。 「すみませんーー」 麻子のし力。 ) ゝナには答えず、岡野はまっすぐ津川のほうへ来ると声をかけた。 津川の顔には、医者が患者に向ける穏やかな笑みのようなものが浮かんではいたが、彼 からだ がわずかに身体を硬直させるのが青木にはわかった。 「あの : : : 突然で申し訳ありませんが、ここへはよくいらっしやるんですか ? 青木は自分の耳を疑った。 「ーーああ、時々。それが何か ? 」 「どうしたの ? 」 「姉さん、この人ほら、僕の絵の中の ! 」 岡野は振り返って麻子にそう言うと、津川に向き直り、信じられないといった表情で呟 つぶや

5. 黄金の日々月夜の珈琲館

津川は泓めまをつくと、岡野のほうを見て言った。 「君は何歳だ ? ー 「いくらおまえでも、それはやりすぎだぞ ! 」 さすがの青木も声を 4 らせずにはいられなかった。 これでは完全に医者の守秘義務を犯している。いくら相手を納得させるためとはいえ、 とてもこんなやり方には黙ってはいられない きれい おび それに、綺麗な目をいつばいに見開いて怯えている岡野の様子から見て、今のこの状況 やまい かか は本人も理解しているはずである。覚悟ができている場合でさえ、自分が抱えている病の 重さに耐えられず自ら命を絶っ患者もいることを考えれば、こういう乱暴な方法がい力に 危険かということぐらい、津川だってわかっているはずだ。 「何歳か言ってごらん ? 」 「僕はーー一一十一歳。今年の : : : 七月で」 々 の はたん 金このままでは岡野の精神が破綻してしまうーーーそう言おうとした青木は、岡野の言葉 と、チラリと自分を見た津川の目に強い決意を感じて、思わず声を詰まらせた。 「では、今は何年だ ?

6. 黄金の日々月夜の珈琲館

120 短くなった煙草に気付いて、それを灰皿に押しつぶした青木の横で、菊地が不思議そう に視線を合わせた。『久しぶりに会わないか』葉書には短くそう記されていた。 「津川か ? うん : : : 高校で同級だった男だ。外科医だよ。大学は違ったが、医者になっ ふにん いっしょ てすぐの頃、赴任していた先で一緒だった」 「えっ ? 同級ってーーこの人、医者なんですか ? 青木が差し出した葉書を見ながら、菊地は再びべッドに上がると、のように青木の足 一兀に横になった。 がろう 「僕はまた、てつきり画廊の人か誰かと青木さんが知り合いなのかと思いましたよ」 「そうじゃないさ。彼はこの画家、岡野の知人ーーいや、恋人なんだ」 「なるほど : : : 」 驚いた様子の菊地から葉書を受け取ると、青木は複雑な表情で一一本目の煙草に火を点け た。目にはプループラックの文字を映したまま、心がどこかへ迷い込んでいる。 「どうかしたんですか ? その言葉に、ようやく葉書から視線を外すと、菊地を見つめた後、青木は少し困ったよ うに一一 = ロった。 ゅうべ 「昨夜おまえが見たという、ドキュメンタリーのことを考えてたんだ」

7. 黄金の日々月夜の珈琲館

なコットンパンツの上に薄墨色のシャツを着た。 いつもなら休日といえども早起きの菊地が、今朝はまだ起きた気配がない。 珍しいこともあるもんだと思いながら寝室のドアを開けた青木は、プラインド越しの柔 そう′」う らかな光に包まれ、無防備に眠る菊地をベッドの中に見つけて、相好を崩した。 青木の気配に気付いたのか、菊地がべッドの中で身じろいだ。 「まだ寝てるのか ? 」 「んーーなんだか起きてしまラのが惜しくて : : : 」 「珍しいな。しかし、こんな気持ちのいい朝は、ゆっくり楽しむのが一番ーーか」 ままえ からだうず 同意するように、寝具に身体を埋めたままで菊地が微笑む。 きょだっ ふとん パジャマからしどけなく伸びた腕で布団を抱き寄せ、虚脱したような目で自分を見つめ 、」どう る姿を目にした青木は、速まる鼓動に促されながらべッドに近づくと、菊地の首筋に顔を 寄せた。 日「青木さん、ちょっと : : : 」 とまど 金戸惑いの声をあげて、青木の下で菊地が身体を捩らせた。が、寝起きのせいか、いつも の力はない。 「いい香りだーーー」 よじ

8. 黄金の日々月夜の珈琲館

なかった。 「俺には想像もっかない」 青木は彼から目をそらすと、すっかり暗くなった窓の外を見つめたまま呟いた。 それは、先ほどの津川の質問に対する答えでもあり、岡野との関係に対する感想でも あった。 「じきにわかるさ」 ようやく緊が見えてきたところで、津川がそう言いながらスピードを緩めた。 つぶや

9. 黄金の日々月夜の珈琲館

'fifq を一、あっ : ・ちょっと青木君 ! 明日来日する カリフォルニア大学からの . 視察団リストなんだがね 一部変更が あったそうだ ィ一ト、 これが今届いたリストだ 目を通しておいて くれたまえ わかりました 準備のほうは 上手くいってるのかね ? お任せください 万全を期してますから

10. 黄金の日々月夜の珈琲館

121 黄金の日々 「えっ ? この人たちのことじゃなくて、さっき話した番組の ? 」 「どういう関係があるんですか ? 知りたいな。青木さんと、この人たちのことも」 いや、この画家の岡野と初めて会ったのは、その頃いた病院 「ーーそうだな。彼らと : のエレベ 1 タ 1 の中だった」 当時の青木を想像してか、目を輝かせて話に耳を傾けてきた菊地とは裏腹に、バラバラ にな「たまま、長いあいだそのままにしておいた記の断片を繋ぎ合わせるように、青木 は慎重に言葉を探しながち話し始めた。