204 というように身構えている。 ぼくは飲まないので、いつものようにペリエを頼んだ。 ロスマリーに「いったい、いつが君の誕生日なの、と聞くと「八月二十二日」と言う。 「それでは乙女かな」と言おうとした。 「」という英語しか頭になかったので結局、 「 Areyouvirgin? 」となってしまった。全く他意はない。 一瞬彼女がびくっとしたような表情をしたがそれだけで、「ああ星座のね」と言ってく れた。 しかし、あとで彼女はこのことを皆に言いふらしたらしい 「長官があたしのことを処女かって聞くのよ」とでも言ったのだろう。 ぼくは皆にからかわれた。 長官失敗の巻、第一号である。
村の主だった人々が集まって相談した。そうでなくても日米関係は何となくギクシャク している。この際キッパリ断ったりして日本側の心証を悪くしてはという慎重論が大勢を 占めた。 村長さんの家はサンクスギビング ( 感謝祭 ) かクリスマスにしか使わない先祖伝来のシ ・ウェア ( ナイフやフォーク ) を磨いたり、ダイニング・ルームのカーテンをと ルヴァ りかえたり大騒ぎになった。 いっさいが終わり、日本からの連中は帰った。しかし、ウップンやるかたなき村長さん え 合 ーにそのを発表した。 びは、その地域で発行されているコミュニティー で「シルヴァーを磨いたり、大掃除をしたりというのが厄介だったと不服を言っているので 一はありません。われわれアメリカ人は日本人があらかじめ作ってきたシナリオのような生 ス活をしていません。 どうせ日本の政府がお金をかけてテレビのプロダクションを送ってくるなら、われわれ フ が毎日生活をしているほんとうのところを撮影してもらいたかった」 章 第いま、そのビデオがどこで使われているのか・ほくは知らない。 「信じられないような話」だが、ほんとうにあった話である。
軽井沢でもゴルフ仲間と相談した。 「ヤレ、ヤレ ! おもしろそうじゃないの 他人のことだと思って気軽に言ってくれる。火、水、木、金と計画どおり四日間ゴルフ はできたが、このしこりのため、なかなか乗れず、スコアはメタメタだった。 ニューヨークから決断の電話 それから一週間して、ぼくはロンドンに出張した。三、四日滞在してからニ、ーヨーク へ飛んだ。 記ケネディ空港へ着きターミナルの外へ出たとたんに、 = ーヨークの懐かしいにおいが 奮する。 長常宿のパーク・レーン・ホテルに着いたとき、むらむらっと、「よしつ。この国にあと Ⅵ四、五年住もうか」という気になった。 章時計を見ると、夜の九時。東京は朝十時。直接大蔵省の行天財務官に電話した。 第「財務官はまだ来ておりませんー こっちが勢い立っていただけに気勢をそがれた。 女性の声。秘書嬢に違いない。 いま見えました。かわります」 「あっ、
ワシントンは静かな町。そしてひっそりとしている。夏のせいなのか。 ぼくの場合、アメリカ生活といってもほとんどはニーヨ 1 クだったから、勝手が違う。 あのと大都会特有の汚れがない。 首都としてきちんと設計された町だから整然とした街並みであゑその町全体が中近東 れの砂漠の中のような暑さでうだっている。 忘 窈人の歩みも緩慢である。白っ。ほい夏の日照りの中で、物すべてがスローモーションのよ うに揺らいでいる。どこかで、そう、たぶん夢の中でいっか見たような光景である。 今年は五十年ぶりの暑さだそうな。ェアコンの使いすぎが原因でアパートが焼けた。住 章人が着のみ着のままで逃げだした。母親が子供にほおずりをし、夫を見やりながら「生き 第ていたんだからラッキーよ」と言う。「ああ」とうなずく男の無精ひげがやけに鮮明にテ レビで大写しされる。 冷房のない部屋で生活保護を受けている年寄りが死んだ。黒人が死体を入れた黒いビニ ワシントンの夏
ぼくは勝手にそう解釈した。 一九五六年の暮れ。 ぼくらはフィラデルフィアからビッツ・ハーグへ、高速道路をつつ走っていた。 留学先のペンシルヴァニア大学はフィラデルフィアという古都にあった。下宿先のジェ イコプ牧師にムリャリ引っ張りだされ、「チョウズン・。ヒー。フルー ( 選民 ) という大学生の 討論会に参加することになった。 りカトリック、プロテスタント、キリスト教にもいろいろな宗派がある。それそれが「わ 里れこそは神に選ばれた民である」と信じて疑わない。 へ ・ほくはクリスチャンではない。ごく普通の日本人だから、人が死んだらお寺へ、結婚式 ク わんや、宗教の勉強 ョは神式で、という程度しか「宗教めいたこと」は経験していない。い などいっさいしたことはない。ジェイコブ牧師に「日本人だから、君は仏教徒として参加 し、大いに発言してほしい」と言われてびつくりもし、不安でもあり、さっきから落ち着 章 第カオし ・ほくの横に十九歳のアメリカ娘、ナンシーがすわっている。牧師が連れてきた敬虔なプ ロテスタントである。 ナいけん
100 「君でよかった」 と言って眼を閉じるか。 日本のように現状維持にきゅうきゅうとするあまり、ついに「不倫」を長く続け「長い 間君を裏切ってきたけれど、よく耐えて妻として仕えてくれた。君なればこそ寛容にそん なを許してくれた」とほんとうは言いたいのだが、その部分は飛ばして、 「君でよかった」 とポツンと言って眼を閉じるか。 夫婦の仲は日本とかアメリカとか関係なく他人にはわかりません。
「一応専門家」といってもどういう人だろうと考えていたとき、たまたまぼくの『ウォー ル・ストリート日記』の新聞広告が目に人った。「この人だ」と思って社の近く袵、明の 本屋へ行き本を買った。 「でも野村證券の副社長にこんなことをお願いしていいのかしらと、ずいぶん考えまし た」 末と一一一口う。 「喜んでお引き受けします。ぼく自身その映画には、ニューヨークで見そこなって以来大 トいに興味がありますし、誰かが正確に日本語に訳さなければならないわけですから。 と言ったらとても喜んでくれた。 ス レ 字幕作りのむずかしさ オ 2 英語の台本をもらった。五センチほどの部厚いものである。すでにほとんどは戸田奈津 章子さんによって日本語に訳されていた。 第ところどころに空白があった。・ほくが訳すよう、その部分がとってあったというわけ。 一応それに目を通した上で世紀フォックス社の試写室へ出かけた。 翻訳者の戸田奈津子さんともそこで会った。・ほくはもちろん初対面だと思ったから、レ 1 三ロ 一三ロ
てやれる。そしてそのほうが親切である。 みごとな演技者 こののよいアメリカ人が、例のいかにもアメリカ人特有の低いがよく通るズシンと した声で話を始める。 すぐ横にアメリカ人にくらべたら重さでも大きさでも三分の一ぐらいの小さな日本女性 が立っている。 一くぎりずつ彼女の細い美しい声が、それを「きれいな日本語」に訳していく。実にす がすがしいシーンである。 日本代表の財界人が次に立つ。答辞であゑ必ずしも話がおもしろいわけでもなく、日 なま 本語もかなりの訛りがある。 Ⅲしかし彼女はそれを「美しい英語」に訳していく。 こうなるとパーティーのときの逐語通訳者は立派な演技者であゑ特に女性の場合、服 章 第装をで変えていかなければならないから、よけいそう思う。 ・ほくのように一週間だったら、いま着ているグレーのス 1 ツに、紺の無地とチャコー バッグにぶらさげ、あとはワイシャッ四、 ル・グレーのシマ模様のスーツをガーメント・
話を聞き終わって「へエー」と言ったきり、みんな黙り込んでしまった。 その話を聞いていた五、六人の男どもの中に商事会社の日本人社員が二人いた。 「うちのサンフランシスコのアメリカ人社員もこの間ェイズで死んだ」と一人が言った。 「どうも会社を休みすぎるし、変だとは思っていたらやはりエイズで先週亡くなった。ず ともう一人が言った。 っと彼と同じトイレを使っていたからこっちもすっきりしない ニューヨークにいるとエイズは「ひとごと」ではないらしい
ったとき、メアリーという秘書をニューヨークからワシントンまで連れていった。 むすこ アメリカの秘書はポスの「私的ーなことまでめんどうをみる。息子の大学の授業料の支 払い、ポスがプライベートで使用したクレジットカードの支払い、ポスの家で三十人のパ ーティーをするので、外からポーイを頼んだりお手伝いを見つけたり : : : そんなことまで 秘書の仕事である。 日本的に言えば「公私混同」もいいところなのである。もちろんポスに主婦専業の奥さ んがいれば話は別だが、たいてい奥さんも働いている。それにポスが独身の場合だってあ る。 仮にポスの年収が五〇万ドル、秘書が三万ドルとしよう。アメリカでは週五日制だし、 祝祭日、バケーションを差し引くと三六五日のうち二三〇日ぐらいしか働かない。 これで時間給を計算すると、ポスが二七〇ドル、秘書が一六ドルとなゑ一時間に二七 〇ドルもとる人に息子の授業料の支払い事務をさせるよりも、秘書にさせたほうが会社と してはずいぶん得をする。まあ、いうなれば万事こういう考え方をするのである。 研攤を怠らず ダイアンは日本語ができるから、日本からニューヨークを訪ねてきた英語の得意でない