ぼくはその「一人おいて」の「その人」に興味をひかれたのである。レーガンの後ろに なりわ 立ったその人は立派な顔をしており、上背も大統領より高かった。たぶん通訳を業いとす る人物なのだろう。こんな重要な会談だから、ただの通訳ではない。 アメリカであれば、国務省のしかるべき地位の人かもしれない。ロシア生まれなのか、 何となく悲劇的な雰囲気をただよわせていた。 世の中、さまざまな人がいる。いつも脚光を浴びてひときわ目立っスターたち。「一人 おいて」と名前さえ記されず、陰で働く兵隊たち。スターたちだけでは世の中は動かない。 多数の「一人おいて」が絶対必要である。 ぼくは一年前まで、ニューヨークに十六年住んでいた。 海の向こうから日本を見ると「恐ろしい国」という感じがする。「一人おいて」と無視 されるような人にはなりたくない、みんながエリートになりたがっているように見える。 久しぶりに三十四の一を見た。 先生の田中裕子が、子供たちと手をつなぎながら一人ひとりに聞く。 「君、何になりたいの ,
今朝の会議もユーウッだった。英語がわかりにくくて、ついていけなかったのである。 ①ぼくの知らない単語を使ったとき。 なま ( = 一口りカきついとき ③早ロでまくしたてられたとき。 れ④ロジックがメチャクチャのとき。 忘 の こういうときは降参である。 人 ン アメリカで生まれ育ち教育を受けた人は別として、日本生まれの日本人はどんなに猛烈 ポ に英語を勉強しても、しよせん限界がある。 章普通の日本人として最高の水準に達したというのは、次のようなことのできる人であろ 第う。 ①標準語で話されれば九〇。ハーセントは確実にわかる。ラジオをかけつばなしで人と話を しているとき、片耳で聞いていたラジオから気になるニ = ースが流れる。 完璧な英語
話を聞き終わって「へエー」と言ったきり、みんな黙り込んでしまった。 その話を聞いていた五、六人の男どもの中に商事会社の日本人社員が二人いた。 「うちのサンフランシスコのアメリカ人社員もこの間ェイズで死んだ」と一人が言った。 「どうも会社を休みすぎるし、変だとは思っていたらやはりエイズで先週亡くなった。ず ともう一人が言った。 っと彼と同じトイレを使っていたからこっちもすっきりしない ニューヨークにいるとエイズは「ひとごと」ではないらしい
仮り住まいとしては良いほうと思わなければならない。 とりあえず・ほくの部下として働いてくれる面々が一人一人部屋に入ってくる。 フラクト ラッド・ポーツ氏 ( アメリカ ) 、ヨーゲン・ポス氏 ( ドイツ ) 、ローズマリー ヘンリクソン女史 ( スウェーデン ) 、シェリー・ ウォソ女史 ( フィリビン ) 、 アンダーソン女史 ( アメリカ ) 、エヴァンジェリン・ラオ女史 ( インド ) 、そして、朝ホテ ルに迎えに来てくれたスーン・フーン・アン女史 ( 韓国 ) 、マルコム・ヒューズ氏 ( 英国 ) の八人が丸テーブルの・ほく ( 日本 ) を囲む。全部で九名、八か国の人たちの集まり。国際 色豊かと言えよう。の職員はぼくだけで、あとは世界銀行が一時貸してくれた人 記たちである。がおいおい職員を採用し、本格的な業務を始めたら、この人たちは 奮古巣の世界銀行に帰っていく。しかし、この人たちはの歴史の最初のページに名 長前が載るに違いないと思うと、感動的でさえあった。 Ⅶ「ウエルカム・アポード」 章うまく訳せないが「よくいらっしゃいました」とでも言うところか。握手が一渡りすん 第で、皆がぼくを見る。何か言わなければならない。 「日本で生まれ日本の大学を出て野村證券に三十四年以上も勤め、六月三十日に辞めて七 月一日ににジョインしました。証券会社の仕事しか知りません。国際機関に入る
230 ということより「そのことをやりとげること」に麻薬のような光忽を覚えていたと いうより一言いようがない。 これだけのことを話す合間に、ワイフや娘にも適当なお世辞など途中でポンポン入れる から、四、五十分は彼の独演会だった。 ・ほくたちの話す余地は全くなかった。 この夜はみんなぐったりくたびれた。 この映画の教えるもの この映画『ウォール街』のモデルがボウスキーだったかどうかは別として、インサイダ ー取引の恐ろしさをはっきり訴えていることは事実だ。 アメリカ人の四人に一人は株を持っている。だから株式市場は誰に対しても一律にオー プンで、どこからもよく見えるきれいな土俵であることがアメリカでは求められている。 日本でも株を持っている人は一千万人いゑアメリカと同様「きれいな」「誰にもよく 見える」市場を一日でも早く作ろうと、いまみんなが努力している。 ウォール・ストリート の恥部をいやというほど見せられた以上冫兜にそのテッを踏み たくないのである。
110 くれない。 1 ーーへー トで、ウォール街のキ エール出身のエリ 会場に出席している人たちは、 ( ー レ者。一人一人が特徴を持った立派な顔立ちをしている。そんなプロにいったいどういう 「訓辞、をたれろというのか。・ほくはいつも迷った。 読売巨人軍が負けたとき、王監督は必ずミーティングをする。そんなときクロマテイや ガリクソンは出席するのだろうか。出席するとすれば、そばに通訳がいて周りの人に迷惑 にならないように、、 声で監督のを英語でささやくのだろうか。王監督は「フォー ザ・チーム , ということを、特にクロマティのほうを向いて叫ぶのだろうか。 野球のみならず、アメリカのプロの集団は、日本ほどこの「フォー・ザ・チーム」に徹 しきれない。 ウォール街のプロも、大リーガーのように一年契約とか二年契約が多い。そして固定給 は少なく、大部分は出来高にスライドしたコミッションである。彼らは死にもの狂いで働 ・ヒムセルフ ( 彼自身 ( 会社のために )- か「フォー く。しかし「フォー・ザ・カンパニ この辺に、日本での経営にないむずかしさがあ のために ) 、かは、にわかに断じがたい。 る。
てやれる。そしてそのほうが親切である。 みごとな演技者 こののよいアメリカ人が、例のいかにもアメリカ人特有の低いがよく通るズシンと した声で話を始める。 すぐ横にアメリカ人にくらべたら重さでも大きさでも三分の一ぐらいの小さな日本女性 が立っている。 一くぎりずつ彼女の細い美しい声が、それを「きれいな日本語」に訳していく。実にす がすがしいシーンである。 日本代表の財界人が次に立つ。答辞であゑ必ずしも話がおもしろいわけでもなく、日 なま 本語もかなりの訛りがある。 Ⅲしかし彼女はそれを「美しい英語」に訳していく。 こうなるとパーティーのときの逐語通訳者は立派な演技者であゑ特に女性の場合、服 章 第装をで変えていかなければならないから、よけいそう思う。 ・ほくのように一週間だったら、いま着ているグレーのス 1 ツに、紺の無地とチャコー バッグにぶらさげ、あとはワイシャッ四、 ル・グレーのシマ模様のスーツをガーメント・
日本からお客様が会社に来る。帰るとき、エレベーターまで見送る。エレベーターに入 ってから「ありがとうございました」と言って、深々とお辞儀をする。エレベーターの中 は、アメリカ人で一杯である。さっとドアが閉まれま、 をししが、なかなか閉まらない。ずつ と頭を下げつばなしにする。まわりのアメリカ人に変に思われるのではないかと気になる が、これがわが国の美風であるのだから、誰に遠慮があるものかと思い直す。 マンハッタンの日本料理店の前にリムジンが止まる。料理店から出てきた日本人の四、 五人のグループが、車に乗り込む。車の外では、リ 男の三、四人のグループが、路上で腰を かがめて、車の中に入った客を見送る。 中の日本人は、すぐ窓をあけ、顔を出す。そして、顔をこっくりうなずけて答礼する。 車の中でもう一人の日本人が、アメリカ人の運転手に早く発車せよと合図をしている。 気がきかない運転手らしく、窓をあけて話をしているので、止まっていたほうがよいと 彼我の差
ガイ ( レ「た和撫み」 「今度の旅行では、アメリカ側からの″ジャパン ・バッシング〃を覚悟して来たが、それ どころかむしろ " ジャパン・プレイジング〃なのでびつくりしました」 ニ = ーヨークのプラザ・ホテルで、日本人一行十五名の団長がやはりそれくらいの人数 のアメリカ側にこんな感想を述べた。 両方とも財界人である。 日本人一行は日本から二人の同時通訳者を連れて来ている。二人とも四十そこそこの女 性で、この道では場数を踏んでいるべテランだ。 今日の通訳を担当している女性が、 「 " ジャパン・プレイジング。ってどう訳しましようか」 章 いったん休止して日本側を向いた。団員の誰かが「日本礼賛でしようか」と言った。 こういう余裕のある通訳者はなかなかいない。べテランだからできる芸当だ。 いま日本は世界の「時の人」ならぬ「時の国」になった。
理・三万円 , 「高級背広・三〇万円」は、世界のどの都市と比較しようが、信じられない くらい高いのである。 インフレ率、金利、経済成長率などはいまと変わらず、一ドル一〇〇円になったら、ぼ くは「老後はアメリカで暮らそう」と真剣に考えるだろう。 夢のような話だが、仮にぼくが二億円持っていたとする。一ドル一〇〇円だから二〇〇 一刀ドルということになる。 サンフランシスコの郊外に四〇万ドルの家を買い、一〇万ドルで家具を調達する。一五 〇万ドルで三〇年満期のアメリカ国債を買う。一年に九分の利息がつくから年間一三万五 〇〇〇ドルが三〇年間確実に入ってくる。病気などの不測の事態に備え三万五〇〇〇ドル は銀行に預金。 ン カまだ一〇万ドルある。一か月の生活費は夫婦二人っきりだから六〇〇〇ドルもあれば 国「御の字」。だから年間七万二〇〇〇ドルあればよい。 余った二万八〇〇〇ドルは旅行に使う。年一回は日本、あと一回はヨーロツ。、 章 第年二回日本へ行ってもよい。一回ごとに一万四〇〇〇ドル、つまり一四〇万円使える。 往復の飛行機代二人分四〇万円として一日八万円の暮らしが一〇日間でき、なお小遣に一一 〇万円残る。