何となく気楽に言える。「東大です」と言ったとしたら、相手が「へえー」と変なふう に構えてくるかもしれない。「ケイオー」というと、もっと場違いな感じを与えてしまう だろう。ワセダだったら一番安心していられる。 「そう」と娘は、もうそれ以上何も言わなかった。 義父のかわりに商売を手伝うこともあまり苦にはならなかったし、傷つけられるような 自尊心みたいなものも持ち合わせていなかったから、いやでいやでたまらないということ はなかったけれど、「自分の時間がない」のには、ほとほと弱った。 羅の下宿の六畳が懐かしくなる。アンドレ・ジードもケインズも志賀直哉も何でも 読めるし、手掵をさげて坂をおりて昼過ぎのすいた銭湯でゆっくり湯に浸り、下宿の小母 とういす さんの冷蔵庫に入れておいてもらったキリンビールを廊下の籐椅子でくつろぎながら飲み 干すこともできる。金はなくても、け 0 こう、・ほくはそんな小さな第澱を楽しんでいた。 に′」、フ いま新宿東ロの二幸の食堂にいる。窓際のテーブルに一人ですわっている。ほおづえを ついてぼんやり新宿駅を見おろしている。 ・カップと水の入っていないコツ。フが目の端に まだコーヒーが半分残っているコーヒー 見える。 もう一つあいた椅子へ誰かが来ることになっているわけではない。 てぬぐ、
安らかに食事ができないという所がノン・スモーキング・セクションになってしまったら どうするのだろうか。たぶん、もうその人たちはレストランへあらわれないだろう。 タクシーの中でも、タ・ハコは吸えない。 「バブリック・エリア」といって人が大勢集まるところもダメ。米国野村證券のビルの一 階ロビーにも「バブリック・エリア」という看板が立っている。タバコはダメという意味 「こうなると道を歩きながら吸うぐらいしかなくなったね」といつも使っているハイヤー の運転手に言ったら「いま、みんなガタガタ言っているけれど、あと三、四か月も過ぎれ 帰 里ば、そういうもんかということになりますよーと事もなげに言う。 へ たしかにそうかもしれない。 ク ュ ニューヨークの友だちが会社へ行く途中、道端に「わたしはエイズ患者です」と書いた 章 第小さな板を前においてすわっている男がいた。友だちはかわいそうにと思い、時々小ゼニ を箱に入れてやった。毎朝毎朝見るたびに、やせて小さくなっていく。 二か月後、彼はもういなかった。 「ひとごと」ではない :
時差があるので、東京を発っと同じ日にニューヨークに着く。ケネディ空港のターミナ ルビルを出たとたん、風が痛い。これこそニューヨークの冬だとニンマリする。 染みの ( イヤーの運転手、ジ , ン君が「東京はどうですか」ときくから、「住みに くい。ニューヨークのほうが好き」と答えると、「物価が高いそうですね。またこっちに 住んだらどうですかーと言う。「ニューヨークが好き」と言われて気を良くしたのか、ア クセルを踏んで前の車を三台抜き去った。 タベ、赤坂の料亭で芸者衆に「ねえ、テーさんなんかニューヨークのほうがいいんでし よう」とからまれた。「そんなことない。東京がいいに決まっているじゃあないか」と憤 然として言う。 節操のない男だと、われながら思う。でも、どちらも本音なのである。「住めば都」と 一三ロうカ : 、ぼくにはだいたいにおいて、いま住んでいるところが一番よくなるという習性が またやって来たぜニ = ーヨーク
122 ワイフの心配そうな声がシャワー ・カーテンの外から聞こえる。・ほくは知らぬ間に、張 り裂けるような声を発していたのだ。 「ウォーツ」。それはまさに動物の「咆哮、である。頭の上から熱湯をザアーとかけ、ル を立てて髪を洗いながら、「オレは駄目だ。早く死ぬ。死んだほうがマシだ」。全くワケ のわからぬことをわめく。激しい自己嫌悪に襲われている。 昨晩飲んだときの、・ほくのあの言い方はきっと相手を傷つけたに違いない。 どうしてああいう議論になってしまったのだろう 。「酒のうえ」とはいえ、 つもへマばかりするぼく。まったくやりきれないのである。 「あの人はホドのよい人」と言われるようになりたいと思うが、なれない。けして「ワル い酒 . ではないのだが、際限がない。二次会三次会と率先し、途中で「明日がありますの けいべっ で」と抜けてゆく仲間を軽蔑し、最後の最後までとことんっきあう。そして毎朝のシャワ ーの咆哮。こうなったらもう酒をやめるしかテはないのである。 日本から生命保険会社の専務さんがニ ーヨークへ来られた。「新橋 , という日本料理 店でタ食をともにした。水割りのダブルを五杯飲み終え、かなりでき上がっていた・ほくに、 専務さんがそれまで手酌で飲んでいたそのぐいみをさし出した。それから酒の飲み方と しては最も悪いパターンが始まる。ぐい呑みでのやりとり。二人とも、したたか酔った。
むしろ、この「どうして」が圧倒的に多かったのである。 , もし、・ほ ~ 、が「中入はドクター ・ストップでね」と答えれば、相手は「ほう」と言って体 を乗り出し、さらに「糖尿の気もあるし、肝臓もかなりいかれているらしいと説明すれ ば、「そうだろうーと満足そうにうなずき、手酌でゆっくり飲み始めるのだろう。 こういう会話が一番無難で、かっ相手を安心させるのである。 うそ しかし、ぼくが酒をやめたのはそれが原因ではない。だから嘘をつくわけこよ、 五年前まで : ほくは毎晩酒を飲んでいた。夕方からすき腹にビール、日本酒、ウイスキ 題ー何でもござれでアルコールをつぎ込む。いつも「うまい」と思う。ちょうどよい腹かげ 話んにしておくために、昼めしのときから食べるものには細心の注意を払う。夕刻からの ス「あのひととき」のために生きていたようなものである。 ジ あんなに好きだったのにどうしてやめてしまったのか。いま考えると思い当たるフシが 章二、三ある。 五 第そのころニューヨークに住んでいた。 毎朝起きがけに必ずシャワーを浴びる。 「あなた、どうしたの」
しかし日本のビジネスでは普通「寺澤芳男ですーとは言わず「寺澤です」になる。 「ロナルド」と聞いたとたん次の会話から「ロン , 「ロン , と言い始める場合も多い。「レ ド・レーガンです」と言うことは「ロンと呼んでくださっ ーガンですーと言わず「ロナル てけっこうなんですよ . ということ、いや、むしろ「ロンと呼んでくださいな」と催促し ている趣さえある。 どうしてこうなるのだろう。 まず、アメリカの場合いろいろな国の人々が集まって生活しているから、姓のほうが発 合 び音がむずかしい場合がある。ポーランド系、ギリシャ系、インド系。舌をかみそうな姓が で多い。そしてアメリカでの英語は会話の途中に相手の名前をポンポン入れていかねばなら あゝさっ ない。「グッド・ モー = ング」だけでは朝の拶は終わらない。 ス四、五人男たちがいれば、「グッド・モーニング・ジェントルメンーだし、ジョージと モーニング・ジョージ」である。 いう一人の男に向かって言う場合は、「グッド・ フ 「あなたそう思うでしよう、ジョージ」 章 第「そんなはずはないじゃないか、ナンシー」 というぐあいに、やたらと会話の中に相手の名を入れるのである。 自分だけが一方的に話しているのではなしに、相手も自分の話に「引き込もう」という
196 のも初めてですし、ワシントンに住むのも初めてです。全く勝手がわかりません。よろし く」とゆっくり語りかけた。 国籍がどこであろうが、宗教が何であろうが、皮膚の色が何色であろうがみんな生身の 人間なのだと。ほくは、素直に思えるタチだ。 ウォール・ストリートに十六年住んでいたとき、いろいろな人たちを見た。恐ろしい形 せりふ 相でカッと眼を開いて、「このビジネスに乗ってこないかーと脅迫じみた台詞を吐くビジ ネスマンもいた。こっちが黙っていれば、いい気になって、奥歯の金冠が見えるほど口を あけて、何十分もとどまることを知らずしゃべりまくるセールスマンもいた。ああ一言えば しつよう こう言う、こう言えばああ言うと、あらゆる角度から執拗に、そして鋭く迫ってくるジャ ーナリストもいた。 もちろん布かったし、うるさかったし、はらはらしたし、小心者のぼくはたじろいだこ とが多かった。 でも、この人は奥さんとうまくいっているのだろうか、奥さん以外に愛人でもいて人知 れず悩んでいるのだろうか、子供は無事に成長しているのだろうか、こんなに一所懸命に 仕事をしていったい人生で何を達成しようとしているのかなどと、そっちのほうに感情移 入をして、じっと顔を見ると、一種の「余裕」が出てくる。何となくある距離をおいて、
患者は自分が納得するまで医者を問い詰める。そして「医者のほうに間違いがあった」 と思えばどんどん告訴する。 医者のほうもそれに備えて保険に入る。訴えられたときの弁護士料、万が一負けたとき 支払わねばならない賠償金を一括して払ってくれる保険がある。その保険料金は年間少な くても五万ドル ( 六七五万円 ) 、多ければ一〇万ドル ( 一三五〇万円 ) である。 一番困るのは産婦人科の医者だと言う。 むすこ 「うちの息子はどうも勉強のできが思わしくない。そう言えばあの子を出産したとき医者 がうまくとり上げてくれなかったのではなかろうか。その後遺症がいま〃頭の悪さ〃とし 題て出てきたに違いない」 話こんなことを言われて「賠償金二〇〇万ドル三億七〇〇〇万円 ) 支払え」などと訴え スられるのだから医者もおちおちできない。 「君のように医者を信じ、納得できなくてもひと言も質問しないというのもどうかと思 章う」とアドバイスしてくれた親切なアメリカ人がいる。 第彼が信じられないようなことを話してくれた。 「ポストンの病院へ胆石をとってもらうべく入院した男がいる。ちゃんとした病院だし主 治医から連絡もついているはずだしと、その男は安心して手術台にのった。全身麻酔をか
バーで 翌朝、前夜同席していた会社のものが、専務さんと・ほくは、あのあとカラオケ・ 演歌を歌いまくったと言う。それも舞台の上でマイクを奪い合いながら。まさか、と思っ た。全く記憶がない。酔って、ところどころ記憶が中断することは、ままあった。しかし そんな派手なふるまいをして、全く憶えていないということは初めてであった。恐ろしく よっこ 0 「よし。今度こそはやめる」 このとき、はっきり自分に誓ったのである。 「ほう、やめましたか 話「自然がよい。何事も気分のおもむくまま。無理は禁物。それが長生きの秘訣です。酒を ス飲んで陶然となる。、、 ね ししことだ。酒をやめて五、六年長生きしても大した意味はない。 ジ え、そうでしよう」 章・ほくは何もしゃべっていないのに、酒をやめたと知ったとたん、相手のビッチが早くな 第る。 全く飲まない人を相手では、こうでもしなければやりきれないのだろう。 「酒をやめたほうがよいーなどと、ひと言も言わないのに酒の効用を話し出す。ひょっと ひけっ
トムとは株の話しかしたことがない。二、三人の人から金を預かり、それを運用してい る様子である。頭がツルリとはげていて、長身でやせているトムはいつもべアリッシュ ( 弱気 ) である。そして泳ぎといえば毎朝背泳ぎしかしない。 プールサイドで激しく屈伸運動をしているのは弁護士のヘンリーである。彼はプールの あ、さっ 中で泳ぐというより、外での運動に熱心だ。実に愛想の悪い男でこちらから拶でもしな い限り何とも言わない。昼ウォール街のランチ・クラブで時々会うことがある。 洋服を着ていると、ほうきを持った掃除人のフランクが寄って来た。まだ三十そこそこ の人なつつこい男である。三か月前に子供が生まれて有頂天になっていた。今日は何とな 帰 里くしょげている。 へ 「ディヴォース ( 離婚 ) するかも」と、ロの中でもぐもぐと言う。 ク 「いったいどうしたの」「ついこのまえ赤ん坊が生まれたばかりなのに」いろいろ言いた せりふ ュ い台詞はあったが、何となく億劫で「そう」とだけ言って急いで支度をした。 出口のドアを押しながら「元気を出して」と、フランクに一〇ドル札を握らせた。 章 第やっとニーヨークらしい生活が体の中に戻ってきた。