「リー 、逃げて」 ラウシャンがささやきかけてくるが、とても足が動かない。 ひけん 「無駄です。ようやく見つけたのです : : : 妺の魂に比肩する輝きの者を。あなた方には悪いと は思いますが、逃がすわけにはいきません」 知り合った時の笑顔が嘘のような、冷酷な態度で麻維が告げる。 「だって : : : そんなの。どうして : 聞きたいことはあるのに、うまく言葉が出てこない。 代わりに口を開いたのは、あの黒髪の青年だった。 「わたしが求めたのだ。鳴かぬ美しい金の小鳥は、輝かしい魂を宿すとその輝きに応じて歌を 歌う。だが、なかなか気に人る魂は見つからなくてな。ちょうど、その男の妹のそれが、無垢 で美しい輝きを放っていたのだ。その男は元が人間であるだけに、我等と同じようには考えな くてな。妺の代わりになる魂を探し出すから、妹は見逃して欲しいと言いだしたわけだ。そう してこやつはお前を見つけた : : : わかるか ? お前はこやつの味の代わりに、わたしに差し出 にえ された贄なのだよ」 旋 螺事情はわかったが、納得はできない。 時「そんなの : 「させるか ! 」
かの怒りをなだめすかす。 おもちゃ ルだってまった 相変わらず、玩具のように遊ばれていることに変わりはないが、ラエスリー く全然学習していないわけではないのだ。 しかし、そんな彼女の理性のか弱い糸を、ぶつぶっと引きちぎるような発言を、『茅菜』は やってくれる。 「なんだ。。 はれてるんなら、あんな面倒なこと、わざわざするんじゃなかった」 「そういう問題じゃないだろう」 堪えきれず、ラエスリールは叫んでいた。 「あんな小さな子を、わざわざわたしに事情を説明させるためだけに、巻きこむことはなかっ ただろうが ! あの子の髪が赤いってことは、つまり村長たちの言う『赤い印』を持っ存在っ てことだろう村長たちがわたしにあの子のことを隠してたってことは、あの子の方が選ば れる可能性もあるってことだろうなぜ、そんな簡単に : : : ひとの運命を : : : 」 しかも、自分の血を引く者のそれを、歪めることができるのか。 人間と魔性はまったく違う生き物だから、血縁に関するこだわりや思いは違っていても当然 なのかもしれないけれどーーそれでも、他でもない『茅菜』が、そんな真似をしたことが : 苦しい。 どう言えば伝わるのだろう。どんな言葉を選べば、相手の心に届くのだろう。 こら ゆが まね
元凶は : : : やはり、あいっか : それならば説明がつく、と思った。 ここに自分を連れて来ながら、満足に説明もせずに姿を消したあたり、実にあの男らしいで はないか。どうせ誰かが説明するとでも思ったのか、単に面倒くさかったのか : : : つつかれた くないことでもあって、説明を他人に押しつけたという考え方もできる。 なんにせよ、この時期にこの村に自分を連れてきたのが闇主であり、しかも村に伝わる話が まったくのでたらめでない限りは、この件について、彼が最初から一フェスリールを放りこむつ もりであったことは疑いようのない事実に思えた。 はあ、と息をついたラエスリールに、男たちの視線が突き刺さる。藁にも糺るような目を向 けられては、とても断れない : : : きっとそのあたりのことまで、あの男は計算していたに違い ない。 まったく : : : ひとがやることには一々文句をつけるくせに、自分のことは勝手になんでも段 取りを組むんだからな : あげくに巻きこんでくれるのだから、なんともありがたい相棒である。 「しかし : : : 二十年に一度とはいえ、よくその印とやらを持つ者が見つかったものですね」 しこん かいむ 緑や紫紺といった色彩に比べれば、皆無ではないとはいえ、赤という色は、人間の外見にそ あらわ うそう顕れるものではない。
を持っ存在がいるのだ。 なんと世界は不平等なのか : なんと世界は強者に都合よく出来ているのか : ことわり それが世界の理だと、知って自分は死んでいくのか。 なんて皮肉な・ わけのわからないカの発現により、壁にたたきつけられた麻維の体はずいぶん破損してい た。人間であれば即死もいいところの骨折や内臓の破裂は、妖主の手によって作られた彼であ っても、そのままではいずれ命を落とすに違いない程度にはすさまじいものだった。 しかし、もはや痛みも感じることはあるまい、と思っていた麻維は、不意に加えられた衝撃 に、強烈すぎる痛みを覚えた。 あばら みぞおち ようしゃ なんのことはない、肋も折れた状態の鳩尾に、これまたあまり容赦したとは思えない力が直 撃したのである。 「なあーに、悲劇の主人公面してやがんだかなあっ」 しんく 加害者である深紅の青年が、忌ま忌ましげにつぶやくのが聞こえた。 あんしゅ 「闇主 ! 相手はけが人だぞ」 押し止めるように告げるのが、あの黒髪の妖貴を、戦いさえせず撃退した女性の声だという ことは : : : わかった。 とど 0 い ようき
ては、なんの責任も義務もないと言い切ったのだ。 たましい 単に自分の目にかなうほど、美しい魂を持っているから欲しいだけだと。 奪われてしまう。連れ去られてしまう。 たったひとりの妹が、自分では二度と手を触れることもできぬ場所に連れていかれてしまう という危機感を覚えたとき、麻維は人間であったころの記憶にしがみつくことをやめた。 妹を守るために : : : いや、妹を奪わせないために、以前の自分であれば、決してできなかっ たろう取り引きを相手に持ちかけたのだ。 つまり、妺の代わりとなる贄との交換を。 彼を人形とした紫紺の妖主は、彼の妹には表向き、なんら関心を寄せなかった。だから麻維 は、自力で彼女の代わりとなる何者かを探さなければならなかったのだ。 探して : ・ : ・探して。 ようやく見つけた。 これですべてはうまく行くと : : : そう思った。そのはずだった℃ なのに、いま自分を包むこの現実はどうだろう ? あざむ 旋ひきよう 螺卑怯だとわかっていても、自分にはああするしか道がなかった。他者を欺き、犠牲にしてで も、自分は妺を守りたかったのだ。 けれど : : : 世界には、犠牲を必要とすることなく、自分を屈伏させた相手をも払いのけるカ にえ
「お前のその様子にも驚かされたが、それ以上に、お前にもそんな顔ができたということが驚 きだ。ずいぶん気に人っているようだな。もうひとりのわたしあたりが知ったら、歯ぎしりす るだろうよ」 すいぎよく くすくすと笑いながら、翠玉の化身がささやく。 「抜かせ。勝手に人の事情に首つつこんでくるんじゃねえよ、翡翠 まゆ 翡翠と呼ばれた美女が、かすかに眉をひそめた。 「ずいぶんと口が悪くなったものだな、千禍。しかも、人のせいにしてくれるとは : : : 誤解し てもらっては困る。わたしはそこの娘の願いに心動かされただけだ。まあ、たいそう魅力的な 魂を持っているのが理由ではあるがな」 ちらり、と意味ありげな視線を投げられ、シェンツア・リーウエンは背筋が冷たくなるのを 感じた。 やつばり、この人も怖い : 夢でラウシャンが言っていたのが事実ならば、きっとこのふたりは、相当強い魔性なのだろ う。夢に出てきたあのふたりの美形以上に、人間離れした美貌の持ち主なのだから。 旋 螺自分はもしかしたら、とんでもない事態に巻きこまれているのではないのか。 時 そう思うと、全身が震え出した。 「そうかい。じゃあ、これ以降、手出し無用に願いたいな。なにもただでって言うわけじゃな たましい ひすい
132 むかむか。 心に湧きあがるむかむかは消えない。 この村を訪れて初めて、目の前に闇主がいないことをラエスリールは感謝した。もしいま、 いらだ 目の前に彼がいたら、自分でもよくわからない苛立ちのままに、どんな八つ当たりを相手に対 してやってしまうかもわからないと思ったのだ。 ただ、その話を聞いたおかげで、感じ取れたこともあった。 目の前の村長には、全然魔性の気配が感じられない。本当に、あの男の血を継いだ一族の末 えい 裔なのだろうか : : と不思議に思ったのだ。 ひすいようしゅ ちすじ ラエスリールは以前、翡翠の妖主と人間の青年との間に生まれた血脈の末裔として生まれた 女性と会ったことがある。その時も、あまりにも薄すぎる血のゆえか、その事実を感じ取るこ とはできなかった。いや、本当のことを言えば、もっと複雑な状況が横たわっていたわけだ だが、そのころの彼女といまの彼女はほとんどまるで違う存在となっている。 わたしも気づけないほどに、血が薄まってしまったのか : : : それとも、一族といいながら、 血脈がふたつに分かたれたのか・ だとすれば、印を持っ血脈が絶えたとも考えられる。 だからこそ、自分をここに連れてきた : : と言われれば説得力もある。 、、ゝ 0 まっ
金や銀、あるいは白というのであれば、毛髪の色彩としてよく見いだされるものではあった ぞく が : : : 俗に赤毛と呼ばれる髪の色は、到底赤とは呼べないものだし、赤い瞳などは、いっさい の色彩を持たずに生まれてくる者にしか見いだされることはないはずだった。 「それは : : : その、あまり外聞はよくないのですが、大祭が開かれる数年前になると、必ずと いぶきおさ いっていいほど印を持っ女児が生まれるようになっておりまして。加護の魔性の息吹が長の家 系に吹きこまれたのではないかと : : : 」 歯切れの悪い言葉に、ラエスリールはひとつの可能性を思いつく。 加護や息吹と言えば聞こえはいいが、あるいはかって、その最初の村長であった女性と、彼 女を守護する魔性との間に、子供が生まれたのではないか、ということだ。 もっ 人間と魔性の間に次代を紡ぐことが可能であることを、ラエスリールは身を以て知ってい る。彼女自身がその結品であるのだから、疑ったりはしない : : : が。 むかっとした。 闇主が以前ーー・ずっと、ずっと昔のことだとはわかっているけれど。この村の最初の長とな 娘った女性と、自分の父と母のように愛し合って、子供が生まれたのだとしたら : 神 もう、本当に昔のことだとわかっているし、そうだとしても自分がどうこう言う権利などな いこともわかってはいるのだけれど。 むか。
声に宿る敵意、憎悪はどこまでも激しく鋭く、耳にしただけでびりびりと肌を突き刺される さつかく ような錯覚を覚えるほどだった。 さかな そんな相手の神経を逆撫でるように、闇主がふふん、と鼻を鳴らす。 自分の連れである青年に、敵が決して少なくないだろうことは、ラエスリールも知ってはい たが、わざわざ嫌われるような真似をしているのでは、この先も増えることはあっても減るこ とはないだろう、と彼女はこっそり思った。 だが、相手の意識が闇主に向けられているいまが、絶好の機会であることも事実ーーラエス さえぎ ちゅ リールはシルへの周囲に、妖気を遮る結界を張った。傷の治癒にしてもそうなのだが、彼女は 自分以外の相手に対しては、ある程度の力を発揮できるようになっていた : : : 自分自身に対し ては、どちらも皆目できないのは、やはり半分人間として生まれてき、しかも魔性としては出 来損ないだとずっと思いこんでいた時期の長さが関係しているのかもしれない。 もっとも、常々「おれがいるんだから、必要ない力だろう ? 」と言ってくれる青年がそばに いてくれるおかげで、事実不自由を覚えたことは : : : あまりなかったが。 娘 「シルへ、苦しくないか ? 」 の 神 一応大丈夫だとは思ったが、念のため尋ねたラエスリールに、シルへはかぶりをふって答え : とっても怖い。やさ 「大丈夫。あたしは大丈夫 : : : だけど、お姫さま、平気 ? あのひと・ まね
だから、そういうこと言ってるんじゃないんだけど : : とは思ったが、『気に人らないから 受け取るのを拒んだ』という誤解だけは解いておきたくて、彼女は言った。 きれい 『気に人らないだなんて ! そんなことありません ! だけど、こんな綺麗で見事なお人形、 もらえるようなことしてませんし、わたし : : : 』 力説すると、青年が、荷物から顔を上げた。 『なら、受け取ってくださいませんか ? あなたは、とても生き生きしていて、見ているだけ まと で幸せになれるような美しい空気を纏ってらっしやる。生まれてこれまで、あなたほど輝かし い瞳をしてらっしやる人を、わたしは見たことがないのです。もし可能なら、あなたの面影 を、人形に映したい : : : それを許していただきたいのです』 褒めすぎだとシェンツア・リーウエンは田 5 った。 悪い気はしないものの、こんな綺麗なひとに真顔で褒められると、なんだか居心地が悪いも のを覚えてしまう。人形に一心に取り組むあまり、ちょっと世間とずれた感覚を持ってしまっ たひとなのかもしれない : : : とちらっと田 5 った。 しごく とはいえ、本人は至極真面目な様子である。 旋 螺まあ、いくら面影を映すとはいっても、自分とそっくりな人形が出来るわけではないだろう はんちゅう ぞうさく 時しーー正統的な美人の範疇から、自分の造作が少々ずれている自覚はあるのだ この人形を しんし 見れば、青年がどんなにか真摯に人形作りに取り組んでいるかはわかる。悪いことにはならな