153 ェザの深き眠り つくのに間に合った。 馬上、振り返ったサラは、彼らを見て驚いた。庭園が草原の方に続いているあたりにい つも警護兵が何人かいるのは知っていたが、これほど数が多いとは知らなかった。 リュシアスは説明した。 「そうだな、普段は何人かずつで、できるだけ目立たないように警護しているからな」 「びつくりした。これで全部なの ? 」 「いや、全部合わせたらもっといるだろう。用心しろと陛下が最近よこした兵もいるはず だし、まあいろいろあったからな : : : しかし、それにしても、ちょっとこれじゃあ大げさ だよな」 と、リュシアスはおかしそうに肩をすくめ、護衛隊長に少し離れて進むようにと指示を 出した。堂々とした中にもかなりゆったりした様子で、護衛兵たちは一一人の前後に配置さ れた。 リュシアスは、久しぶりに気分がよかった。 思いきってサラを連れて出てきたかいがあった。前後をノし離れて進むいかつい護衛兵 = 、たちのことさえ目を「ぶれば、ま「たく愉快な遠出である「空は目が覚めるように青く高 く澄みわたり、肌を心地よく南風が撫でていく。 「まいったな、こんなに気分がいいんじゃ、また旅に出たくなるよ :
293 あなたを・ : : ・」 「しつ」とルデトが、廊下に人の気配を感じ、男の訴えを手で制した。 男の方も、これ以上この部屋にとどまるのは危険だと判断したのだろう。テラスから足 早に去ろうとしたそのときだった。 部屋のすぐ外で人の声がした。 「どうせ自分の部屋に隠れているんだ : : : 」 と、やけに陽気な声が近づいた。 リュシアスだ。 まさに逃げようとしていた男が、それに気づいてはっと足を止めた。 突然、まぎれもない殺意が、部屋中に満ちあふれた。男は短剣を隠し持った。ばたんと 扉が全開にされた。 「おいサラ、さっさと飲んでしまわないと、煮つまってますます苦くなるぞ」 眠 やくレ」う 観念しろ、と笑う背中には、薬湯の入ったカップを得意げに捧げ持った恥母やがついて 深 初いる。その乳母やが目を丸くした。 工 「おや、あんたこんなところで何してんだい ? 」 」うこ、つや いかにも地元ミエザの好々爺といった肉屋が、それでは、とにこにこと愛想よくサラに 頭を下げ、今リュシアスが入ってきた扉から引き下がろうとした。リュシアスは何気なく ささ
おぜん よかったよかった、今夜は祝いの御膳をすえようと一人で決めて、乳母やはひたすら幸 福感にひたった。 ところが、この、乳母やのささやかな誤解が、とんでもない方向に事態を持っていく。 おぜん 乳母やは、祝いの御膳なら肉だとばかりに、邸に出入りしている肉屋の親爺を待ちかね こうこ、つや その肉屋の親爺とは、それこそ愛すべきミエザの好々爺で、毎日早朝、注文を取りに邸 を訪れ、ペラの市場から肉を仕入れ、昼すぎ、ラバを引いてひょこひょこと戻ってくる。 邸の奥向きを取り仕切る乳母やとの付き合いももう何年になるだろうか。すっかり気心 の知れた仲である。 しかいのしし 親爺は注文を受け、猟師が捕った鹿か猪の肉が手に入れば一頭分仕入れてくるし、もし りよさそうなのが見当たらなければわなで生け捕られた兎五羽にしようと提案し、値段 もうまく折り合った。野兎ならミエザのあたりでも捕れないことはないが、必ず今夜の祝 深 い膳にのせたいのだから、市場で確実に仕入れてもらうにこしたことはない。 ちそう こんれいひろうえん 工 ついでに近づいている婚礼披露宴の方のご馳走の分量や献立に変更がないか確認したう えで、親爺はいそいそとペラにおりていった。季節がら、手に入れば鹿肉、それもできれ ば子鹿の肉の方が喜ばれるに決まっているが、さて、いい獲物が市場に入っているかどう やしき おやじ
211 ミエザの深き眠り ひざ とサラは、アレクスの前に行儀よく膝をそろえて座った。 「リ = シアスはまだそのことに深い責任を感じていて、人を愛することに腰になって いる」 「何 小娘が、生意気なことを = 一〔う、とアレクスは笑い飛ばそうとした。だがサラは真摯な口 調で言いきった。 「あたし、彼をなんとかしてあげたいの」 アレクスは胸をつかれた。 ひとみ サラの瞳は真剣だった。 好奇心だけでものを言っているとは思えない。 だが、なんで自分が聞かせてやらねばならない役回りなのだ。 「侍女たちにでもきけ」 「だめよ。あることないこと話されたんじゃあ、本当のことは見えないもの」 ルデトはと見ると、少し離れたところで、厳しい表情のまま遠くを眺めている。聞こえ ないふりをしているのか。 ( くそっ ) サラのまっすぐな視線が痛い しんし
「なんだろう」 「ヘムロックですねえ。サラ嬢様も、こちら様も大事ありませんでしたか ? 「うん」 「よかったですねえ」 会話の調子はひどくのんびりとしたものだったが、内容は空恐ろしいものだ。セレウコ スは青くなった。 「毒入りだっていうのか ? ほまえ 思わず手に持っていた菓子を放り出した。だが恥母やはもう一口かじって微笑んだりし ている。 はちみつ 「あら、どこの蜂蜜だろう」 こう見えても乳母やは、当時の毒薬劇薬一般に通じたすぐれた専門家である。 彼女は、リュシアスの母親が毒を盛られて殺されたと信じる一人だった。 眠 テュロスのおばばほどではなかったが、彼女が殺されてからその道の専門家について必 深 の死の勉強を続け、深い知識を身につけた。ひとえにかわいい リュシアスを、王妃オリムピ 工 アスの魔の手から守るためである。 おかげで彼女自身もヘムロックのようなありふれた毒薬ならびくともしない耐性がつい 凵たし、少年リュシアスにも、慎重に毒に対する耐性をつけることができた。 まう
109 ミエザの深き眠り 居間に人影が見えたのでリュシアスだと思って駆けこんできたら、なんと苦手のルデト だった。サラは思わず逃げ出しかけた。 だが彼は表情を変えない。 「くどいようですが、ご主人様を大声で呼び捨てにするのはおひかえください とサラは申しわけなさそうに小さくうなずいた。 だがリュシアスをリュシアスと呼ばないのなら、いったいなんと呼べばいいのだろう。 「それに小舟を出そうよ、ではなく、浮かべましよう、の方がたしなみ深く聞こえます たしかにサラの話すギリシア語は一風変わっていた。記憶を失う前冫 こ、どこかで習った ことがあるようだった。しかし、身につけた場所がよほどの辺境だったのだろう、アクセ ントもめちゃくちゃだが、なんといっても調子がよすぎるのだ。商人一一 = ロ葉のように聞こえ る。 ルデトは一一 = ロ葉づかいにめつばう厳しいらしく、サラがこの変なギリシア語を使いだすと どこからともなくとんできて、すぐに訂正する。 サラはむっとしながらも、一応謝った。 : ごめんね」 「ではなくて、申しわけございません : : : より淑女らしく響きます」 が」 しゆくじよ
149 じゅばく すると、呪縛が解けたかのように、ほっとサラの表情がやわらいだ。 ながいす この様子を興味深げに見ていたセレウコスは、なるほど、と長椅子に寝転がった。 このオリエントの少女は異郷に置かれ、精いつばい気を張り詰めながらも、必死で誰か の包容を求めているようなところがある。 しくさ ( 過去に何かあったらしい。戦か、それとも : : : ) もしリュシアスにその気がないのなら、自分がその包容を与えてやろうとセレウコスは 思った。 必ずこの娘を、自分の色に染めてみせる。 「見てごらんサラ。手品の続きだ」 優しく手招きしてサラをそばに呼び寄せると、今度はサラの耳元から小さな耳飾りを そっと取って、手の中で消したり出したりさせながらリュシアスに言った。 やしき 「なあリュシアス、今度サラと一緒におれの邸に遊びにこないか ? しばらく滞在しても 眠 おやじ 0 ゝゝ 0 、 おれの邸なら心配はいらないだろう。親父も喜ぶし」 深 ザいいな、とリュシアスがばんやり答えると、セレウコスは耳飾りをサラの耳元に戻して 工 やりながらそっとささやいた。 「妹の池に、白鳥がいるんだ。サラは本物の白鳥を見たことがあるか ? 」 「白鳥 ? 」
ミエザの深き眠り 361 ( ああ、もうリュシアスのところには戻らないんだ : : : ) さび ミエザが遠くなったことに気づいたサラは、ようやく心のすみに寂しさを覚えはじめ 日が暮れてしまったせいかもしれない。 あたりはすっかり暗やみに閉ざされた。 「明日は、リュシアスの婚礼式だね」 ルデトもしんみりとした。 「そうですね」 サラは毛布をかぶって横になった。 「 : : : きれいな人だっていうけど、どんな人かなあ。いい人だといいなあ」 ルデトはしばらく起きているつもりらしい うわさ 「 : : : 噂では、とても気立ての優しい姫だということです。家臣の評判も上々だ。だが、 殺された奥様のことを忘れられないリュシアス様が、妻として受け入れられるかどうかは サラは自信を持って答えた。 「リュシアスならもう大丈夫よー いリュシアスを思し 、 ) 、ほんわりと心が暖まるのを感じながら、サラは目を閉じて言っ
275 彼女は素人娘のように赤面したことを照れて笑った。 「いえ、たしかに大変なお席もございますが、町の噂を聞いて憧れております高名な御 に、このように間近でお目にかかる幸せもございます : : : 今夜は私どものほうこそ、大変 楽しい時間を過ごさせていただきました。楽しすぎて、ちょっと申しわけないくらい うふっと白い肩をすくめてみせたのには、さすがのリュシアスもぞくっときた。いい女 うれ だ。こんな夜にはうってつけの話し相手を得られて、リュシアスは嬉しかった。今夜は彼 女と語り明かそう。 「おれが町の噂になっているのか ? 「ええ。それはもう大変な」 「どんな」 り「もちろん、よい噂ばかりでございますとも。お聞きになりたい ? 「町の噂がどんなにいい加減なものだか、この耳で確かめたいー 深 ・ : リュシアス様はこの二年の間、世界のい 「なるほど、それではお聞かせしましようか : ミたるところで七つの大冒険をなさいました」 リュシアスは笑った。 「なるほど。七つや八つはしたに違いない しろう・と
「思い出せない : : いったいどうして、何がきっかけであんなけんかをしたのか、いくら 思い出そうとしても思い出せない : : だから彼女は、おれがどこに行ったのか一一一一口うよう責 められても答えようがなかった。知らなかったんだ。おれはあのとき、行き先も言わずに 夜狩りに飛び出していた : ・ ・ : 。けんかをしたことなど最初で最後だ。悔やまれて仕方ない サラはいらだたしかった。 「けんかの原因なんて、いつもささいなことよ。リュシアスのせいじゃない。リュシアス がそんなに全部責任を感じることはないー 「だがもしあのとき、おれの行き先を知っていたら、あんな風に殺されはしなかった」 「その代わりリュシアスが殺されてたかもしれないじゃない 「まだその方がよかった」 サラが思わずリュシアスの服をつかんだ。リュシアスは、サラに言い聞かせた。 「サラ、おれは布がっているわけではない。おれは報いを受けているんだ」 深 「報い ? 」 工 リュシアスはうなずいた。 「 : : : そうだ。勝ちに乗じて一つの国を滅ばし、民族を四散させた : : : 正義感に燃えさ かったおれは、戦いを楽しんだ報いを受けている」