クルゼルは意を決して頷くと、荷物をもって兵舎の扉を開けた。 空はすでに暗かった。 集合は二三〇〇時。あと五分もない。 「急がなきや」 あわてて走りたそうとしたその時、前方の木の陰からふいに人影があらわれた。 しトでつ洋り一 驚きに声をあげる前に、クルゼルはみそおちに衝撃を感じ、目の前が真っ暗になった。 こかげ ひざ くず クルゼルが意識を失い地面に崩れ落ちるのを待って、木陰からあらわれた兵士もまた膝をつ 「悪いわね、クルゼル」 兵士の声は、女のものだった。はたしてクルゼルは、意識を失う前に自分を倒した人間の顔 をはっきりと見ることができただろうか。 「私のかわりに、 ここで待っててよ」 兵士は、クルゼルの体から素早く装備を剥ぎ取った。それを手慣れた仕草で装着すると、胸 ぐこっちしっ ポケットからゴーグルを取り出し、そのヘイゼルの瞳を覆った。夜にゴーグルなど愚の骨頂だ まぶか が、ヘルメットを目深にかぶるだけでは顔を隠しきれない。い y ら視界のきかない夜とはいっ ても、用心するにこしたことはない。 うなす かげ おお ひとかげ てな しぐさそうちゃく
141 嘘 る。私を置いて、大佐の救出に向かいなさい。兵士は一人でも惜しいはずよ。こんな無駄なこ とに兵力をさくなんて馬鹿げているわ」 「馬鹿げていません」 「馬鹿げているわよ。私は負担にしかならない。置いていきなさい。これ以上、私に恥をかか せないで」 ふおん 途端、シドーの黒い瞳に、不穏な光がよぎる。 「いいかげんにしろー 突然のシドーの怒鳴り声に、グッドリーは目を見開いた。二人の背後にいたレーべなる兵士 も口をあんぐり開けてシドーを見ている。 「あんた、そんなに死にたいのか。ここであんたが死んだって、何もならないだろうがー シドーは真上からグッドリー を睨みつけ、たたきつけるように言った。 / 彼の口調からはすで れいぎ に、目上のものに対する礼儀など完全に抜け落ちている。 しかしグッドリーも負けてはいなかった。シドーの爆発に触発され、半ば死んでいた彼女の 感情も怒りを道づれに息を吹き返す。 くつじよくてき 「君にはわからないわよ。女にとっては、これがどんなに屈辱的なことかわかる卩私がいっ 、どんな思いで 急に怒鳴ったため、グッドリーは激しく咳き込んだ。苦しくて、涙が浮かんでくる。それで しよくはっ なか
143 嘘 きちしれいぶ コタキナバル基地司令部に報告が入ったのは、夜中の三時近くのことだった。 ゅそうき 「輸送機か」 しりめ 懾てふためくレジスタンス・リ ーダーたちを尻目に、無表情に呟いた男がいた。 す か なが 椅子のひじ掛けにほお杖をつき、男たちを眺めるとはなしに見ている彼は、あきらかに異邦 一くろかみ 人であった。黒髪だらけの部屋の中、彼の金の髪は非常に目立っていたし、その肌の白さも群 を抜いている。これでも以前よりはだいぶ黒くなったらしいが、それでも現地のレジスタンス 兵士から見れば、まぶしいほどに白い らっかさんぶたい 「落ち着いている場合ではないそ、マックス。輸送機で来たとなれば、落下傘部隊だ。今は そうどういん 我々も基地内の再装備に兵力を総動員しているおかげで、森の中にはあまり兵士を置いていな いというのに。うろっかれたら困る」 とが リーダーの一人が、咎めるように言った。 それまで特別な対象物をもたなかったマックスの視線が、ゆっくりとその男の面へと移動す じん 六別れ づえ こま つぶや おもて はだ ぐん
った。今回の任務に、女兵士は一人も参加してはいないはずだ。二日蔔こ、 官が計画から外されたのだから。 「お、おまえ・ : : ・ ? 」 驚きの視線が集中する。ゴーグルの兵士は、軽く肩をすくめた。 「ああ、どうも。クルゼルが来る途中でハラこわしたんで、私がかわりに来たのよー 平然と言いながら、彼女はヘルメットをこころもち上にあげ、目を覆っていた暗いゴーグル を取り去った。 あらわれたのは、居合わせた者たちの予想通りというかなんというかーー鋭く輝くへイゼル の瞳であった。 そうちさっ 「キャッスル曹長卩」 「隊長 ! 」 複数の声が同時にあがった。いずれも強い驚きをたたえている。 「こんばんは。遅刻は謝るけど、そんなにジロジロ見られると困りますー うらはら 言葉とは裏腹に、キャッスルは不敵な笑顔で一同を見渡した。 「し、いったいどうして : : : 」 ぼうぜん 呆然と問い返したのは、一番奥に座っていたゲヴァラ大尉である。 うな 「一言ったじゃないですか。途中でクルゼルがハラこわして唸ってたんでね、空の旅はちょっと はず あやま おお 目冫ただ一人の女下士 するど
みくだ て「女」というただそれだけで彼女を見下していた彼らも、一日たっ頃にはすっかりその実力 を認めていた。さらにキャッスルは曹長ということもあり、彼女が実動部隊の指揮をとること になっていたのだ。 はず その彼女が今になって、作戦から外されるとは。動揺するなというほうが無理である。 決して広くはないゲヴァラの部屋に集まっていた下士官たちは、たがいに顔を見合わせ、絶 望的なため息をついた。 「ちょっと待ってください。曹長を欠くとなると、実動部隊の指揮を変えねばなりません。今 さらそれは : こ、つぎ 一同を代表して抗議したのは、アヴドウル伍長だった。ゲヴァラは机に肘をつき、自分に集 中する複数の視線を困ったように受け止めている。 「それは私もよく承知しているよ。上にもそう言ったのだが、無駄だった。かわりに、もう一 分隊程度の兵力を加えようと言ってきた」 「人数の問題ではないでしよう ふんぜん 他の下士官が憤然と言った。 このような特殊な任務の場合は、兵力よりも兵士の質と指揮の徹底が問題になってくる。そ 嘘れは、上部とてよく知っているはずなのに。 「ーー私は、どうしてこの任務からはずされたのですか ? そらエっさっ ごちょう どうよう ひじ
106 「さて」 彼女は踵を返し、飛行場めざして走り出した。 「ああ、来た来た ! 遅いそぎさま、さっさと来い ! もう出るそー ゅそうき 輸送機の出入り口ぎりぎりまで身を乗り出していた兵士が、近づいてくる人影に向かって大 声で呼ばわった。 そろ 機体の中にはすでに隊員すべてが揃っており、あとは離陸を待つばかりとなっていた。そし てようやく、最後の一人が、時間ギリギリにやって来たという次第である。 暗い色彩の中、あわてた様子で走ってくる。 ばせい 周囲から罵声が飛ぶ中兵士はようやく輸送機の元にたどりつき、素早く中に乗り込んだ。 待ち兼ねたように扉が閉じられる。予定の時刻より一分ほど過ぎていた。 「まったく、一一等兵の分際で時間に遅れるとは : : : 」 かしかん 下士官の一人が怒りをこめて、最後にとびのってきた兵士を睨みつける。兵士は彼に向かっ しゃざい て、謝罪するようにかすかに頭をさげた。 機体が動きだすのを感じ、兵士はほっと息をついた。 せつばっ 「ま、一分の遅刻か。けっこう切羽詰まってたわりには、上出来だわね」 つぶや む 兵士がもらした呟きに、周囲の人間がぎよっと目を剥いた。今のはどう考えても、女の声だ きびす ぶんざい にら しだい
137 嘘 「作業場の監視小屋 ? ー ふくえきちゅ、つ 「ここと同じプロック内にある、服役中の兵士が働く作業場よ。知っているでしよう。基地 に残っていた将校や兵士たちは、みなそこでまとめて殺されたの」 兵士たちの間に沈黙が落ちる。 「私は、それを見ていた。大佐がたも。大佐がたは、そのあとで監視小屋のほうに連れていか れたわ。だからたぶんーーーそこにいらっしやるはず」 そこでグッドリーは苦しい息をついた。話すのは、よほど骨が折れるらしい。シドーはもう しゃべるな、という目をしたが、グッドリ ーはなおも言った。 「はやく行って。大佐たちだけでも、必ずお助けして」 シドーは背後のキャッスルをかえり見た。いつのまにか、彼女の後ろには、地下道から出て きた兵士たちが全員そろっている。 「大丈夫です、必ずお助けします。作業場ですね ? ー くかえ キャッスルが、弱ったグッドリ ーの耳にも聞き取れるように、ゆっくりと繰り返す。 いっこくあらそ 「そうよ。私のことよ、 をしいから、はやく。一刻を争うのでしよう ? 」 「少尉のこともお助けします」 。クツ、ドリ . ーは小さく笑ったようだった。 「余計なことをしないで」
188 兵士たちは、顔を見合わせた。 びぼ、つ この美貌にすぎる男は、彼らの仲間ではない。協力者ではあるかもしれないが、決して同志 ではない。そんな人間が、なぜ自分たちにこのように傲然と命じることができるのか。そんな 反感が、彼らの顔にあらわれていた。 しかし彼らは同時に、この男のおかげでポルネオ島を支配下におさめることができたことを ちぼう ざいりよ′、 よく知っている。この男の知謀と、背後にひろがる無限ともいってよい財力が。 「はやく、追え。逃がしてもいいのか」 再び、男は言った。 兵士たちは舌打ちをもらしつつ、走りはじめる。しかし通りすぎざま、少年兵の死体を蹴り つけるのは忘れなかった。 つら 前に連なっていた兵士たちがみな敵兵を追って地下道の奥へと消えたので、マックスは軽く ひざ 息をついた。そしてゆっくりと足を進め、仰向けに倒された少年兵の元に膝をつく 無残な姿だった。引き金にくくりつけられた血まみれの指が、 , 彼の覚悟を物語っていて痛々 「れな」 つぶや 彼の呟きに、背後に控えていたレジスタンスたちは耳を疑った。マックスは今までに、敵は もちろん、味方の兵士の死に対してなんらかの感想をもらしたことなどなかったからだ。文字 う ~
156 ( 説明はあとでも出来るわ ) キャッスルが背後をかえり見ると、一番体つきの大きな兵士がすぐに進み出る。彼が衰弱し たスクリバを抱え上げると同時に、小屋の外から声がした。 「きたぜ ! 今の爆音をききつけて、近くの兵士たちが飛んできたのだろう。 「数は卩」 「とりあえず五人程度 ! 」 たいした数ではない。しかしすぐに、数倍に膨れ上がることだろう。 「今のうちに突破するよ ! いそげ ! 」 キャッスルは銃を構えて小屋の中から飛び出した。 外ではすでに、銃端ルがはじま 0 ていた。人数はこちらのほうが勝 0 ていたので、決着はす あらて すき ぐにつく。だがすぐに新手がくるのはわかりきっていたので、わずかな隙をぬってキャッスル たちは懲罰房めざして走った。 作業場を抜けた所で、再び敵の一群と会う。飛び交う銃声。味方の兵士が一一人ばかり、崩れ 落ちる。 スクリ。ハを抱えた兵士を守りながら、キャッスルはちらりと腕時計に目を落とした。 予定通り爆弾が仕掛けられているならば、あと七分ではじめの爆発が起こるはずだ。その前 ふく すいじゃく
129 嘘 さと ここに至って、キャッスルも彼らが何について話しているのか、はっきりと悟った。怒りが ふゆかい 頭をもたげてくる。ラファエルとシドーに目をやると、彼らも非常に不愉快そうな顔をしてい た。二人は現地の言葉がわからないはずだが、笑い声の種類で察しがつくのだろう。 やがてレジスタンス兵の足音と声は、この懲罰房のすぐ前まで近づいてきた。三人の緊張が 一気に高まる。 突然、兵士たちの足音が止まった。キャッスルたちの房の扉を行き過ぎたか、という時だっ ( 気づかれたか卩 ) 三人は息をつめ、それそれの武器を手にとる。 しかし、レジスタンス兵士がこちらに踏み込んでくる様子はなかった。 かわりに、すぐ隣の房の扉がい音をたてて開く。 ふしん キャッスルたちは不審そうな視線を互いに交わし合った。 懲罰房なんかに、レジスタンス兵士がなんの用だろう ? レジスタンス兵士は二人とも隣の房に入っていったようだが、音も話し声もほとんど聞こえ てこない。シドーは隣に続く壁に耳を押し当てたが、結果は同じだった。 しかしラファエルだけはなぜか聞き取れたようで、非常に不愉快そうな顔をして、壁から耳 を離した。 いた さっ