100 キャッスルは微笑むと、ラファエルの青緑の瞳をまっすぐに見上げて言った。 「ーーーあんたがいてくれて、よかったわー うれ ラファ丁ルが驚いたように目を見開く。が、すぐにとても嬉しそうに彼も笑った。彼もまた 喜んでくれているということが、キャッスルの心をますますあたためてくれる。 自分が傷ついていれば、それだけで心を痛める人もいるのだということを、今まで忘れてい たような気がする。だから、つらいことがあったら、心を凍らして耐えることしか知らなかっ た。自分を傷つければいっか強くなれるのだと思っていた。傷をつけて、それで強くなったっ もりになっていた。 いやはやみち くつう けれど、それが苦痛を癒す早道になるのならば、さしだされた手にとりあえず縋ってみるほ うが、いいのかもしれない。 のうり そう思った時、キャッスルの脳裏を一人の男の顔がかすめていった。 手を差し伸べながらも、決して頼りきらせることのなかったエイゼン。しかし彼は、一度だ けこう一 = ロった。 『俺はね、その気になればいくらでもおまえのこと甘やかせると思うよ。昼も夜もそばに、 なぐさ て、おまえがつらい時はいつも慰めてやる。 そうしてほしいか ? 』 うなず あれは、どういう意味だったのだろう。あの時頷いていれば、エイゼンは本当にそうしたの 。こ→わ一つ , 刀 こお
とじゃない。 ェイゼンは、自分を睨みつけているラファエルににつこりと笑いかけた。 「 : : : 何笑ってやがんだ」 当然、ラファ〒ルは不機嫌そうに眉を寄せる。 「いやね、こんな所で俺に厭味言ってるより、はやくキャッスルの所に行けばいいんじゃない かな、と思って」 「・ : ・ : なんでだよ」 なぐさ 「今慰めてあげれば、かなりポイント稼けるんじゃないの ? ラファエルは大きく目を見開いた。信じられない、という目付きだった。 「てめーなんざ、殴る価値もねえ」 はす ラファエルは吐き捨てると、エイゼンから手を離した。 「さっさとアクラに行っちまえ。二度と帰ってくんな」 「そういうわけにもいかないよ。任期はまだ残ってるし、キャッスルが除隊するまで守るって 。け・いや′、 のが契約だからね」 「てめーなんかいらねーよ。キャッスルは、俺が守る」 嘘「そういう問題じゃないんだよ。仕事は仕事なの。ちゃんと契約を果たさないと、お金がもら にんき えないからね。任期の八年を棒にふるわけにはいかないわけよ、俺も」 にら いやみ かせ
思議だった。死という単語を繰り返すことによって、現実を受け入れようとしているのかもし れない。 「死んだところを確認したんですか」 「してないわ。でも : : : 」 「それなら、簡単に死んだなんて言わないでください ! 」 シドーは突然、声を荒げた。 「あいつは違う。他の奴みたいに、すぐに死んだりしない」 じんじよっ たしかにラファエルは尋常ではない生命力をもっている。それはキャッスルも知っている。 知っているけれども、あれほどの目にあって生きていられるとはとても思えない。 そしてラファエルはもう死ぬしかないとわかってしまったからーーー自分は彼を置いて逃げて きたのだ。自嘲めいた思いが、キャッスルの心をますます冷やしていく。 「でも撃たれたのよ。それでたった一人で、地下道に残ってーー」 シドーはキャッスルに最後まで言わせなかった。 「あいつは普通の人間とは違います。俺は知ってる。だから、信じません」 しっ洋リ」 - とうしようもない衝撃を受けているのだ キャッスルにも分かっていた。シドーもまた、。 かたく と。あまりにも事実が大きすぎて、とても受け止められず、頑なに信じまいとするしか、今は 齠とるべき途がないのだと。 みち じちょう あら
158 んでくるのが見えた。 「あれは : : : 」 兵士たちの顔から血の気がひく。 ちじようこうげきき 基地内の飛行場から急行してきた地上攻撃機だ。おそらく、島上空にキャッスルらの輸送機 たいき が来た時から、いつでも飛べるように待機していたのだろう。そうでなければ、この異常な反 応のはやさは考えられない。キャッスルらの位置が本部に報告されてから、まだ五分とたって いないはずなのに。 「いそげ ! はやく建物の中に入るんだ ! 」 きじゅ、つ ぜっきさっ 絶叫に重なるように、地上攻撃機の機銃が火を噴いた。 もうれつ 死に物ぐるいで建物の中に転がり込む兵士たちを猛烈な銃撃が襲う。攻撃は一瞬ーーしかし だんがん うが 凄まじい量の弾丸が地面に穴を穿ち、攻撃機は再び空に舞い上がる。 きじゅ、つこ、つげ・き キャッスルは機銃攻撃の前になんとか建物の中にすべりこむことができた。しかし攻撃機は はんてん ねら すぐに反転し、今度は建物を狙ってくるだろう。爆撃機ではないから建物そのものが破壊され ることはないだろうが、屋根や窓を突き抜けた弾丸が、中の者を傷つける。一刻もはやく地下 もぐ に潜らなくてはならない。地上からも、そろそろ装甲車や部隊がやってくるだろう。 「はやく下へ ! 」 キャッスルは怒鳴り、背後をかえり見た。そして、息を呑む。 すさ そうこ、つしゃ ふ おそ
て当」かく 弱点を的確についた、皮肉な言葉の数々。それこそが、エイゼンの本心をあらわしていたとい うことなのだろうか。キャッスルが甘さゆえに気づくことのできなかった二人の間の距離を、 なによりもよくあらわしていたということなのだろうか。 ェイゼンが絶対にこちらに弱みを見せたがらないのも当然だ、とキャッスルは今にして思 うんぬん う。プライドが云々という以前に、彼はこれつ。ほっちも自分に心を許してくれてはいなかった のだから。ェイゼンにとって自分はあくまで庇護するものーーそれも金がらみでーーであり、 わかりあう必要など全くないのだ。 / 冫 彼ことって重要なのは相手の人間性ではなく、ただ相手が 生きていること、それだけだ。 それなのに、いっかはわかりあいたい、支えられるだけではなく支えにもなりたいとー丨・対 おろ 等でいたいと必死にあがき続けてきた自分のなんと愚かなことか。おかしすぎて、もう笑いさ えでてこない。 視線の先では、エイゼンが飄々とした態度でアヴドウルに話しかけている。彼はいつでもお いらだ のれを語らない。なにごとにも動じない。それはたしかに周囲の人間にときどぎ苛立ちをもた らすものでもあるけれども、戦場にあってはプラスの側面がより強調される。 そう、以前、エイゼンは自分に言ったではないか。 『頭冷やせ、表面上だけでもかまわないから、隊員たちの前ではまともでいろ』 隊長の肩書きをもっかぎり、それにふさわしい態度をとらなければならない。特にこれから ひょうひょっ どう
115 嘘 や、かっては兵士だったものだった。 はっこっか すでに白骨化しているから、コタキナバル陥落直後に「狩りにあって殺されたのだろう。 ずがいこっ しかも首が妙な方向に折れており、頭蓋骨もところどころ陥没しているところを見ると、かな ひさんさいご り悲惨な最期を迎えたらしい。おそらくレジスタンスの連中は、この兵士を追いつめて追いっ なぶごろ めて、嬲り殺しにしたのだろう。 あんど 殺された兵士には悪いが、キャッスルはこの時、怒りよりも安堵を感じた。 レジスタンスがポルネオ全土で行った「狩りーについては、彼女もよく知っている。一歩ま ちがえば、自分たちも目の前の兵士と同じ姿になっていたかもしれないのだ。実際、ポルネオ から無事脱出できた者は、いまのところ自分たちの他にはいないという。そう考えてみると、 きせき 自分が今ここでこうして大地を踏みしめているのが奇跡のように思えてくる。 たしかに奇跡なのだろう。 っこのような姿になるか、わからないの しかし、奇跡は何度も起こるものではない。い 「隊長、これどうしますか」 アヴドウルの問いかけに、キャッスルはため息をついて首を振った。 まいそ、つ 「このままにしてくしかないでしよ。埋葬する時間なんてないし。どうせ基地にたどり着くま で同じようなものいくつも見ることになるわ。いちいち埋めてたらキリないもの」 かんらく かんまっ か
211 嘘 かくり 「分裂期に入ったユーベルメンシュは、場合によっては同種から隔離される。同種の気配その きんこう ものが、さらに感覚を鋭敏にし、果てには精神の均衡を失うこともあるからだ。おまえは、私 かんのう の気配に感応して気分が悪くなったりはしなかったかー 覚えがある。輸送機から降り立って基地に近づく度、なぜか不快感が増していった。 でもまさかーー・それが目の前のこの男のせいだなんて。そんなバカなことがあるだろうか。 「私は、おまえがこの基地の近くに降り立った時から、おまえの気配を感じていた。だから、 私はおまえが近づいてくるのを待っていた。おまえも私の気配を感じたからここに来たのでは ないのか ? 「ち、ちょっと待てよ ! 」 ラファエルはあわてて口を挾んだ。このまま放っておけば、この男は自分のペースで意味不 明な話を続けていくにちがいない。 「なんなんだてめー、さっきっからわけわかんないことべラベラ並べたてやがって ! 俺にも なんだそのユーベルなんたらとか分裂期とかってのは ! わかるように話せってんだー 怒鳴りちらすラファエルを、マックスは奇妙なものを見るような目付きで眺めている。 「 : : : おまえ、本当に自分について何も知らないのか」 「だからなんだつつってんだろ ! 」
「いっ切ったの ? 昼会った時は、まだ長かったよねー 「フロの後だよ ! くそ、一で毛が生える薬とかねーかな」 「いいじゃないの、もうあきらめなさい。キャッスルは、なんだって ? 」 ラファエルはぎろりとエイゼンを睨みつける。 「まだ会ってねーよ」 「タ食の時は ? 「いなかった。なんか、今度の任務のことでゲヴァラと話し合ってて、長引いてるみたいで ェイゼンは軽く目を見開いた。 「今度の任務 ? さっそくだねえ。何すんの ? 」 「俺もよくは知らねーけど、コタキナバル基地の人質取り返しに行くって話だぜ」 「人質 ? そんな、いくらなんでも無理でしよ。ポルネオ島から逃げ出してくるのもあんなに 大変だったのに、また同じ島に忍びこむなんて。しかも人質は基地の中でしょ ? ェイゼンのあきれた声に、ラファエルは肩をすくめてみせた。 もんく 「んなこと俺に言ったってしょーがねーだろ。キャッスルも文句たれてたけどよ。でも命令が 嘘きたら、やるしかねーじゃん。それが仕事なんだからよ」 「おや、坊やも大人になったねえ。なんだか寂しいなあ」 しの にら さび ひとじち
193 嘘 していなかった。しかし彼の差し出す知恵と力があまりにも魅力的なものだったので、結局は 彼の手をとってしまったのだ。 だから自分たちには、もう何を言う権利もない。仮に火星都市の援助で月面都市から地球の ほ、つしゅ、つ かんししっ 完全独立をもぎとったとしても、次は援助の報酬として、火星の干渉を受けねばならない。っ まり、支配者が変わるだけの話だ。 そしてレジスタンスは、目先だけの勝利を選んだのだ。 男は、それを理解していた。だからマックスの態度にも怒る気にはなれなかった。そんなこ たいぎ とをしても、自分たちが惨めになるだけだ。それに彼にとっては、「地球の大義のために」と うそ いった類の見え透いた外交上の嘘さえ口にできないマックスのある種の実直さが好ましく思え る。マックスは世辞をいっさい口にしないかわりに、レジスタンスにとっては最高の戦術を常 に編み出す。それで、充分ではないか。彼は同志ではない。同志にはなりえぬのだから。 「本当に火星の者なのか ? なぜそれがこんなところにいるんだ」 「それは私のほうが知りたいが、本人に聞けばわかることだ。とにかく同種であれば、私は彼 ーベルメンシュは貴重なのでな」 を本国に連れて帰る義務がある。ュ 「だがーー しつこく反論しようとする男を半ば軽蔑するように見下ろし、マックスは言った。 「それよりも、一刻もはやく地下道に潜った者たちを呼び戻したほうが良くはないか。まもな たぐい けいべっ もぐ
「なんかてめーの話きいてっと、ムカついてくんな」 「おまえが訊いたことだ」 ラファエルはますます不機嫌そうに頬を膨らませ、ぶいと横を向いてしまった。しかしすぐ にこう一 = ロった。 「 : : : てめーの言う通り、なんっーか、あいつらはすげーよ。見てるとさ、ああこの二人そろ ってりや何も怖くねーって気までしてくるよ。認めたくはねーけど 「それはきっと、お互いがすげーやつだって信じてるからなんだよな。そういうとこから、自 信が生まれてさ、俺たちにも伝わるんだ。だからやつばり、一方だけが信じててもう片方はど うでもいいと思ってるってことはないと思うんだよな : けげん シドーはいくぶん怪訝そうに目を細め、ラファエルの横顔を見た。 無理もない。彼は、キャッスルとエイゼンの間に起こった出来事を知らないのだ。ラファ工 ルはため息をつく。 『あんたには関係ないことよ、余計なこと言わないでちょうだい』 あの時、このうえなく冷ややかに、キャッスルは言い切った。先日、事情を聞いてしま しんび 嘘ったラファエルがエイゼンにことの真否を尋ねた時も、やはり同じような答えを返された。 『もし本当だとしても、なんで坊やに教えてあげなくちゃなんないの ? 坊やには関係ないこ ほおふく