193 嘘 していなかった。しかし彼の差し出す知恵と力があまりにも魅力的なものだったので、結局は 彼の手をとってしまったのだ。 だから自分たちには、もう何を言う権利もない。仮に火星都市の援助で月面都市から地球の ほ、つしゅ、つ かんししっ 完全独立をもぎとったとしても、次は援助の報酬として、火星の干渉を受けねばならない。っ まり、支配者が変わるだけの話だ。 そしてレジスタンスは、目先だけの勝利を選んだのだ。 男は、それを理解していた。だからマックスの態度にも怒る気にはなれなかった。そんなこ たいぎ とをしても、自分たちが惨めになるだけだ。それに彼にとっては、「地球の大義のために」と うそ いった類の見え透いた外交上の嘘さえ口にできないマックスのある種の実直さが好ましく思え る。マックスは世辞をいっさい口にしないかわりに、レジスタンスにとっては最高の戦術を常 に編み出す。それで、充分ではないか。彼は同志ではない。同志にはなりえぬのだから。 「本当に火星の者なのか ? なぜそれがこんなところにいるんだ」 「それは私のほうが知りたいが、本人に聞けばわかることだ。とにかく同種であれば、私は彼 ーベルメンシュは貴重なのでな」 を本国に連れて帰る義務がある。ュ 「だがーー しつこく反論しようとする男を半ば軽蔑するように見下ろし、マックスは言った。 「それよりも、一刻もはやく地下道に潜った者たちを呼び戻したほうが良くはないか。まもな たぐい けいべっ もぐ
ないんですよねー 月面都市と地球のレジスタンスが戦いをはしめて、五十年である。慢性化した戦争は、月面 ぐんじゅさんぎよっひやくてき せんそうけいき 都市の中に、軍需産業の飛躍的な拡大をもたらした。戦争景気という言葉があるが、いまやそ れは、月面都市の経済を語るのに欠かせぬ要素となっている。 戦場は、自分たちの住居から遠く離れた地球。そして戦うのは、地球のレジスタンスと、地 ちあんぶたい 球出身の治安部隊の兵士たち。月面都市の軍隊は後方や比較的安全な地域に配置され、それほ ど命の危険にさらされることもない。そして主に使用される武器はたいしてコストもかからな 、安物の時代遅れのものばかり。レジスタンスに対抗するにはその程度で充分だし、そもそ もあまり良い武器を与えては、戦争の終結が早まってしまう。 つまり、地球との戦争は、月面都市にとっていいことずくめなのだ。自分たちはほとんど傷 つかず、富だけが増大していく。 すき とはいえ、そうした月面都市の態度が火星都市に大きな隙を与えたことも、事実である。月 面都市はたしかに世界一の大国ではあるが、・これからも永遠に大国であり続ける保証などどこ は にもない。しかし彼らは、それを忘れていた。今まで世界に覇をとなえ、最後には消えて行っ かしん た多くの国家と同じく、おのれの力を過信していた。 キャッスルは幼少時代を月面都市で過ごした。もちろん当時はそんな社会構成などわかろう はんえい はずもなかったが、今こうして地球で過ごしていると、月の繁栄を支えていたのが何か、よく まんせいか
「別しゃねーよ」 「別よ ! 私、あんたほどガキじゃないもの」 「ガキつつーなって言ってんだろ ! 」 「鼻の頭まっかにして泣いてるやつが、ガキじゃなくてなんなのよ」 意地悪く言ってやると、ラファエルはますます顔を赤くして、ごしごしと目をこすった。 その様を見て、キャッスルはようやくほっとした。 いつものラファエルだ。 いっきいちゅう 自分の一 = ロ葉に一喜一憂する、素直で負けず嫌いな少年。それがキャッスルのよく知るラファ 〒ルだ。これでようやく、自分もいつもどおりに構えることができる。キャッスルはむの底か あんど ら、安堵した。 そう、最近、彼女の知らないラファエルが時々あらわれるのだ。こちらが思いもよらないよ うなことをして、心が読めない複雑な目で見つめてくる。そうすると、キャッスルはどうして いいのかわからなくなる。 これは、誰か知らない人間だ。そう思った瞬間、キャッスルは混乱する。どう対応していし のかわからなくなる。だから、はやく自分がよく知るラファエルに戻ってほしいと思う。しか 嘘し同時に、もっとこの不思議な表情を見ていたいとも思ってしまう キャッスルは、自分で自分がさつばりわからなかった。しかし、こういう奇妙な感情にはお
シドーの声は小さすぎて、ラファエルの耳には届かなかった。 「あ ? なんか言ったか ? 」 ラファエルは顔を向けてきたが、シドーは「いやーと首を振っただけだった。 そしてラファエルもまた、幸せだ。こんなにも一途に人を好きになることができて。 ぜんしんぜんれい 自分も彼のようこ、 冫たった一人の女を全身全霊で愛せたらーーー自分が受ける傷など考えるこ となく、ただ相手だけを守りたいと思うようになれたら。 ふとそんなことを思った自分に、シドーは驚いた。 ずいぶんと、らしくないことを思いつくものだ。 少し前の自分であれば、考えられない。シドーはちらりと、かたわらに寝そべるラファエル へんかく を見下ろした。変革をもたらした、少年を。 まぶた ラファエルは瞼を閉ざしていた。しかし眠っているわけではない。あの大きな瞳が隠れてい ぞんがい ほお ると、存外鋭い顔付きをしていることがわかる。ここ最近で頬の肉が削げたせいもあるだろ たんせい う。今のラファエルは端正といってさしつかえない顔をしていた。 しかしやはり、あの青緑の輝きがなければ、ラファエルではない。あのたぐいまれな瞳があ ってこその彼だ。そして自分はこの輝きに出会えたからこそ、変わることができたのだ。シド むさいしき 嘘ーはそう思う。今まで、シドーの世界は無彩色だった。目にうつるもの、耳から入るもの、す べてが無意味だった。そこに色を与えてくれたのが、ラファエルだった。
きじゅうそうしゃ て、機銃掃射を受けて、それから地下道にもぐって逃げようとして うそ 「 : : : 嘘だろ」 つぶや ラファエルは・呟いた。 しゃべれる。たしかに今、唇が動いた。 「だって、俺」 動いたロに手をやる。かすかに震えている。 「たしかあの時、撃たれまくったはずじゃ」 話すのは、生きていることを確認する行為だ。たしかに自分は今、声を出している。それを 自分の耳で捕らえている。 俺は、生きてる。 夢じゃないのか、と思い、頬をつねってみる。みごとに痛かった。 「信じらんねー」 我がことながら、さすがにラファ = ルは呆とした。自分が、どうやら他人よりもはるかに はちす 恵まれた生命力をもっているらしいことは、知っていた。しかし自分はまちがいなく、蜂の巣 にされたのだ。それでも生きているとはどういうことだろう。 ラファエルは体にかけられているブランケットをおそるおそるはがした。そしてますますぎ 网よっとする。肌には、あれほど撃ち込まれたはずの弾の跡がない。よく見れば、ふたつほどそ ほお あと
201 嘘 カそのほとんどが一目で軍隊のものとわかる服 たいした数がかかっているわけではない。・ : だった。しかも、いずれも政府軍のものではない。 ( まさか、ここはーーー ) ラファエルの中に嫌な予感がひろがっていく。 自分は地下道の中で倒れた。キャッスルたちは、先に逃げたはずだ。ということはここはコ だと、つ ほりよ タキナバル基地内の一室であり、自分は捕虜となったと考えるのが妥当ではないだろうか。 ラファエルの顔から血の気がひく。 うわさ 捕虜がいったいどういう扱いを受けるかいろいろと噂には聞いていたし、実際スクリバたち のひどい姿をこの目で見た。自分も、ああなるのだろうか。 しかし、そのわりにはずいぶんといい部屋に押し込まれているような気がする。家具のそろ った部屋、しかも清潔なシーツと。フランケットのあるべッドに寝かせられている捕虜なんて聞 いたこ、とがない。自分がどこかのえらい将軍というならともかく、ただの二等兵にすぎないの うな ラファエルはうんうん唸りながら、クローゼットの中を物色した。そして、一番端に、妙な 月カかかっていることに気づく 「なんだこれ」 ラファエルはそれをひつばりだしてみた。 ぶっしよく
197 始 そして結局、彼は今ここにいる。 まるで、定められていたことのように、無力な状態でこの手にある。 あるいは本当に、定められていたのかもしれない、とマックスは思う。自分がこのポルネオ に来たのも、もしかすると彼に会うためだったのかもしれない。火星都市の中でさえ非常に貴 じんじしっ 重な存在となったユーベルメンシュの、それも尋常ならざる力を抱えているやもしれぬ存在に 引き寄せられて、自分はここまで流れてきたのかもしれない。 くちびるゆが マックスは、ふと唇を歪めた。 我ながら、ずいぶんと感傷的なことを考えている。もし今の考えをーーそう、たとえば上官 ちょうえってき かいにゆう あたりが知ったとしたら、鼻で笑うことだろう。宿命とか、超越的な力による人生への介入と いった考えをなによりも嫌う彼ならば。 しかしあいにく、自分は彼ほど合理的にはできていない。 ぐうぜん だから、どうしてもこの再会が偶然だとは考えることができなかった。あるいは、考えたく なかっただけなのかもしれない。 ーベルメンシュではない。我々とは違う。 この少年は、ただのユ その事実に、自分はひょっとして、何かを期待したいだけなのかもしれない ずいぶんと長いあいだ眠っていたような気がする。 かか
117 嘘 「このあたりのはずですよ」 キャッスルもまたコンパスと地図で確認する。 「そうね。このあたりに地下道への入り口があるはずね。目印はなんだっけ ? こ みつしゅうかんぼく 「密集した灌木の右手ーーそこに幅一メートルほどの岩とその半分ぐらいの岩が三つ」 キャッスルたちは周囲を歩き回った。やがて一人の兵士が声をあげた。 「あった。ここです」 声の方に向かうと、たしかにアヴドウルが言った通りの光景があった。 ちょうど岩と灌木の陰になるような場所に、入り口はあるはずである。 「ここだな」 ひざ 草の密集している地面に、キャッスルは膝をついた。一見したところ、奇妙なところは全く かん あや ない。もっとも、すぐに怪しいと思われるようでは、地下道の意味がない。それにしても、完 。へき 璧なカモフラージュだ。 けいたいよう キャッスルは携帯用のスコップを取り出して、足元の土を掘りはじめる。たちまちのうち かんしよく かんたんといき に、固い感触にぶつかった。周囲から、感嘆の吐息がもれる。 「本当にあった。凄い、全然わかりませんでしたよー しっこう ほしん 「将校連中め、自分たちの保身の対策だけは完璧なんだな」 皮肉な笑い声が、兵士たちの間からもれる。ここにゲヴァラがいたら、渋い顔をしたことだ すご
ど悲しそうな顔をして。 「それはちがうのよ、ラファエル」 背後に残してきた少年に向かって、キャッスルは静かに語りかける。 痛みに懲りずに、再びなおきれいな信頼関係などを夢見た自分が、愚かだっただけだ。もし 私が怒りを感じる権利があるとすれば、それは余計なことをしでかしたあの父親だという男に 対してだけ。 『ほんとは悔しくてしょーがねーんだろ ? 』 そうね、とても悔しいわ。でもそれは、自分の甘さに腹を立てているだけよ。状況の不 自然さから目をそらして、あの父親の影に全く気づくことのできなか 0 た私のさが、悔しい 」け・よ。 『あんたには、関係ないことでしよ』 そう返した時、ラファエルはとても傷ついた表情をした。 あの目を、キャッスルはよく知っている。純粋な好意から差し伸べた腕を、強く拒絶された 者の悲しみ。ラファエルはおそらく、心の底から自分を案じてくれているのだろう。それはキ ャッスルにもわかる。けれども今は、それさえうっとうしかった。ラファエルのことさえ、信 始じたくなかった。信じられないのではない。信じることを、放棄したかったのだ。やさしくて とうけっ あたたかい心から、できるだけ自分を遠ざけておきたかった。心を凍結していなければ呼吸さ くや おろ
104 昔、敵の中におきざりにされた自分たちを救うために、キャッスルたちがたったの六人で乗 り込んできてくれたことを、よく覚えている。あれは上部の命令でもなんでもなく、ただキャ いちぞんおこな ッスルの一存で行ったことだったのだと聞いた。そう、彼女は、隊に編入されて間もない新兵 二人のために、命をはってくれたのだ。たいした戦力にならない自分などのために、彼女は危 険を承知でやって来てくれたのだ。そしてエイゼンたちも、そんな彼女に文句ひとっ言わず、 ついてきたのだ。 きっとキャッスルやエイゼンのような人間を、本物の軍人と呼ぶのだろう。いっか、あんな ふうになりたい。、 心の底からそう願ってはいるけれど、実現する日は永遠にこないような気が する。 ( だって僕は、自分が助けられておきながら、人のことを助けに行くのは怖くてしようがない んだから : : : ) じ、こけんお クルゼルの緑の両目が涙に浮かんだ。恐怖と自己嫌悪で、体が熱くなる。 「ーーでも、行かなきや」 ぬぐ 自分に言い聞かせるように呟くと、クルゼルは目を拭い、立ち上がった。 おくびよっもの 臆病者は良い兵士になれる。訓練兵の時、教官はそう言っていた。それはつまり、臆病であ さいしん れば生き残るのに細心の注意を払うようになるから、ということだ。立ちすくむだけの臆病さ は、結局命を縮めるだけのものにしかならない。 つぶや