143 嘘 きちしれいぶ コタキナバル基地司令部に報告が入ったのは、夜中の三時近くのことだった。 ゅそうき 「輸送機か」 しりめ 懾てふためくレジスタンス・リ ーダーたちを尻目に、無表情に呟いた男がいた。 す か なが 椅子のひじ掛けにほお杖をつき、男たちを眺めるとはなしに見ている彼は、あきらかに異邦 一くろかみ 人であった。黒髪だらけの部屋の中、彼の金の髪は非常に目立っていたし、その肌の白さも群 を抜いている。これでも以前よりはだいぶ黒くなったらしいが、それでも現地のレジスタンス 兵士から見れば、まぶしいほどに白い らっかさんぶたい 「落ち着いている場合ではないそ、マックス。輸送機で来たとなれば、落下傘部隊だ。今は そうどういん 我々も基地内の再装備に兵力を総動員しているおかげで、森の中にはあまり兵士を置いていな いというのに。うろっかれたら困る」 とが リーダーの一人が、咎めるように言った。 それまで特別な対象物をもたなかったマックスの視線が、ゆっくりとその男の面へと移動す じん 六別れ づえ こま つぶや おもて はだ ぐん
地球統一国家の首都は、アフリカ大陸のアクラである。ェイゼンがかって義足の手術を受け たのはアクラでも一、二を争う大病院であり、今回も彼は同じ場所へ向かうことになった。 ゅそ、つき その病院への入院手続きが完了し、エイゼンが輸送機で発っことになったのは、キャッスル と彼が衝突した日の翌晩のことだった。さすがに昨日は興奮状態にあったものの、今朝食堂に あらわれた時のキャッスルは平静の表情に戻っていた。そしていつも通り訓練をこなし、救出 きづか かん。へき 任務にむけてのゲヴァラや隊員たちとのミーティングも完璧にこなした。ラファエルの気遣わ しけな視線が時々気になったが、知らぬふりをきめこんだ。 夕食を早々にきりあげ、ゲヴァラが告げた時間に飛行場に向かうと、アクラへ発っ輸送機が すでに整備を整えて飛び立つのを待つだけとなっていた。 ェイゼンは先に来ていたアヴドウルやゲヴァラと談笑していた。近づいてくるキャッスルの まった 嘘姿を見ても表情ひとっ変えず、いつもと全く同じ笑顔を向けてくる。 「キャッスル、俺がいないからって寂しさのあまり女に走るんじゃないよ。ほんの一カ月程度 三凍るむ あらそ
106 「さて」 彼女は踵を返し、飛行場めざして走り出した。 「ああ、来た来た ! 遅いそぎさま、さっさと来い ! もう出るそー ゅそうき 輸送機の出入り口ぎりぎりまで身を乗り出していた兵士が、近づいてくる人影に向かって大 声で呼ばわった。 そろ 機体の中にはすでに隊員すべてが揃っており、あとは離陸を待つばかりとなっていた。そし てようやく、最後の一人が、時間ギリギリにやって来たという次第である。 暗い色彩の中、あわてた様子で走ってくる。 ばせい 周囲から罵声が飛ぶ中兵士はようやく輸送機の元にたどりつき、素早く中に乗り込んだ。 待ち兼ねたように扉が閉じられる。予定の時刻より一分ほど過ぎていた。 「まったく、一一等兵の分際で時間に遅れるとは : : : 」 かしかん 下士官の一人が怒りをこめて、最後にとびのってきた兵士を睨みつける。兵士は彼に向かっ しゃざい て、謝罪するようにかすかに頭をさげた。 機体が動きだすのを感じ、兵士はほっと息をついた。 せつばっ 「ま、一分の遅刻か。けっこう切羽詰まってたわりには、上出来だわね」 つぶや む 兵士がもらした呟きに、周囲の人間がぎよっと目を剥いた。今のはどう考えても、女の声だ きびす ぶんざい にら しだい
102 きんちしっ クルゼルは緊張していた。 いよいよ今から、ポルネオ島に向かうのだ。 ( 今度こそ、ダメかもしれない ) プーツの紐を結ぶ手が震える。兵舎の中にはもう誰もいない。ラファエルたちはとっくに準 備を済ませ、ポルネオへ向かう輸送機の待っ飛行機へ向かっていた。 ひとじちきゅうしつ 人質救出。本来ならば、より抜きの特殊部隊が担当するような任務だ。それなのに、ただポ ルネオからの脱出に成功したというだけで自分までがそこに加えられるなんて。クアラルンプ ールの人員不足が深刻ということもあるのだろうが、みな僕たちのことを誤解している、とク ルゼルは思う。 ( いや、僕たち、じゃない。僕だけだ ) クルゼルはため息をついた。 自分以外の人間は、本当に凄いと思う。キャッスルもエイゼンもアヴドウルも、もちろんゲ 五ポルネオへ ひも
彼が戻ってくるまでには、自分も少しは落ち着いているだろう。どんな態度を取ればいし か、決めることもできる。気持ちを整理できる時間を持てるのは、ありがたい。 ェイゼンは今、どんな顔をしているのだろう。 輸送機の消えた空を見上げ、キャッスルは・ほんやり思った。 最後まで、飄々とした表情を崩さなかった彼。こちらは必死の思いで平静をとりつくろって いたけれど、エイゼンはどうなのだろう ? 少しは、心の痛みを感じているのだろうか ? ( ーーーまさか ) キャッスルは自嘲をこめて、自分の甘い考えを否定した。 ふだん 彼はその表情と同じく、胸の内も普段となんらかわるところがない。そうにちがいない。 ( いまさら、何を期待してるの ) らんぼう キャッスルは乱暴に前髪をかきあげると踵を返し、飛行場をあとにした。 「キャッスル、待てよー 兵舎に戻る道の途中で、キャッスルは背後からラファエルに呼び止められた。 予測はしていたことだったので、べつに驚きはしなかった。 「何 ? こ 振り向くと、そこに今にも泣き出しそうな顔をしたラファエルがいた。 じちょう はい・」 きびす
120 ね ? どうしてもっと早く言わないの ! 「平気だって言ってんだろ。なんでもねーよ」 応じる声にも、生気が欠けていた。 キャッスルは思わず助けを乞うように、シドーへと目を向けた。しかし彼も、わからない、 というように首を振るばかりだった。 キャ , スルは再び、ラファ =. ルを見つめた。 ( ルメットからはみだした前髪が、汗でに張 りついている。呼吸もこころなし荒い きよくげん どう見ても、異常である。しかも、よりによってラファエルだ。他の者が体力の極限におい しさつみきげん こまれた時でも一人元気に走り回り、また賞味期限が二週間以上も前にきれた牛乳をあやまっ いぶくろ て飲んだ時もビクともしない驚異の胃袋をもった、このラファエルが、だ。 記憶を探ってみても、ラファエルがぐったりしている姿など、キャッスルは今までほとんど お目にかかったことがないような気がする。そういう人間が今にも死にそうな顔色をしている と、非常に不安になってしまう。 しかも、輸送機の中では少しもおかしなところはなかったのに。 「それで平気なわけないでしょ ? 死にそうな顔色してるわよ、あんた」 「ほんとになんでもねーって。かまうなよ」 「えらそうな口たたくんじゃない。 あんた、これ以上行かないほうがいいわね」 さぐ きトでつい
211 嘘 かくり 「分裂期に入ったユーベルメンシュは、場合によっては同種から隔離される。同種の気配その きんこう ものが、さらに感覚を鋭敏にし、果てには精神の均衡を失うこともあるからだ。おまえは、私 かんのう の気配に感応して気分が悪くなったりはしなかったかー 覚えがある。輸送機から降り立って基地に近づく度、なぜか不快感が増していった。 でもまさかーー・それが目の前のこの男のせいだなんて。そんなバカなことがあるだろうか。 「私は、おまえがこの基地の近くに降り立った時から、おまえの気配を感じていた。だから、 私はおまえが近づいてくるのを待っていた。おまえも私の気配を感じたからここに来たのでは ないのか ? 「ち、ちょっと待てよ ! 」 ラファエルはあわてて口を挾んだ。このまま放っておけば、この男は自分のペースで意味不 明な話を続けていくにちがいない。 「なんなんだてめー、さっきっからわけわかんないことべラベラ並べたてやがって ! 俺にも なんだそのユーベルなんたらとか分裂期とかってのは ! わかるように話せってんだー 怒鳴りちらすラファエルを、マックスは奇妙なものを見るような目付きで眺めている。 「 : : : おまえ、本当に自分について何も知らないのか」 「だからなんだつつってんだろ ! 」
158 んでくるのが見えた。 「あれは : : : 」 兵士たちの顔から血の気がひく。 ちじようこうげきき 基地内の飛行場から急行してきた地上攻撃機だ。おそらく、島上空にキャッスルらの輸送機 たいき が来た時から、いつでも飛べるように待機していたのだろう。そうでなければ、この異常な反 応のはやさは考えられない。キャッスルらの位置が本部に報告されてから、まだ五分とたって いないはずなのに。 「いそげ ! はやく建物の中に入るんだ ! 」 きじゅ、つ ぜっきさっ 絶叫に重なるように、地上攻撃機の機銃が火を噴いた。 もうれつ 死に物ぐるいで建物の中に転がり込む兵士たちを猛烈な銃撃が襲う。攻撃は一瞬ーーしかし だんがん うが 凄まじい量の弾丸が地面に穴を穿ち、攻撃機は再び空に舞い上がる。 きじゅ、つこ、つげ・き キャッスルは機銃攻撃の前になんとか建物の中にすべりこむことができた。しかし攻撃機は はんてん ねら すぐに反転し、今度は建物を狙ってくるだろう。爆撃機ではないから建物そのものが破壊され ることはないだろうが、屋根や窓を突き抜けた弾丸が、中の者を傷つける。一刻もはやく地下 もぐ に潜らなくてはならない。地上からも、そろそろ装甲車や部隊がやってくるだろう。 「はやく下へ ! 」 キャッスルは怒鳴り、背後をかえり見た。そして、息を呑む。 すさ そうこ、つしゃ ふ おそ
123 嘘 か じよっゼっ 言葉を交わしながら、兵士たちはライトで照らされた長い梯子を見上げる。緊張が饒舌にさ せているのだろう。しかしふいに、沈然が訪れる。 誰が、はじめに昇るか。 大きな問題が、彼らの前につきだされる。 この上はもう、基地の中である。懲罰房の真下とはいえ、扉を開けた途端に敵とはち合わせ ることもありうるのだ。 さっち ゲヴァラは地下道の出入り口はまだ察知されてはいないだろう、と言っていたが、それは単 すいそく なる推測にすぎない。もし、気づかれていたらどうするのか。 らっ 輸送機がこの島の上空を通ったことは、レジスタンスたちも当然気がついているだろう。落 げん かさん もくげき 下傘が舞い降りるところも、目撃した者がいるかもしれない。となれば、基地内はいっそう厳 じゅうけいかい 重な警戒につつまれているにちがいない。 そんな所に、真っ先に飛び出すのは、危険きわまりない役割である。 ここにいるのはそろって豪胆で経験も積んでいる者ばかりだったが、それでもすぐに「俺が やさき 先に」と言い出す者はいない。しかたなくキャッスルが口を開こうとした矢先、 「じゃ、俺先行っていい ? 緊張感の欠けた声で言った者がいた。 全員の視線がそちらに集中する。背の高い少年兵 , ーーラファエルの元へ。 物こうたん
118 ろう。彼はこの作戦の指揮官として、後方ーーすなわち、輸送機の中に待機している。予定の 時間になれば、予定の地にキャッスルたちを迎えにやってくる。彼はいちおう、自分も実戦部 かしかん 隊として基地内に侵入すると申し出たのだが、キャッスルや他の下士官たちに丁寧に却下され たのだった。 「重いな。これは、中から押し上げるのは、かなりの力がいるぞ。戻ってきた時が大変だな」 くつきしま、つ 草と土が取り払われた金属の扉を、屈強な兵士が二人がかりでようやくもちあげる。ギギ さ やみ イ、という錆び付いた音とともにあらわれたのは、底の見えない暗黒の闇だった。脱出用にき ちんと梯子がとりつけられているが、ライトで照らしてみても、途中までしか見えない。それ ほどに、底が深いのだろう。 とたん 「入った途端にドカン、てなことはないでしようねい 「敵さんはまだこの道には気づいてないって、大尉は言ってたけど ? 「どうだか」 兵士たちは不安そうに顔を見合わせたが、ここまできて引き返すわけこよ、 冫をしかない。意を決 した様子で一人、また一人と穴の中に降りて行く。 キャッスルは腕時計に目を落とした。 二十三時十四分。クアラルンプールを発ってから、ほぼ一日がたとうとしている。今のとこ ろは順調だ。 っ しんにゆう た たしし ていねいきやっか