ディーノへと移動した。 くれないほうぎよく サフィア・レーナの御を飾る紅の宝玉の色が、目を閉じたディーノの脳裏にけた。 まどう あつら そうしんぐ サフィア・レーナにただひとつだけ残った、魔道の力を帯びた特別誂えの装身具、金の ほうせき とうとっ 飾環の中心に輝くそれが、決して宝石ではないと、唐突にディーノにわかった。 いつわ サフィア・レーナの中にいた、サフィア・レーナでないもの。非生物と偽って、サフィ ア・レーナの位置からすべてを見ていたものが、サフィア・レーナから『出た』。サフィ ア・レーナの額のは、奥を揺らめかせ、真紅から琥珀がか「た登に色を変えた。 ふる からだ かげろう ディーノはびくんと震え、身体を硬直させて大きく目を見開き、真紅の陽炎のなか、サ フィア・レーナから離れた。 そ ほおばらいろ 頬を薔薇色に染め、どきどきと高鳴る胸の前で手を握りあわせたサフィア・レーナは、足 な おもも 萎えて崩れるようにその場に座りこみながら、祈るような面持ちでディーノを見つめた。 ゆっくりと動いたディーノが、をそらし、魂を震撼させるような声で絶叫した。 おお 耳を覆いたくなる絶叫を、しかしサフィア・レーナは聞き、その姿から目をそらさなかっ 絶叫するディーノの身体が、まるで光のが集結したものであ「たかのように、消えてな くなった。 けつか、 くちびる サフィア・レーナは赤い結のなか、唇をひき結ぶ。 しよっかん ひた、
ゅう′」う らない。彼と融合しているもの、すべての生命を奪わねばならない。 「 : : : それしか、方法はないと思います : そうは′、 サフィア・レーナは蒼白になった顔をあげ、ディーノを見た。 「どちらかが滅びなければならないのなら、わたしは世界を救わなくてはいけません」 ロワールアール・フィージのカで、自然界の生命脈が破壊され、世界が破壊してしまえ ば、を守「てが残「たところで意味がない。世界に壊滅的打撃を与えるわけに はいかない。龍珠を預かる精龍姫は、それを託すべき精龍王に成り代わり、世界じゅうの自 然と生命を守らなければならないという使命がある。 せいれいもり しようちょう かわい いのち たとえそれが、精霊守にとっての未来を象徴する存在であった少年、可愛い甥の命を奪 うことであろうとも。 放っておけばアール・フィージに世界は破壊される。アール・フィージと戦って、サフィ ア・レーナが負ければ、サフィア・レーナの死によって神龍が解きたれて、世界は滅亡す いのちが 覇る。サフィア・レーナの勝敗によって、世界の運命は変わる。サフィア・レーナは、命懸け で、匙が非でも、勝たねばならない 華「わかった」 ディーノはサフィア・レーナに手を差し出した。 「行くぞー
くちびるか 憂えたロワールは、真正面からサフィア・レーナを見るに耐えず、軽く唇を噛むようにロ をつぐんで目を閉じた。 視線を落とし、少し既いた様子のロワールに、自らの行動に誤りを見いだして思いとど まってくれたものと、サフィア・レーナは安堵して薄く笑む。世界に存在するすべての生 命を守る立場にある守が、感情にまかせてを行ってはならない。サフィア・レー ナの知らないところで、ロワールとディーノに何かしら、不幸な行き違いのようなものが あったに違いない。そうでなければ、ロワ 1 ルがひとに刃を向けるなど、とてもサフィア・ レーナには考えられなかった。 よろい 思いきり振り下ろされた剣は、サフィア・レーナに確かに傷を負わせたものの、強固な鎧 が微塵にかれるという過程をみていたため、大事にってはいなかった。サフィア・レー ナは肩に浅く食いこんだ剣にそっと手をかける。 えんりよ ロワールに握られたままの剣は、白い華奢な手で遠慮がちに触れたサフィア・レーナのさ しりぞ さやかな力で、簡単に退けられた。ロワールは剣を握った腕を、ゆっくりと下ろし、サフィ ア・レーナから少し離れる。 しんかん サフィア・レーナが動しオ尸 、こ、この麗人を襲った事態を知り、驚愕してその様子を見 つめていた者たちの縛が解けた。 チ = ニア・リニーは舟の船縁を、手が白くなるほど強く攤んでいた力を抜き、腰を抜か きやしゃ れいじんおそ きようがく
至らしめる。そしてその死を間近で見ねばならない糒龍にもまた、は男たちの死に 接する辛さ悲しさを癒すことができるだけの、快感をもたらす。精龍姫はその身で男たちを しようがい 愛し、男たちは愛されて、死に送られる。互いに満たしあいながら、生涯ただ一度の逢う 瀬を経験する。 おも サフィア・レーナがどんなに相手を想っていても、その気持ちは龍珠には伝わらない。 うず ほろ 精龍姫はそのつもりさえあれば、世界じゅうを戦乱の渦に巻きこみ、男たちのすべてを滅 きようい じゅくち ばしてしまうことも不可能ではない、驚異の魅力を持つ。精龍姫の危険さを熟知した、心正 へいさりよういき しい者たちに育てられ、教えられてきたサフィア・レーナは、そのために閉鎖領域である ふくうじよう きび 浮空城を一歩も出ることがなかった。禁じられ、厳しく自己を律して自覚しながら、サ こうしやくけ かれんおとめ ふさ フィア・レーナはザイフリート公爵家の姫として相応しい、 気高く可憐な乙女として成長 せいじゅんむく こわくてき した。優しい性格そのままに、どこまでも清純で無垢だが、蠱惑的で淫靡なるものは、サ ひそ フィア・レーナの内に潜み、確かに存在した。男の感覚のすべてに訴えかけ、男たる欲望を みりよう がた ゆだ 刺激し、魅了してやまぬ、あらがい難いものは、ディーノに身を委ねたサフィア・レーナか ら、解放された。 あまかぐわ その温もりが、やわらかさ、しなやかさが、量感が、甘い芳しさが、可憐さが : くちびる フィア・レーナの放っ魅力の何もかもが、唇で触れたディーノから思考と理性を奪った。自 つら
かった。 せた身体を小刻みに震わせ、腕をついて起きあがろうとしたサフィア・レーナの前に、 なめ ロワール“アール・フィージは滑らかに空を蹴って降り立つ。 自分の前に落ちた影に、地面を見つめていたサフィア・レーナは、目を見開く。 かたひざ 腰をおとして片膝をついたロワール“アール・フィージは、左手を伸ばし、ぐいとサフィ ア・レ 1 ナの顎を持ちあげ、無理に顔をあげさせる。 はず するど ようしゃ くちびる 顔をあげられた弾みで、切り裂かれた腹部の傷口を、鋭い痛みが容赦なく襲った。唇から 漏れかけた悲鳴を、サフィア・レ 1 ナは歯を食いしばって耐える。 真正面からサフィア・レーナを見つめ、ロワールアール・フィージは、優しく微笑んで 尋ねた。 「わたしを殺すのではなかったのですか ? 」 まど 優しさゆえに惑わされ、すんでのところで刃を止めてしまったサフィア・レーナをあざけ り、ロワール。アール・フィージはを鳴らして笑う。 おとめ あの時、助けてくれと言うより、殺してくれと願うほうが、この心優しい乙女に対して効 果的であることを、アール・フィージは知っていた。ロワールはまだ、自分の手による、 ディーノとサフィア・レーナの死を望んでいる。殺したい者が、殺してくれとは、決して言 わない。サフィア・レーナの思い描く理想には、絶対に近づかない。 ゃいば おそ ままえ
ディーノの胸にすがり、顔を伏せたサフィア・レーナは、家を恋う少女のように泣いた。 サフィア・レーナが行きたいのは、城。黒魔道師バリル・キハノが現れるまえの、 せいりゅうおう クロシェの花園。精龍王、兄リカルドが生きていて、ダイアナが笑っていて、小さな少年 のロワールが小鳥とれながらお城の庭を走りまわっていた、あの日。世界滅亡が危惧さ れ、野ファラ・ ハンをしての世界救済伝説を知らないサフィア・レーナにとっては、 ほんの数日前の、あの幸せだった日に。 こうしやく 一人のただの乙女として、 亡くなったザイフリート公爵の妹でもなく、精龍姫でもなく、 誰にも不可能な我がままを言い、サフィア・レ 1 ナは泣いた。 身体にを預かる精龍姫、そして由緒正しき名門たる公爵家の姫君として、サフィ しゅうたい うやま ア・レーナを敬い、大切に扱ってくれる者たちの前では、とてもできない醜態だった。ど んな家に生まれようと、何を持っていようと、ただの女として見てくれるディーノの前だか みずか らこそ、泣けた。サフィア・レーナは、そうあらねばならないと自らを律し、強がるのに 覇すっかり疲れていた。 守られたいとすがりつき、小さく震えながら咽を漏らすサフィア・レーナを、苦しくな 華らないよう注意しながら、ディーノは広い胸にかく包みこむように抱きしめた。 サフィア・レーナが求めるのならばなんでも与えてやりたい、願いならばどんなことでも えてやりたいと望むディーノだが、サフィア・レーナの行きたい場所は、この巨大な飛竜
メリンダと言い争いを始めたヘイゼル・ヒンドに、興味をなくしたディーノは、再びサ フィア・レーナに視線を戻した。 あまりにひっそりとし、生きているのかさえも疑わしい、サフィア・レーナ。 「 : : : 終わりなんだな : ・ 横顔だけ向けて、静かな声でディーノは老ソール・ドーリーたちに尋ねた。 ひび 耳に染みこむような、太く、響きのいい声。 ささやくほども小さな声だったそれは、しかしどきりとするほど、よく邂った。 メリンダとヘイゼル・ヒンドの二人も、思わずいがみあいをやめて、同時にディーノのほ うに顔を向けた。 胸の中の苦いものをみくだすように = ーナ・クレイエフは目を閉じ、老ソール・ドー リーは小さくうなずく。 「終わりじゃ : 覇「そうか : な整った横顔に見える青い目を、ディーノはゆっくりと閉じた。伏せられた長いが、ひど 麗ゅうが 華く優雅で、はかないほどに繊細に見えた。 いろん 「途中で放りだすのは、お前たちの自由だ。もらうものさえもらえれば、俺に異論はない」 言って、ディーノはジューン・グレイスの前に腰をおとすと、その腕からそっとサフィ せんさい
ちだ えんりゅうやいばつらぬ 見覚えのある炎竜の刃に貫かれたまま、血溜まりの中に倒れ伏すサフィア・レーナの姿 に、ディーノは目をいた ディーノより一歩先んじ、サフィア・レーナを地に縫い止めた剣を引き抜こうと、に手 しようきおそ をかけたジューン・グレイスは、真っ黒な瘴気に襲われ、思わず悲鳴をあげる。 「退けー ごきあらどな 語気荒く怒鳴ったディーノがジューン・グレイスを押し退け、地面に深々と突き刺さった 剣を引き抜いた。倒れたままのサフィア・レーナは、びくりとも動かなかった。 「サフィア・レーナ : 「巒らないでリ しんらっくちょう 有無を言わせぬ辛辣な口調で、炎竜の剣を捨てたディーノを、ジューン・グレイスはサ ごういん フィア・レーナのそばから引き離し、その前に強引に割りこんだ。 くろかみ サフィア・レーナの黒髪の先が、かすかに茶色みを帯びていた。 ささ 覇刺激を与えないように魔道力で支えながら、そっと抱き起こしたサフィア・レーナの顔 は、紙のように白く、まったく血の気を欠いていた。全身、氷のように冷えきっている。衣 華服の内の胸は鼓動しているのかどうかわからず、の震える気配さえない。 さつらぬ 切り裂かれた腹部の傷、刺し貫かれていた傷に、癒しの魔道を与えながら、ジューン・グ くちびるか レイスは唇を噛む。黒魔道が、血と一緒に生命力までも、流出させていた。流れた血は癒し
134 空を蹴ったロワール日アール・フィージは、サフィア・レーナに向かって飛ぶ。 ぎようしゆく まどうりよく びぼう 凝縮させた魔道力を、光り輝くレピアに変えて握ったサフィア・レーナは、冴えた美貌 にら で、接近するロワール日アール・フィージを睨む。 かわい 「可愛いサフィア・レーナ。わたしを殺すのですか ? 一気に近くに寄って、ロワール日アール・フィージは今にも愛撫するかのように、サフィ ア・レーナの顔に手をのばし、落ち着いた声で優しく問いかけた。ロワールであるその顔と しゃべ 声は、サフィア・レーナの大好きだった兄、リカルドと酷似したもの。そして喋り方さえも みに真似られた言葉は、リカルドその人の口から発せられた言葉と錯しても、不思議は ない鏘きを帯びている。 まうぎよけつか、 舞いあがった海水が、激しい雨となって降り注ぐ。方御結に守られたディーノたち三人 えんりゅうよろ、 は濡れず、燃えあがる炎竜のをまとうロワール。アール・フィージは、濡れるよりも先 じようはっ に水のほうが蒸発してしまう。 しやまく 白くしぶきあげる雨を、蒸気に変えた紗幕の向こうの顔に、ぎりつとサフィア・レーナは りゅうび 柳眉を吊りあげた。 けが 兄リカルドと、その子、ロワールを、これ以上汚され、辱められたくはない。 「殺します ! 」 さけ 凜とした声で叫びながらサフィア・レーナは、こっそりと鞘から引き抜かれ、今まさに自 りん はずかし さや
「そんなこと、言わないでくださいー どごう どな 怒号のように怒鳴ったディーノに、ジューン・グレイスが叫んだ。 きじん まゆっ 激しい響りに眉を吊りあげ、鬼神の顔で振り返ったディーノを、涙で目をいつばいに潤ま にら せたジューン・グレイスが、これ以上ないほどに睨みつけた。・ ジューン・グレイスの腕の中、かすかに呼吸しながら、静かに目を閉じて横たわるサフィ ア・レーナの姿を目にとめ、ディーノはぐっと息をつめる。 世界を守りたい。そう言ったのは、サフィア・レーナ。。剱まで懸けて行ったこと。辛い思 むご いをしながら、惨い目にあいながら。 コ = ロわないでください : 、お願いします。まだ、終わってません : しんりゅう あきら サフィア・レーナはまだ、諦めてはいない。完全に諦めていないから、神龍への変化を 意思のカで食い止めたのだ。サフィア・レーナの心が弱ければ、に心を喰われてし まっている。死を待たずして、神龍になる。 けんめい 覇この姿を保つこと、それだけでも、今の状態のサフィア・レーナがどんなに懸命であるの まどうりよく からだ なか、ジューン・グレイスにはわかる。だからこそ、自分の身体そのものまでをも魔道力に 華変撕して、サフィア・レーナが変化しないように、時をとどめる印の術を施そうと言えた のだ。 だがニーナ・クレイエフの言うとおり、滅びる世界に、眠れる乙女が一人残され 巧たところで、なんの解決にもならない。 うる