いとな できて当たり前と言われるその営みに、耐えられない身体の持ち主は確かにいて。 透は、母親の顔を写真でしか知らない。母が周囲の反対を押し切って出産を選んだことを知 ったのは、四歳の時だった。 川野亮子の身体は、母体を守るために胎児を排除しようとしている。けれど彼女自身は、そ れを拒み続けていた。 何度も流産をして、それでも子供が欲しいと願って、祈って。 自然の、本能の意思にさえ逆らう。 「透さん」 ばん、と声が割り込んで、思考を断ち切られる。 じゅふ 「大丈夫 ? ちょっと顔色悪いよ。慣れない咒符作って、しんどくなった ? 手のひらがすっと、頬に触れてきた。ひやりとした感覚に、目が覚めたみたいに透は我にか える。 「あ : ・・ : ううん。そうかも」 のぞ 覗きこんでくる真悟の、笑みを映した生意気そうな、けれどちょっとだけ心配そうなまなざ しに、あわてて笑顔を作った。 「星守りの咒符はともかく、安産の護符は初めてだから。念の込め方が、難しくて」 おはらいや 「御祓屋は神社と違って除霊の専門家だもんねえ。透さんが安産祈願の咒言を文様に組めるつ ほお われ
護符持ってきたんだ。どう、順調 ? 」 真吾は透が『川村さんって誰 ? 』とあっけにとられている横で、にこやかにドアを開きばた ばたっと中に入っていった。 「へえ、そう。すごいのね真悟くん」 軽やかな明るい声が、白い個室に響く。えーそれほどでもーと、もっと明るい声が答えた。 おはらいや 「わたし、御祓屋さんがこんなに若いなんて、初めて知ったわ。安産祈願の術まで引き受ける なんてのも」 「ふつーはやんないんだけどね。うちは : : : って一一一一口うか、その人は特別だったんだ。最初は除 れいしよう 霊を頼まれて、そのときにはもう妊娠しててさ。流産しやすい体質、っての ? それに霊瘴が からだ 重なってて、霊を祓うとどうしても身体に負担がかかるから、流産の可能性が高いって言われ とおる て。しゃあ、できるんだから両方やろうって透さんが。除霊の術して、安産祈願の術やって。 ついでに安産祈願の護符を渡したんだよ」 ぎわいす かわのりようこ 川野亮子のべッド際の椅子にちょこんと座って、真悟はすらすらと話していく。 っそんなことがあった、お前。安産祈願の術って、なにそれ。 ごふ しんご きがん
べッドのそばに戻ってきた真悟は、同じく作業を終えて椅子を手に来る透に、ね、と同意を 求める。 「あ : : : ええ。もし川野さんが、よろしければ。うちの安産祈願でかまわなければ」 「まあ、だったらぜひお願いしたいわ。もちろん料金はお支払いして」 「と、とんでもないつ。そんな」 「お詫びって一一一一口うなら、もう充分すぎるくらいよ。わたしはむしろ、その川村良子さんて方に 感謝したい気分」 亮子は目を細めて、透にほほ笑みかけた。 「もうって、透さんまだ肝心な護符渡してないしゃん。安産祈願の . 真悟は透の手の中にある護符を、指で示す。 「あっ、そ : : : そうだった」 「今日の透さん、いつにもましてポケに磨きがかかってるね。やつばしよっぱなに人違いした プ ッってのが効いてる ? 」 テ 「ごめん : : : 」 ン 透の右手から、彼はくすくす笑って護符を抜き取り亮子に手渡した。 カ セ 「まい。 これが安産祈願の護符。できれば肌身離さず持ってもらえると一番いいんで、小さい 袋にでも折りたたんで入れて、ぶら下げるとかしてください」
川野亮子の名をあげた婦長は、そう彼らに説明を加えた。食事の時間の後、一一人は産婦人科 の看護婦に川野亮子の病室に案内してもらい、護符を渡すことになっている。面会は午後八時 までなので、あまりのんびりとはしていられなかった。 「透さん。どうするのか、決めてる ? 筆。ヘンのふたをとじた透に、真悟は首をかしげて尋ねた。 「安産祈願のお守りを渡すよ。個室だそうだから、四方の壁に貼ってもらう星守りと魔除けの 護符も用意した」 「その後は ? 」 重なる問いに、 透は三秒ほどおいてからため息混しりに答える。 今はわからない」 「だよねえ」 真悟が両手を頭の後ろで組んで呟くのに、返事をせず彼はじっと、自身の書いた護符を見つ プ めた。 じゅふ 無事に子供が生まれてくるようにと、祈りを込めた咒符。初めて作った。 はぐく ン 妊娠は、女性が異物を身の内に宿し、次代の命のために自身の肉体を変化させて育むものだ カ セ という。胎児は母親から生命を与えられて成長し、母親は、男性には絶対に耐えられないであ ろうと言われる痛みを経て子を産むのだ。 ごふ
溶けるようにまなざしが和らぎ、する、と彼女は透へと手を伸ばした。触れる、少し冷たい 指先に。透は思わず身をこわ張らせる。 「あ、あの : ・ 「ああ、ごめんなさいいきなり。びつくりさせたわね」 真っ赤になった透を見て、亮子はそっと手を戻した。苦笑気味にほほ笑んで、彼女はもフ一 度ごめんなさいをくり返す。 「わたしのね、最初の子供が、もし産まれていたら透くんと同い年になるの。年を聞いたら、 なんだかすごく、こう・ : ・ : したくなって。 ) 」めんなさい本当に」 ふしめ 「十九歳と十七歳だと、どっちも来年が節目の年になるのかしら。ご両親もさぞかし楽しみに していらっしやるでしよ、フね」 うっとりと見上げる彼女に透は返事に困って口ごもり、思わす真悟を見やる。真悟もどうし プ ようといった表情で、髪をくしやっとひっかいた。 以「どうかして ? 」 ン 「え、なんでもないです。あのつ、護符を、壁に貼らさせていただいてよろしいでしようか。 カ セ これらはは安産祈願とは違うものですが、病室内に悪い気を入り込ませないようにする魔除け と、星の守護を祈願する星守りで。この部屋全体を、川野さんを守る空間にする護符になりま
あせ なんとかごまかそうとして、透は焦ってまくし立てる。ジャケットのポケットから護符の束 を取りだして、亮子に示した。 「これ、です。壁の四方とドアと窓に、貼る形になります。なにぶん : : : 目立つので、もしお 嫌でしたら、やめておきます」 「効用はすごいんだよ。多分、これ貼り終わったら空気が変わったような気になるって思う」 真悟が横からロをだしてくる。亮子は興味深そうに護符を眺め、お願いして ) しい ? ・と透に 一一一一口った。 「はい。それでは、椅子をお借りします」 ゆる 透はほっと表情を緩めて立ち上がり、真悟に魔除けを貼る位置を示してから、星守りの護符 」貼り・にかかる 「お見舞いにきた人はきっとびつくりすると思うから、説明して。透さんが天井の方に貼って るのが星の守護を祈願するヤツ、で、今俺がやってるのが〃悪いもの〃を入らせない魔除け」 背伸びをして窓の上に護符を貼り付けながら、真吾は説明をした。 「わかったわ。ありがとう一一人とも。何だか本当に、空気が軽くなったみたいな気がする」 「もしよかったら、安産祈願の術もやろうか ? 今日は道具がなくて無理だけど、明日以降な ら、一言いってくれれば用意してくるよ。俺、明日退院だから、いつでもオッケー」
「何か俺、力いつばい信用ないみたいー 「『みたい』しゃなくて、『ない』んだよ」 がさがさと袋の中身を取りだす真悟に、透はそれまでよりも厳しい表情で確認する。 「除祓、できる ? もし少しでも不安があるなら、篠塚先生に連絡する。今日は香を使えない 分、術士に負担がかかることになるけど、最後までできるか ? やれるんなら任せる。川野さ んはおれたちが〃安産祈願の術〃をすると思っておられるから、できればおれたちでやりた 「大丈夫。できるよ」 真悟はやつばこれかあという顔になって、カッターシャツの袖を通しネクタイを首にかけ 「終わってから倒れるのは、なしだから」 念を押す透に、面倒そうにネクタイを締めた彼はもう一度大丈夫とくり返す。 「俺もさ、一つ頼んでおきたいんだけどね。俺が透さんにあの子憑けるのはいいんだけど、ひ かんべん つくり返るまで生気を渡すってのは勘弁して」 鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔に、透はなった。 「なんで : ・ 「いかにも透さんらしいでしょ ? ずるいよなー、俺のことばっか怒ってさー」
たいじ 「胎児卩」 自分自身の発した声にびつくりして、真悟は両手でロをふさいだ。べッドに腰かけた彼の向 じゅごん たんざく かい側、椅子に座った透は短冊状に切った紙に細く筆ペンで咒一言を刻んでいる。脇のチェスト の上には、すでに八枚の護符が仕上げてあった。 あ・ 0 んきがん 魔除けと、星守り。今書いているのは安産祈願だ。 プ なか 「胎児って、やつばあれ ? お腹ん中にいる赤ん坊のこと ? テ のぞ ス べッドから下ろした足をぶらぶらさせて、真悟は透の手元を覗き込む。星の形と咒言とを図 もんよう しる しきか ン 式化して複雑に組み合わせた文様が、白い紙の上にすらすらと記されて、護符を形作ってい カ 「母親の十代の頃の姿を映してるんだ、あれは。ものすごく強い念だった。〃生まれたい ! 〃 ばん、声が届いた。透は弾かれたみたいにふり返る。 「なにが「どうして』 ? 動けないくらい驚いたなんて、なに視たの ? ストライプのパジャマの上に、袖を通さすにカーディガンを引っかけて。騒動の様子を見に きたらしい真悟がそこにいた。 はじ わき
真悟の隣に身を硬くして座った透は、心の中で三回目のツッコミを入れた。真悟の話の中で りんげつ かわむらりようこ は彼らは、元依頼人の〃川村良子〃が臨月を迎えて入院したと聞いて、安産祈願の御守りを渡 すためにここにきたことになっている。確認もせずに中に入ったことを一一人は平謝りに謝り、 川野亮子が逆に、同名の〃産婦人科病院〃が他にあるんじゃないかしらと、フォローをしてく れた。 真悟はそうかも、と明るく言った後、用意してきた護符をもらってくれないかと切りだし 「川村さんとこに行けるのって、俺が退院した後になるんで。そのときもう一回作ればいい、 ら。もし川野さんがいやしゃなかったら。迷惑しゃなければ受け取って下さい。そうしたら、 うれ 俺たちも護符も嬉しい」 たかはら 亮子は真悟に喜んでと答え、一一人に椅子を勧めた。その間およそ七分。真悟は透を『高原 し & 」 とおる 透』、自分を『真悟』とだけ名乗り、ちゃっかりと椅子に座って話しだしたのだった。 プ しゃべ 透ははきはきと喋り続ける真悟を横目に、亮子を見直した。 テ 枕を背もたれにして、点滴を受けている。今は真悟と話しているせいか少し頬に赤みが差し ン ているが、顔色は決していいとは言えない。上掛けからでたむき出しの腕は細く、血管が浮き カ セ だしていた。髪は短く整えられ、おっとりとした笑みを刻んだ面には少女にあった激しい攻撃 性は見られない。その一方でまなざしの強さや面差しは、確かにあの少女のイメージが重なっ おもざ おもて ほお
長くても三十分くらいにお願いできますか ? 「まい。 護符をお渡しするあいだに視るだけですので、それほど時間はかかりません」 「あまり興奮させないように。何かありましたら、ナースコールを押して下さい。あと、帰る 前には一度、ナースステーションの方へいらしてください」 えしやく わかりましたと言って、透は真弓に頭を下げる。真弓は会釈を返して、戻っていった。さあ て、と、真悟が両手を組んで軽く伸びをした。 じゃま 「ちょっとお邪魔してこよっか。透さん、俺にあわせてね」 「う : ・・・・うん。でも本当に、大丈夫 ? よそお 「なに今さら。変に構えさせるのはよくないから偶然を装うっての決めたの、透さんしゃん」 不安げに声をひそめる透に、真悟はいたって明るく答える。 「お前がオッケー任せてって、言うから」 、って」 「じゃ、任せて。透さんがちゃんと合わせてくれれば、うまくしく たた プ ばんばん、と子供にするみたいに肩を叩いて、真悟はドアの方に向き直った。軽く一一度、ノ テ スックをす・る。 ン 「はい、どうぞ」 カ こた セ 細い、静かな声がノックに応え。 かわむら 「こんちは川村さんつ、俺のこと覚えてる ? こっち入院したって透さんに聞いたんで、安産