篇 弟 兄 そらにい 校「宇宙兄、食べ過ぎだよ。ねえ、そんなにムチャ食いしたら、おなかこわすよ ? 」 男カウンターの隣に座っている弟が、兄を心配して声をかける。 寮だが、兄のほうはまるで聞き入れす、そのままカラになったラーメンのどんぶりを持ちあげ て、カウンターの向こうに叫んだ。 ぎようざ 「おかわり ! 餃子も追加 ! 」 かっぽうぎおお 白い割烹着で覆われた体は、華奢でほっそりとして若々しく、言われなければ一一児の母とは わからない。 自分を見つめてくる黒い目は、なんの感情も表していないかのように映る。 彼女はそうしてしばらくのあいだ、ばんやりと自分の上の息子を見つめていたが、やがて、 ごくふつ、つの声で、ごくあたりまえのよ、フに言った。 そっちのハンサムな彼も一緒にどう ? 「久しぶりね、字宙。あんたもラーメン食べてく 、フちのラーメンはおいしいよ ? 3 ) ほんどうに愛するこど きやしゃ
「聞く必要なんかないね ! 学校までサポッてなにやってんだ、おまえ ! そんなガキと駆け 落ちでもした気になってんじゃないだろ、つなー 「そうだよー 力アッと頭に血が上った。 字宙が自分のことではなく、隣に座っている翔太のことまで悪く言ったからだ。 しようた しようた 「僕は翔太くんと駆け落ちしてきたんだ ! 翔太くんのことをガキなんて一一 = ロうな ! 僕は今だ そらにい しようた って字宙兄のことは大好きだけど、でも翔太くんを侮辱するのは許さないから ! 「ヾッ : ・、バッカじゃねえの ! なに血迷ってんだよー そらにい 「血迷ってるのは宇宙兄だろー いきなり飛び込んできてそんな態度を取るなんて ! 篇「ちょっとオ 倪そのとき、カウンターの中から女性の声がのんびりと響いてきた。 「店ん中で怒鳴り合うの、やめてくれる ? 他のお客さんに迷惑しゃない」 物 子 男 ハッと顔を上げた宇宙が、カウンターの中の女性の顔を見つめて息をのんだ。 たつや 寮びゅうっと竜哉がロ笛を吹く 無理もなかった。今さら紹介する必要もない。 0 しようた ぶじよく
232 「いやっ、ほら、血イつながってねーから、ケッコンできるよなー、とかー」 こうが プホッ、と思わず咳きこむ恒河である。 こうが しようた そもそも奇抜な発想は翔太の持ち味だったが、さすがにこれには巨河もブッ飛びそうになっ 「けつ、けっこん【 今度は翔太のほうがポカンとする。 「しねーの ? 「し、しねーのって : ・ 「だってオレら、愛し合ってんじゃねーの ? フツー、愛し合ったらケッコンすんだろッ ? なあ ! おかん ! そーだよな ! 」 「はあ ? この忙しいのに何わけわかんないこと言ってんの ! それより早く食べちゃいなー 手が足りないんなら手伝うって言ったのはあんたらだよっー カウンターの奧から活きのいい女性の声が返ってくる。 こ、つカ うーん、とうならずにいられない巨河だった。 そらにい ひと ( 宇宙兄、この女性見たら、びつくりするだろうなー ないなあ ) しようた 0 ってい、つか、ショック受けるかもしれ
こうがしようた わくい 巨河と翔太は今、和久井ラーメン店のカウンターに並んで、翔太の父親が作ったラーメンを 食べている。 いかにもチェーン店という店構えではなく、木のぬくもりも感しられる品のいい和風のデザ ふう インで居酒屋風に仕立ててあり、どこに座っても居心地のいい店だ。 こ、つが 篇巨河はすっかりそこが気に入ってしまい、一一人でこの店を訪れるのも、今日でもう三日目に 倪なろ、フとしていた。 「まったく、信しられないよなあ」 こうが 校ラーメンを箸にはさんだまま、巨河がホウと溜め息をつく。 しようた 男 こうして翔太とこの店に来て以来、もう何度も口にしてきた言葉だったが、今日もまた同し 寮せりふを吐かすにいられなかった。 「まさかお母さんがすっかりチェロをやめて、ラーメン屋のおかみさんになってるなんて」 ( 2 ) 再会 しようた
238 そらにい 「字宙兄 ! 」 ほとんど意地になって食べている兄を、弟はそれ以上どうやって止めたらいいのかわからな たつや たつや 兄の向こう側に座っている竜哉にヘルプのサインを送ってみても、竜哉は知らん顔で、ただ 食べ続ける宇宙を見守っているだけだ。 「おまえのにーちゃんすげえなあ。ほっせー体してんのに、あんだけのラーメン、どこに入っ てんだろうな ? しようた 翔太が隣からひそっとささやいてくる。 こ、つ + はをかかえてしまった。 そら 結局、閉店時間まで字宙たちは店にいた。さすがに限界に達した字宙は、どんぶりの中に残 ったラーメンをにらんだまま、いっこ、つにカウンターから立ち上がろ、つとしなかったし、兄の 」、つ 2 ことはあきらめた恒河は、翔太と一緒に店の手伝いにいそしんだ。 あ たつや 竜哉はすっと宇宙のそばにいたのだが、べつだん飽きたふうもなく、時折宇宙に話しかけて まぎ は宇宙の気を紛らわせて、ゆったりと自然に過ごしている。 しようた
244 母親の瞳は過去をたぐり寄せる。彼女は言った。 「産みたくて産みたくて産んだんだもん。ホント、すっと一緒に暮らしたかったなあ」 「じゃあ、なんで出てったりしたんだよ卩 いきなり字宙が叫ぶ。 「どうして父さんもオレたちも捨てて、他の男のところに駆け込んだりできたんだよ ! どう して : たつや あまりに悲痛な字宙の声に、思わすそれ以上興奮しないように押しとどめようとして、竜哉 ま、ツとした。 たつや 宇宙の手が、かたわらの竜哉のシャツの裾を握りしめている。 たつや 竜哉は黙って宇宙の横顔を見つめた。 こうが 同しように、カウンターの前に立っていた直河もまた、兄の姿をじっと見つめている。 激しい動揺に唇をふるわせる様子を見ると、今にも倒れるのではと危風せすにいられない。 だが、兄の隣に寄り添うようにして立つ人の姿を目にすると、その心配も無用だという気が した。 「きみらのお母さんは浮気とかしとらんで」 わくいこうた ラーメン屋の店長、和久井幸太がふたたびやんわりと口をはさんでくる。 そ
234 自動扉ではない。そうした気づかいも、この和久井ラーメン店のレトロな持ち味と言えた。 こうが 「直河 こうが 恒河の手がびたりと止まる。 振り向くのが恐ろしいような怒りに満ちた声だった。 そらにい 「そ、宇宙兄 : う おそるおそる背後を振り返る。 しゅろ 入り口近くに置いてある棕櫚の木の前に、二人の少年が立っていた。 たつや 宇宙と竜哉だ。 こうが たつや 竜哉がここまで宇宙を連れて来たのだろう。そうして欲しいと頼んだのは直河だ。 こうカ だが本当にそれがよかったのか、今となっては直河も自信が持てなかった。 こんなふうに激しい目を自分に向けてくる兄は初めてだったのだ。 こうが 「来い、巨河 ! 帰るぞ ! 」 こうが つかっかとカウンターまでやってきて、字宙はガッと乱暴に恒河の腕をつかむ。 そらにい 「宇宙兄ー 「今なら何もなかったことにしてやる。オレと兄弟の縁を切られたくなかったら、今すぐオレ と一緒にここから出るんだー そらにい いくら宇宙兄でも横暴すぎる ! 僕の話を聞いてよ ! 「ま、待ってよ ! そんなの、 えん
たつや こうが そんな竜哉の様子を目にした巨河は、むしろ感動してしまっていた。 そらにい ( 宇宙兄の都合に付き合わされてるだけなのに、文句ひとっ言わないでずっと一緒にいるなん くにえだ て。やつばり国枝先輩ってえらいなあ ) そうして時間ばかりが過ぎてゆき、閉店時間を迎えてしまった頃。 宇宙はようやくカウンターから立ち上がり、それまで顔を見ることもしないでいた母親に、 まっすぐに向き合った。 そら まりか 母・茉莉花もまた、店内に他の客が残っていないのを確認すると、宇宙の視線をしつかりと 受けとめて向き合う。 先にロ火を切ったのは、茉莉花のほうだった。 篇「よく食べてくれたね。小さい頃のおまえは、私の作ったものなんてぜったいに食べなかった 語 校「覚えてないの ? そう。無理もないね。ずいぶん昔の話だもの。あの頃の私は、演奏会や音 男楽家どうしの付き合いに忙しくて、めったに家には戻らなかった。おまえたちのことはぜんぶ 寮専属のコックさんやお手伝いさんに任せつばなしだったからね。私は料理も下手で、子どもの しようた しようた 好物なんか知りもしなかった。再婚してからは、一翔太に合わせていろいろ勉強したよ。翔太は アレルギーが多かったから。どうしても手作りの料理にしなくちゃいけなかったんだよ」
230 こうが しようた 翔太のほうは食べるのに夢中だが、巨河の話を聞いていないわけではない。 なが こうが むしろ直河がしゃべるのを眺めてうっとりとしている。 しようた 翔太はもぐもぐラーメンを胃に流しこむと、ようやく口を開いて言った。 「オレだってビックリだぜ。おかんがチェロ弾いてるとこなんて見たことなかったからさー」 きりゅうまりか 桐生茉莉花だった頃には、世界的な名チェリストとして常に演奏会に追われ、家に戻ること も少なかった母親だ こ、つが 巨河にとっては記憶すら定かでない母親だった。 だがこうしてカウンターの向こうでせかせかと働いている母親の姿を見ていると、たしかに チェリストだったことなどあるのだろうかと疑ってしまいそうになる。 しようた 翔太はスープをすすりながら、さらに言った。 「今はさ、もうあんなにがんばって働かなくても、他のチェーン店からの収入もあるんだし、 ーって言ったんだけどな。親父 せつかくでけー家たてたんだから、うちでゆっくりしてりやい もおかんも貧乏性なんだよな。ってゴメン」 しようた こら′が 恒河にとっても母親である人なのだと思い出した翔太が、あわてて言いつくろう。 こうが だが巨河は首を横に振って言った。 「幸せそうだよね。こういうのってきっと、まさに幸せって感しだよね。お母さんにはこっち のほうが合ってたんだなあって思うよ
「そ」 宇宙がやっとのことで咽から絞り出したような声を出す。 「それで家から出てったの ? 」 「そうだよ。おまえたちが嫌いだったから出ていったんしゃない。むしろその逆だよ。正直、 つら おまえたちに会えないのがあんなに辛いなんて思わなかった。これは悪い夢で、いっか覚めて あの人が私を迎えに来るんだって、毎日毎晩、都合のいいことばっかり考えて」 こうが そのとき、気丈そうに見えた母親の唇がわなわなとふるえるのを、宇宙も巨河もはっきりと = = 恥めた。 ひと この女性はうそを言っていない。 ひと 篇自分たちが傷ついたと思って生きてきた日々に、この女性も傷つきながら生きていた。 倪「でもそう思うたび、自分に言い聞かせたよ。私は自分の子どもを育てることもできなかった だ。だったら一一度とおまえたちに会って混乱させちゃいけない。おまえたちのこと ダメな母親 校を一番だいしに想ってるあの人に任せなきやって」 男そうして茉莉花の話が終わると、その場はしんと静まり返り、しばらくは誰も口を聞こうと 寮しなかった。 こうがしようた たつや 全 恒河は翔太の手を握ったまま立ち尽くし、宇宙は竜哉のシャツの裾をつかんだまま離そうと しなくて、店長は妻の手を握ってやりたそうだったが、カウンターを握ってがまんしていた。 のど