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検索対象: シナリオ 2016年1月号
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1. シナリオ 2016年1月号

んとなく浅春を超えたる感じなり。風も肌に暖かし。六大学、 東大 0 早大 1 仕事、晝「間宮の会社」をあげ、夜「とんかっ屋」を書き終る。 デパライ〔註 4 〕 出揃ひの落葉松の苗植えは一人二百本見当で、二百人ぐら い出る由。 四月二十五日 ( 月 ) 雨 昨夜、星を雲間に望みしも今日は雨。風をまじえて降るも、 気温は十度。縣内の桜だよりここ数日盛んなりしも、これで 終りか。湯川は今が眞っ盛りなりというも、高原はまだ花の 気配なし。この二三日、下の部屋の左下にサンシュウ〔山ぐ み〕らしき黄いろの小花の咲く木を発見。秋になると黄葉す る灌木か。富沢さんより来信「今年は牡丹が大きく咲きまし 〔註 5 〕 た」とあり。久緒のところ、英子さん胃潰瘍で手術するとか、 百合子より知らせあり、静子見舞金を送る 余、朝から、なんとなく気持すぐれず、朝食も餠を二つに し、夜も酒をひかえてドライカレーを軽く一ばいにしておく。 この日から中央線に「急行」運行。 徳郎さん、先日の祝儀の礼にくる。出席を促がされるも遠 慮する。 仕事、晝夜で「アパート」を上げる。十時半就床 〔 * 中央本線「白馬号、アルプス号時刻表」、「記念急行・準 急行券 , の貼付あり〕 四月一一十六日 ( 火 ) 好晴 〔ュ〕 今年第一のうららかさ、まことに文字どおりの春暖なり 〔註 6 〕 富沢さんより来信、先日ののテレビの話は「わがふるさ と、わが母校」の件にて、実際には宮田重雄氏と伊藤次郎左 衛門氏が出た由 川軒の敦子君、午後頭を刈りに来てくれる。約二十五六 日ぶりのことで、刈ったあと、まことに気持よし。先日母親 が映画「千姫ーを見に出かけ「うんと泣いてくるで」と云っ て出たものの、場内泣く声なく、困っていたら、すぐうしろ の人が泣きだしたので、ここぞとばかり泣いて来たという話。 市場に来たばかりという新鮮なサバを持って来てくれる。敦 子君を送ってアイスの道を廻り、見送って、萬葉堂に寄る。 清君以下十人くらいが働き、もう屋根の形が出来、柱などを 黒く塗っている。屋根の勾配、建物の形などもよく、帯川大 工は裏に製材小屋を建てゝ盛んに機械鋸をやっている。店内 は埃が落ち、賣物にビニールをかけている。天井板がべニヤ のため、清君など二人ばかり、踏み抜いて落ちた由。 夕食、サバの味噌煮、なか / よろし。仕事「ハイキング」 「ヒュッテ」を上げる。今日は晝間休み、夜三時間近く勉強 十一時半就床、そのころ、時雨のような雨一過、しかし気温 は十六度、暑いくらいなり。萬葉堂は休憩所の許可、長谷川 などは山小屋営業の由 四月二十八日 ( 木 ) 雨 玲子持参のカマスを塩焼にして朝食にくふ。うまし。 雨の小やみの間に、静子と玲子、地所を見に出かけてゆく。 〔註 7 〕 132 ー・

2. シナリオ 2016年1月号

多少の妥協はあったとしてもね。だから僕に 思ってたんですよね。カメラって誰がなにを見水谷さんが寄付したってものがあったんですよ、 とってシナリオとい、つのはそ、つい、つことで、そ てる映像なのかって。この二人でやってる芝居水谷さんはフランスで映画を撮りたくて、結構 こが決まったら、いよいよセリフの一つ一つを を誰がこのカメラでって ? いたんですよね。撮る寸前までになったらしい 内田 じっくりと読みますね。するとやつばり色々思 そ、ついえばそうですね。 ですけど、短編の脚本をものすごく書いている うんですよね。ああこいっこうか、お母ちゃん 小澤 小津安一一郎みたいにピターツといつもなんです。絵コンテもあって。シネマテーク・フ こうかとかね。最初は分からないですよね、空んか畳の目みたいなことでやっていれば、家の ランセーズに寄付しているのがあることは知っ 間のことばかり考えているから。 中の定点みたいなことで、それはそれで分かる てたんですが、そしたらフィルムセンターの岡 内田 シナリオに書いてないことが膨らんだり、気はしてたんですけど、よく分かんなくて。で 田 ( 秀則 ) さんがフランスと連絡をとってくれ 勝手に解釈したりしますよね。ロケでたまたま も、今、僕が思ってるのは脚本の目じゃないかて。フランスは番号を振って整理してあるんで 見た場所があって、この芝居は部屋の中だけど、 なって。じゃあ、脚本の目ってなんだって言すよ。でも作品の一部分なんですよね。で、こっ あそこを歩いた方がいいんじゃないかって出てわれたら、うまく答えられないけど、だけど脚ちとやり取りしませんかと申し入れたら、ぜひ 来ちゃ、つこともあるよね。 本の見た目って結局は空気なんですよ、ひるが したいと。向こうのデジタルデータが送られて 岩城 勝手に裏設定を作って、キャラクターが ングして、 えって一言えば。シナリオ協会の人だから言ってきて、それをウチのほうでナンバリ 動いたりしてますよね。 るんじゃなくて ( 笑 ) 。そう言わないと四十年それで合体したりとかやっています。 小澤お母さんが買い物に行くにしても、決め以上もやってきて、なんか僕の中では説明がっ それから、やっと松山崇さんのが終わりまし っていうん た家の近所の商店街に行けばいい かないんですよ。なんかそれだと自分が納得で て。ものすごい量で、すべてが完全に揃ってる じゃないんですよ。やつばりそのトーン、その きる気がするんですよね。自分が空気を理解でわけじゃないんですが、『七人の侍』 ( 一九五四 家がどんな街の中にあって、このお母さんとか きた時にカメラマンにも監督にも口がきけると / 脚本黒澤明橋本忍小国英雄 / 監督黒澤明 ) の お婆さんが通った商店街ってどんな商店街だっ いうか話ができる。ということは自分が脚本を図面は全部やりました。いままで誰も見てない て考えて、やつばり飛ばさなきゃいけない、千理解したというか自分の体内に入れたっていう と思いますよ。あとは戦後とか戦前の映画のロ 葉まで行かないにせよ、飛ばして商店街を選択ことだと思うんで。多分僕らの目じゃないんで ケハン写真が山のようにあるんですが、そのロ するとか。でもスケジュール合わせで、時間がすよ。そんな感じがします。 ケハン写真が僕らにとっては一番大事なんです。 ないんで色々妥協しつつっていうこともあるん 水谷さんのロケハン写真は全部スキャンしてあ だけれども、南海ちゃんが言った全体のトーン美術協会のこれから ります。それから松山崇さんのも、全部スキャ ということは、全体の街の空気とか、そ、ついうーーー最後に協会のことについて、も、つ少し。 ンしよ、つよって、スクラップはほばみんなやり ことなんでそれを整えるのがやつばり仕事なん 小澤 四年がかりで、フィルムセンターに寄付 ました。特定できる場所は可能な限りして、松 ですよね。それは僕はやつばりシナリオが裏か されていた水谷浩さんの全資料、下絵も入れて山だとか京都だとか。これは貴重な資料になる らっているとい、つ感じがしますね。で、も、つ 三、四千枚、全部整理して、デジタルデータに と思います。例えば戦後すぐの渋谷のガード脇 一つ、カメラの目ってなんだろうってすっと スキャンして、もう終わるって頃にフランスに だとか、どこ探してもそんなものないですから

3. シナリオ 2016年1月号

内田昔は撮影所で三本も四本も映画をやって やってる作品を全部見れるんですよ。で、先生てるんなら分かるけど。 て、だから何となく撮影所にいると、他のデザたちが駆け出しの僕がなんか描いてるとみんな・・・ーー実際に僕らも仕事してて、一千万以下の予 イナーの組に行ったりとかして、なるほどこ、つ覗きにきて、なに描いてんだよ、こんな真っ黒算のものだと絶対セットなんか建てないですし 仕上げるのかってあったんだけれど、今は本数 にしてどうすんだ、とかなんとか言ってからかね。 が少ないし、学ぶところがないっていうかね、われて ( 笑 ) 。その先生たちが『日本海大海戦 一一千万以上でも建たないですよ、なかな 経験させる場もないっていう 海ゆかば』 ( 一九八三 / 脚本笠原和夫 / 監督舛か 小澤 仲間っていうか、デザイナー室みたいな 田利雄 ) とか大作やったり、船作ったりしてて、ーーームマ、たぶんセット建てられる映画の方が少 とこがあれば、他のデザイナーの建てたセット 一緒に行ってゴシゴシやったりして、映画って なくなっていると思いますけどね。 とか、助手さんのところに行って、図面くれっすげえもん作るなって。そ、ついうことをやれば 内田 両極端ですね。低予算か大規模か。中間 て一言えばくれるんで、それを勉強のために持っ年間に十本以上の映画を勉強しようと思えばで かあまりないってい、つかな。 てったり。セットに行って、手が足りなきや、「おきるわけですよね。戦後の焼け跡をミニチュア 小澤 このところ何本かやってるのは一億 前、暇だろ。ちょっと汚し、手伝え」って、床でやったりして、焼け跡でも蔵は焼け残るんで、 ちょっと切るっていうのが多いんですよ。資金 磨いたりしてね ( 笑 ) 。否が応でも床ってこ、っそしたら蔵はこのくらいにしといて、奥の方を集めて回収できる範囲でいうと、やつばりそこ やってできていくんだって、べニアでもこんな このくらいにしとくことで、距離感を出そうと ら辺が安全圏なんですよね。二億までいくと、 風になるんだってことを身に染みて覚えるわけ か。人の眼の中で奥を小さくしていけば、小さ五億六億入れないとダメなんで。一一億から三億 8 ですよ。色を深くするにはどうすればいいのか くなるっていう。木も段々小さくするし、手前 の間って、一番、僕らがセットを頑張れて、人 とか、ワックス三回かければ質感出るなとか覚 に橋やっといてとか、ぜんぶ覚えられるんですを使って、一個半か建てて、ロケ加工もちゃん えていくんですけど。 よ。今、そんなことやる作品はないですから。 とできて、ある程度空間を通しの空気感で保持 も、っそれすらもない 僕はたまたまそういう環境にいたんで、やれと できる。それ以下になってくるとできないんで 今は人のセットのステージなんか入れな 言われればできると思、つけど、今の人たちにやすよね。九千くらいだと、よほど技を使わなけ いですからね。ましてやコマーシャルは厳しい れって言っても無理ですよね れば事務所の一つも建たないんですよ。この前 んで、、なにが行われているのか全然分からない それこそ、そこはもうですね、完全に。僕がやったのもその位のレベルのものだったん だから自分が関わったものしかできないんです そういう発想もプロダクションにはなくですけど、僕がたまたま以前にやったテレビの なるし。 よ。ましてや、今は予算的にセットが建たない 連ドラのセットがあったんで、それを使ったり イ品か多い時代だし。僕はフリーですか、東映 だからそこで育っ環境もたぶんも、つ一一度して。そういうことでもしないともうセットは で一本立ちさせてもらった時にはデザイナー室と湧き上がってこないし。 なかなか建たないですね。セットを建てるって にデザイナーが五人いたんですよ。その方達の 丁寧に教えたいけど、なかなかロケばっ い、つことはステージを借りるとい、つことですよ 机が窓際に並んでて、その隣に助手が座る机が かりじゃねえ。ロケ先の床の拭き方とか : ね。ステージレンタル費、スタッフルーム費、 あるわけですね。僕は六個目に座って、五人が ( 笑 ) 。ロケ加工の技っていってもねえ、何か建電気代もかかるってことになってくると、じゃ 内田 小澤 岩城 岩城 小澤

4. シナリオ 2016年1月号

後 のスー バイザーが山崎貴さんです、白組の。 やりますと言って、東宝に大きなプールを作っ の そ て、そこに船を入れてやりました。にも限 当時、山崎さんは二十八、九才で、彼自身だっ 事 てそんなに技術はなかったはずです。で、かな度があるわけですよ。だからそこは誰が引っ り苦労されて、十年経って三張っていくかって話になるわけで。で、抜けの 夫参 丁目の夕日』三〇〇五 / 脚本山崎貴古沢良太プールの先はやって下さいよって。朝になって 尚こ 垣品 / 監督山崎貴 ) にいくわけなんです。僕はその海がすっと続いてるって、それはホントうまく 海 の剛 やってくれましたよ。その後、僕は『俺は、君 後「北京原人』 (一九九七 督映 物南 監の / 脚本早坂暁 / 監督佐藤純彌 ) を一年かけてや のためにこそ死ににいく』 ( 二〇〇七 / 脚本石 美多 りました。これこそのあけばのですね、日原慎太郎 / 監督新城卓 ) をやって。これは東映 岩 卒 本の。その頃にオムニバスジャパンが合成編集の特撮研究所の佛田 ( 洋 ) さんが指揮しながら、 学克 大澤 機器のインフェルノを二台入れて、二十四時間 ミニチュアは完璧に作りましたが、そこで僕は 期中 動かしながら、ずっとやってました。「北京原いよいよの時代だな、昔の東宝映画みたい 短の 術督 にミニチュアでゼロ戦が飛んで、雲流して、寄 人』はえらい思いをしてやりました。字宙行っ 美監 子術 りだけコクピット撮ってとい、つのとは違う時代 たり何したりですから。宇宙船の中もワイヤー 女美 で吊って、何十本というワイヤーをフィルムでかいよいよ来たなって感じがしたんですね。で、 3 という一篇がありまして、台風の中、セスナとすから一コマすっ消していくわけです。その辺 「怪物くん』三〇一一 / 脚本西田征史 / 監督中 いうか飛行機が飛びまわるんですね。僕らはミ のところで育った人がいまトップになってるん村義洋 ) 。これはインドのお城の一部を作った ニチュアを作り、コックピットを作り、あとは だけで、あとはほば OC 。だからロケは何日も ですよね。 スクリーンプロセスなり何なりでやる。で、見 してないですが、と、つと、つここまで来たかって 『北京原人』が日本の合成のあけほのとい た眼は撮ってくるという方法論しかみんな思い うのはすごいですね。 感じがしましたね。もうそこである種行き着い つかなかったわけですよ。だけど、プロデュー てる感じがしたんですね。その代わり、その時 その後『花田少年史幽霊と秘密のトン サーがってどこまでできるかと一一一一口うわけで なにをしたかというとぜんぶの図面を書いたん ネル』三〇〇六 / 脚本大森寿美男 / 監督水田伸 す。当時、はほほなかった、ってなん生 ) をやるんですけど、その年にイマジカが > ですよ、お城の。塀も敷地も中にあるべき建物 も。資料を集めて、城の中になにがあるかって、 だっていう感じ。たかだか一一十年前でそれです部門を正式に、前からあったかも知れない その一個一個の図面をぜんぶ書いて、チー からね。パソコンなんか誰も持っていません。けど、立ち上げて、やらせてくれと。で、僕に 監督がやりたいって踏み切ったんです。スク ムに渡すんですね。で作る空間とセットで は船を作ってくれたらいい、彳 ( ぜんぶ自分た リーンプロセスして、下地を撮り、コックピッ ちでやります、嵐も何もって言ったんです。あの実写を繋ぐ、共通するコンセプトデザインが トはセスナを割ったやつを借りてきて、それを 必要なのです。かなり人手もかかったんですけ なたたちの挑戦しようという気持ちも分かるけ セットに入れて撮ったりして。その時の ど、僕はちょっと効果が分からないんでナマでど、でもまあ、それなりにみんな分かってくれ 小澤

5. シナリオ 2016年1月号

もう兄貴たちがそういうことだから、なん ・爻、、つよ、ヾ れは久さんの長年の蓄積と、それと自分の リエーションか、似たもの とかお前はエリートになれと ( 笑 ) 。 兄妹のね。 が出てきたんですけど、第一シリーズにか 渡辺昔はいまと違って、上の学校行くっ 渡辺久さんのところは、お兄さんが俳優なわないのは、ああいうキャラクターです ていうのはそういう切実さで上がってまし だった明さんで、ご自分は次男で、次がさっ よね。キャスティングも良かったですけど、 たからね。 きお話にも出た正さん、そして末が幸子さそれぞれのキャラクターに裏付けがある 森川そうそう。だからエリートになるた んという妹さんなんですね。 しかも、その裏付けに、時代的な裏付けが めになんとか大学に入れという、そう言わ でもいまのお話を聞きますと、下手をすちゃんとあるわけですから。 れれば言われるほど重荷になっていくとい ると図式というか、五人それぞれがある典 、つ ( 笑 ) 、そういう設定で、そこで彼らが型を背負うみたいな、見てて味もそっけも 重喜劇 時代の激変をどう受け止め、傷ついていく なくなりそうなのが、これがエンターティ のか、あるいは乗り越えていくのか、その メントになってしまうんですね 森川ひとつ大事なのは重喜劇というやっ へんをやっていこうと。それは非常に面白森川「若者たち』はテレビのレギュラー ですよ。これはやつばり久さんがあの頃「幕 い設定で、最終的に久さんがこれならいけ番組ですから、よほど五人を書き易くとい 末太陽傳』とか『豚と軍艦』とか、川島 ( 雄一 るという五人の設定にしたんですけど、そ うか、大胆に色分けしないと、久さんは困 三 ) さんや今村 ( 昌平 ) さんたちと重喜劇 らないかもしれ の路線を作ろうと、そういう考えがあった ないけど、他の んですね。「豚と軍艦』なんか思いきった ライターが何書重喜劇と言えるだろうけど、人間の喜劇で 税 部 いていいかわか 十 いえば「幕末太陽傳』ですね。ああいうも 画 企体 らなくなっちゃ のよ、、 しまでも大事なもんだと思ってるん 像ン本 う。だから人間 ですけど、『若者たち』にもなんとか喜劇 映オ 像をはっきり、 的な要素を入れたいと久さんとも話しあっ ビャ 8 レキ 3 少し単純気味に て、ちょうどあの頃、時代としてものすご くザラザラとした、明日ど、つなるかわから はっきりさせよ ちフポ万 、つ A 」い、つ、」 A 」は ない不安というか、ある種の苛立ちがあっ 者元元格あ 0 たかもしれ たんですよ。その苛立ちとか不安とかを喜 発販価◎ ないですね。 劇的にとらえる、そうするとああいう形 渡辺でもその になるんですね ( 笑 ) 。それに輪をかけて、 0 thanks つジテレピ 第をら こ

6. シナリオ 2016年1月号

た。普通喜劇というのは役者が演じてこそ面白い。しかしこの作 品はシナリオを読むだけで充分にオカシクてオモシロかった。読 みながら笑い転げた。取り立てたギャグや諧謔や皮肉が書かれて いる訳ではない。世の中や人間を斜に見ている訳でもない。むし ろまっとうに、まっすぐに見る。現実の世の中の方が歪んでいる。 まっとうでまっすぐな作者の視線と現実の歪みが亀裂を生じ、 レーションを起こし、滑稽を生む。笑いながら、笑われているの は自分だと気づかされる。こいつは天才だと思った。その印象は 今も変わっていない。 大学卒業と同時に、大原と私は東映に入社した。同人誌のシナ リオと在学中に新宿・紀伊国屋ホールで上演した「市民ケーン』 が東映のプロデューサーに認められた故でもあった。「市民ケー ン』は言うまでも無くオーソン・ウエルズの映画史に残る傑作映 画である。今思うと大胆な事をしたものだが、ウエルズの許諾を 得た上で大原と私が戯曲に脚色し、演劇として一週間の興行を 打った。脚本に対して緻密な洞察力を持つ大原との共同作業だっ たからこそ出来たことだ。 私たちが入った当時の東映脚本課には鈴木尚之を筆頭に、神波 史男、松田寛夫、小野竜之介、松本功、掛札昌裕等、錚々たる若 手ライター陣が集い、さながら梁山泊の趣であった。ここでも大 原の特異な才能と、古今東西の映画に通ずる博識は多くの人の認 めるところであった。 溢れる才気と旺盛な筆力、にも拘らす、大原が残した作品は少 ない。少なすぎる。売れっ子になる事もなかったし、有名になる 事もなかった。何故か ? 理由は色々あるだろうが、せんじつめ れば天と地と人との巡りあわせに因るとしか言いようがない。殊 に人だ。人と人との関係性を作る上で極めて不器用だった。礼儀 正しく、義理人情に厚く、人間が好きで好きでたまらなかったに も拘わらす、あるいはだからこそと言うべきか、あまりにも真っ 直ぐ過ぎた。常に本音で人と接することしか出来なかった。だが、 世の中には本音のぶつけ合いが苦手な人もいる。嫌いな人もいる そういう人たちにとって、彼の言葉は時として鋭利な刃物のよう に心を抉る。真っ当で真っ直ぐなだけに、却って痛みは増し、疎 ましくなる 更に、彼の書くシナリオには多くの毒が塗りこめられていた。 特にテレビの世界に在っては、事象の本質を暴くような本物の毒 は禁物だ。 例えばここに彼が書いた作品の一つがある。東京肥チャンネル ( 現テレビ東京 ) で放映された江戸川乱歩シリ 1 ズの一本で、『殺 人金魚』と題するものだ。冒頭に、主人公・明智小五郎の子供の 頃が出てくる。幼い明智がお祭りの縁日で金魚を釣る。それは彼 にとってかけがえのない宝物だ。ところが、飲んだくれの父親が 疎ましがって水洗便所に流してしまう。父親が犯したその小さな 犯罪を幼い明智は決して許さない。そこに名探偵・明智小五郎の 原点があるとするのだ。明智にとっての犯罪とは、社会的規範や 法律に背くものではなく、人にとってかけがえのない何かを蹂躙 し、収奪し、踏みつけにするもの。その視点は一貫して貫かれる。 本筋は社会に対して毒そのもののような連続殺人鬼の話なのだが、 作者の視線はむしろそちら側に寄り添う。そして終盤近く、明智 と殺人鬼が地下水道の中で死闘を繰り広げるシーンでは、かって トイレで流された金魚が地下水道の中で巨大化した化け物と化し、 ー 117 ー

7. シナリオ 2016年1月号

ど。でも、我慢してなっていく人がいるってかいいかとか、その家はなにを飾ってるのか考ちゃうんで、最初に読む時に真剣に一回読んで、 ことは、やってる意義はあるなと思いますね。えさせる。爺さんがいたのかいないのか、そ、つ で、しばらくやつばり何日か漠然と考えないよ で、撮影行為も年一回やろうってことにして いったことをディスカッションさせて決めて、 うにしてても頭のなかでどこかね。で、印象に て。脚本は大森寿美男さんとか月垢し 、づみさんそれで倉庫から出してきて並べるみたいなこと残ったところとかが何となく浮かんでくるとい とかに短いものを書いてもらって。今年は『祖をやっていると、やつばりみんな興味はあるん うか。まあこれだったらこの辺はセットにした 谷物語ーおくのひとー』 ( 二〇一四 / 脚本蔦哲ですね、今年の夏は異常に来まして、四十何人 いんだろうなとかというのが何となく。芝居が 一朗河村匡哉上田真之 / 監督蔦哲一朗 ) の若い 来たんですよ。終わってもいつまでも残ってた込み入ってるとか、じっくりした芝居場だとか、 ライターに書いてもらいました。スタッフ組んりして。最終日に美術やってみたい人って訊い この辺はセットにしたいよなあ、みたいな感じ で、カメラは今回はアレクサですが、これまでたら、十人以上が手を上げましたからね。 で。で、何となくシナリオの中の肝みたいなと はアリのフィルムカメラを借りて三十五ミリで ころがちょっと寝かせておくと頭にほんやり浮 撮って棒焼きして観せる。で、棒焼きしている 脚本をどう読むか かんできて、じゃあこの辺は、今、南海子が言っ 間にネガからアビットで編集マンに編集しても たとおり、と、つい、つトーンにしていくのかな、 美術の方々は脚本をど、ついう風に読んでい らって、一日で繋いでもらって、みたいなこと くんですか みたいな。すごい世話場にするのか、もっとス をやってきたんですよ。やつばり圧倒されるわ まずどういう空間なのかを想像しますね。タイリッシュな方がいいのか、なんとなく色ん けですよね。あんたたち始めたら大変だよって で、どういう世界観にしたいのかってことを監 なものがごちやごちゃとしながら悶々とね。で、川 脅すんですけど、でも始めれば、同じ人間がやっ督と話し合います、トーンというか、空気感と ロケハンが始まり、打ち合わせが始まり、何と てることなんだからできないわけじゃないとも い、つか。特に私が呼ばれる作品はビジュアルが なく監督とかと雑談をしながら、ああ監督はこ 一言うんですけど。この頃は台本を << 班班に分カラフルだったり、かわいらしかったり、なん 、つい、つことを思ってるのかとか。じわじわと具 けてディスカッションさせて、この家ってど、つ かそういう作品を作りたいっていうことで私が体的になっていくという感じですかね いう家だとか、この主人公たちの生い立ちはど呼ばれることが多いんで、ます監督と世界観を 小澤僕は一読して、さてこれはどこだっての うだとかを話させてですね、そ、つであるならば どういう風な色合いに持っていきたいのかってがまずあります。内容とか人間までは入って 家をどう飾るかって、入れ物だけは建てるとこ いうことを脚本と合わせて読んでいくという感 いけないんですよ。セリフを読んでも何して も、それはかなり後のことで。これ、どこなん ろかやらせたりして。まあ、ある程度段取りは じですかね。もちろんそういう作風じゃない作 しておくんですけど。で、建てるのも大道具さ 品もやりたいんですけど、どうしてもそっちに だ ? この街は ? この家どこに建ってるんだ んが入るんですけど、一緒に手伝いながら建て呼ばれがちっていうか ろうっていうのかやつばり一番興味があるとい いつもどう読んでるかな。読んでない時うか。これ日本海側なのか太平洋側なのか、東 て、紙を貼って、色を塗って、手でこんな風に 汚して、畳敷きしてというよ、つなことをやらせ は完全になにも考えずに日々送れるんですけど、 北か四国とか考えてですね、まあ東京都内なら て。それから小道具の倉庫に行って、箪笥とか次の仕事で台本もらっていっぺん読んだら最後、東京都内で、じゃあどの辺だろうとかね。多分、 デカいものは二種類ぐらい借りておいてどっち もう頭にどっかしら寝ても覚めてもなんか考えそれってシナリオに書いてあるというか、語っ 岩城 内田

8. シナリオ 2016年1月号

富江「ねえ、伸子さん」 富江の顔色が変わり、震えるような声を 出す。 富江「ーーーおじさん、なんかおかしかよ」 靴を蹴るように脱ぎ捨ててダッと部屋に 駆け上がったおじさん、伸子の額に手を 当てると大声で叫ぶ。 上海のおじさん「医者 ! 医者ば呼んで来 土間に下りて手早く靴を履くとドタドタ と足音荒く家を飛び出す上海のおじさん。 取り残された富江、呆然と生気を失った 伸子の横顔を見つめている そして呟くように語りかける。 富江「あんた、たった一人で、一人きりで死 んでしもうたとね。ーー・可哀想に、可哀想 富江の目から涙が溢れ出し、声を上げて 泣き伏す。 天井から下がったワット数の低い電灯が ゆらゆら揺れている 掛け布団の上の伸子の細い指にもう血の 色はない。 教会・中 聖歌隊が心を込めて葬送の聖歌を歌って 伸子の葬儀に集う親戚や近所の人々。 冬の柔らかい日差しが、つましいステン ドグラス越しに参列者たちを照らしてい る 祭壇に置かれた伸子の棺。 花に飾られた在りし日の写真。 参列者たちの最前列に町子と正圀が並ん で立っている 町子、溢れる涙をしきりに拭う。 参列者の中に懸命に鳴咽を堪える上海の おじさんの姿もある その悲しい葬儀の中に佇む二人の姿 伸子と浩一一。 じっと町子と正圀の姿を見つめている浩 二の目に涙が浮かぶ。 その横顔を見た伸子が浩一一を促すと、一一 人背を向けて歩き出す。 参列者の中に和代と娘のすみれがいる すみれ、伸子の姿を認める。 笑顔で手を振る伸子。 嬉しそうに応えるすみれを和代が叱る やがて、教会の扉が開き、伸子と浩二の 姿は明るい光の中へ消えていく 聖歌が交響楽に変わると共に、一一人を包 む世界が美しい天国の色彩に彩られる その色彩が雲のように動き、何千何万の 人々の姿が見え隠れする中に伸子と浩一一 の姿が消えていく。 そして、クレジットタイトルが始まる タイトル この作品を井上ひさしさん に捧げる。 終わり

9. シナリオ 2016年1月号

危機一髪の明智を救うという奇想天外のイメージが展開される。 これはほんの一例だが、大原の脚本には極彩色で描かれたあぶ な絵のようなイメージが決して少なくない。本誌所収の「実録ジ プシ 1 ・ローズ』にもそれは見られる。シーン・ナンバー、、 町、絽、等がそれである。まるで幕末の浮世絵師・土佐の絵金 ( 弘瀬金蔵 ) が泥絵具をぶちまけたように毒々しく、美しく、哀 通常、毒の背景に在るのは憎悪や怒りだが、大原が脚本に塗り 込めた毒の底にあるのは、弱者に対するやさしさである。私と共 作した「修羅雪姫・怨み恋歌』の中にも、そうした大原流の美し い毒が間違いなくあった。 ここ十年程、大原清秀は脚本家の仕事からは遠ざかっていた。 だが、映画に対する愛着を失っていた訳ではない。親しい友人た ちに、私信の形で独自の映画論を語りつづけていた。特に最近は シネコン等では決して上映されることのないドキュメンタリ 1 作 品を多く見ていたようだ。 それにつれて、彼自身の立ち位置も、フィクションの世界から、 ノン・フィクションへと向かっていった。震災の被災地や介護の 現場から、『ポラボラ日記』と題する手書きの書幹が送られてき た。友人たちはそれを大原便と呼んで読むのを楽しみにしていた ようだ。葬儀に駆けつけた殆どの人はその仲間たちであった。 息を引きとる前日、彼はその中の一人に、最後の大原便を手渡 したと言う。そこには 19 6 0 年代のドイツの詩人、エー ヒ・フリードの「対策」と題する一片の詩が書かれていた。 大原清秀 ( おおはらきょひで ) 氏 2015 年 8 月 4 日、死去。 清原氏は、 1943 年生まれ。東京都出身。早稲田大学卒。 主な作品、映画「実録ジプシー・ローズ」「修羅雪姫怨み 恋歌」「狂った野獣 , 「おさわりサロンおしばりでお待ち します」「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党 宣言」など。テレビ「プレイガール」「刑事くん」シリーズ、 「ウルトラマンタロウ」「大都会 < Ⅱ」「特捜最前線」 「噂の刑事トミーとマッ」「不良少女と呼ばれて」「ポニーテー ルはふり向かない」「ザ・スクールコップ」など多数。 世の中は勤勉になる なまけ者を殺す 世の中は美しくなる 醜いものを殺す 世の中は賢くなる おろか者を殺す 世の中は健康になる 病人を殺す 悲しんでいるものを殺す世の中は愉快になる 世の中は若返る 年寄りを殺す 世の中は友だちばかりになる 敵を殺す 世の中はよくなる 悪者を殺す 1 18 ーー

10. シナリオ 2016年1月号

来たことは、とても貴重で贅沢な体験だった。 会の方々や実際に一揆に参加した子孫の方に取材し、ド キュメンタリー映画を仕上げた。そこで、主人公・治兵 この体験から、岡山にいる人たちと一緒に映画を作れ たら、自分たちの手を超えた作品が出来るという直感の衛のモデルとなる人物を発見したのだ。彼は一揆に参加 もと、監督が兼ねてより映画化を構想していた「山中一 しながら、生きるために逃げることを選び、放浪したの 揆」の製作に乗り出すことになった。この一筋縄ではい ち帰って来て、墓に名前も刻まれることなく静かに死ん かない企画の始動に、私は意を決し、真庭市民となるこ でいったという。彼の視点から一揆を描けば、私たちが とを選んだ。完成させるには、少なくとも 3 年、あるい 今語ることができる、今を見つめ返す映画になると、監 は 5 年かかるかもしれない。 これからどうやって生きて督と二人で確かな感触を得た。 いくの ? そんな葛藤も余所に、幸いにも住まいも、生 映画が完成する間際、義民顕彰会の会長さんがつぶや 計を立てる仕事もすぐに紹介してもらうことが出来た。 いた言葉が強く耳に残っている。彼は蜂起の場面につ 映画が人生をつなぐのか、人生が映画をつなぐのかケ どったエキストラの写真を手に取り、「この人たちにも セラセラ 名前があるのだろうか」と言った。彼らは、処刑された 一揆の映画プロジェクトと称し、「一揆を起こすかの 人の者たちを義民として顕彰するうえで、まず名前を ように一揆の映画を作る」を合言葉に、培ったネットワ 1 特定することから始めた。それは、一揆が、時代のうね りの中で生じた大きな物語であると同時に、一人一人の クを活かし、製作に参加してくれる人を募ったり、寄付 協賛を募ったりと県内を奔走して準備を進める。それと 小さな物語の集積であることを紡いでいった作業だった 同時に、根幹となる企画・プロットを監督とともに練っ と想像する。 ていった。当初は、主謀者の徳右衛門であるとか、その 私たちが描いた治兵衛のモデルとなった人物にも、一 参謀の弥治郎であるとかを主人公に据えた物語を想定し 人の人間として生きた様があったに違いない。彼の人生 ていた。しかしながら、どうにもしつくり来ない。この を想像する。そこには、今こそ語らなければならない何 土地に起こった歴史を私たちが描くうえで、何を語ろう かがあるはずだ。ぜひそれを見て、多くの人に語り合っ てほしい。 とするのか。それを掴むきっかけが必要だった。 私たちは並行して、「山中一揆」をより知るために、 地元で長く一揆を調べてこられている山中一揆義民顕彰